我が偉大なる悟りの今の我が境地を~
何から始めようか? 何処から書こうか?
今朝のさっきの 私の認識をから?
それとも昨日の私の認識から?
今朝さっきの起きがけに書いた以下のようなメモ…
対立物の統一について~
今日の朝、寝床で以下のような事を思った。
「種と花」の統一
「未体験と体験」の統一。
「体験と経験」の統一。
「未体験と体験と経験」の統一。
「未体験的事実と体験的事実の統一」。
「体験人と未体験人」の統一。
……
「勝者と敗者の統一」
その後も色々と想像・思惟・思考して、「対立物の統一」
「事実と対象の統一」・「事実と反映した対象の統一」・「反映した対象認識と問い掛け認識」の統一…
そう気づいた!
始まりと終わりの統一、初めと途中の統一、途中と終わりの統一…
事実と対象の反映との統一、対象と対象の反映の統一、対象の反映的認識と問い掛け的認識の統一、
そして、ここから更に、この統一結果で問い掛けた対象の反映とその問い掛け的認識の統一、
外界と内界の統一、…
そんな中で、悟った事は~
真の弁証法的な「対立物の統一」とは、
「対象の反映的認識と自己の対象に対する問い掛け的認識」(の統一と、その過程的統一の連続)
(内)は再読時の追加。
しかし…ほとんどの人々のそれは、無意識・無自覚的な「統一」であろう。
だから、ここに「敵を知り己を知れば、百戦危うからず」の諺があろう。
これは、
自分が、反映した対象の外界の全体像・過去から現在までの全体像・敵を知り、
その問い掛けている己の感情・その感情の生々・生成・発展・衰退、過程を知れば、
何事も自分の学問的・社会的・個人的な納得が得られるだろう…という事。
哲学者は「驚きが哲学の始まり」と説く。
私は「私の不思議感が、わたし学の始まり」と説く。
その違いは、ここでのブログ「この不思議感は何?・あれは何だったのだろうか?!」である。
これは、その時の私は、過去の私の問いかけ的認識へ、
その時の私的な認識で問い掛けた結果の「不思議感」だった。
そして、「この不思議感」の理解・究明への
大いなるヒント・契機をtataさんから頂いた結果であろう。
そして、私がそのヒントを契機に、
「認識の集中」から問い掛け的認識・集中、
更にその実践で新たな問い掛け的認識の感情化、
それをtadaさんへの返信として書き続けた事の結果が。現在のわたし的問い掛け認識・感情であろう。
しかし…これが、ここまで一晩で量質転化化した理由の一つに、昨夜観た以下のNHKドラマへの問い掛けがあった。
ドラマの紹介は以下のネット情報から~
いや~「生成AI」とは、これ程に便利だとは…思わなかった♪!♪(喜びのビックリ!)
そこで、「生成AI」で、「生成AI」検索したら以下です。
「生成AI(Generative AI)とは、画像、文章、音声、プログラムコード、構造化データなどさまざまなコンテンツを生成することのできる人工知能のことです。
大量のデータで訓練し、パターンや傾向を学習したモデルによって、人間が作成するような絵や文章を生成することができます。
生成AIは、コンピュータが学習したデータを元に、新しいデータや情報をアウトプットする技術です。これまで人間が実施していた「考える」や「計画する」をAIが実行し、アイディアやコンテンツを生み出します。
生成AIは、機械学習を活用して膨大なデータを学習し、そのデータを使って予測することをシステムに教えます。従来のAIは「学習済みのデータの中から適切な回答を探して提示する性質」を持っていましたが、生成AIは「0から1を生み出す」性質が特徴的です。
画像生成AIは、ユーザーがテキストを入力すると、その内容に応じてAIがオリジナル画像を生成するシステムです。デザイン業界をはじめとして、さまざまなクリエイティブ業界において、業務のサポートや新たなアイデアの創出などの幅広い活用が期待されています。」
因みに「生成AI」検索で「シンパーシー」を検索したら以下~
>「シンパシーとは、相手の感情に寄り添って自分事のように考えることを表すカタカナ英語です。
シンパシーには「同情」「共感」「あわれみ」といった意味があり、相手の痛みや不幸、悩み、悲しみを気の毒に思ったり、気にかけたりすることを表します。また、ある個人や状況に対して何かしてあげたいと思う気持ちを指すこともあります。
シンパシーとよく似た言葉に「エンパシー(empathy)」があります。エンパシーは「共感」という意味で、シンパシーと混同されやすい言葉です。エンパシーは、相手の立場に立って相手の考えや感情を想像することであり、シンパシーとは異なるニュアンスがあるといえるでしょう。
シンパシーは、ギリシャ語の「syn(一緒に)」と「pathos(苦痛)」が由来といわれています。シンパシーには「気の毒に思う」という意味もあるため、相手を哀れに思うニュアンスが強い言葉です。」<
このシンパシーを息子に聞いたら、「同調」と即答してきた!
