けんきゅうきろく(と、あともうひとつ)

レアル・マドリー、リーガエスパニョーラ関係の、なんとなく気になるニュース。

ライフワーク

2010-10-23 20:12:33 | football
ASやMARCAにラウルの短いインタビューの要約が出ていて、元がBILDだというので記事を探しました。例によって頼りないものですが、意味は合ってるはず、意味は…。
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Q:この記録であなたの名声は普及のものになったのではありませんか?
R:本当に嬉しいよ、僕にとって特別な瞬間だ。でもなによりも大切なことは、チーム全体が本当に力強い試合をしたことだ。僕の記録は、いつか破られるだろうしね。

Q:誰があなたの記録を抜くのでしょうか?
R:バルセロナのリオネル・メッシとレアルのクリスチアーノ・ロナウドは、同じくらい長い間この大きな舞台を戦うことだろう。この2人が僕を抜かすことを期待しているよ。

Q:チャンピオンズリーグではベスト16が狙えるコースにいる一方で、リーグでは16位です。シャルケで降格するという恐れはありますか?
R:いや、もちろんまったくないよ。ここでは新しいチームが成長している。悪いスタートを切った後で、僕たちはもうプレイが良くなっているよ。

Q:シャルケのファンは、テルアビブ戦でのあなたの奮闘を祝福しました。
R:僕はチームのために戦う。ゴールでだけでなく、チームメイトを助けたいんだ。僕はチームプレイヤーなんだから。

Q:そして33歳で、これまでにないくらいフィットしている?
R:(笑顔で)すごく若くなった感じがしているよ、少なくとも5歳分はね。僕たちが、フェリックス・マガトのもとですごくタフなトレーニングをしているからだし、そして何よりも、プレイできているからだろうね。レアルにいた最後のころよりもはるかに多くプレイできているからだよ。

Q:フェリックス・マガト監督は、あなたの偉大なキャリアがシャルケで折り曲げられたと、自責の念を感じているようです(ちょっと意訳しすぎかも)。彼との関係はどうですか?
R:彼と一緒に仕事ができて、僕は嬉しい。でも監督は、そんなに僕のことを心配する必要はないよ。もちろん、リーグではまだうまく進んでいない。でも、悪いスタートは最後には最も良いものに行き着くよ。

Q:(リーグを取ることについて聞かれ)
R:第一に、いくつか勝利を重ねて下から抜け出さなければならない。それから、まだ拮抗しているこのリーグでのことを、話せるだろう。

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記録はメッシやクリスチアーノが抜いてくれるだろうね、と拘らないところ、それよりも、試合にたくさん出られて5歳若返ったみたい、と喜んでいるところ、そんなところがやっぱりラウルだなあ、ラウルらしいなあ、と再び確認。

記録ですがUEFAの記事によると、今回の2ゴールで、「欧州の大会における通算ゴール70、歴代1位(うちチャンピオンズで決めたゴール68)」ということだそうです。欧州の大会通算記録は今回のでインザーギを抜いたとのこと。ゲルト・ミュラーの記録は、チャンピオンズ以前の複数の大会のものが混じっているのでやっぱりよくわからないのですが、とりあえずチャンピオンズでも欧州カップ戦でも、とにかくラウルが一番、ということで間違いなさそう。



生きていけない
数日過ぎてしまいましたが、欧州カップ戦でのゴール新記録に寄せたel mundoの記事。総ゴール数などUEFAの見解と違う部分もありますが、その辺りは適宜。
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そのために、ゲルゼンキルヒェンに住まいを移した。最高の要求をするマドリーから遠く離れ、それでもまだ、30年を越えて有効であった、ゲルト・ミュラーのような伝説を乗り越えるというチャレンジがある。必要なものであり延期されたカスティージャ(マドリー)でのオマージュを待ちながらも、ラウルは欧州の大会の宮殿に足跡を刻むため、ユニフォームを替えた。リバプールの赤を着る可能性も、エキゾチックな場所へと向かうこともできた。しかし彼は、フェリックス・マガトのプロジェクトを選んだ。なぜなら、ラウルは、チャンピオンズ・リーグなしでは生きていられないからだ。

金以上に、バイエルンで3度のヨーロピアンカップと1回のカップウィナーズカップを獲得した「爆撃機」ミュラーへの個人記録のチャレンジ。ミュラーは、トータルで、11シーズン、77試合で69ゴールを決めている。人間のものとは思えない記録に、ラウルは並んだ。確かに、トップレベルとしてはラウルの方が4シーズン長いが。ハポエル・テル・アビブを前に、ドイツのチームにとってきわめて重要な勝利での「7番」のドブレーテ、もう1点は元アトレチコのフラドの美しいゴールで、彼はこの夜の先制点のアシストも供給した。

2つとも、クラッシックなものに見えた。彼のキャリアについてまわるもの、そして両脚で決めたものだ。1-0となるまで3分とかからなかった。クラース-ヤン・フンテラールの素晴らしいアクションが手助けになった。フラドのボールはフンテラールの両脚の間を通ってラウルに渡り、これでGKと1対1になった。そして、ビジャベルデからやってきた子は、既に33歳になってはいるが、再びはっきりと事態を見きわめた。左脚でのシュート、先制点、ゴールの下部に突き刺した。その先制点からほぼ1時間後、フンテラールが再び前線に姿を現した。彼はイヴァン・ラキティッチと試合を切り開き、若きクロアチア人のセンタリングは、再びシュート位置に届いた。今度は右脚で突き刺すようなシュートではなかったが、むしろGKを欺くのにはそれで良かった。彼の伝説にとってはクラッシックな形式、何千回となくチャマルティンで見られた動き。

