「第二次天正伊賀の乱」激戦地、阿山・伊賀編その1「雨乞山城跡」へ

2022-04-04 13:52:47 | 伊賀忍者回廊巡り
『「一人では絶対に行けない」と思っていたシリーズ』です。
和銅の道の丁石巡り」もそうでした。
みんなで行けば楽しいし、お勉強もできるし一石二鳥は嬉しい限り。

過去に3年くらいかけて『伊賀忍者回廊巡り』満願しました。
この時は、パンフレットもあり、ご朱印帳も準備しました。

時間はかかりましたが、悉く焼き尽くされた寺社仏閣や史跡などを見て回り、
「天正伊賀の乱」の足跡を振り返る旅でした。
ほとんどのところが、逞しく復活しており「伊賀の国衆の結束力」だと感じています。

あらかじめ準備されたモノを持って行けば比較的なんとかなるものですが、
今回は、どう考えても「一人では行けないな」と思うところを集中的に案内していただけました。
これはグループ活動の賜物やなぁと感謝しています。

さて、2022/4/2の行程は「第二次天正伊賀の乱」阿山・伊賀地区編です。
戦国時代の土豪たちが構えていた中世の城館群であり、天正の乱激戦地を辿る旅になります。

頂いた資料を読んでも想像力に欠けるため、頭になかなか入りません
しかし、現地に行くとサッと霧が晴れたような感覚になります。
そうか、ここで「伊賀者たち」は徹底抗戦していたんだなぁ…と。
そのために用意周到な城づくりをしていたと思われます。

たまたま家にあった「伊賀中世城館調査会編/伊賀の中世城館」も参考にしながら、
復習してみたいと思います。
頂いた資料より
 「第二次天正伊賀の乱 図」
この乱については3つの記録があるとのこと、
「信長公記」「多聞院日記」では、天正9年(1581)9月3日に攻撃開始との記述。
伊賀の菊岡如幻の書き記した「伊乱記」では、9月27日となっているそうです。

では、「雨乞山」(下友田谷出)
🚙は「下友田集会所の駐車場」へ。
  
「雨乞山」を見る(真ん中に見えるのは「浄光寺」)、「雨乞山登山路案内図」
そして「伊賀甲賀忍びの里」の案内があったのにはびっくり!
(「浄光寺」は私的にいずれ改めて行きたいなと思っています。)

途中、地域の土豪だった山内家の古い石碑があり、その前の道を進みます。
「登山口」の標識はとても親切で地区の方たちの思い入れを感じます。
   
さらに標識に従い民家の横から山に進んで行くと、獣避けの柵があり、そこからいよいよ入山。
この「獣害柵」は入山前後必ず締めてください

では、山道を上ることになりますが、
この季節、広葉樹や杉の落葉など枯葉が多くとても滑りやすい、
しかも前日は雨だったので…
   
踏みしめ歩きますが、鬱蒼とした森の割には明るく感じます、
頂上に近づくと「見晴らし台ベンチ」もあって小休憩可能。
残念ながら展望する余裕なし、皆さんに着いて行くのが精一杯(笑)。
  
案内のおかげで、ここでは絶対に迷うことはありません。
但し、竹が密生している所あり、急な崖もあったりですが、
途中から「手摺り」もあって、これには大変感謝です
しかし、戦の時はこの山を駆け上ったりするのかと思うと、
ちょっとゾッとしますよね…

思ったより早く着いた気がします、多分20分くらいでしょうか、もう「頂上」です。
  
「雨乞山説明版」
雨乞山 阿山町大字下友田字谷出
 標高268.7m 旱魃のとき、雨乞祈願を行った山である。 西へ下ると雨乞池がある。

 雨請山砦 城主 山内左衛門尉
 『伊乱記』によると、「天正九年(1581) 蒲生氏郷の進攻に、近郷の土豪が立て籠って戦った」とある。

 「天正役遺蹟」碑文 「天正九年織田信長伊賀国追討砌(ミギリ) 藤原鎌足三十三世孫 山内宗俊等籠此所合戦之古蹟」
 下友田区』

 ≪雨乞山は地域住民が早魃の時に雨乞祈願を行った山であり、
 天正伊賀の乱の際には織田信長配下の武将・蒲生氏郷を迎え撃つため、
 山内左衛門ら近隣の土豪らが雨請山砦に籠もり、戦いを繰り広げた山≫ということです。

    
「祠」あり、伊賀の乱を偲ばせる「天正役遺蹟」の石碑あり。

 霊山か?
頂上でワタシは方向音痴になってますので、間違ってたらスミマセン。

麓で見た案内板では「北にモクモク手作りファーム、東に霊山」が望めるとのことでした。

下山後、再び
 「浄光寺」
 ※天正伊賀の乱で激戦地となった雨乞山の麓にある。
  現在の堂宇は、1930年(昭和5年)に建立されたものである。
  境内には地区の庚申堂があり、青面金剛像を祀り、庚申の年に庚申祭が行われる。

