ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

国会議事堂のルネ

2017年10月14日 | 1回目の来日
 カナダで報じられた日本滞在中のルネの記事を見つけました。東京の国会議事堂の植え込みの前に立つルネの写真です。ルネが立っていたと思われる場所とアングルが近い画像を見つけたので紹介いたします。また、その時のコスチュームで撮られた歌詞カードも有りました。

 このコスチュームを着た写真は、一回目の来日時に撮られたものだと思うのですが、あまりこのコスチュームのルネは見かけません。季節的には長袖なので一回目の来日で合っていると思います。また、『小さな生命』の歌詞カードに使うのにも、二回目に来日した時では雑誌の掲載に間に合いませんから、初来日の時だと思います。でも、1974年6月26日(水)から7月13日(日)までの19日間の来日中のいつだったのかしら? 『スーパーアイドル ルネ』に掲載された道上雄峰氏の『完全スケジュール同行記』でも、国会議事堂に行った記録はありませんでしたし、グラビアにもこのコスチュームのルネは有りませんでした。

▲左:ルネ・シマールは国会議事堂の前で自慢げにポーズをとっている 長い滞在のために彼のズボンの後ろポケットのように早く知るだろう街 ルネ、日本人に深く愛された子供
 右:国会議事堂

▲国会議事堂前のルネ(左)と、同じコスチュームのルネの『小さな生命』の歌詞カード(右)

▲上:カナダのコンサート会場で(eBayで購入した生写真) 
 下:4回目の来日時 ファンの集いで(ファン・クラブ会報より)


 それから、上の画像は日本の記事ではあまり見ないルネのサングラス姿。日本では『天使の歌声』で売り出しているので、サングラスはイメージに合わない?

 カナダのインター・ヴィデオから5名が同行し、TBSのスタッフが2名付いて”René au Japon”の撮影を行っていたので、国会議事堂前の写真はその時に撮影したのではないかと推測していますが…。これ以外の記事で、このコスチュームを着ているルネをご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ご一報ください。よろしくお願いいたします!


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


       forkシマ姉のスローライフitem9


 秋の夜長に『読書の秋』。食いしん坊のシマ姉は『実りの秋』も満喫中♪

 完全手縫いのジーンズ・リメイク小物は、端切れまで利用してペンケースと小物入れを作って終了。過去ログで紹介したバッグは、ショルダーバッグでも可愛いので、いざという時に持ち出せるようにして運転席のシートに設置。中には手回し充電のラジオ(サイレンと懐中電灯にもなります)、緊急時に閉じ込められた時使うグッズ、ミニタオル、ショッピング用エコバッグが入っています。 小物入れはやはり緊急時のグッズを入れて運転席に。ペンケースは外出時に重宝しています。小物作りのための布がためてあるので、またしばらくしたらソーイングを楽しみますよ~♪

 そして、シマ姉家の栗の実を三連休中に採って来て皮をむき、冷凍しました。大きくて立派な栗なのに、イガがまだ落ちていない内からクリムシ(クリシギゾウムシの幼虫)に食われているものもあったので、渋皮栗の甘煮はあきらめて全部皮をむきました。熱湯で虫止めをし、実家から『栗くり坊主』という栗むき用ペンチ(?)を借りてむいたら、簡単に鬼皮も渋皮も向けたのですが、数が多いので右親指の付け根に水泡★ でも苦労して作った栗ご飯は格別♡ 残りは甘煮やお正月の栗きんとんにしようかと考えています。 

▲息子のジーンズのリメイク・シリーズ
 左:ショルダーバック 中央:小物入れ
 右:ペンケース 内側にポケットを付けてクリップをセット

▲シマ姉家の栗
▲きのこご飯(左)と栗ご飯(右 母への差し入れとして)

 また、この季節には必ず作るきのこご飯も三連休に楽しみました。天然物は福島の原発の事故以降、店頭には並ばなくなっているので栽培ものですが、アワビタケ、タモギタケ、ヒラタケ、シイタケ、ブナシメジの5種類のキノコと油揚げ、彩りの人参を出汁と醤油と酒、みりんで煮てきのこご飯の具を作り、醤油と酒で味を付けて炊いたご飯に混ぜ込みました。具はいつもたっぷり作って、残りは冷凍しておきます。多めに作って、実家の母や友人に差し入れたところ、大変好評でした。また作ります♪

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グランプリ受賞後のカナダ②

2016年08月07日 | 1回目の来日
  暑中お見舞い申し上げます。


 …といっても、今日は立秋。明日からは残暑見舞いになるそうです。昨日、開催が危ぶまれたリオデジャネイロ・オリンピックが無事開幕いたしましたが、ルネ友のみなさまはいかがお過ごしですか?

