「悟りを悟る」の多重性~
「悟りとは?」というモノを知る。
「悟る為の方法」を知る。
「悟りの道」を知る。
「悟りへの道」を知る。
知る⇒識る⇒悟る
「悟りの道」を知・識・悟っても、
「悟りへの道」を知・識・悟っても、
その「悟り道を歩む」事なくば、「悟得」にはなり得ない。
悟得への到達なくば、その「悟り」は単なる自己満足に過ぎず。
道を創ったとしても、その己の道を振り返り・戻り、再確認をせねば、「道を忘れる」。
道を知っても、歩まねば、何も得られない。
道を歩いても、最後まで、歩めるとは限らない。
最後まで、歩んでも、気付かずに脇道に逸れてしまっている事もある。
自分で道を創る事、自分の創った道を歩む事は、そう難しくない。
他人の創った道を、その道から逸れる事なく歩み続けるのは至難であろう。
他人の創った道が、必ずしも、己の求める道とは限らない。
己の求める道ではなくても、その到達点が己の求めるモノなら…どうする?
その時は、他人の創った道を、その創始者とは、異なった歩み方をする。
高速道路を走る能力のない者は、その道路に沿った一般道を行けばよい。