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本音と建て前について…

2020-11-25 15:53:09 | 言葉・概念

本音と建て前について…


「本音」と「建前」の違い~建前=ウソではない!
https://news.1242.com/article/163614

『本音』と『建前』の意味を調べますと、『本音』は“本心から出た言葉。本当の心。真実の気持ち”。『建前』は“基本となる方針や原則。表向きの考え”とあります。
ところが建前は“表向きの考え”であって“本心・本音”でないということから、“建前=ウソ”と思われている方、結構多いそうです。
また本音ではなく、建前で言ったことによって、相手にウソをついた気分になる…という方もいらっしゃるそうです。
確かに『ウソ』という言葉を調べますと、“事実でないこと。人をだますために言う、事実とは違う言葉”または“適切でないこと。望ましくないこと”とあります。
そんなところから“本音は本当のことで、建前はウソをつくこと。もしくは上辺だけのこと”と解釈されることがあるそうです。
しかし『建前』と『ウソ』は、実際には違うものです。
その理由として、ウソは“自分の利益になること、あるいは自分が損をしないために、人をおとしいれるために使われるもの”。
それに対して建前は“自分と相手との考えの違いを、相手を不愉快にさせずに伝えるために使われるもの”とされています。
つまり、そもそもの“目的”が違う…ということです。人間関係を上手に保つためにも、建前は必要とされています。



上記の記述を参考に私なりに
「本音と建て前」を考えてみた。



「本音」が、個人的立場での認識とするなら、
「建て前」とは、社会的立場での認識となろう。

自分勝手な我儘な息子への感情・考えが「本音」なら、
父親の立場での息子への感情・考えが「建て前」となろう。


自分勝手な我儘な仕事への思い・願望が「本音」なら、
社員としての仕事への思い・責任は「建て前」となろう。

個人的な感情・思い・考え方…が「本音」なら、
集団の一員としての思い・考え方…が「建て前」となろう。

本音と建て前は、両方とも人間にとって必要なモノであり、
この二つを納得しつつ両立させる事が大切であろう。

本音は自由である。
建て前は不自由だ。


個人的本音そのままの自由な行動を否定して、
個人としては不自由な社会人としての建て前を体得できたなら、
「建て前」が社会人としての「本音」となろう。


そこに個人的立場と社会的立場での異なった二つの「本音」が生まれる。
空手家が必殺の技を体得した時、その必殺技は一つである。
それでも、必殺的に使える事もあれば、撫でる程度での使用も可能。
その違いは、技に込められた思い認識であろう。


また、本音が認識なら、建て前は行動様式、となろうか。
本音は自由でよいが、建て前は不自由である。

自由自在に認識しても、行動を自由自在には至難であろう。
ここに自由な行動を否定しての、
不自由な行動様式の体得が求められる。

「本音と建て前」という言葉には、
よい響きがないが…
本当にそうなのだろうか?







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