「伊賀の中世城館」より
 「雨乞山城」

今回の行程の一部です。


次は「田矢伊代守城跡」へ行きます。
ではまた
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「桜紀行」その3、「愛宕神社」「久米川堤」「廣禅寺」「佐那具柘植川堤」にて

2022-04-04 01:01:40 | 花や風景など
ここのところの冷え込みで、桜もちょっと「散るのやめとこう」って思ってくれてたら有難い、
雨が降ったからと散るような桜でもない!と思いたい。
以下撮影日2022/4/1なので…

愛宕町「愛宕神社にて
  
鳥居と拝殿と運動場で 愛でます。

そのまま、南下して久米川堤の桜並木
  
「野がけ乃桜」と命名されてます、
この久米川沿いの堤ではトンネルのような 並木もあります。
  

 
ゆっくり歩きたい静かな場所です
たまぁに「🚙」通ります、気を付けてくださいね。

今度は北へ向かって廣禅寺」(徳居町)
 
「ごじょろう桜」(八重桜系)は、もう少し後に咲きます…

撮影日は4/2です、気になっていたココ。
所用の帰り道、「JR佐那具駅」又は「府中神社」の近くの
佐那具柘植川堤の桜並木、まだまだこれから!
  

ではまた
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「桜紀行」その2、「西蓮寺」「月ケ瀬八幡橋界隈」「高山ダム湖のほとり公園」。

2022-04-03 00:26:44 | 花や風景など
偶然通った道で、真っ直ぐ前を見たら、
比自山辺りの中腹にあるココ、全体がほのほのっとピンクだった…
急遽行き先変更して寄った次第(笑)。(撮影日:2022/4/1)

「天台真盛宗:西蓮寺」(長田地区)
  

お守りいただく仁王さんも に酔いしれてる風…


  盆地を見渡す
この青空が嬉しかった…

次に通い慣れた「月ケ瀬:八幡橋付近。
月ケ瀬観光協会のFBを見ていたら、「梅」→「桜」で大忙し、とのこと。
休む間もない「花だより」ですって(笑)。

「八幡橋」の袂を下りて「ダム湖」がすぐそこ!というところ。
  水仙とともに

  
「東屋」があるのでお花見しながらまったりと…

 吊り橋のワイヤーと桜

「八幡橋」を渡ると「湖畔の里 つきがせ」、
ココでは『4/3にイベント』があるらしい。
  
その「湖畔の里」からデッキ越しに と「桃香野」地区。
なかなか良き眺めです

 茶畑と桜と飛行機雲

  桃香野雲景山から

このまま、県道(府道?)82号線を南山城方面に向かいます🚙
私的な勘では、きっと「高山ダムの桜」咲いているはず!
ここはね、穴場です。
ダムも出来てから随分年季が入っているので「知る人ぞ知る」的なスポットです。
ツーリング族が多くスリリングな道がまたいい💛
40年ほど前、初心者マークをつけてハハを助手席に乗せて行きました、
懐かしい場所でもあるのです(笑)。

途中「三舛権現社」界隈で「六地蔵」さまにご面会。
 

「高山橋」ダム湖では「曝気循環作業中でした。
 
少しクネクネ走ると、風景が一転、「高山ダム湖のほとり公園」です。
 

  
スポット

※ご参考に→「高山ダム運動公園の桜」(2021/3/31過去ログ)

所用で朝から出かけるので今のうちの桜情報でした、ではまた
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「桜紀行:川沿い編」くれは水辺公園、依那古木津川提、川北の郷(服部川)。

2022-04-02 10:52:23 | 花や風景など
ハクモクレや利休梅と、思いのまま追っかけをしていたら、
周りはまさにもうすぐ見頃 です
場所によりケリですが、できることなら早めに記録しておきたい…(撮影日:2022/3/31)

所用で通った「白鳳通り」、そこからチラチラ見える桜並木。
「くれは水辺公園」ではほんわか全体が桜色、先週はポツポツだったのにね、
急遽「ひぞっこ」で買い物、ついでに写真だけ…
  
強風と雨で散る桜よ~~でも踏ん張る桜は数知れず。

時間は前後しますが「依那古木津川提桜並木」
今にも雨が降りそうだったので、咲き具合だけ見てきました。
ここでは堤防沿いに約1.5㎞の桜並木です、
往復するだけで 鑑賞ができ、おまけにいい運動にもなる、
一石二鳥の素敵な場所です、ライトアップの準備もされているので、
夜間も楽しめます

全てが咲き揃っているわけではないので、まだこれからです。
  

  