 シマ姉家は、増築して20年経つ部屋のエアコンが寿命を迎え、買い換えました。1年以上前からちょくちょく不具合を起こしていたのですが、裏技(?)でだましだまし使っていたのに、主人のミスでその裏技も使えなくなり、動かなくなってから慌てて買いに行った次第★ その部屋は出窓にグリーンカーテンを設置して、夜中も出窓を網戸にしておけるようにしてはいますが、西日が当たって午後から室温が上がり、夜までその熱が残ってしまうため、適度にエアコンを使わないと熱中症が心配。しかし、今日買ってすぐ取り付けられる訳ではなく、取り付け工事までの約1週間は涼しい日もあって助かりました。今はフィルターの掃除も自動でやってくれるし、省エネになっているので快適に過ごしています。
 ちなみに、今年のグリーンカーテンはゴーヤです。年度初めの忙しさで出遅れ、苗を買いにホームセンターに行った時にはゴーヤしか残っておりませんでした★ 店員さんにも時期が遅いことを指摘されましたが、取りあえずつるを伸ばし、実も成り始めました。昨年種こぼれした朝顔も咲いています。ゴーヤは収穫したら、職場の同僚お勧めの漬物と佃煮に挑戦しようと思っています。


 そして明日、8月8日はルネと妻マリー=ジョゼの29回目の結婚記念日です。
 ロングランになっているミュージカル『メリー・ポピンズの公演も今日、明日はお休み。5公演を残すのみになりました。9月9日(金)から再開するコンサート・ツアーまであと1カ月。ハードなダンスは無いにせよ、ここ連日の公演に、ルネの体調を心配しています。プロとして自分の役柄を完璧に演じきるであろう55歳のルネ。「頑張って~っ!!」と、遠い日本から声援を送るのみのシマ姉ですが、ルネが結婚記念日はちょっとだけでも、マリー=ジョゼの美味しい手料理を食べながら、夫婦水入らずで、または家族だけでゆっくり過ごせることを願っています。

 さて今回は、前回の続き、ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得し、1974年7月14日(火)に凱旋帰国したときの記事の後編を紹介いたします。


人気爆発
  ルネ坊やの帰国に
カナダ中が異常興奮


トロフィーは銀行の金庫に
ギャラは満18才まで管理


 ルネの自宅はケベック市から車で約1時間、セントローレンス河の中州、イルドルレアン島にある別荘地帯で、緑の美しい牧場などもある風光明媚なな田舎町だが、ルネ坊やが大邸宅に住んでいるわけではない。
 帰国と同時に、ティーンエイジャーのファンが車でワンサとつめかけ、プラカードを振りかざして「お帰りなさいルネ」「グランプリおめでとう!」と大騒ぎしたが、ルネ一家はごく普通のささやかな家に住んでいる。

 というのも、カナダでは18才未満のタレントには直接ギャラが支払われず、その年令に達するまで国が管理することになっているからだ。現在、ルネのためにプールされているギャラは、ざっと2億円!
 ますます貯まる一方で、5年後支払われるときまでには、この何倍になっているか見当もつかない。もしもルネが家を建てるなら、小さい家どころか、お城のような建物がそびえ立つだろう。
「ギャラの額なんて、ぼくは知らないよ。でも東京でグランプリとシナトラ賞をもらったときは、うれしくて涙が出ちゃったよ。あのときのトロフィーは、一生の記念だからね。いま銀行の金庫にあずけてあるんだ。」
 銀行さんも粋なもんだね。