69ゴール。68ゴールはチャンピオンズ・リーグで、1ゴールはガラタサライに敗れたヨーロッパ・スーパーカップで決めたものだ。統計の数字を離れれば、想い出されるのはバスコ・ダ・ガマ戦での「アグアニス: aguanis」。1998年のインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)、UEFAのコンペティションにとっては見知らぬものだろう。1979年にバイエルンを離れたミュラーは、その才能を、カップウィナーズカップやUEFAカップにも振り向けなければならなかった。その時代には、純粋なヨーロッパカップがあり、唯一各リーグの優勝チームによってしか戦われなかったものだ。

似たようなことが、ラウルのペースを追いかけることに没頭してきた他のベテラン選手たちにも起こっている。アンドレイ・シェフチェンコ(34歳)、フィリッポ・インザーギ(37歳)、ルート・ファン・ニステルローイ(34歳)が、チャンピオンズの歴代得点者ランキングで、ラウルを追いかけている。全員が現役だが、今シーズン最高の舞台に出場しているのはイタリア人だけだ。彼らは道筋(キャリア)の最後の曲がり角に来ている。しかし、その伝説はまだ生き続けている。

ラウルについては、15年と6日間遡る。1995年10月15日のことだ。ハンガリーのFerencvaros戦での6-1の大勝利で、ラウルはハットトリックを決め、その記録は幕を開けた。それ以来、彼はヨーロッパの大会に姿を現す度に、ゴールを果たす約束を欠くことはなかった。そしてそれは、常にチャンピオンズでだった。事実、これほど何年にも渡ってゴールを見てきたという歴史のすべてにおいても、これもラウルただ1人のことだ。それだけではない。彼が最後にチャンピオンズでゴールを成功させた、ミラン戦でジダを相手に1-0となるゴールを入れてから、364日が過ぎていた。ペジェグリーニの元で先発として起用されていた最後の頃の試合で、そしてベスト16で敗退するという痛手も、記録がスローダウンする原因となった。

今、新たな展望がルールの地にある。マガトはイスラエルのチームに対し、非常に攻撃的な戦法を取った。ジェフェルソン・ファルファンをパワフルなアタッカーの筆頭として、すべてが滑らかに機能した(えー?)。ブンデスリーガで深刻な疑問が呈された2ヶ月を経て、すべてが安堵する。開幕から4試合続けての敗戦で、8試合で1勝のみ。頂点を目指して戦うようデザインされたシャルケは、降格近辺という非常に難しいところでの舵取りとなった。

次は11月2日、グループの2位であることを再び主張するようテル・アビブを訪問する。この順位は、最後までベンフィカと争うものとなるだろう。少し上をいくのはオリンピック・リヨン、ブライアンとリサンドロのゴールでベンフィカに勝利した。少しの運で、マガトの子供たちはグループ勝ちぬけに到達できるだろう。そしてそこでは、忘れてはいけない、レアル・マドリーを待ち望む可能性もある。強烈な感情を伴ったものは、既に先の抽選で経験している。伝説のカーサへと戻る可能性もありえた。

「ラウルについて何も言うことはない。彼は別格だ。ゴールしないとしても、彼がチームに貢献するものはきわめて特別なものだ。彼は本当に、別格の存在だ。」 マガトはこう言う。同様に、フランツ・ベッケンバウワーも彼に祝辞を送った。ラウルからの感謝の言葉は、「ダンケシェーン」 と短いものだった。
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授賞式

2010-10-23 09:12:02 | football
La Seleccion Espanola de Futbol, Principe de Asturias de los Deportes 2010
デルボスケ以下、イケル、チャビ、レイナ、セルヒオ・ラモス、ヘスス・ナバス、マタ、ハビ・マルティネス、ジョレンテ、マルチェナ、カプデビラ、と選手10人が出席。マドリーからカピタン・イケルが出て、バルサからもチャビが来て、格好はついたのかなとも思いますが、でもできたら全員いて欲しかったなあ。伝統と権威のある賞らしく、壮麗かつ華やかな雰囲気のある素晴らしい舞台でした。
いろいろなニュースサイト見て回りましたが、どこも言及しているのが、プロトコル(典礼の手順)を破って、デル・ボスケがアラゴネスを表彰の場に呼んだこと。こんな場なので勇気がいることだったとも思うし、そういう気遣いができるのも、デルボスケらしいところ。ビジャール(RFEF会長)がくっついて出てきたのは余計な気もしますが。

試合前日で、マドリーではチームメイトたちがコンセントレーションに入っている中、チャーター機を出してもらって出席が可能になったイケルと、負傷で召集外になったセルヒオ・ラモス。どうやら、マドリー方面から出席する偉い人たちが一緒だったようです。ハイメ・リサベツキ(スポーツ担当大臣)とか、フロレンティーノ・ペレス&バルダーノ&ブトラゲーニョ、とか。



選手がひとりひとり名前を呼ばれて王子と握手


画像集
MARCA
AS
El Pais(エルパイスの画像は、上下5mmくらいの場所で右クリックで保存できます)
TVE

動画は他にTVEから、関連でいろいろ見られると思います。



主審交代
授賞式にはまったく関係ないのですが、目に付いたので。

今夜行われるマドリーvsラシン・サンタンデールの主審が、当初予定されていたフェルナンデス・ボルバランから、ムニス・フェルナンデスに交代するとのこと。ムニス・フェルナンデスは、前節のエルクレスvsビジャレアル戦でトレセゲとムサッキオとボルハ・バレーロの3人を赤紙で片付けるなどした人。
ま、リーガの主審なんて、誰なら間違いなく良い、とかそういうのないので、どうでもいいといえばいいんですが。