駐車場はココ、河川敷をご利用ください。
決して道路には止めないように


  約1.5㎞続きます。

次に大山田地区「川北の郷:桜公園」(服部川上流部の堤デス)
  ここは水仙花盛り

 桜はまだまだこれから…

川沿い編、残るは「柘植川堤」(佐那具地区)、まだ行けていません

次は「西蓮寺&月ケ瀬八幡橋&高山ダム編」。
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ハハんちで「利休梅」、「利休梅模様」ってこんなん…

2022-04-01 15:14:06 | 花や風景など
先ず、こんな柄です☞「利休梅模様
これはいつものお茶屋さん「むらい萬香園」さんとこで見せてもらいました。
茶をたてる時に使う「ふくさ」や「風呂敷」などにその模様が良く使われるそうです。


木興の「ハクモクレン巨樹」鑑賞から帰ると、(2022/3/30(水)のことです。)
ハハから「庭木が大きくなり過ぎたので剪定してほしい」との依頼。
ここは一丁家人と共に出かけねばなるまい。

ということで、伸びすぎた枝をバサバサと切ってもらう、
その作業の途中、ハハは「これはシデコブシ、それは利休梅、こっちは○○」と話したい放題。
作業中の家人はちょっとイライラっとしますが、そこは話し相手のいないハハなんで
まぁまぁ、作業に集中できるようにお母さんちょっと静かにしてね…

ここから本題、
剪定した枝木をもらってきたわけですがその一本が「利休梅」というもの。
茶人好みの木だそうで、派手な花が咲くわけではなさそうですが、
いかにも名前が「ザ・茶人」ですね。(千利休さんも好きだったとか)
まだ「蕾」ばかりだったのでどんな花が咲くかはわかりません、
google検索で調べると、なかなか愛らしい 花ではありませんか。

「茶人好み」ということなので、これはむらいさんちに寄ってプレゼントしよう!と
思い立ったわけです。
「名前は聞いたことあるけど、実際に花は見たことがない!」とのこと、
「では、一枝ずつ挿すなり、一本丸まま活けるなり、お好きに~~」と
もらった枝を差し上げただけですけどね。

我が家ではこんな感じで活けました…
 
我が家で活けた「利休梅」&「シデコブシ」&「ハルジオン」
※『利休梅』って(植木ペディアより)
 ・中国の揚子江下流域を原産とする落葉樹で、明治末期に日本へ渡来した。
 ・開花は4~6月。主張し過ぎない清楚な花が茶人に好まれ、茶庭に使われることが多い。
  名前も千利休にちなんでおり、「千利休の命日に咲く」という逸話も。
 ・晩春から初夏の、やや花が少ない時季に咲くことも人気の秘訣。
 ・ウメとはいってもヤナギザクラ属であり、ウメとの関係性はやや低い。
※『利休梅模様』
 奈良・平安時代にシルクロードを渡り伝わった、正倉院の宝物裂(キレ)や名物裂。
 その優秀な模様の織物。
 撚りの強い先染め糸で繊細に織られ、しっかりとした柔らかな風合いを特長とする緞子(ドンス)生地。
 古来より、幾多の茶人に好み所有され、今も茶道のわび・さびのせかいに愛用し楽しまれている。


ちょっと話は逸れますが、
相変わらず「桜はどうかいな?」とあちこち様子伺いに行っています。
とある場所で桜の花びらを拾ってきました、雑草の大きな葉っぱの上に乗せ、
車のダッシュボードに置いて持って帰ってきました。
お皿にひと盛り、食卓で「春」
  (3/31、13時ごろ)
1日経っても「利休梅&シデコブシ」はまだ「蕾」。
「ハルジオン」はとても元気。
どんな花が咲くのか楽しみなので定点観察っぽく、集中して見ることにします。

 (3/31、夜、シデコブシ咲く)
この日の晩ご飯時、我が家に来ていた長女が、
「あのさ、お母さんの『ご朱印帳』の模様って、『利休梅模様』ちゃうの??」と、
 あらぁ
ワタシは何も知らずに買って、いっぱいになった『朱印帳』を飾ってあっただけなのに…
まさか、この表紙が
 「利休梅模様」とは、知らなかった…
なんか急に「高尚な朱印帳」に見えてきた(笑)。

 下駄箱の上に活けた「利休梅」、やや開花

  (4/1、午前中に一輪開花!)

花びら1枚ずつに雄しべがいっぱいついていて、
深緑のグラデーション湖を覗いているいるように見えなくもない。
その中にきっとめしべが隠れてるんだろうなぁ~~と想像。
でも決して派手ではなく、しっとりと咲いています、
そして花が開いた様(サマ)が、「利休梅模様」になったんでしょうねぇ。
一輪、また一輪と咲いていくと思われます、
いろいろ勉強させてもらったハハに感謝です。

ではまた、
紀行につづく

追記(2022/4/2)
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