~「『車塚』ハイキング」へ行きましょう~と誘いを受け、
「低山山道ハイキング」に行ったのは5/28のこと。
書くのが遅くなったのは、ほぼ道なき道の山道をどう説明したらよいモノか?
目印は「中部電力さんの『鉄塔』!?」とか?
今まで登った低山登山の様子とはちと違うので少々戸惑っていた次第
「けもの道」というわけでもなく、ただひたすら落ち葉踏みしめつつ、
きっと鹿もいるよね、イノシシだって住んでるはず。
それでも木漏れ陽も見え隠れする明るい感じの雑木山林。
上りより下りの方が滑って怖いかも…なんてブツブツ唱えながら、
おまけにワタシは、山の中に入ると方向がわからなくなる 、
これ一人だったら最悪パターンかも…とか、思うこといっぱい。
でもね、おかげさまで「仲間」がいることの心強さをしっかり踏み?しめてきました。
そんな「車塚古墳」(三重県指定文化財)へのハイキング道中記録です。
*三重の文化財「車塚古墳」
≪中瀬インター付近で東を見ると2つ頂上のある山がある。
(→中瀬辺りから見る)
その鞍部に少し盛り上がった地形が見えるが、それが車塚である。
(→荒木辺りから見る)
『荒木車塚古墳』と呼ばれているこの古墳は全長約93mの前方後円墳で、
2段に築成されている。
墳丘には葺石とともに埴輪が巡らされており、
円筒・朝顔形・楯形・家形の埴輪が採集されている。
古墳時代でも前期後半、おおよそ4世紀後半に築造された古墳であろう。
1937(S12)年9月24日指定。≫以上三重県HPより
では、登山記録写真集みたいになりますがあしからず。
ちなみに、これを見て「行きたい!」と思われても、単独行動はしないでください。
聞くところによると、その昔荒木界隈で子ども時代を過ごした人たち、
この「車塚」辺り、冒険の場でもあり、遊び場だったと聞いていますが…
「桜が丘団地」の右を通り抜けると両側に太陽光発電があります。
その少し先までは普通車でもOK、一旦普通車は空き地の駐車スペースに止め、
軽トラックに乗り換え、「矢谷川」源流近くまで行きます。
この「矢谷川」、昔は「車川」と言っていたそうで、
現在では車坂町辺りからひぞっこの裏手を通り、服部川に合流する川です。
「車川」「車坂町」と『車』が付きますね、これも「車塚」との「縁」を感じますが、いかがでしょう?
木漏れ陽のなか、進みますがかなりの急坂続き、
頼りは「中電さんの鉄塔」を案内する標識、
「鉄塔No.85」方面ではなく、左側「鉄塔No.86」方面へ進みます。
思うに、中部電力さんが送電線の鉄塔へ行く為の道でもあるのですが…
大変な困難な道であることは確か、かと💦
めげずにどんどん進みましょう~
第一の目標「鉄塔No.86」、小休憩するには丁度いいところです。
次の目標、目指せ「鉄塔No.87」です。
倒木多し!先頭も大変なら着いていくのも必死!
登るのぼる、どんどん進んで突然視界が開けたら、
そこは「鉄塔No.87」、三角点もあって「標高360m」。
「標高230m」付近から歩き始めたらしいので、登ること130m、
但し、歩いた距離は定かではない…
「鉄塔No.87」
見上げた空は青かった。
さて、いよいよ本命「車塚」へは、少し下って行くようです、
いわゆる山の尾根のような、馬が鞍を載せているような、ということで『鞍部(アンブ)』というそうです。
倒木を跨ぎ、落ち葉に足を取られつつ、一気に40mほど下ります。
先頭は古墳の頂上に上っているようです、
今回の最終目的地【史蹟車塚古墳】到着です。
おそらく「荒木」側と思いますが、木々の間から田園など見えるし、
遠くに車の音も聞こえます。
「昭和十二年三重縣」と「大山田」という地名も彫られているようです。
もう少し先にいくと「後円墳」との間に「盗掘跡」、
かなり深いようなので同行者に入ってもらいました(深さがわかるように)。
この「車塚古墳」は、数々の逸話が残っているそうですが、
この「盗掘抗」の中では「旱天(カンテン)」=日照りの際に、
「雨乞い」の焚き上げが行われていたのではないかともいわれているそうです。
では、戻りましょう。
再び「鉄塔No.87」で休憩、
どうしても下から撮りたかった景色、
曇り空になってきました…
鉄塔そばの木には、これも目印のひとつか??というモノ、
途中の迷いそうな場所には「木に赤い目印」、
今度上ることがあったら赤いテープを持ってこようと話し合ってましたけど、
誰が来るの??という話で止まってます(笑)。
同じルートを下って軽トラックの待つ場所に帰ってきました。
一回上っただけでは到底道案内はできません💦
あと2~3回は来ないと覚えられないと思ったし、
地元の人さえ迷うとか、ひょっとしたら「大山田真泥」側に下りてしまうかもしれない
決して単独行動のないよう重ねてお願いいたします。
これも「勉強」という山道ハイキングでしたが、
古代古墳時代4世紀後半に造られたという「歴史ロマン」を感じる旅でもありました。
ご参考までに少し古い記事ですがご紹介しておきます。
*読売新聞社編「街道いまむかし/車塚古墳」(平成元年編集による)
*同じく「街道いまむかし/雨乞い」
*「伊賀へいらっしゃい」blogより「車塚古墳ハイキング」。
では、まだ続きのある旅です、、、
ではまた
「低山山道ハイキング」に行ったのは5/28のこと。
書くのが遅くなったのは、ほぼ道なき道の山道をどう説明したらよいモノか?