私は「同情?」と聞き返したら「同情でなく、「ど・う・ちょう」と強調された。
私は、その息子の「同調」に大いに納得した!
何故なら、私の「シンパシー」疑問は、
自分の恋人を女友達に奪われた歌「杏里の悲しみが止まらない」の中での
♫「ふたりはシンパシー感じてた」♫、という歌詞だったからである。
(この曲名も「歌シンパーシー感じていた)とネット検索した結果である。
(忘れっぽい私に実に便利な道具♫♫♫)
しかし、この「生成AIの同情」では、私には違和感であったから…
以前も息子に、私の違和感があった別の「英単語の意味」を尋ねたら、
それもまた納得いく解説だった。
その時、息子は、(質問したカタカナ)は(そのカタカナ)として覚えている。
(聞いたカタカナ語を忘却)
これを「シンパシー」に言い変えるなら、
私は息子に、「英単語、どのよう覚えているの?」
息子曰く、「シンパシー」を日本語訳ではなく「シンパシー」として覚えている。
その時、理解できなかた「英単語・シンパシー」を「英単語・シンパシー」として覚えている意味を~
その後の私は、「同調」の言葉を聞いた私は以下のよう尋ねた!
私―「シンパシーを感情で覚えているのでしょう!」
息子―「…ニュアンスで記憶している!」
さてさて私は、早速「ニュアンス」を検索!以下~
>「ニュアンスとは、言葉や表現に含まれる微妙な意味や感じを指す言葉です。
ニュアンスは、直訳では表現しきれない細かな感情や意図、雰囲気を伝えるために用いられます。言葉の選び方や文脈、話者の意図によって大きく変わるため、正確な理解にはコミュニケーションの経験や文化的な背景知識が必要となります。
ニュアンスは、「意味合い」の言い換え表現としてよく使われます。ニュアンスという言葉が使われるのは、誰かの発言に含まれる微妙な意味合いや言葉の裏に隠された意図を示す時です。言葉での説明が難しい細かい違いや雰囲気を伝えたい場合には、ニュアンスという言葉を使うことが多いでしょう。
ニュアンスには、次のような意味もあります。
ある語・語句の持つ表面的な意味以外の、情緒的な意味や細かな意味
語句や文章の言外に表わされた意味や話し手の意図
絵画で、色の明度・彩度・色相の微妙な変化の現われ 」<
いや~息子の賢い中身を垣間見た気がした…
さてさて…
結論的に書くなら、
弁証法の認識論的な「対立物の統一」とは、
「対象の反映的認識と自己の問い掛け的認識の
「観念内・認識の統一」・「認識内・観念的な統一」の法則化~
そこでは、「反映されている対象像」と「その対象の全体像・想像とその部分像」の統一過程、
そして、「自己の問い掛け像と自己の理想とする問い掛け像」の統一過程、
端的には、
「現時点の事実的問い掛けと自己の求めている未来像的問い掛け」の統一過程、
反映されている現実への「人類的・社会的人間的・個人的人間的」視点からの問い掛け、
別言するなら、対象への「現象的・構造的・本質的」問い掛けでの統一、
これが、上記が私の現在の悟りの境地であろう。
↑
いや~再読したら、分かるよで、良く分からない。
私の書きたい事のようで、でも少し違っている…ような違和感が…
それは、弁証法の「対立物の統一」を「悟った」!
