「アキレスと亀の競争」の話
アキレスと亀のパラドックス②数学的な解決法と、哲学的問題としての本質 | TANTANの雑学と哲学の小部屋、からの引用。
上記では、「数学的解決法」として以下のような事が書かれている。
パラドックスを解消するための答えとして、
この問題を、
アキレスが亀に実際に何秒後に追いつくのか?
それとも追いつかないのか?
という問題として捉え、それに対して数学的な答えを出すのは
至極簡単な議論となります。
例えば、
アキレスは俊足とされているので、
カール・ルイス並に、100mを10秒で走り続けていくとして、
鈍足の亀にも頑張ってその10分の1の速度で走ってもらうとし、
両者のスタート時点での距離の差を100mとすると、
アキレスが秒速10mで、
亀が秒速1m、
両者のスタート時の差は100mとなるので、
アキレスが亀に追いつくのをx秒後とすると、
アキレスが何秒後に亀に追いつくことになるのか?
ということを表す計算式は、
10(m/s) × x(s) = 100(m) + 1(m/s) × x(s)
(アキレスの秒速)(x秒後)(スタート時)(亀の秒速)(x秒後)
の距離の差
となり、この式を解くと、以下のようになります。
10(m/s)×x(s) =100(m)+1(m/s)×x(s)
10x(m) =100(m)+x(m)
10x =100+x
9x =100
x =11.11111…
よって、アキレスは亀に11.11111…秒後に追いつくことになり、
少なくても、11.2秒後には優に亀を追い越している
という結論となります。
↑
「追い越す」事は可能でも「追いつく・追いついた」(という認識・自覚)は不能では?
それは、アキレスが、亀に「追いついた瞬間をと認識できず」に「亀の横・上を乗り越え」追い越しているだろうから…
「追いつく・追い付く・追い着く」 1.先に出た人に、後から出た人が並ぶこと。
「追い越す」 1.後ろから行って、先行するものを抜いてその前に出る。追い抜く。
なので、この解答は、「追い越す」認識は可能でも「追いつく」認識は不可能。
では~その思惟過程を書いてみよう。
上記の問題の説き方・仮定は~
アキレスが秒速10mで、
亀が秒速1m、
両者のスタート時の差は100mとなるので…
このような「秒速」で思考するのは不適当。
そもそも…当時のギリシャに秒速という概念はなかっただろう。
私の記憶だと、問題は「アキレスは亀の十倍速い」
なので思惟(事実的な思考)で、前提を以下のよう変えよう~
二人が「同じ間の一歩」であり、
「亀一歩が5cm」で、「アキレス一歩が50㎝」⇒十倍速い。
亀もアキレスも足で走る歩く、
それらの用いた場所の移動は、ほぼ安定した「一歩の間(時間)と一歩の間隔(距離)」。
なので以下のよう仮定~
両者の一歩の間(時間)を同じ。
亀の一歩は、5㎝(0.05m)、
キアキレスの一歩は、50㎝(0.5m)、と仮定。
亀のスタート地点は、アキレスの100m前、として~
アキレスの二歩が1m、亀の二歩が10㎝。
初めに、アキレスが、100m先の亀のスタート場所に「200歩で到着」。
その時、亀も200歩進んで、「5㎝×200=1000㎝=」10m、アキレスの先にいる。
次に、アキレスは、その亀いた10m先の地点に、「20歩で到着」。
その時、亀の20歩は、5㎝×20=100㎝=1m、アキレスの先にいる。
更に、アキレスは、1m先の亀の地点いた地点に「2歩で到着」。
その時の亀は、5㎝×2歩=10㎝、アキレスの先にいる。
そして、アキレスの次の50㎝「一歩が、亀の頭上を越えて」、
亀のスタート地点から、111m50㎝の地点に着地。
結果は、アキレスは~
「200+20+2+1」=223歩で亀を追い越した。
ここで、好む問題の問いは、「追いつく?or追いつかない?」
解答は、「追い越す事は可能」でも「追いつく瞬間は認識不能」
そもそも…この問い自体が問題だ!
