ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

”ミドリ色の屋根”の三連符の秘密(?)

2008年07月05日 | ミドリ色の屋根
 ルネの『ミドリ色の屋根』は、楽譜と歌い方が違っているのをご存知ですか? 

 mixiのコミュニティー『ミドリ色の屋根のルネ・シマールで副管理人を務めていただいているピングーパパさんが、過去ログのコメントで指摘されたとおり、「お空ばかり」、「パパのことを」、「ママとぼくを」のところは三連符なのです。(↓参照)


 多分、ルネが三連符では日本語の歌詞をうまく発音できないので、歌いやすいようにアレンジしたのでしょう。その証拠に、仏語版の”Non ne pleure pas”では三連符のリズムで歌っています。間奏やライヴのオーヴァチュアでも三連符で演奏されていますので、聴き比べてみると面白いですよ!
bebo-musicographiesimard
http://www.bebo.com/MusicAlbums.jsp?MemberId=2591195085

           
「ミドリ色の屋根」と”Non ne pleure pas”が収録されている
アルバム”Les Dimanches apres-midi


           
「ルネ・シマール・ファースト・コンサート イン・ジャパン」が
収録されている”RENE SIMARD en concert



 ピングーパパさんからは、ブログで取り上げるには「あまりにマニアックな話題」だといわれていましたが、しっかり載せちゃいました~♪ だって、こういうの大好きなんですもん(笑)!
 また、前回紹介しきれなかった歌詞カードや記事も一緒に紹介いたします。


▲『ミドリ色の屋根』の歌詞カード
  「ハンドメイドなひととき」のRENEさんからのオークション情報で落札した『月刊平凡』1974年10月号付録のソング・ブックに掲載されていたものです。RENEさんもブログ記事で同じものを紹介していらっしゃいますのでご覧ください。

※「ハンドメイドなひととき」
http://midoriironoyane.blog65.fc2.com/blog-entry-275.html


▲『ミドリ色の屋根』の歌詞カード


▲『ミドリ色の屋根』の歌詞カード
 同級生からいただいた時すでに目に落書きがあったので(怒★)、消しゴムをかけたらちょっと薄くなってしまいました★(泣)


▲多分、『中二時代』に掲載された紹介記事

ルネ『ミドリ色の屋根』
 フル・ネームはルネ・シマール。1961年2月28日にカナダで生まれた現在13歳のかわいい少年です。第3回東京音楽祭世界大会グランプリ受賞曲で、審査員はもちろん、聴衆まで完全に魅了してしまったという大変な”子”。ということはもう知ってるね。そもそも彼は、10歳のとき母国カナダにて”鳥”でデビュー。これが大変なヒットになり、その後3年間にLP7枚と数々のシングルヒットを飛ばし、一躍大スターの仲間入りをしたという。ルネはレコード以外にも、映画やテレビで売れっ子で、今後は日本でも、歌に映画にそしてTVドラマにと活躍してくれるでしょう。



             cloverお知らせclover
♪その1
 過去ログで紹介してきました、私のお薦めTouTube映像がすぐ見られるようにしてみました。カナダのルネ・ファンの方々のチャンネルも登録してあります。自分では動画を公開していなくても、自分のお気に入りを集めた自分だけのYouTubeチャンネルを作ることができますよ。
http://jp.youtube.com/user/minokeiken1355



♪その2
 カナダの会員制コミュニティー”Passion Rene et Nathalie Simard”で紹介しているルネと妹ナタリー、兄レジスの画像と記事のスライドショーです。メンバーでなければご覧いただけない画像が満載です! こちらは”dailymotion”という映像サイトで紹介されています。YouTubeで紹介されていないものもありますのでご覧ください。 
MONTAGE D'IMAGES RARES DE RENÉ, NATHALIE ET RÉGIS SIMARD
http://www.dailymotion.com/relevance/search/Rene%2BSimard/video/x5dork_montage-dimages-rares-de-rene-natha_music

dailymotion-Rene Simard
http://www.dailymotion.com/videos/relevance/search/Rene+Simard/1
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9年後の”ミドリ色の屋根”

2008年06月30日 | ミドリ色の屋根
 1974年6月30日は、第3回東京音楽祭世界大会で、ルネがグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞した日です。昨年の6月30日には、「今日は、ルネがグランプリを受賞した日だから『ルネ記念日』」という記事を書きました。

