月研ぎさん~
毎回のコメント感謝しています。
それも、特に今回のコメントに~。
それは、
最初からの自由びとの間違い・勘違いの思い込みからのレス、
それは、ピント外れの理解不能的な自由びと記述の数々、、
それらに、呆れる事無く真摯に答え続けて頂けた事に感謝!
その結果、
やっと最後の最後に、
自由びとは、己の大きな勘違いに気付けました。
そうです!
「勘違い」の「勘」だから、間違えるのです。
「○○君」と書かれたモノを、
記事<「意地」から考える~>の本文を確認せずに、
その時の己の想い「お宅んくん」の事だと思い込んで、
書き始め、そして書き続けてしまいました。
何度も何度も思いました!
なんで?!
月研ぎさんは…私の記述から、
私の認識を読み取ってくれないの?
月研ぎさん!
それは違うよ!
何を書いているの?…と~
でも…しかし…
そんな私の月研ぎさんへの想いは、
全て月研ぎさんの自由びとへの想いだったのでしょう。
月研ぎさんは、最後の最後に、書いくれました。
>
私がその会話を読んだとき、
私だったら「
「意地」「思い込み」とは何かを
論じるのではなく
◇◇君の、
自分はできない、できなくてもいいという、
自分で自分を強く規定してしまっている
「思い込み」「意地」を、
どう工夫したら解きほぐして、
自分も、できる・できた、という
できることの嬉しさ楽しさを、
感じさせることができるか
そこに着目して、
「意地」「思い込み」する自分を
解き放つための「過程論」を
展開する、と思ったのです。
今度の書き込みは、
そのことが結果目的となりました。
<
なので、ここでは、先ずはアバウトに、
以下の順で
「◇◇君」の事例につい書きたい、
と思います。
・コメントを書いた人
月研ぎ
・タイトル
器用・不器用
・タイトル
技という難問
・タイトル
問いの立て方
・タイトル
丸写しの丸暗記という方法
◇◇君、本人は「不器用」と言っていますが…
実際に、手先は「不器用」ではなく、
頭の回転も速く、
クラス男子の中ではリーダー的な存在なのです。
なのに、なぜ彼は、「不器用」とか「出来ない」…と言ったか?
それは、彼が、へそ曲がり…、素直に他人のアドバイスを聞けない。
自分の思い・考え・目的を優先するタイプだから、と私は分析しています。
それは、授業中の教師の言動に対して度々自分の反対意見を言って、
最後には、「もういい!黙ってきけ!」と注意されるのです。
あの場合、彼の目的は、
「丁寧に紙を半分に折る」事ではなく、
「さっさとプリントをバインダーに挟みたい」です。
その為の手段が「プリントを折る」でした。
だから、あの時の彼にとっては、
プリントが確り半分ではなくても、
バインダーに入れば目的行動終了なのです。
私は、その事が分かっていて、
敢えてワザワザ「丁寧に折れてない」事を指摘しました。
そして、彼の反応を楽しんでいたのです。
あの場合の意地とは、自己の目的を最速に果たす事、ですかね。
そして、彼の性格・意地は「言われたら,必ず言い返す」ですね。
丁寧に折る為の技は、そう難しくありません。
それは、
必ず初めに、角と角をちゃんと合わせて、
そして、曲がっている部分をゆっくり丁寧に抑え・押し・挟み続ける、
そんな感じです。
集中すれば、このやり方で、きれいに折れます。
もっとも…角と角が確りと
重ねられるような正方形とか長方形…
の形なのば…ですが…
本当に難しいのは、その「折り方」の技化です。
いつでも、どこでも、どのような状態でも、
同じような綺麗さで折れる技の体得・修得です。
技の技化には、集中力の持続が必要です。
器用な児童は、
集中して一回で綺麗に折れる事が多く、
それで出来ると満足して終了。
不器用な児童は、何回やっても、
上手くできずに、とうとう諦めて終了。
どちらも、
技は覚えられても、
技化が出来ずにいる、
ようですね。
「丸写しの丸暗記という方法」
石の上にも三年、バカの一つ覚え、
基本技の技化と、
基本技の使い方の技化、
折り方の基本・技は、
角と角を正確に合わせる。折り目をゆっくり抑えたり・挟み続ける事。
角と角を正確に合わせる為の基本は、
指先への神経の集中力、
角を確認する視覚力、
紙を抑える・挟む為の指のコントロール力…
使い方の技化は、色々なサイズ・形の紙を折る事の繰り返し…
次回には、
>
「意地」「思い込み」する自分を
解き放つための「過程論」を
展開する、と思ったのです。
<
を書くつもりです。
私の場合は、
最大限の努力で。他人の言う事に耳を貸す、
ですかね…
毎回のコメント感謝しています。
それも、特に今回のコメントに~。
それは、
最初からの自由びとの間違い・勘違いの思い込みからのレス、
それは、ピント外れの理解不能的な自由びと記述の数々、、
それらに、呆れる事無く真摯に答え続けて頂けた事に感謝!