その問いを、観念体である秒速を用いてで解こうするのも問題。
ある運動中の「ある一瞬」を認識するのは、人類の想像・認識の停止。認識・観念内的なモノ・
それを、言葉・頭脳像的に可能でも、現実的に瞬間的に再現は不能。
それは、言うなれば、人間が、今のこの瞬間の自己の気持ち・気分・感情…を「瞬間的に認識して言語表現する」事。
しかし、ある気分は、感じた瞬間に、別物に変化している。
認識・表現できた、今の気分・気持ち・感情…は、ある程度の長さで続いていたモノ。
そもそも…この問題を事実的に思惟するなら、
「秒速は人類の創出した概念・観念的なモノ」。
この問題ほ観念的な秒速で思考計算した結果をギリシャ時代の一般人には、思考も理解不能。
ゼノンの絶対矛盾とは、私的には、私の今この瞬間の感情・気分・気持ち…を、今この瞬間に表現しようという取り組み・矛盾。
この矛盾とは、「今この瞬間」は「今・この瞬間だと」・「感覚・認識した瞬間」に、「少し前の瞬間に変化(運動)」している。
そもそも…今この瞬間を「感覚して表現する」という、二つの事を今この主観に同時には、出来ない!
なので、アキレスは亀に、「追いついたと認識した瞬間」、既に「追い越している」
言うなれば、もう「少しで追いつく」と認識して、最後の一歩を出した瞬間にもう追い越している。
それは、「踏切の赤ランプの点滅」の滅を確認しようしようとする取り組み。
または、電車の開扉を、開閉ランプの見詰めながら「点灯」の瞬間を認識しよて押そうとする取り組み。
何度トライしても、私には、電車の開ランプ点灯の瞬間を同時に確認はできない…
結局は、一瞬後の確認・ボタン押し…である。
認識・頭脳可能な事でも、そのまま現実に押し付ける事は、絶対的な矛盾に陥る事がある。
それは、秒速・分速とは、実体の機能に過ぎないモノ。
飛行機・自動車…の人工的物体の機能としてなら有効でも…
生命体の機能にそのまま…押し付けるなら、そこ矛盾が生じる。
昨日までの私は、全力ではしれた!
今日の自分は、全力で走れない!
何故??どうした??
とうすればいいの?!
アキレスと亀のパラドックス②数学的な解決法と、哲学的問題としての本質 | TANTANの雑学と哲学の小部屋、からの引用。
上記では、「数学的解決法」として以下のような事が書かれている。
パラドックスを解消するための答えとして、
この問題を、
アキレスが亀に実際に何秒後に追いつくのか?
それとも追いつかないのか?
という問題として捉え、それに対して数学的な答えを出すのは
至極簡単な議論となります。
例えば、
アキレスは俊足とされているので、
カール・ルイス並に、100mを10秒で走り続けていくとして、
鈍足の亀にも頑張ってその10分の1の速度で走ってもらうとし、
両者のスタート時点での距離の差を100mとすると、
アキレスが秒速10mで、
亀が秒速1m、
両者のスタート時の差は100mとなるので、
アキレスが亀に追いつくのをx秒後とすると、
アキレスが何秒後に亀に追いつくことになるのか?
ということを表す計算式は、
10(m/s) × x(s) = 100(m) + 1(m/s) × x(s)
(アキレスの秒速)(x秒後)(スタート時)(亀の秒速)(x秒後)
の距離の差
となり、この式を解くと、以下のようになります。
10(m/s)×x(s) =100(m)+1(m/s)×x(s)
10x(m) =100(m)+x(m)
10x =100+x
9x =100
x =11.11111…
よって、アキレスは亀に11.11111…秒後に追いつくことになり、
少なくても、11.2秒後には優に亀を追い越している
という結論となります。
↑
「追い越す」事は可能でも「追いつく・追いついた」(という認識・自覚)は不能では?