それは、(認識内で「悟り」の「感情的・理性的」な統一が可能になった)状態。
対象との感情的統一とは、師範が説いている「風との統一」例で書くなら~
以下のような「風」感情で、現実の風への問い掛けでの、微妙な感情的統一の連続であろう。
>「また、風の強さを表す単位として「風力」があります。これは、風が物体に与える力の大きさを定義したもので、1806年にイギリスの海軍提督ビューフォート氏が提唱した13段階の風力階級が、1964年に世界気象機関に正式に採択されました。
風の強さは、急に吹く強い風(突風、疾風、陣風、早手)によっても表現されます。突風は、突然吹き出す強風で、数分間続いてのち収まるものです
小風、軽風、微風、薫風、軟風、光風。
風の哲学的表現としては、次のものがあります。
表現主義
感性論哲学
イメージ学
表現主義は、1905年からドイツ革命期にかけて展開されたドイツの芸術傾向です。美術を中心として文学、建築、演劇、音楽、映画に及んでいます。主観的な視点から世界を知覚し、感情的な表現を伝えるために形態を極端にゆがめることが特徴です。
感性論哲学は、哲学者の芳村思風が確立した「感性」を原理とする独創的な哲学です。日本人の哲学的思想的原理が「感性」であるとすれば、感性論哲学は、日本人による日本精神の哲学的な自覚表現であるとされています。
イメージ学は、風の表現を試みています。
風を表す文学的表現には、次のようなものがあります。
風薫る
風声鶴唳
花信風
風の音を表す四字熟語には「風声鶴唳」があります。「風声」は風の音、「鶴唳」はつるの鳴き声で、わずかな物音にもおびえるたとえです。
また、爽やかな風を表す表現には、次のようなものがあります。
小風、軽風、微風、薫風、軟風、光風。
冬の風の呼び方には、次のようなものがあります。
空っ風・乾っ風(からかぜ、からっかぜ)
寒風(かんぷう、さむかぜ)
木枯らし(こがらし)
北風(きたかぜ、ほくふう)
雪風(ゆきかぜ)
隙間風(すきまかぜ)
北颪(きたおろし) 」<
「生成AI」とは実に便利であろう。
しかし、検索している人間の感情が加味されていない…のが…機械であろうが…
私の現在・現時点での私の
「現実的な対象の反映と自分内の問い掛け的認識の統一」とは、
私の補助員生活での「眼前の不勉強な児童を勉強したい児童」へと
如何に、その児童の感情・認識を「変化・運動させるかを、
その児童の感情の「生々・生成・発展・衰退・消滅」を法則化する事であろう。
その為には~……この辺で…また「つづく」~
ドラマ「あれからどうした」は、2023年12月26日から12月28日までNHK総合で放送された作品です。佐藤雅彦、関友太郎、平瀬謙太朗による監督集団「5月」がオリジナルで、作・編集・演出を担当しています。
「あれからどうした」は、人間の「表と裏」を暴き出す、新しいスタイルのドラマです。居酒屋で飲んだ後、なにをしたかと聞かれた6人が、それぞれの思惑が入り交じった話をします。その嘘のできごと(音声)と、実際に体験したできごと(映像)が同時に提示されます。
たとえば、居酒屋で飲んだ仕事仲間の男女が、翌日会社で「あれからどうした?」と尋ね合うシーンがあります。それぞれが語る昨夜の出来事(音声)と、実際に体験した出来事(映像)が大きく食い違っています。
たとえば、居酒屋で飲んだ仕事仲間の男女が、翌日会社で「あれからどうした?」と尋ね合うシーンがあります。それぞれが語る昨夜の出来事(音声)と、実際に体験した出来事(映像)が大きく食い違っています。
【放送日】
NHK総合テレビ
12月26日(火) 夜11:00-11:44 第1話 「虚実の社員食堂」
12月27日(水) 夜11:00-11:44 第2話 「久保家の隠しごと」
12月28日(木) 夜11:00-11:44 第3話 「制服を脱いだ警察官」
(1)「虚実の社員食堂」
