「世界は、私の生誕と共に誕生して、私の死と共に滅びていく」
↑
これは、無限に広い現実世界を、有限で狭い私の生きている世界、
「世界=私の世界」としてしまっているので観念論的世界観。
「私の観念世界は、私の生誕と共に発生して、私の死と共に消えていく」
↑
これは、初めから私の観念世界に限定して、
その全体を説いている唯物論的世界観。
「私の観念世界は、私の生誕と共に発生、私の死と共に消えていく」
「父母の観念世界は、父母の生誕と共に発生して、その死と共に消えていた」
「祖父母の観念世界は、祖父母の生誕と共に発生して、その死と共に消えていた」
「祖祖父母の観念世界は、祖祖父母の生誕と共に発生して、その死と共に消えていた」
…
「人間の世界は、人類の誕生と共に生まれ、その滅亡と共に消えていく」
「恐竜の世界は、恐竜の誕生と共に生まれ、その滅亡と共に消えていた」
…
生命体の世界は…
生命の誕生は…
地球の誕生は…
太陽系の誕生…
銀河系の誕生は…
……
現宇宙の誕生は、前宇宙の消滅と共に…
前宇宙の誕生は、前々宇宙の消滅と共に…
……
神が宇宙を創造したなら、宇宙は神の世界の消滅共に…?
それとも、今・現在も神は人間と共に存在している…?
その神の世界は、どのように誕生したのだろう?
そもそも神の誕生は、あるか?orないか?
神の世界は、神だけなのだろうか?
神が人間と共に存在しているなら、
この宇宙を創造した神は、この宇宙を滅ぼすのだろうか?
前宇宙を滅ぼしたのは神なのだろうか?
神に宇宙・物質…創造の力があるなら、
事物の変化・運動も神が実行しているのなら、
人間の生活・知識…全てが神の意志による操作…という事になろう。
人間が何をしても、「神の意志であり当人の責任ではない」事になり得る。
神が宇宙の全てを創造したなら、
全ては神の意志であったとするなら、
神の意志とは宇宙全体の意志である事になる。
宇宙の一部に過ぎない人間の意志は、決して神の意志ではない。
人間が何かをしても、それは神の意志ではない、と言えよう。
その一部の意志に過ぎない人間の意志を神の意志とするのは観念論である。
神が宇宙を創造したなら、神は宇宙であり、宇宙は神である。
ならば、人間は神の一部であり、神の一部は人間となろう。
この「神というモノ」の考え方が、
ヘーゲルの「絶対精神」であろう。
「絶対精神」の世界の前にある世界とは?
「絶対精神」の誕生とは?
観念論的世界観は、絶対精神による世界の創造から始まる世界観。
唯物論的世界観は、絶対精神の誕生以前から始まる世界観。