 どこかの国のタレントとちがって、、ルネは学校へもせっせと通う。勉強は大好きだ、特に数学がお得意である。

 カナダに劣らず日本での人気もすさまじく、大手スポンサーがCMモデルに争奪戦を展開中。ロッテに旺文社、東レは「ルネのシンボルマークを商品に」と狙っている。
 8月22日には再来日し、”ルネ・シマール・ファーストコンサート”が、9月4日大阪厚生年金大ホール、14・15日東京渋谷公会堂で開かれる。レコードは9月10日CBSソニーから臨発の『小さな生命』がヒットパレードに殴り込みをかける。
 さらに東宝ではルネの主演映画を企画。某テレビ局は1クール連続の”ルネ・ワンマンショー”を交渉する構えだ。
 来年のことをいっても鬼は笑わないというほどの人気を見込んで、来年の春からは日本全国縦断リサイタルまで予定されている。

 こうなると日本のヤング・タレントは油断できない。台湾、香港のみならず、カナダのルネにもファンを食われるオソレがあるからだ。まして、「山口百恵ちゃんはカワユイね」「日本の女の子をガールフレンドにしたい」なんちゃってるルネ坊や。天使みたいな顔をして、何をやらかすかわからないゾ。


▲グランプリとフランク・シナトラ賞のトロフィーを前に、花束に囲まれたルネ

 ルネの1クール(13回)連続のワンマンショー、東レの『ルネのシンボルマーク商品化』は実現しなかったと思いますが、ロッテの『ロンドン』と『ハローレディ』、旺文社の学習雑誌『中一時代』、トンボ学生服はイメージキャラクターとしてTVコマーシャルに出演しました。また、東宝の主演映画企画は、『ルネ・オン・メロディ』(Un Enfant Comme Les Autresー普通の子供)のことですね。ルネのワンマンショーについては、1回でもいいから実現して欲しかったです!

※過去ログ「ルネのTVコマーシャル」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/397.html


 実は今日、久しぶりにやんばるQさんとお出かけします♪ 前回も行ったパワースポットで日頃の疲れを癒し、明日からの仕事を頑張れるように、美味しいものをいただいて、他愛のないおしゃべりを楽しんできたいと思います。

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グランプリ受賞後のカナダ①

2016年07月30日 | 1回目の来日
 今日は土用の丑の日。
 明日はミュージカル『メリー・ポピンズ』の千秋楽。
…と思っていたら、大好評につき、8月も公演が行われることが決定!! 追加公演の日程は、8月3日(水)、4日(木)、5日(金)、6日(土)、9日(火)、10日(水)、11日(木)、12日(金)、13日(土)の9日。いずれも開演は午後7時30分からです。チケットの販売は27日(水)から始まっています。

※チケット情報
https://oss.ticketmaster.com/aps/jprjfl/fr-ca/promotion/home?utm_source=JustePourRire&utm_medium=social-media&utm_campaign=RABAIS30NOUNOU-160728

 いろいろな場面がFacebookの公式ページで紹介されていますが、ルネの演じるMr.バンクスの出演シーンはほとんどが画像なので、バンクス家や銀行の場面が映像でアップされるのを心待ちにしています。
 今日を含めて残り11回となったこの舞台が、無事終了することを祈るばかりです。そして、8月の休みは減ってしまいましたが、できるだけ休養を取って、9月9日(金)から再開するコンサート・ツアーNouveau Rêveに向けて、ルネ自身が満足のいく準備を進めて欲しいと思います。


 さて、 今から42年前の1974年7月14日は、ルネの1回目の来日最終日でした。

 そして、ルネの凱旋帰国を待ちわびたカナダのファンや各メディアがモントリオールのシャルル・ドゴール空港に押し寄せました。それについての記事を2回に分けて紹介いたします。


人気爆発
  ルネ坊やの帰国に
カナダ中が異常興奮

トリュドー首相も異例のメッセージ

「日本人が”1人息子”のルネをさらいに来た!」と、カナダの新聞がセンセーショナルに報道した。東京音楽祭でグランプリをせしめ、日本人取材記者といっしょにルネ・シマール坊やが帰国したときのことだ。まだ13才だが、これまでに貯めたギャラが2億円! 8月22日には再来日して、また大旋風をまき起す。

 東京音楽祭のグランプリと、フランク・シナトラ賞をもらったルネが故国へ凱旋した! その日、モントリオールの空港は歓迎陣で上を下への大騒ぎ、カナダの新聞雑誌、放送などのマスコミや、中学生を中心とするファンがどっとつめかけ、一時は「トリュドー首相もお出迎え」の噂がつたわったくらいだ。

