二つ目が普通の世界では、一つ目は奇形である。
でも一つが普通の世界なら、二つ目が奇形であろう。
そもそも「奇形」か、否かとは、存在する環境・世界との関係性から決まるモノ。
天動説が普通に常識の時代では、地動説は「奇形」説と言えた。
しかし、地動説が常識の現代なら、天動説が過去の遺物と言えよう。
このような「奇形」とは?を知らずに考えようともせずに…
コメント欄の臨済義玄お宅は「奇形」を使っている。
こんな簡単な言語の概念認識なく安易に使える者が、
果たして、
真の哲学を語れるだろうか?
真の論理を語れるだろう?
真の学問を語れるだろうか?
仮に語れたとして……
果たしてこれらを正しく語れるだろう?