5/28に「車塚古墳」訪問を果たし、実は歴史ロマンはまだまだ続く…
ということで、荒木山を下り、車で服部川沿いに東へ行くこと約10分。
平成の大合併までは「大山田村炊(カシキ)」。
一言で「炊」と言ってもどこだろう?と思ってたワタシ。
「由来がわかる場所があるので行ってみましょう」と案内され、
どこやどこや?と仲間の🚙に便乗してたのです。
そもそも「米をかす」という言葉、主婦はよく使いますが、
「かす」とふつうにパソコンで入力しても「炊」という字は出てこなくて、
「たく」と入れると「炊く」と出てきます。
まさか、この漢字「炊」を「カシキ」と読むとは……
大山田に知人もいるので、今でこそ読めますが、昔のワタシならきっと読めなかった💦
そんな、不思議発見のミニ旅続篇です。
大山田地区の入り口「千戸(センド)」、あの大きな常夜灯※のある交差点を曲がります。
※千戸入り口の常夜灯
案内された場所につくとこの景色、
さっきまで苦心惨憺登っていた「車塚」が見えるではありませんか。
車を止め、山裾の道に沿って少し歩くと…
「遊歩道マップ」の中に「清水」という言葉、伊賀ではショウズと読まれることが多いですね。
その先に水溜りなんだけど「カキツバタ」が楚々と咲く、
そして、すぐに見つかった『淅井戸』説明板。
さぁ、「淅」の字、何と読みましょう?
じっくり読んでみるとこんな感じの説明です・・・
≪淅井戸
炊村の地名発祥の井泉
「三国地誌」(宝暦十三年伊賀司城職 藤堂元甫編纂)の村里の頃に
「炊 按栗田屋舖ト云處二 井泉アリ俗二淅(コメカシ) 井戸ト是上古
大神宮へ献スル所の 御供米ヲ炊ク故二名クト 云」とあり。
近世この井泉は「清水(しょうず)」と呼ばれて地区の名水でした。
しかし昭和四十六年よりの 田の基盤整備にともない整備除外地となり
落葉に埋もれて忘れられていましたが、
今回平成七年よりの炊村景観整備事業の遊歩道計画 により丼泉を渫える(※サラエル)とともに
小公園として周辺を整備するにあたり炊村の地名発祥の井泉として顕彰して
後世に語り伝えるためにここに由来を刻む。
平成十年三月吉日 炊村景観整備計画策定委員会
炊村景観整備事業実行委員会 ≫
なるほど、ここにも歴史ロマンを見た次第です。
この池は「清水」とよばれる地区の「名水池」なんですね。
確かに、湧き水があって絶えず水をたたえているわけで、
「カキツバタ」が咲き、よく見れば「泡の塊」のようなものが枝先にぶら下がり……
興味津々近づくと、なんと
『モリアオガエルの卵』ではありませんか
ただただ、じっと見守ってくださいね
※参考:モリアオガエルの卵ってこんなんです。
もう少し周りを見渡してみると、
「祠にお地蔵さん」、「四阿」と書いて「あずまや」。
そして、面白い巻き方をしている「蔦系」の木等々。
遠くの景色、夕刻なので少し暗い…
西方面
東方面
※①『寺音寺古墳』(伊賀でも大規模クラスの前方後円墳)
※②読売新聞社編「街道いまむかし/寺音寺古墳」(平成元年編集による)
※③同じく「炊村」
自分へのメモとして、
読みにくい漢字が出てきたので、少し調べると…
淅(コメカシ)
音読み:セキ
訓読み:よなげる※・かしよね
※米を水に入れて,ゆすってとぐ。
*細かい物をざるなどに入れ,水中でゆすって必要なものをより分ける。
*より分けて,悪い物を捨てる。淘汰する。
等の意味があり、まさに「米ヲカス」、ということでした。
ではまた
ということで、荒木山を下り、車で服部川沿いに東へ行くこと約10分。
平成の大合併までは「大山田村炊(カシキ)」。
一言で「炊」と言ってもどこだろう?と思ってたワタシ。
「由来がわかる場所があるので行ってみましょう」と案内され、
どこやどこや?と仲間の🚙に便乗してたのです。
そもそも「米をかす」という言葉、主婦はよく使いますが、
「かす」とふつうにパソコンで入力しても「炊」という字は出てこなくて、
「たく」と入れると「炊く」と出てきます。
まさか、この漢字「炊」を「カシキ」と読むとは……
大山田に知人もいるので、今でこそ読めますが、昔のワタシならきっと読めなかった💦
そんな、不思議発見のミニ旅続篇です。
大山田地区の入り口「千戸(センド)」、あの大きな常夜灯※のある交差点を曲がります。
※千戸入り口の常夜灯
案内された場所につくとこの景色、
さっきまで苦心惨憺登っていた「車塚」が見えるではありませんか。
車を止め、山裾の道に沿って少し歩くと…
「遊歩道マップ」の中に「清水」という言葉、伊賀ではショウズと読まれることが多いですね。
その先に水溜りなんだけど「カキツバタ」が楚々と咲く、
そして、すぐに見つかった『淅井戸』説明板。
さぁ、「淅」の字、何と読みましょう?
じっくり読んでみるとこんな感じの説明です・・・
≪淅井戸
炊村の地名発祥の井泉
「三国地誌」(宝暦十三年伊賀司城職 藤堂元甫編纂)の村里の頃に
「炊 按栗田屋舖ト云處二 井泉アリ俗二淅(コメカシ) 井戸ト是上古
大神宮へ献スル所の 御供米ヲ炊ク故二名クト 云」とあり。
近世この井泉は「清水(しょうず)」と呼ばれて地区の名水でした。
しかし昭和四十六年よりの 田の基盤整備にともない整備除外地となり
落葉に埋もれて忘れられていましたが、
今回平成七年よりの炊村景観整備事業の遊歩道計画 により丼泉を渫える(※サラエル)とともに
小公園として周辺を整備するにあたり炊村の地名発祥の井泉として顕彰して
後世に語り伝えるためにここに由来を刻む。
平成十年三月吉日 炊村景観整備計画策定委員会
炊村景観整備事業実行委員会 ≫
なるほど、ここにも歴史ロマンを見た次第です。
この池は「清水」とよばれる地区の「名水池」なんですね。
確かに、湧き水があって絶えず水をたたえているわけで、
「カキツバタ」が咲き、よく見れば「泡の塊」のようなものが枝先にぶら下がり……
興味津々近づくと、なんと
『モリアオガエルの卵』ではありませんか
ただただ、じっと見守ってくださいね
※参考:モリアオガエルの卵ってこんなんです。
もう少し周りを見渡してみると、
「祠にお地蔵さん」、「四阿」と書いて「あずまや」。
そして、面白い巻き方をしている「蔦系」の木等々。
遠くの景色、夕刻なので少し暗い…
西方面
東方面
※①『寺音寺古墳』(伊賀でも大規模クラスの前方後円墳)
※②読売新聞社編「街道いまむかし/寺音寺古墳」(平成元年編集による)
※③同じく「炊村」
自分へのメモとして、
読みにくい漢字が出てきたので、少し調べると…
淅(コメカシ)
音読み:セキ
訓読み:よなげる※・かしよね
※米を水に入れて,ゆすってとぐ。
*細かい物をざるなどに入れ,水中でゆすって必要なものをより分ける。
*より分けて,悪い物を捨てる。淘汰する。
等の意味があり、まさに「米ヲカス」、ということでした。
ではまた
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