 とても、日本の郷ひろみなんてもんじゃない。新聞が「カナダの1人息子」と見出しをつけるほどのヒーローである。
 東京音楽祭では美しいボーイソプラノをひびかせて『ミドリ色の屋根』を歌い、シナトラおじさんもあまりの可愛さに思わずルネを抱きしめた。その知らせがカナダにつたわるとすぐ、トリュドー首相はルネ坊やに祝電を打った。
『あなたが日本で得た偉大な成功は、すべてのカナダ人の誇りであり、あなたの同世代の人に働くことと勉学の励みとなりました。心からお祝い申しあげます。そして生涯を通じ、よりいっそう努力されることを願っています。』

 カナダのケベックで生まれたルネは、フランス系カナダ人。既報の通り、コックだった父親が病気になって、どん底の生活におち込んだとき、まだ10才のルネが酒場で歌って生計を助けたと、という美談がある。
 しかし貧しいながらも家族みんなが音楽好きで、特にパパはクロウトなみの耳をしていた。ルネは7人きょうだいの5番目、すぐ上の兄デジは作曲をやるし、妹のナタリーは歌がうまい。だから、ルネが小さいときから、家族でよくコーラスしたものだ。
 聖歌隊のメンバーだったルネは、教会で結婚式をあげた花ムコさんにスカウトされ、『鳥』というレコードでデビュー。これが大ヒットになって、カナダ中のアイドルにのし上がった。
 クリスマス・アルバムなどは軽く10万枚というセールス。人口比率から見れば、日本ならさしずめ数十万枚を売る勘定で。むろんカナダのテレビでも引っぱりだこで、歌のほか番組のホストも引受けている。

 帰国するルネに日本の報道陣がついて行ったら、モントリオールの新聞が”日本から1人息子のルネをさらいに来た!”と大々的に書き立てた。「ルネは世界のヒノキ舞台に立った」「ビートルズに匹敵する大スターになるだろう」という記事で、日本人記者がインタビューされている。
 日本でのルネを撮影した映画『ルネ・イン・ジャパン』も、いくつかの劇場で公開され、どこも超満員。もちろん『ミドリ色の屋根』はプレスが間に合わないほどの、すごい売れゆきだ。


▲ルネを出迎える母ガブリエル 各メディアからのインタビューに答えるルネ 持っているのはフランク・シナトラ賞のトロフィー(グランプリのトロフィーはクリスタル製でめちゃ重いので)

▲ルネの凱旋帰国を待ちわびて押し寄せたカナダのファンがひしめくシャルル・ドゴール空港の様子 ルネはガードマンの肩車で移動 右端の男性は上の写真にも写っていますが、この方もガードマン?

 日本の記者が、ルネの特集記事のためにカナダに渡ったことは知っていましたが、帰国するルネと同じ飛行機に乗って行ったとは、この記事で読むまで知りませんでした。
 
 帰国するルネを見送るために、羽田空港で押し寄せた日本のファンの様子や、シャルル・ドゴール空港での凱旋帰国の様子は、アメリカで放映された、ルネを紹介する特集番組“Million Dollar Baby”でも紹介されていますので、Part2でご覧ください。

※YouTube映像”Rene Simard - Million Dollar Baby Part 1”
https://youtu.be/yHY1BuKrat4?list=FLX12E-efRQ7oPC3A-ki4poA
※YouTube映像”Rene Simard - Million Dollar Baby Part 2”
https://youtu.be/V_VVZqGeGtw

 しかし、ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得するまでは、ルネはフランス系カナダ・ケベック州のアイドルで、英語圏のカナダでの知名度はさほど高くはありませんでした。もちろん当時から、英語圏にもDonna Marieさんのような熱烈なファンがいらっしゃいますが…。英語圏のカナダ、フランス、そしてアメリカのショー・ビジネスの世界でデビューすることは、フランス系カナダ人の歌手にとって大きな夢でしたから、ルネだけでなく、ノーベル・レコードのスタッフにとっても、世界に売り出すまたと無いチャンスになったのです。


 さて次回は、この記事の後編です。

 関東地方もやっと梅雨明けし、夏空の太陽に、うだるような暑い日が続きますが、ルネ友のみなさまも、ウナギを食べて暑い夏を乗り切ってくださいね!
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第3回東京音楽祭のプログラムより②