※過去ログ「ルネ記念日」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/136.html

 そして、今回紹介いたしますのは、ルネのグランプリ受賞から9年後の、1983年3月27日に行われた第12回東京音楽祭世界大会に、ルネが特別ゲストとして招待された際、前日3月26日の前夜祭で妹ナタリー・シマールと一緒に歌った『ミドリ色の屋根の映像です。

※ YouTube映像”Rene & Nathalie in Japan”
http://jp.youtube.com/watch?v=KMvxqdG31xc

       ”Passion Rene et Nathalie Simard”より
   その時の写真を使ったカナダのルネとナタリーの
            ファン・クラブ会報誌


 この映像は、ケーシーさんがYouTubeチャンネルで再度アップした映像の中にありました。以前からアップされていた、ナタリーが『海の中のあなたへー Ma Mere La Merー』を日本語で歌ったのと同じ番組で紹介されたものです。この映像は、もう一生見られないと思っていたので感激しています。ちなみに、この時の様子を前夜祭会場で生でご覧になったしゃむねこさんと、一緒に署名活動を行った友人から、この後ルネの紹介で、ナタリーが日本でのデビュー曲『5月の手紙』を歌ったと教えていただきました。
※ Nathalie Simard - Ma Mere La Mere in Japanese
http://jp.youtube.com/watch?v=5R1_WPiKKEc&feature=related

 私はこの大会の観覧を、前述の友人から誘われていました。しかし、職場の職員旅行に行かなければならなかったため、泣く泣く弟に録画を頼んだのでした。ところが野球中継が長引いて録画されておらず、見ることが出来なかった映像です。そして、大会当日はルネもナタリーもステージでは歌わなかったので、私はかなり長い間、職員旅行と野球中継を憎んだものでした。
 また、過去ログでも書いたとおり、友人の情報で、ALFAレコードにルネに会いに行った時も、ルネは大ファンのバリー・マニロウのコンサートに行っていて会えず、ナタリーとマネージャー氏に会えただけでした。そして、不幸は続くもので、当時、職場の関係で一人暮らしを始めたばかりだった私は、テレビを所有しておらず、ルネやナタリーが出演した番組は一切見ることが出来ませんでした。もちろん、ルネが帰国した4月12日は成田空港(現在の第1ターミナル)に見送りに行けるわけもなく、私が手に入れたのは、友人がルネに直接書いてもらったサインと、ALFAレコードでいただいたルネとナタリーの缶バッジとポスト・カードだけでした。
          
   ▲左上:ルネとナタリーの缶バッジ
    左下:ルネのポストカード
    中央と右:ナタリーのプロフィール・カードの表と裏


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 さて、今回は誰に何と言われようと、当ブログの『ルネ記念日』!!(笑) まだアップしていない『ミドリ色の屋根』の画像入り歌詞カードやルネのプロフィールを紹介していきたいと思います。
 
         ▲グランプリ受賞前の紹介記事
       カナダのスーパースター ルネ来日!
 第3回東京音楽祭世界大会に出場するカナダのスーパースター、ルネ・シマールが6月26日に来日。もちろん『ミドリ色の屋根』を、テレビなどでごひろうするのだけど、ほかに新曲を日本語でレコーディングする予定。


ルネくんのご紹介
 第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを獲得したルネ・シマール君は、1961年2月28日、カナダのケベック州生まれの、かわいい男の子なのデ~ス。身長149㎝体重36㎏、今年13歳。
 ルネくんの夢は、フランク・シナトラみたいな大歌手になることなの。そこで、只今猛勉強のまっさい中!!
 「山口百恵ちゃん、だ~いすき!!」 ルネ君の理想のガール・フレンドは、百恵ちゃんみたいな、かわいくて明るくて、ちょっぴりいたずらっ子の女の子なんですって!!