それは、アキレスが、亀に「追いついた瞬間をと認識できず」に「亀の横・上を乗り越え」追い越しているだろうから…
「追いつく・追い付く・追い着く」 1.先に出た人に、後から出た人が並ぶこと。
「追い越す」 1.後ろから行って、先行するものを抜いてその前に出る。追い抜く。
なので、この解答は、「追い越す」認識は可能でも「追いつく」認識は不可能。
では~その思惟過程を書いてみよう。
上記の問題の説き方・仮定は~
アキレスが秒速10mで、
亀が秒速1m、
両者のスタート時の差は100mとなるので…
このような「秒速」で思考するのは不適当。
そもそも…当時のギリシャに秒速という概念はなかっただろう。
私の記憶だと、問題は「アキレスは亀の十倍速い」
なので思惟(事実的な思考)で、前提を以下のよう変えよう~
二人が「同じ間の一歩」であり、
「亀一歩が5cm」で、「アキレス一歩が50㎝」⇒十倍速い。
亀もアキレスも足で走る歩く、
それらの用いた場所の移動は、ほぼ安定した「一歩の間(時間)と一歩の間隔(距離)」。
なので以下のよう仮定~
両者の一歩の間(時間)を同じ。
亀の一歩は、5㎝(0.05m)、
キアキレスの一歩は、50㎝(0.5m)、と仮定。
亀のスタート地点は、アキレスの100m前、として~
アキレスの二歩が1m、亀の二歩が10㎝。
初めに、アキレスが、100m先の亀のスタート場所に「200歩で到着」。
その時、亀も200歩進んで、「5㎝×200=1000㎝=」10m、アキレスの先にいる。
次に、アキレスは、その亀いた10m先の地点に、「20歩で到着」。
その時、亀の20歩は、5㎝×20=100㎝=1m、アキレスの先にいる。
更に、アキレスは、1m先の亀の地点いた地点に「2歩で到着」。
その時の亀は、5㎝×2歩=10㎝、アキレスの先にいる。
そして、アキレスの次の50㎝「一歩が、亀の頭上を越えて」、
亀のスタート地点から、111m50㎝の地点に着地。
結果は、アキレスは~
「200+20+2+1」=223歩で亀を追い越した。
ここで、好む問題の問いは、「追いつく?or追いつかない?」
解答は、「追い越す事は可能」でも「追いつく瞬間は認識不能」
そもそも…この問い自体が問題だ!
その問いを、観念体である秒速を用いてで解こうするのも問題。
ある運動中の「ある一瞬」を認識するのは、人類の想像・認識の停止。認識・観念内的なモノ・
それを、言葉・頭脳像的に可能でも、現実的に瞬間的に再現は不能。
それは、言うなれば、人間が、今のこの瞬間の自己の気持ち・気分・感情…を「瞬間的に認識して言語表現する」事。
しかし、ある気分は、感じた瞬間に、別物に変化している。
認識・表現できた、今の気分・気持ち・感情…は、ある程度の長さで続いていたモノ。
そもそも…この問題を事実的に思惟するなら、
「秒速は人類の創出した概念・観念的なモノ」。
この問題ほ観念的な秒速で思考計算した結果をギリシャ時代の一般人には、思考も理解不能。
ゼノンの絶対矛盾とは、私的には、私の今この瞬間の感情・気分・気持ち…を、今この瞬間に表現しようという取り組み・矛盾。
この矛盾とは、「今この瞬間」は「今・この瞬間だと」・「感覚・認識した瞬間」に、「少し前の瞬間に変化(運動)」している。
そもそも…今この瞬間を「感覚して表現する」という、二つの事を今この主観に同時には、出来ない!
なので、アキレスは亀に、「追いついたと認識した瞬間」、既に「追い越している」
言うなれば、もう「少しで追いつく」と認識して、最後の一歩を出した瞬間にもう追い越している。
それは、「踏切の赤ランプの点滅」の滅を確認しようしようとする取り組み。
または、電車の開扉を、開閉ランプの見詰めながら「点灯」の瞬間を認識しよて押そうとする取り組み。
何度トライしても、私には、電車の開ランプ点灯の瞬間を同時に確認はできない…
結局は、一瞬後の確認・ボタン押し…である。
認識・頭脳可能な事でも、そのまま現実に押し付ける事は、絶対的な矛盾に陥る事がある。
それは、秒速・分速とは、実体の機能に過ぎないモノ。
飛行機・自動車…の人工的物体の機能としてなら有効でも…
生命体の機能にそのまま…押し付けるなら、そこ矛盾が生じる。
昨日までの私は、全力ではしれた!
今日の自分は、全力で走れない!
何故??どうした??
とうすればいいの?!