2016年07月17日 | 1回目の来日
 今から42年前の1974年7月14日は、ルネの初来日の最終日でした。

 第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得し、一夜にして日本のスーパー・アイドルとなり、 世界中にその天使の声を響かせた、13歳のカナダの少年ルネ・シマール。 東京音楽祭のプログラムにおける、まだ無名に等しかったルネの 紹介は次の様なものでした。


MIDORI-IRO NO YANE
(ミドリ色の屋根)

RENE SIMARD ルネ・シマール(CANADA)

1961年カナダのチクーテイミに生まれた。
10才でデビューし、最初のシングル盤“鳥”でたちまち全カナダの人々の心を捉えた。つづいて発売された2枚のLPは、17万5千枚も売れ、現在もヒット・チャートにとどまっている。
シングルの発売された年に“今年の発見” 及び“今年の非凡なタレント”と名付けられたトロフィーを獲得している。以後、数々のテレビ番組でも活動し、ケベックのPLACE DES ARTS劇場やCLISEEなどでおこなった公演も大成功を収めた。
現在は、“レ・ベルジェール”というテレビ番組にレギュラー出演している。


 このプログラムが製本された頃は、まさか大賞だけでなく、フランク・シナトラ賞まで獲得するとは、誰にも予想できなかったでしょう。しかし、セミ・ファイナル以前の段階で、リハーサルで完璧に歌い切ったルネの歌を聴いた大会関係者の間では、最有力候補だったザ・スリー ・ディグリーズとルネのどちらが大賞を取るか、意見が真っ二つに分かれたというのは有名な話ですね。

 ちなみに、プログラムの紹介写真は、下の写真をトリミングしたもの。2枚の写真を比べてみたところ、大きさがピッタリ一致! 縮小せず、プログラムの原稿サイズに合わせてカットしてしまったようです。あの当時、拡大縮小の技術が無かったとは考えにくいのですが、どんな理由が有ったにせよ、トリミングなどせずに載せて欲しかったですね! 
 それに、何故最新の写真ではなく、デビュー間もない頃のものなのか。「ミドリ色の屋根」のレコードジャケットに使われた写真も、“Un Enfant Comme Les Autres(普通の子供)”の時のもので、更に反転写真だったりして…。ルネの幼さを強調し、天使の歌声と称賛された歌唱力を際立たせるためのノーベル・レコードの戦略?!

※過去ログ「”ミドリ色の屋根”のレコード・ジャケット」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/365.html

▲カナダのルネ・コレクションより


 そして、ミュージカル「メリー・ポピンズ」は好評につき、7月17日(日)、24日(日)、30日(土)、31日(日) の4公演が追加されています。4日とも14時00分開演です。

 舞台写真も次々にアップされていますので、ルネの出演シーン中心に紹介いたします。 

▲舞台メイクのままインタビューを受けるルネ 口髭は付け髭だけど、額と目尻のしわは自前? それともメイク?

▲▼ルネ、Mr.バンクス熱演中!!


▲銀行でのシーン ルネはどこにいるでしょうか? 探してみてください

▲サン・ドゥニ劇場の入り口

▲サン・ドゥニ劇場の前で 向かって左から、妻マリー=ジョゼ、セルジュ・ポスティゴ監督、マリー=ジョゼのご両親 左にはルネの写真が見えます。

▲サン・ドゥニ劇場の前で ルネの妹ナタリー・シマールと娘エーヴ

 余談ですが、7月7日のナタリーの誕生日に、ルネはfacebookで誕生日メッセージを送っていました。もちろん私も彼女のタイムラインにメッセージを入れましたよ。

 ミュージカル「メリー・ポピンズは高い評価を得ています。中でも主役のジョエル・ランクトーは注目度が高く、各メディアで取り上げられています。もちろん我らがルネもです。この演目がケベックの夏の定番になって、来年も上演されるといいですねsymbol1

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シナトラの祝福をうけて

2016年07月01日 | 1回目の来日
 今日はカナダの建国記念日です。

 今から42年前の1974年7月1日、ルネがカナダ代表として出場した第3回東京音楽祭世界大会で、グランプリとフランク・シナトラ賞を獲得したことを受け、ルネはカナダ大使館の建国記念パーティーに招待されました。
 ルネこの時、受賞曲『ミドリ色の屋根』と『ラ・メール』を歌いました。

