事情があって「補聴器センター」へ行き、
所要が終わって上野高校から「城下町」を東方面へ(国道163号線)
ずっと歩いて、(ここの「花水木」、早すぎるかな)と思いましたが……
着いて 、早いどころかもう見頃??
ここの会館の担当者の方は「早いですよ、『鑑賞会(4/23・日)』まで持つかなぁ?」と
心配しておられました「年々早いです」とのこと。
そして、ここのこの石碑を見て初めて知りました。
ここは「川崎克翁『産湯之井』」があったそうな…
私的には60数年前か、ここはホールで舞台もあって、ピアノもあった遠い記憶…
(※2023/4/15追記、当blogにmoni5187様からのコメントで
「白鳳青年会館」建設当時の記事を教えていただきました。
竣工は昭和37年3月のようです。)
では「白鳳青年会館」にて
白やピンクの花!と思いきや、これは「総苞片(ソウホウヘン)」と言うそうで、
「花水木(ハナミズキ)/(あれは)花じゃなかった?」という記事を見つけました by ウェザーニューズから。
2021年の同じ頃のblogには、
≪【ハナミズキ】
≪桜の花が散った後、代わりのように咲き始めるハナミズキ。
日本におけるハナミズキの植栽は、日本が贈った桜(ソメイヨシノ)の返礼として
アメリカ合衆国から贈られたことから始まりました。
桜と同じように『花』が満開になった後に葉が出始めます。≫と、調べて書いた。
しかし、白やピンクのは花弁ではなくあれは「総苞片」で『葉の変形』だったのね、
なかなか紛らわしいコなのですね。
真ん中の黄色い部分(最初は緑色っぽいが、黄色く開く)が『花』だそう、
今度出会ったらよぉく見てみよう。
さて、ここは上野の台地の東の「縁(ヘリ)」、
会館の敷地沿いに北側に細い散策路があって、
そこを抜けると、また台地の「縁」に続きます。
「五葉アケビ」に出会い、こんなところから「根っこ」が生え、
(2023/4/17追記、牧野日本植物図鑑学生版より「アケビ」)
「名残の桜」と「青もみじ」の競演もあります。
最後に農人町へ抜け「安楽院」、牡丹の定番地。
まさかまだでしょ?と思いつつ、門をくぐります…
「牡丹手水」、「六地蔵さん」、「本堂と牡丹」
ピンクの牡丹が朝露を浴びて艶っぽいこと、この上なく…
香りも良く、これからが楽しみな「安楽院牡丹」です。
ぜひ、どうぞ。
ではまた
所要が終わって上野高校から「城下町」を東方面へ(国道163号線)
ずっと歩いて、(ここの「花水木」、早すぎるかな)と思いましたが……
着いて 、早いどころかもう見頃??
ここの会館の担当者の方は「早いですよ、『鑑賞会(4/23・日)』まで持つかなぁ?」と
心配しておられました「年々早いです」とのこと。
そして、ここのこの石碑を見て初めて知りました。
ここは「川崎克翁『産湯之井』」があったそうな…
私的には60数年前か、ここはホールで舞台もあって、ピアノもあった遠い記憶…
(※2023/4/15追記、当blogにmoni5187様からのコメントで
「白鳳青年会館」建設当時の記事を教えていただきました。
竣工は昭和37年3月のようです。)
では「白鳳青年会館」にて
白やピンクの花!と思いきや、これは「総苞片(ソウホウヘン)」と言うそうで、
「花水木(ハナミズキ)/(あれは)花じゃなかった?」という記事を見つけました by ウェザーニューズから。
2021年の同じ頃のblogには、
≪【ハナミズキ】
≪桜の花が散った後、代わりのように咲き始めるハナミズキ。
日本におけるハナミズキの植栽は、日本が贈った桜(ソメイヨシノ)の返礼として
アメリカ合衆国から贈られたことから始まりました。
桜と同じように『花』が満開になった後に葉が出始めます。≫と、調べて書いた。
しかし、白やピンクのは花弁ではなくあれは「総苞片」で『葉の変形』だったのね、
なかなか紛らわしいコなのですね。
真ん中の黄色い部分(最初は緑色っぽいが、黄色く開く)が『花』だそう、
今度出会ったらよぉく見てみよう。
さて、ここは上野の台地の東の「縁(ヘリ)」、
会館の敷地沿いに北側に細い散策路があって、
そこを抜けると、また台地の「縁」に続きます。
「五葉アケビ」に出会い、こんなところから「根っこ」が生え、
(2023/4/17追記、牧野日本植物図鑑学生版より「アケビ」)
「名残の桜」と「青もみじ」の競演もあります。
最後に農人町へ抜け「安楽院」、牡丹の定番地。
まさかまだでしょ?と思いつつ、門をくぐります…
「牡丹手水」、「六地蔵さん」、「本堂と牡丹」
ピンクの牡丹が朝露を浴びて艶っぽいこと、この上なく…
香りも良く、これからが楽しみな「安楽院牡丹」です。
ぜひ、どうぞ。
ではまた
こんな素晴らしい建築物なら、一般開放されて、上野公園(上野城)→芭蕉翁生家→白鳳青年会館→上野天神宮→中心市街地というようなまち歩きのルートに組み込まれるといいなと思います。
順に「本町」「二之町」「三之町」「馬駆場(マカケバ)」通りを行けば、なかなかの長距離コース(笑)。
一日ゆっくり散策派、ぜひご案内したいものです。
ところで「白鳳青年会館」の建物は、子どもの頃(昭和30年代)のワタシがその存在を知っているくらいで、それ以降「建替え」など聞いていませんし、相当な年代モノと思われます。
丁寧に残してただき、「克翁を偲ぶ会館」であってほしいし、同時に「花水木」の歴史を学ぶ場であってほしいと願いますが、さてどうなることでしょうか…
dawnさん、ありがとうございます。
国土地理院の空中写真で調べましたところ、1948(昭和23)年には写っておらず、
1963(昭和38)年以降は同じ場所に写っていて、この間に建設されたと推定できました。
ダブルクォーテーションでくくらず、白鵬青年会館で画像検索しますと、
元横綱が結構でてきまして、"白鵬青年会館"で、通常検索しますと、
公益財団法人「友愛」のバックナンバー1962(昭和37)年 第107号(2月)がヒットしました。
1ページ目の中段下部に、「完成近い白鵬会館」の見出しで建設中の写真があり、
完成は本年三月の予定で、と本文に記載されていました。
https://yuai-love.com/organ/1962/107.pdf
教えていただいた新聞は、まさに当時のリアルな情報ですね、昭和38年に竣工していた。
ということは・・・ワタシの記憶にほぼ間違いないことを証明していただけたようでとても嬉しいです、ありがとうございます。
真新しい会場で華やかだった、床はココンクリートだった記憶、靴のままホールを歩いていたかもしれないなど微かな記憶が蘇ります。
moni5187様、探して頂き感謝いたします。
これはもう、昭和の高度成長期直前の歴史的建築物ではないのかと…
是非手入れをしてもらって「花水木」と共に、残して頂きたいものです。
そして、晴れたら一度見に行ってください、心落ち着くいいところだと思います。