人間の表と裏を暴き出す新しい形のドラマ。夜、居酒屋で飲んだ仕事の同僚、西秀樹(戸次重幸)、三宅仁美(臼田あさ美)、斉藤和也(中島歩)、長谷雄大(田村健太郎)、小宮山浩(森田甘路)、山内陽菜(飯豊まりえ)の6人。翌日、社員食堂で昼食を共にし、前夜のその後の出来事を「あれからどうした?」と尋ね合う。
戸次重幸さん、臼田あさ美さん、中島歩さん、田村健太郎さん、森田甘路さん、飯豊まりえさんが出演する。ビジネス街にある証券会社。前夜、居酒屋で飲んだ6人の同僚が、社員食堂にたまたま集まり、昼食をともにすることに。そして前夜のその後の出来事を互いに尋ねあう。「あれからどうした?」と……。
(2)「久保家の隠しごと」
初回放送日: 2023年12月27日
久保家は、父・彰彦と母・祥子、高校生の娘・絵梨花と小学生の息子・航平に、犬のジョン。朝食を終えた久保家の4人は、それぞれ仕事や学校へ出かける。そして、1日が終わって夜の食卓についた4人は互いに尋ね合う…「あれからどうした?」それぞれが語る日中の出来事(音声)は、それぞれが実際に体験した出来事(映像)となぜか大きく食い違っている。
(3)「制服を脱いだ警察官」
初回放送日: 2023年12月28日
警察署の地域課に勤務する5人の警察官。昼休憩の談話室に集まった5人は、前日の夜、居酒屋を出た後、何をしていたのか互いに尋ね合う…「あれからどうした?」それぞれが語る昨夜の出来事(音声)は、それぞれが実際に体験した出来事(映像)となぜか大きく食い違っている
何から始めようか? 何処から書こうか?
今朝のさっきの 私の認識をから?
それとも昨日の私の認識から?
今朝さっきの起きがけに書いた以下のようなメモ…
対立物の統一について~
今日の朝、寝床で以下のような事を思った。
「種と花」の統一
「未体験と体験」の統一。
「体験と経験」の統一。
「未体験と体験と経験」の統一。
「未体験的事実と体験的事実の統一」。
「体験人と未体験人」の統一。
……
「勝者と敗者の統一」
その後も色々と想像・思惟・思考して、「対立物の統一」
「事実と対象の統一」・「事実と反映した対象の統一」・「反映した対象認識と問い掛け認識」の統一…
そう気づいた!
始まりと終わりの統一、初めと途中の統一、途中と終わりの統一…
事実と対象の反映との統一、対象と対象の反映の統一、対象の反映的認識と問い掛け的認識の統一、
そして、ここから更に、この統一結果で問い掛けた対象の反映とその問い掛け的認識の統一、
外界と内界の統一、…
そんな中で、悟った事は~
真の弁証法的な「対立物の統一」とは、
「対象の反映的認識と自己の対象に対する問い掛け的認識」(の統一と、その過程的統一の連続)
(内)は再読時の追加。
しかし…ほとんどの人々のそれは、無意識・無自覚的な「統一」であろう。
だから、ここに「敵を知り己を知れば、百戦危うからず」の諺があろう。
これは、
自分が、反映した対象の外界の全体像・過去から現在までの全体像・敵を知り、
その問い掛けている己の感情・その感情の生々・生成・発展・衰退、過程を知れば、
何事も自分の学問的・社会的・個人的な納得が得られるだろう…という事。
哲学者は「驚きが哲学の始まり」と説く。
私は「私の不思議感が、わたし学の始まり」と説く。
その違いは、ここでのブログ「この不思議感は何?・あれは何だったのだろうか?!」である。
これは、その時の私は、過去の私の問いかけ的認識へ、
その時の私的な認識で問い掛けた結果の「不思議感」だった。
そして、「この不思議感」の理解・究明への
大いなるヒント・契機をtataさんから頂いた結果であろう。
そして、私がそのヒントを契機に、
「認識の集中」から問い掛け的認識・集中、
更にその実践で新たな問い掛け的認識の感情化、
それをtadaさんへの返信として書き続けた事の結果が。現在のわたし的問い掛け認識・感情であろう。
しかし…これが、ここまで一晩で量質転化化した理由の一つに、昨夜観た以下のNHKドラマへの問い掛けがあった。
ドラマの紹介は以下のネット情報から~
いや~「生成AI」とは、これ程に便利だとは…思わなかった♪!♪(喜びのビックリ!)
