新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

矛盾とは、自己の中にあり…

2023-04-13 05:26:31 | …絶対矛盾…


矛盾とは、自己の中にあり…


今日、夢を記憶いた…
いつも、忘却の夢を~


事の詳細は思い出せない・不明だが…
ネット掲示板or電話で、話し合っている相手の矛盾を、次々に指摘している私の姿を見た。
そして、最後に判明した(夢中の)事実とは?
その姿がみえない・分からない相手と、何と!私自身であったと言う驚愕の事実である。




人間の「絶対矛盾」とは、「ココロとアタマ」の矛盾であろうか…
ココロは、体内の感覚情報の認識であり、
アタマは、外界・感覚可能な範囲の五感情報からの認識である。

動物なら、外界からの肉体的な「快・不快」刺激=内界の本能的な「快感・不快感」であるが…

しかし…人間は、肉体的な「不快」である筈の刺激を、心の快感と認識してしまう可能性がある。

それは、所謂、愛する者からの「愛の鞭」と言われているモノであろう…

鬼のようなシゴキでも、自己の目的達成の為なら、心地よい仏の導き…であろうか?


しかし…問題がある!

鬼が鬼でいる為の、鬼のようなシゴキなのか?
仏が鬼に変身した、人間への成長の為の鬼のようなシゴキなのか?

また、シゴキを受ける人間も、
自分の為の、仏・鬼のようなシゴキと受け取るのか?
鬼の人間イジメの為の鬼・鬼のようなシゴキと考えるのか?

自然の矛盾も、種から芽へ、芽から葉っぱへ…

ある花を見た時、花は花であり、種でも茎でも葉っぱでもない…
でも、その人間が、その花を育てた者なら、
記憶・体感…している「種から花まで」の想起が可能である。

そこには、種・茎・葉っぱ・花…は連続し記憶情報があろう~
しかし、そのような記憶・知識…を持ち得ない者にとっては、
「花は花」、決して種でも茎でもない存在であろう。








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3 コメント

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Unknown (雲海)
2023-04-13 06:55:11
しかし、ここまでタワケだと本当に対抗意識だとかは湧いてきませんね(苦笑)

自由びとさんはご自分が2ちゃんねるだとかにハンドルネームを変えて投稿したものを事細かに覚えているようですね、ドラゴンなんとかちゃんでしたっけ?

私も当時「変わった人がいるな」と思ったぐらいで対話する内容もお持ちでなかったですから言葉を交わしたことも有りませんでしたが、一部のコメンテーターの間では「あれだけ阿呆なこと書いてると逆に相手の戦意を喪失させるから故意にやっているのだろう」との見方がありましたよ。

「遣隋使・遣唐使」と書いたそばから「鬼のシゴキ」?(失笑)

まったくもって妄想ですよ。自由びとさんは人間社会というものを知らな過ぎるというか「故意にトボケ」ているのでしょうね。
人間社会で他者から何かを得るためには「対価」が必要なんですよ。「遣隋使・遣唐使」は「朝貢」を持っていったから代わりに文化を貰えたわけで、大学で学ぶなら「学費」が必要ですし、留学するにも留学費が必要です。

南郷先生だって「月謝」を取っていたでしょう?先ずは「入門」が許可されるか?が前提で、その次に「費用の納入」が必要となります。大学だって学費だけ用意できても入学試験に合格できなければ授業(教授による指導)は受けられないわけですから。

それが人間社会の「互いに生活を支え合う」という「対価(お金)」の役割りですよ。

私が自由びとさんのコメントをほとんど気にもしないで自分の思考を磨いているのは、知識を論理的に繋げていくための問いかけを生み出すには他者という触媒が必要だからです。

私には正式に入門して月謝を支払って学んでいる「自他ともに認める師弟関係」がありますから、自由びとさんは今までと変わらず十年一日でのんびりと余生を過ごされたら良いと思いますよ。
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Unknown (雲海)
2023-04-14 07:34:34
自由びとさん、ここでご提案があるのです。

自由びとさんは私の投稿するコメントをご自分の気分に任せて非公開にしていたり、ご自分のコメントの中に勝手に組み入れてみたりしていますけど、私の書いたものは私の書いたものとして独立したものとして公開していただけませんか?

自由びとさんが私の投稿自体を非公開にしたまま、その一部をご自分の投稿に組み入れることは、自由びとさんのほうからしたならば「二人三脚」「共同作業」のおつもりかも知れません。

ですが「gooブログの利用規約」にもあるように「書かれたものの著作権」は書いた本人に帰属するもので、私が書いたものの著作権は私にあります。

例えば、心理学的な事柄でいったなら『自由學藝』の寄筆さんの「弁証法・認識論から説く認知行動療法入門」では南郷先生の「悟りとは何か?」をトレースしていますから「学問(科学)と宗教」というフレームによって認知行動療法は科学であって宗教ではない、なんて展開になっています。ですが、心理学の「安堵させる」という方向性から鑑みた場合、私が投稿したように岩波書店の『日本思想大系』などに取り上げられている最澄や空海、法然、親鸞らの宗教思想は「安堵させるフレーム」だと捉え返すことができ、南郷先生の「悟りとは何か?」の記載では上手くいかなくなるものです。

本来ならば私も自分が投稿したもののコピーをとっておくべきなのでしょうが、原朗さんと小林英夫さんの学説盗用に関する裁判沙汰のようなことにならないためにも「発言に対する著作権の倫理要綱」を再考されることを望みます。
返信する
私は自由びと! (自由びと)
2023-04-20 10:06:49
ここは自由びとブログで、ここの主は自由びと。
ならば、全ての自由は、自由びとの手中にあり。
それは、自由びとの気ままな自由意志中にあり。
まあ~取り敢えずは ヒマつぶしの為にOKです。
返信する

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