「弁証法性が豊か」という言葉がある。
また、「弁証法の達人」という言葉もある。
これらの区別と連関について思惟してみた。
子供は「弁証法性が豊か」である、と言える。
それは、物事の変化に対して非常に柔軟な対応ができる、
からである。
しかし、その子供の「物事に対する非常に柔軟な対応」
は意識的ではなく反射的と言える。
そして、子供がそのような柔軟な対応が可能なのは、
脳細胞を中心とした身体的柔軟性・若さがあるからであり、
また、若さ故の無知でもある。
若さ故の無知とは、
あまり多くの事を知らない無知、
型を知らない・形に嵌っていない無知。
そんな若さ故の無知な柔軟性は、
経験・体験を得て年と共に失われていってしまう。
そこで、そんな無意識的な柔軟性を
意識的な柔軟性へと変換するモノが弁証法と言えよう。
弁証法の達人とは、
子供が無意識・自然に対象に即して対応する認識を
自己の目的意識を持って意識的に創出するモノである、といえる。
弁証法の達人とは目的意識的に
子供的な(対象に即して柔軟な対応を可能にする)認識になり、
その認識のままに行動可能な者をいうのだろう。