そこで、「生成AI」で、「生成AI」検索したら以下です。
「生成AI(Generative AI)とは、画像、文章、音声、プログラムコード、構造化データなどさまざまなコンテンツを生成することのできる人工知能のことです。
大量のデータで訓練し、パターンや傾向を学習したモデルによって、人間が作成するような絵や文章を生成することができます。
生成AIは、コンピュータが学習したデータを元に、新しいデータや情報をアウトプットする技術です。これまで人間が実施していた「考える」や「計画する」をAIが実行し、アイディアやコンテンツを生み出します。
生成AIは、機械学習を活用して膨大なデータを学習し、そのデータを使って予測することをシステムに教えます。従来のAIは「学習済みのデータの中から適切な回答を探して提示する性質」を持っていましたが、生成AIは「0から1を生み出す」性質が特徴的です。
画像生成AIは、ユーザーがテキストを入力すると、その内容に応じてAIがオリジナル画像を生成するシステムです。デザイン業界をはじめとして、さまざまなクリエイティブ業界において、業務のサポートや新たなアイデアの創出などの幅広い活用が期待されています。」
因みに「生成AI」検索で「シンパーシー」を検索したら以下~
>「シンパシーとは、相手の感情に寄り添って自分事のように考えることを表すカタカナ英語です。
シンパシーには「同情」「共感」「あわれみ」といった意味があり、相手の痛みや不幸、悩み、悲しみを気の毒に思ったり、気にかけたりすることを表します。また、ある個人や状況に対して何かしてあげたいと思う気持ちを指すこともあります。
シンパシーとよく似た言葉に「エンパシー(empathy)」があります。エンパシーは「共感」という意味で、シンパシーと混同されやすい言葉です。エンパシーは、相手の立場に立って相手の考えや感情を想像することであり、シンパシーとは異なるニュアンスがあるといえるでしょう。
シンパシーは、ギリシャ語の「syn(一緒に)」と「pathos(苦痛)」が由来といわれています。シンパシーには「気の毒に思う」という意味もあるため、相手を哀れに思うニュアンスが強い言葉です。」<
このシンパシーを息子に聞いたら、「同調」と即答してきた!
私は「同情?」と聞き返したら「同情でなく、「ど・う・ちょう」と強調された。
私は、その息子の「同調」に大いに納得した!
何故なら、私の「シンパシー」疑問は、
自分の恋人を女友達に奪われた歌「杏里の悲しみが止まらない」の中での
♫「ふたりはシンパシー感じてた」♫、という歌詞だったからである。
(この曲名も「歌シンパーシー感じていた)とネット検索した結果である。
(忘れっぽい私に実に便利な道具♫♫♫)
しかし、この「生成AIの同情」では、私には違和感であったから…
以前も息子に、私の違和感があった別の「英単語の意味」を尋ねたら、
それもまた納得いく解説だった。
その時、息子は、(質問したカタカナ)は(そのカタカナ)として覚えている。
(聞いたカタカナ語を忘却)
これを「シンパシー」に言い変えるなら、
私は息子に、「英単語、どのよう覚えているの?」
息子曰く、「シンパシー」を日本語訳ではなく「シンパシー」として覚えている。
その時、理解できなかた「英単語・シンパシー」を「英単語・シンパシー」として覚えている意味を~
その後の私は、「同調」の言葉を聞いた私は以下のよう尋ねた!
