三重の城郭巡り №2「伊勢亀山城跡」へ(亀山編②)

2021-10-15 15:55:35 | 三重の城郭めぐり
ココの「城跡」は、いつでも行けるから後回しにしよう!と思っていたら、
突然のチャンスに恵まれちゃって(自分で作った出会いかもしれないけど…)。

亀山にも「アサギマダラ」が飛来してくることが分かったので、一安心。
来年もきっと来てねと して、
次の目的地へ 🚙で走ること数分、「亀山市役所」前を通過、
亀山神社」の駐車場に車を止め、まずお参り。
   
「亀山城楠門跡」と「機関車」、「亀山神社」鳥居、

  
鳥居をくぐると、「大久保神官家棟門」(市有形文化財建造物)と「拝殿」
車がよく通る道の傍に鎮座してますが、静かで穏やかな空間です。

※ここら一帯は広い「亀山公園」(リンクは地図)の端っこでもあり、
(実は)近くの亀山菖蒲園」は、季節訪問定番地だったりします(笑)。

エラそうなことを書いてても、
「櫓」の周りをじっくりと歩いたことがないので…
いろんな角度から「多門櫓と石垣」を見てみました。
 
神社側から見てみると…「櫓」を城内から見た感じかな??

 
「櫓」への階段、池と市内一部が見えます…

  
右に見える階段は、さっき上った石段、
西側に回って「史跡亀山城跡石碑」、
「石垣」を下から見たくて坂を下りる感じで歩くと、
すらっと綺麗な流れの石垣です。
  「多門櫓」と石垣全景。
「伊勢亀山城」パンフレットより
「亀山城」は、
≪天正18年(1590)に岡本良勝(宗憲)が亀山古城の東に新たに築城したとされる。
(中略)
伊勢亀山城の天守は、寛永9年(1632)に幕府から「丹波亀山城の天守を解体」するよう
命じられた出雲松江藩主・堀尾忠晴が、間違えて『伊勢亀山城の天守』を取り壊してしまうという
大失態を犯してしまいます。(忠晴は翌年死去し、大名家は廃絶)
それ以降天守の再興はない。
但し、天守の規模・形状・位置など事実関係は一切不明≫とのこと。

「旧亀山城多門櫓」は、
≪多門櫓本丸東南隅の石垣と、この上に残る建造物の総称。
三重県下では、石垣上に現位置のまま城郭建築が遺存する唯一の例。
寛永9年(1632)頃に築造されたとみられ、県史跡に指定されている。≫
「石垣」は、
≪外側高13.5m 内側高3.5mで、石垣を多用しない亀山城内では最大の規模。
石材は長大な自然石を多用した野面積み、宝篋印塔(ホウキョウイントウ)等の転用も見られる。
石積技法に多様性が見られ、この石垣全てが天正18年(1590)の築城時のものというわけではない≫らしいです。

知らないことも多く、なかでも「解体現場取違事件」があったとは…
これは、誰も見ていないし、わからない…
この「多門櫓」と「石垣」が現存していることこそが「城郭巡り」のポイントですね。

「城郭巡り」スタンプは「亀山市役所」で押印、
「登城記念ご城印」(200円)は、近くの「しぼりや」さんでゲット。



もう少し続く、アサギマダラ追っかけ旅、
次回は「曽爾村伊賀見」へ、
今日(10/15)あまりにもいいお天気だったので「霊山」上っちゃいました…)

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