目印は「中部電力さんの『鉄塔』!?」とか?
今まで登った低山登山の様子とはちと違うので少々戸惑っていた次第
「けもの道」というわけでもなく、ただひたすら落ち葉踏みしめつつ、
きっと鹿もいるよね、イノシシだって住んでるはず。
それでも木漏れ陽も見え隠れする明るい感じの雑木山林。
上りより下りの方が滑って怖いかも…なんてブツブツ唱えながら、
おまけにワタシは、山の中に入ると方向がわからなくなる 、
これ一人だったら最悪パターンかも…とか、思うこといっぱい。
でもね、おかげさまで「仲間」がいることの心強さをしっかり踏み?しめてきました。
そんな「車塚古墳」(三重県指定文化財)へのハイキング道中記録です。
*三重の文化財「車塚古墳」
≪中瀬インター付近で東を見ると2つ頂上のある山がある。
(→中瀬辺りから見る)
その鞍部に少し盛り上がった地形が見えるが、それが車塚である。
(→荒木辺りから見る)
『荒木車塚古墳』と呼ばれているこの古墳は全長約93mの前方後円墳で、
2段に築成されている。
墳丘には葺石とともに埴輪が巡らされており、
円筒・朝顔形・楯形・家形の埴輪が採集されている。
古墳時代でも前期後半、おおよそ4世紀後半に築造された古墳であろう。
1937(S12)年9月24日指定。≫以上三重県HPより
では、登山記録写真集みたいになりますがあしからず。
ちなみに、これを見て「行きたい!」と思われても、単独行動はしないでください。
聞くところによると、その昔荒木界隈で子ども時代を過ごした人たち、
この「車塚」辺り、冒険の場でもあり、遊び場だったと聞いていますが…
「桜が丘団地」の右を通り抜けると両側に太陽光発電があります。
その少し先までは普通車でもOK、一旦普通車は空き地の駐車スペースに止め、
軽トラックに乗り換え、「矢谷川」源流近くまで行きます。
この「矢谷川」、昔は「車川」と言っていたそうで、
現在では車坂町辺りからひぞっこの裏手を通り、服部川に合流する川です。
「車川」「車坂町」と『車』が付きますね、これも「車塚」との「縁」を感じますが、いかがでしょう?
木漏れ陽のなか、進みますがかなりの急坂続き、
頼りは「中電さんの鉄塔」を案内する標識、
「鉄塔No.85」方面ではなく、左側「鉄塔No.86」方面へ進みます。
思うに、中部電力さんが送電線の鉄塔へ行く為の道でもあるのですが…
大変な困難な道であることは確か、かと💦
めげずにどんどん進みましょう~
第一の目標「鉄塔No.86」、小休憩するには丁度いいところです。
次の目標、目指せ「鉄塔No.87」です。
倒木多し!先頭も大変なら着いていくのも必死!
登るのぼる、どんどん進んで突然視界が開けたら、
そこは「鉄塔No.87」、三角点もあって「標高360m」。
「標高230m」付近から歩き始めたらしいので、登ること130m、
但し、歩いた距離は定かではない…
「鉄塔No.87」
見上げた空は青かった。
さて、いよいよ本命「車塚」へは、少し下って行くようです、
いわゆる山の尾根のような、馬が鞍を載せているような、ということで『鞍部(アンブ)』というそうです。
倒木を跨ぎ、落ち葉に足を取られつつ、一気に40mほど下ります。
先頭は古墳の頂上に上っているようです、
今回の最終目的地【史蹟車塚古墳】到着です。
おそらく「荒木」側と思いますが、木々の間から田園など見えるし、
遠くに車の音も聞こえます。
「昭和十二年三重縣」と「大山田」という地名も彫られているようです。
もう少し先にいくと「後円墳」との間に「盗掘跡」、
かなり深いようなので同行者に入ってもらいました(深さがわかるように)。
この「車塚古墳」は、数々の逸話が残っているそうですが、
この「盗掘抗」の中では「旱天(カンテン)」=日照りの際に、
「雨乞い」の焚き上げが行われていたのではないかともいわれているそうです。
では、戻りましょう。
再び「鉄塔No.87」で休憩、
どうしても下から撮りたかった景色、
曇り空になってきました…
鉄塔そばの木には、これも目印のひとつか??というモノ、
途中の迷いそうな場所には「木に赤い目印」、
今度上ることがあったら赤いテープを持ってこようと話し合ってましたけど、
誰が来るの??という話で止まってます(笑)。
同じルートを下って軽トラックの待つ場所に帰ってきました。
一回上っただけでは到底道案内はできません💦
あと2~3回は来ないと覚えられないと思ったし、
地元の人さえ迷うとか、ひょっとしたら「大山田真泥」側に下りてしまうかもしれない
決して単独行動のないよう重ねてお願いいたします。
これも「勉強」という山道ハイキングでしたが、
古代古墳時代4世紀後半に造られたという「歴史ロマン」を感じる旅でもありました。
ご参考までに少し古い記事ですがご紹介しておきます。
*読売新聞社編「街道いまむかし/車塚古墳」(平成元年編集による)
*同じく「街道いまむかし/雨乞い」
*「伊賀へいらっしゃい」blogより「車塚古墳ハイキング」。
では、まだ続きのある旅です、、、
ではまた
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