「恋路橋」はビュースポット、そして「恋志谷神社」へ

2021-03-18 11:08:46 | 南山城村へ行ったよ
晴れて、気持ちの良い朝、吹く風に心地よさを感じる…
いいですねぇ、新鮮な空気と川の流れと山々の空気…
前の日(3/14)、眠る前に「明日は沈下橋わたろう!」と決めた。
ワタシにしては計画的です(笑)。

伊賀市とは「定住自立圏内」の南山城村、京都府で唯一の「村」です。
国道163号線(「京都いづみチャーミングロード」というらしい)から外れ旧国道へ入る、そこは「府道82号線」。
 ここを左折、
このバイパス道ができるまでこの道は普通に走っていた道なので、ちょっと過去に戻る感じ…
今では出会う車も少ない、けどね、ここ(南山城村)には「たからものが一杯」。
 こんなルートで歩きました、
長いようで長くない、丁度いい塩梅の散策ルートでしたよ。

JR関西線「大河原駅前、左斜めに下る道があります(伊賀から行った場合デス)、
その先にいわゆる「沈下橋」があって、傍らには駐車できるスペースあり、
そこに車を止めて、しばしの散策に出かけます。
 
ここがかの有名な(知る人ぞ知る)「恋路橋(コイジバシ)」です
「マイ二輪車と恋路橋」を撮りに来る人、先ず一人お目にかかりました(笑)。

  
(右)上流側、(左)下流側、やまなみホールを見る、歩いて渡るとゾクゾクします(ワタシ 泳ゲナイノデ)。
対岸に渡って振り返る…
 「恋路橋」は、川の高さで川を見る感じ
そのあと一本道を進みますが
 この注意書きは行く先々で見かけます。
このまま道なりに行けば、
 「恋志谷神社&天満宮」に突き当たります。

この二つの神社は同じ敷地内にあるので、
(詳細は「村へ行こう!南山城村へ!」HPをリンクしています。
かなり詳しく書かれていて「南山城村体験観光推進協議会」さん、すごいなぁ!と感心しています。
ワタシはこのHPを読んで行きたくなったので…(笑))

天満宮社
   
「天満宮鳥居」「手水舎」「境内への石段」「梅と拝殿」です。
≪「天満宮の拝殿」はトタンでおおってありますが茅葺きです。
天井がなく吹き抜けになっています
江戸時代には、ここで雨乞いの花踊りが奉納されていたようです。≫(HPより)
  こんな風に造られているのか!
覗くとよくわかります、保存のためのご苦労がしのばれる…

恋志谷神社】(コイシダニジンジャ)
 「恋志谷神社(左)と天満宮(右)」本殿
ココで、「恋志谷の悲しい物語を」~~

≪「恋志谷姫神は、後醍醐天皇の側女であったといわれています。
後醍醐天皇は元弘元年(1331年)に笠置山で北条高時を打ち破りましたが、
天皇の軍勢は旗色も悪く敗れてしまい、翌元弘2年3月に隠岐へ配流されました。
一方その時、姫は病気を治すため伊勢の海辺にいました。
そして病気が治った後に後醍醐天皇がいた笠置へと向う途中で、
ここ南大河原の古森に着きました。姫は後醍醐天皇が既に笠置山を去った後であることを聞き、
あまりの悲しみのため持病が再発し、自らの命を絶ったのでした。
姫が遺した辞世の句は後醍醐天皇を愛慕していること、
また自分の病気を歎きながら後の世の人の病気や苦難をわが身に受けますとあったと言い伝えられています。
そのためその言葉を人々に伝え、これを永遠に伝えます。」
南山城村教育委員会≫とのことです。

名前と言い、この物語といい、乙女心?をくすぐる話です。
そんな伝説につられて、3度目の訪問です(笑)。
 全景になります。

 東海自然歩道案内板(押原~柳生版)

隣には、
真輪院(十輪寺跡)
ここは、「柳生友矩」のお墓があるそうです…
  


ここから、一気に歴史は進み「大正時代」、
「大河原発電所」(土木建築遺産指定)へ…
通るたびに「景色」として知っていたのですが、実際に行くのは今回が初めて、
だから余計ワクワクなのです
今回の行程は全て車で行けるのですが、季節も進み、
木津川を挟んで歩くのもまた風景が変わって楽しいかなと思いました…
あちこち巡りながらなので全行程4㌔ほど、約8000歩です(笑)。

では、大正時代のレンガ造り、現役で働く発電所へ
つづく

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