私―「シンパシーを感情で覚えているのでしょう!」
息子―「…ニュアンスで記憶している!」
さてさて私は、早速「ニュアンス」を検索!以下~
>「ニュアンスとは、言葉や表現に含まれる微妙な意味や感じを指す言葉です。
ニュアンスは、直訳では表現しきれない細かな感情や意図、雰囲気を伝えるために用いられます。言葉の選び方や文脈、話者の意図によって大きく変わるため、正確な理解にはコミュニケーションの経験や文化的な背景知識が必要となります。
ニュアンスは、「意味合い」の言い換え表現としてよく使われます。ニュアンスという言葉が使われるのは、誰かの発言に含まれる微妙な意味合いや言葉の裏に隠された意図を示す時です。言葉での説明が難しい細かい違いや雰囲気を伝えたい場合には、ニュアンスという言葉を使うことが多いでしょう。
ニュアンスには、次のような意味もあります。
ある語・語句の持つ表面的な意味以外の、情緒的な意味や細かな意味
語句や文章の言外に表わされた意味や話し手の意図
絵画で、色の明度・彩度・色相の微妙な変化の現われ 」<
いや~息子の賢い中身を垣間見た気がした…
さてさて…
結論的に書くなら、
弁証法の認識論的な「対立物の統一」とは、
「対象の反映的認識と自己の問い掛け的認識の
「観念内・認識の統一」・「認識内・観念的な統一」の法則化~
そこでは、「反映されている対象像」と「その対象の全体像・想像とその部分像」の統一過程、
そして、「自己の問い掛け像と自己の理想とする問い掛け像」の統一過程、
端的には、
「現時点の事実的問い掛けと自己の求めている未来像的問い掛け」の統一過程、
反映されている現実への「人類的・社会的人間的・個人的人間的」視点からの問い掛け、
別言するなら、対象への「現象的・構造的・本質的」問い掛けでの統一、
これが、上記が私の現在の悟りの境地であろう。
↑
いや~再読したら、分かるよで、良く分からない。
私の書きたい事のようで、でも少し違っている…ような違和感が…
それは、弁証法の「対立物の統一」を「悟った」!
それは、(認識内で「悟り」の「感情的・理性的」な統一が可能になった)状態。
対象との感情的統一とは、師範が説いている「風との統一」例で書くなら~
以下のような「風」感情で、現実の風への問い掛けでの、微妙な感情的統一の連続であろう。
>「また、風の強さを表す単位として「風力」があります。これは、風が物体に与える力の大きさを定義したもので、1806年にイギリスの海軍提督ビューフォート氏が提唱した13段階の風力階級が、1964年に世界気象機関に正式に採択されました。
風の強さは、急に吹く強い風(突風、疾風、陣風、早手)によっても表現されます。突風は、突然吹き出す強風で、数分間続いてのち収まるものです
小風、軽風、微風、薫風、軟風、光風。
風の哲学的表現としては、次のものがあります。
表現主義
感性論哲学
イメージ学
表現主義は、1905年からドイツ革命期にかけて展開されたドイツの芸術傾向です。美術を中心として文学、建築、演劇、音楽、映画に及んでいます。主観的な視点から世界を知覚し、感情的な表現を伝えるために形態を極端にゆがめることが特徴です。
感性論哲学は、哲学者の芳村思風が確立した「感性」を原理とする独創的な哲学です。日本人の哲学的思想的原理が「感性」であるとすれば、感性論哲学は、日本人による日本精神の哲学的な自覚表現であるとされています。
イメージ学は、風の表現を試みています。
風を表す文学的表現には、次のようなものがあります。
風薫る
風声鶴唳
花信風
風の音を表す四字熟語には「風声鶴唳」があります。「風声」は風の音、「鶴唳」はつるの鳴き声で、わずかな物音にもおびえるたとえです。
