新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
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弁証法をパソコンで例えて考える

2021-08-21 10:12:38 | 弁証法講座


人が対象に「弁証法の法則」を適用する事、
人間が頭脳を「三法則」的に使っている事。

頭脳を「三法則」的に働かしている事。
頭脳が働く・動くのは頭脳の機能が発揮されている事。

パソコン本体を頭脳、パソコン機能を弁証法、として考えてみた。

パソコン本体は電源を入れても、プログラムソフトを入力しない限り動かない・働かない。

人間の頭脳も誕生直後の赤子は泣く(電源ランプの点灯)だけであり他に何もできない。
それでもその後、周囲の人々の赤子への働き・関わり(ソフトの入力)で、
赤子の頭脳は徐々に人間的に(機能)働くようになっていく。


さて…
パソコンなら最新ソフトを読み込めれば、
機能はバージョンアップして、より複雑なモノとなり得る。
人間の頭脳も、色々な学びで言うなればバージョンアップされていく。

ただし、私のパソコンの場合であるが…
以前、長くWindows8のパソコンを使っていた…
ある日の夜中に、突然のWindows10への自動アップデートがあり、
翌日、パソコンを立ち上げたら上手く作動しなかった。

そこで近所のパソコンショップへ持って行ってみてもらったら、
パソコン本体が古くて、Windows 10ソフトが使えない…と言われ、
結局Windows10ソフトを取り除いてもらって初めて正常に働くようになった。


さて、ここで、
人間の実体である頭脳が弁証法的に働く為の弁証法ソフトとは何か?
<一>自動に入力された「弁証法ソフト」。
<二>意識的に入力された「弁証法ソフト」。


<一>は、現実の体験・経験を通して弁証法のソフトとは思わず体得した。
<二>は、書物や他人から「弁証法とは」を教えられ学び入力した。

<一>の場合は、弁証法とは知らずの体得であるから、無意識的弁証法と言えよう。
<二>の場合は、文字の入力だけであるからそれを使えるようにする必要がある



これが、パソコンの場合は、
弁証法へのアップデートの為には、
先ずは弁証法ソフトのダウンロード。
そして弁証法ソフトが使える為のインストール、となろう…


パソコンの場合、
ソフトであってもプログラムの相違から
それぞれのソフトにはグレードレベルがある。


ならば弁証法の場合も、
同じ言葉・説明なら同じレベルの弁証法だろうが…
異なった言葉・説明の弁証法なら違いがあって当然である。

問題は、その言葉・説明にレベルの相違があるのだろうか?

パソコンソフトがグレードアップした理由は、
パソコンの処理能力の向上を求めてである。
それは、パソコンを使用している人間が求めたモノ。
求めた理由は人間社会に変化・発展があったからだろう。


弁証法ソフト記述も人間が書いたモノ。
その弁証法は、その人の必要性から生まれ、それを文字化したモノ。
人間社会が進化・発展しているなら、その時代の頭脳の機能にも進化・発展が求められる。
そこで、その社会で生活している人間なら無自覚的無意識的に弁証法を体得していく。
しかし…弁証法を体得した者が、それをプログラムソフト化出来るとは限らない。


仮にグレードアップした弁証法プログラムソフトが完成しても、
古い本体・実体である頭脳が使えるようインストールできるとは限らない…


最新型のパソコンなら初めから「最上級のソフト」入力は可能である。
でも誕生時の人間の頭脳は、あらゆるソフトが使用可能なパソコンではない。
それは、最新のパソコンになり得る素材・材料…といったモノなのだろう。

更に体験・経験…から無意識に弁証法を体得し得た者は、
経験・体験的な弁証法のグレードアップは可能でも、
他人の弁証法ソフトを読み込み使えるようになるのは至難である。
そもそも…
自分の体得したモノがそのアップグレードモノと
同じ弁証法と認識するのも至難であろう。






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