▲上のプロフィールの表のピンナップです



 カナダのルネ・ファン、ローラさん(skfanincanさん)がTouTubeでアップしたルネのスライドショー、仏語版『ミドリ色の屋根』”Non ne pleure pas”も一緒にお楽しみください。日本語で歌った『水色の天使』のスライドショーもありますよ♪
※Rene Simard - Non ne pleure pas (1974)
http://jp.youtube.com/watch?v=bjx3LMBeoHQ


 実は、ここで紹介しようとしていた記事の内容と画像が思ったより多く、字数オーバーでアップできない場合、書き込み時に記事が吹っ飛んでしまうので、『ミドリ色の屋根』の記事として2つに分けることにいたしました。今週末に後半をアップする予定です。
 今までは、パソコンの技術が未熟なため、フエルアルバムからはがせないものは紹介できずにいました。やっと画像の加工ができるようになったので、小さいサイズの切り抜きや記事もアップできます。その一部も紹介していきたいと思っています。



           item2最新情報1item2

 ”Passion ルネ・シマール au Japon”のしゃむねこさんのYouTube映像第2弾は、『ロッテのロンドン』のTVコマーシャルの音声を使ったスライドショーです。ブログ記事では、しゃむねこさんのルネ・ファン活動の思い出が語られていますよ。

※「ロッテのロンドン(キャンディ)とルネコレクション」
http://renesimard.blogspot.com/2008/06/blog-post_29.html


           clover最新情報2clover

 掲示板『ルネ・シマール日記』で紹介いたしましたとおり、カナダのルネ・ファン、ケーシーさんは、casey7777777からcasey9961にチャンネルを変えて、ルネ画像等を再度アップしています。
 今回の記事で紹介いたしました”Rene & Nathalie in Japan”を初め、”Million Dollar Baby ”は、part.5まであったものをpart.2にまとめて再度アップされています。
 また、ルネのクリスマス・スペシャル番組を、12回に分けてアップしてくださいました。以前は一部分だけだったのですが、今回は全編ご覧いただけます。ルネを驚かすためのドッキリ企画として、ルネが第3回東京音楽祭世界大会でフランク・シナトラからいただいた副賞の腕時計を司会者がはめていたり、姉のリンと兄レジスが内緒で来ていたり、兄弟3人で歌ったり…。クリスマス・ソングもたくさん歌っていますので、季節はずれてしまいますが、是非是非お楽しみください!!
http://jp.youtube.com/casey9961
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ブログ開設3周年

2008年06月10日 | ミドリ色の屋根
 本日、ブログ開設3周年目を迎え、250記事を達成いたしました!

 『無いのなら 作ってしまえ ルネ・ブログ』

 これが、私がブログを始めようと思ったきっかけです。
 ルネについて、1人でも多くの人に思い出してもらいたくて、ルネの記事を書いている方やルネについてネットで検索する方に、もっとルネのことを知って欲しくて書き始めたブログ記事。ブログに関する知識が不十分なまま、がむしゃらに記事を書き綴った1年目。画像の取り込み方法を覚え、コレクションの公開を始めた2年目。mixiでコミュニティー『ミドリ色の屋根のルネ・シマール』の2代目管理人にもなりました。

 たくさんの出逢いの中で、協力者や仲間を得、新しい情報やサイト、事実と出逢うことができました。温かいコメントをくださった皆様、コメントをきっかけに交流が始まった皆様、また、コメントは残さなくとも定期的に訪問してくださっている方々、皆様のお陰で頑張り抜くことができました。ゲスト様のコメントやアクセス数が励みとなって、ここにたどり着くことができたのです。本当にありがとうございました!

 さて、これからの3年目ですが、228記事達成の時に書いたとおり、まずは『継続は力なり』でいきます。どこまで書き続けていけるのかという不安は、私だけでなく、ブログ管理人全員が抱えているもの。今までは、アクセス数や記事の数を達成目標にしてきましたが、これからは、まったりとマイ・ペースで記事作りをして、開設4周年目を迎えることを目標としていきます。そして、毎週末2記事をノルマにしていたものを、もう少しゆっくりペースにするつもりです。
 また、これからも記事の内容が落ちないようにしていくつもりでいます。ここずっと、今日を迎えるために、ネタ帳を作って計画的に記事を書きためてきました。現在ルネの1回目から2回目の来日に焦点を当てて記事構成をしてきましたが、3回目の来日、4回目の来日…と、順に取り上げていくように準備しています。自分自身でも、資料を使ってシリーズ的に取り上げ、ルネの日本での活動についてじっくりとまとめてみたいと思っています。そして、teacupの書籍化のシステムを利用して、念願の『ルネ本』を作ります。もう少ししたら、申し込んでみようと思っています。どんな風にできるのか楽しみです。