その結果、
やっと最後の最後に、
自由びとは、己の大きな勘違いに気付けました。
そうです!
「勘違い」の「勘」だから、間違えるのです。
「○○君」と書かれたモノを、
記事<「意地」から考える~>の本文を確認せずに、
その時の己の想い「お宅んくん」の事だと思い込んで、
書き始め、そして書き続けてしまいました。
何度も何度も思いました!
なんで?!
月研ぎさんは…私の記述から、
私の認識を読み取ってくれないの?
月研ぎさん!
それは違うよ!
何を書いているの?…と~
でも…しかし…
そんな私の月研ぎさんへの想いは、
全て月研ぎさんの自由びとへの想いだったのでしょう。
月研ぎさんは、最後の最後に、書いくれました。
>
私がその会話を読んだとき、
私だったら「
「意地」「思い込み」とは何かを
論じるのではなく
◇◇君の、
自分はできない、できなくてもいいという、
自分で自分を強く規定してしまっている
「思い込み」「意地」を、
どう工夫したら解きほぐして、
自分も、できる・できた、という
できることの嬉しさ楽しさを、
感じさせることができるか
そこに着目して、
「意地」「思い込み」する自分を
解き放つための「過程論」を
展開する、と思ったのです。
今度の書き込みは、
そのことが結果目的となりました。
<
なので、ここでは、先ずはアバウトに、
以下の順で
「◇◇君」の事例につい書きたい、
と思います。
・コメントを書いた人
月研ぎ
・タイトル
器用・不器用
・タイトル
技という難問
・タイトル
問いの立て方
・タイトル
丸写しの丸暗記という方法
◇◇君、本人は「不器用」と言っていますが…
実際に、手先は「不器用」ではなく、
頭の回転も速く、
クラス男子の中ではリーダー的な存在なのです。
なのに、なぜ彼は、「不器用」とか「出来ない」…と言ったか?
それは、彼が、へそ曲がり…、素直に他人のアドバイスを聞けない。
自分の思い・考え・目的を優先するタイプだから、と私は分析しています。
それは、授業中の教師の言動に対して度々自分の反対意見を言って、
最後には、「もういい!黙ってきけ!」と注意されるのです。
あの場合、彼の目的は、
「丁寧に紙を半分に折る」事ではなく、
「さっさとプリントをバインダーに挟みたい」です。
その為の手段が「プリントを折る」でした。
だから、あの時の彼にとっては、
プリントが確り半分ではなくても、
バインダーに入れば目的行動終了なのです。
私は、その事が分かっていて、
敢えてワザワザ「丁寧に折れてない」事を指摘しました。
そして、彼の反応を楽しんでいたのです。
あの場合の意地とは、自己の目的を最速に果たす事、ですかね。
そして、彼の性格・意地は「言われたら,必ず言い返す」ですね。
丁寧に折る為の技は、そう難しくありません。
それは、
必ず初めに、角と角をちゃんと合わせて、
そして、曲がっている部分をゆっくり丁寧に抑え・押し・挟み続ける、
そんな感じです。
集中すれば、このやり方で、きれいに折れます。
もっとも…角と角が確りと
重ねられるような正方形とか長方形…
の形なのば…ですが…
本当に難しいのは、その「折り方」の技化です。
いつでも、どこでも、どのような状態でも、
同じような綺麗さで折れる技の体得・修得です。
技の技化には、集中力の持続が必要です。
器用な児童は、
集中して一回で綺麗に折れる事が多く、
それで出来ると満足して終了。
不器用な児童は、何回やっても、
上手くできずに、とうとう諦めて終了。
どちらも、
技は覚えられても、
技化が出来ずにいる、
ようですね。
「丸写しの丸暗記という方法」
石の上にも三年、バカの一つ覚え、
基本技の技化と、
基本技の使い方の技化、
折り方の基本・技は、
角と角を正確に合わせる。折り目をゆっくり抑えたり・挟み続ける事。
角と角を正確に合わせる為の基本は、
指先への神経の集中力、
角を確認する視覚力、
紙を抑える・挟む為の指のコントロール力…
使い方の技化は、色々なサイズ・形の紙を折る事の繰り返し…
次回には、
>
「意地」「思い込み」する自分を
解き放つための「過程論」を
展開する、と思ったのです。
<
を書くつもりです。
私の場合は、
最大限の努力で。他人の言う事に耳を貸す、
ですかね…