また、爽やかな風を表す表現には、次のようなものがあります。
小風、軽風、微風、薫風、軟風、光風。
冬の風の呼び方には、次のようなものがあります。
空っ風・乾っ風(からかぜ、からっかぜ)
寒風(かんぷう、さむかぜ)
木枯らし(こがらし)
北風(きたかぜ、ほくふう)
雪風(ゆきかぜ)
隙間風(すきまかぜ)
北颪(きたおろし) 」<
「生成AI」とは実に便利であろう。
しかし、検索している人間の感情が加味されていない…のが…機械であろうが…
私の現在・現時点での私の
「現実的な対象の反映と自分内の問い掛け的認識の統一」とは、
私の補助員生活での「眼前の不勉強な児童を勉強したい児童」へと
如何に、その児童の感情・認識を「変化・運動させるかを、
その児童の感情の「生々・生成・発展・衰退・消滅」を法則化する事であろう。
その為には~……この辺で…また「つづく」~
ドラマ「あれからどうした」は、2023年12月26日から12月28日までNHK総合で放送された作品です。佐藤雅彦、関友太郎、平瀬謙太朗による監督集団「5月」がオリジナルで、作・編集・演出を担当しています。
「あれからどうした」は、人間の「表と裏」を暴き出す、新しいスタイルのドラマです。居酒屋で飲んだ後、なにをしたかと聞かれた6人が、それぞれの思惑が入り交じった話をします。その嘘のできごと(音声)と、実際に体験したできごと(映像)が同時に提示されます。
たとえば、居酒屋で飲んだ仕事仲間の男女が、翌日会社で「あれからどうした?」と尋ね合うシーンがあります。それぞれが語る昨夜の出来事(音声)と、実際に体験した出来事(映像)が大きく食い違っています。
たとえば、居酒屋で飲んだ仕事仲間の男女が、翌日会社で「あれからどうした?」と尋ね合うシーンがあります。それぞれが語る昨夜の出来事(音声)と、実際に体験した出来事(映像)が大きく食い違っています。
【放送日】
NHK総合テレビ
12月26日(火) 夜11:00-11:44 第1話 「虚実の社員食堂」
12月27日(水) 夜11:00-11:44 第2話 「久保家の隠しごと」
12月28日(木) 夜11:00-11:44 第3話 「制服を脱いだ警察官」
(1)「虚実の社員食堂」
人間の表と裏を暴き出す新しい形のドラマ。夜、居酒屋で飲んだ仕事の同僚、西秀樹(戸次重幸)、三宅仁美(臼田あさ美)、斉藤和也(中島歩)、長谷雄大(田村健太郎)、小宮山浩(森田甘路)、山内陽菜(飯豊まりえ)の6人。翌日、社員食堂で昼食を共にし、前夜のその後の出来事を「あれからどうした?」と尋ね合う。
戸次重幸さん、臼田あさ美さん、中島歩さん、田村健太郎さん、森田甘路さん、飯豊まりえさんが出演する。ビジネス街にある証券会社。前夜、居酒屋で飲んだ6人の同僚が、社員食堂にたまたま集まり、昼食をともにすることに。そして前夜のその後の出来事を互いに尋ねあう。「あれからどうした?」と……。
(2)「久保家の隠しごと」
初回放送日: 2023年12月27日
久保家は、父・彰彦と母・祥子、高校生の娘・絵梨花と小学生の息子・航平に、犬のジョン。朝食を終えた久保家の4人は、それぞれ仕事や学校へ出かける。そして、1日が終わって夜の食卓についた4人は互いに尋ね合う…「あれからどうした?」それぞれが語る日中の出来事(音声)は、それぞれが実際に体験した出来事(映像)となぜか大きく食い違っている。
(3)「制服を脱いだ警察官」
初回放送日: 2023年12月28日
警察署の地域課に勤務する5人の警察官。昼休憩の談話室に集まった5人は、前日の夜、居酒屋を出た後、何をしていたのか互いに尋ね合う…「あれからどうした?」それぞれが語る昨夜の出来事(音声)は、それぞれが実際に体験した出来事(映像)となぜか大きく食い違っている