▲「スーパーアイドル ルネ」の『完全スケジュール同行記』より1974年7月1日


 そして今回は、『週刊平凡』1974年7月18日号のルネの記事と、第3回東京音楽祭世界大会のプログラムよりフランク・シナトラの祝辞を紹介いたします。


シナトラの祝福をうけて…
   東京音楽祭世界大会の大賞に輝いたルネ少年

 大賞と『フランク・シナトラ賞』を併せてかちとったカナダの13歳の少年ルネ。シナトラ自身に祝福されて感激の面持ちだった。

▲左:『ミドリ色の屋根』を熱唱するルネ少年
 右:お色気満点のザ・スリーディグリーズは金賞

 第3回をむかえた東京音楽祭世界大会は、6月29日、30日の2日間にわたって、東京・日比谷の帝国劇場で開かれた。27か国、301曲の中から選ばれた21曲が第1次審査に登場。今回の話題のひとつであるフランク・シナトラが特別審査員として登場する30日の最終審査では、10歌手が残りを競った。大賞に輝いたのはルネ(カナダ)、金賞に、ザ・スリーデイグリーズ(アメリカ)、銀賞は布施明、ザ・ピーナッツ、銅賞に五木ひろし、ブレダ・ペイン(アメリカ)、パティ・キム(韓国)。外国審査員賞に五木ひろしがそれぞれ選ばれ、賞金、トロフィーを手に大喜びだった。


▲第3回東京音楽祭世界大会のプログラムよりフランク・シナトラの祝辞(右ページ)

●祝辞

日本のファンの皆様、私のカムバックに拍手と声援をありがとうございます。日本における素晴らしい国際音楽祭、第3回「東京音楽祭」の招きで、私は12年ぶりに美しい日本を訪れることができ、心からうれしく思っています。カムバックして以来私のスケジュールは多忙をきわめており、今回の特別審査員としてのお招きについても非常に調整がむずかしかったです。正直いって、音楽祭を代表して接衝に来られた渡辺正文氏、奥田喜久丸氏の熱意に動かされ、特別審査員をお引き受けし、今年の「東京音楽祭」以降フランク・シナトラ賞を制定することを、誇りとともに喜んで了承した次第です。多くの困難をのりこえて念願の訪日を果たせた私は、、今年はもちろん将来にわたって、この素晴らしい「東京音楽祭」に限りない祝福と声援を送りつづけます。
              フランク・シナトラ


●特別審査員 フランク・シナトラ

”MY WAY”をうたう歌手は、海外、国内に多くいるが、彼ほどの歌い手はいないだろうと感じさせるフランク・シナトラ。彼が今まで歩き、ころび、立ち止まり、また歩いてきた58年の日々----それがあの歌を、ひどくdramatic なものにして、人々の心をとらえるのだろう。もちろん、“MAY WAY”に限ったことではないが…彼の魅力は計りしれない。熱狂的な迎えられ方でカムバックをした昨年の夏までの2年間、シナトラが何を考えていたのかは、定かでない。そして今回の来日。12年ぶりの日本公演のその日を待つファンが全国に多い。
東京音楽祭では特別審査員として彼を招き、基準を歌唱力においたシナトラ賞を特別に設けた。この賞は彼の審査で授与される。



 祝辞では、フランク・シナトラ賞は1974年の第3回東京音楽祭世界大会以降から制定されたように書かれていますが、特別審査員の紹介文では、氏が招待された第3回のみの特別賞のようにとれます。実際、第3回以降、氏か東京音楽祭のために来日したことはありませんでしたし、シナトラ賞が授与されたこともありませんでした。wikipediaでも、ゲストによる特別賞とされ、他にはスティービー・ワンダー賞やアンディ・ウィリアム賞などがあります。

 フランク・シナトラ賞を受賞した時、実は、ルネはシナトラが誰か知らなかったということを、後のインタビューで語っています。ルネが感激の涙を流したのは大賞を受賞した時で、シナトラ賞の時は、更に特別賞を受賞した喜びだったのですね(笑)。


 今回紹介した記事は、半年以上前に入手したものでした。本当は、『ルネ記念日』のためにとっておいたのですが、第3回東京音楽祭世界大会のプログラムに取って喰われました(笑)。1日遅れたけれど、紹介できて良かったです。

 次回からは、プログラムの中の情報と1回目の来日に関する記事を紹介していきますので、お楽しみに!!

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