▲アルバム保管の小さな切り抜きコレクションの一部
 (右下の黒猫と写っているのは私 笑)



     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


       ハチドリの一滴(ひとしずく)

 大規模な森林火災に逃げまどう森の動物たち。そんな中ハチドリだけが、その小さな身体で口に含んだ水一滴を、猛火の上に何度も何度も落としている。その様子を見て笑った森の動物たちにハチドリは言いました。
 「私は、私にできることだけを しているだけです。」と。



 これは道徳の授業等で使われるお話しで、ハチドリの言った言葉で終わっています。

 そして、これこそが、私が現在しているブログでのファン活動なのだと思っています。
 私は、ルネのことを懐かしんでネット検索された方や、ルネについて知りたいと思った方が、当ブログにたどり着いて、私の書いた記事や画像、リンクしているサイトで、ルネを満喫してくださったらそれで良いと思っています。それ以上は望みません。もちろん、コメントを残していただけたり、メールのやり取りができたらそれで十分幸せなのです。そして、ルネの記事を書こうとする方や、『たのみこむ』の企画へ協力ができたら、少しは、日本から、カナダで頑張っているルネの援護射撃が出来たかも知れないと、自分なりに満足できるのです。

 『たのみこむ』への賛同者は現在23名。28番目に多い企画案。きっと、これからがもっと大変なのでしょうけれど、地道な活動でも夢を大きく持って、引き続きCD化を呼びかけていきます。

 また、こちらとは別に、ルネの「ミドリ色の屋根」を歌ったり、演奏してくださる方が増えると良いと考えています。歌詞は当ブログでもトップ・ページで紹介しており、ヒットした曲だけに結構ご存知の方は多いので、今回は「ミドリ色の屋根」の楽譜を紹介したいと思います。




 楽器の得意な方、是非是非『ミドリ色の屋根』を演奏してみてくださいね!!
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村井邦彦氏が語る”ミドリ色の屋根”

2007年06月19日 | ミドリ色の屋根
 「The Melody Maker
~村井邦彦の世界~」が届きました!


 Sony Music Shopでの予約特典、発売日の前日お届けは守られ、さらに先着特典として村井邦彦氏の直筆サイン色紙(CDサイズ)が付いてきました♪まだ聴いておりませんが、記念すべき我らがルネ・シマールの曲が日本で初めてCD化され、収録されたこのCD集について、明日の発売日を前に紹介したいと思います。

     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 このCD集については、過去ログと最新情報のコーナーで以前から紹介してきました。収録曲とボックスの画像はこちらでご覧ください。
http://www.sonymusicshop.jp/detail.asp?goods=MHCL000001087

 ボックスの中身は、5枚のCDが1と2、3と4、5に分かれており、村井氏のメッセージやプロフィール、歌詞、曲、それを歌うアーティスト紹介と村井氏の想い出、主要作品リストで構成された解説書(80ページなので、CDケース位分厚い!)も付いています。
 また、それぞれのCDジャケットは、ピアノを弾く村井氏の画像を使っています。

DISK1 翼をください~Hit Songs~
DISK2 美しい星~Ryoko,Junko&Emiko~ 
DISK3 髪がゆれている~Selection1~
DISK4 旅立つ朝~Selection2~ 
DISK5 Haruka~Kuni Murai & His Orchestra~



DISK1
21.ミドリ色の屋根/ルネ(1974.06.21)
22.小さな生命/ルネ(1974.09.10)


ルネ・シマールは、1961年2月28日カナダのケベック州生まれ。71年、10歳の時に「L'oiseau」でデビュー。74年、13歳の時に第3回東京音楽祭世界大会にて「ミドリ色の屋根」でグランプリを獲得。フランク・シナトラ賞も受賞し、同曲で日本デビューを果たした。日本で発売したレコードは、シングル9枚とアルバム4枚(企画盤を含む)。変声期の後は活動の拠点をカナダに戻し、現在もシンガーとして精力的な活動を続けている。

村井 これらは作家としてのキャリアでいえば、ほとんど最後の作品ですね。この時期になると、もう会社経営の仕事が忙しくて、曲を書いている余裕がなかったんです。そんなさなかに元フランス大使でNHKの会長もやった古垣鉄郎さんが日本ユニセフ協会の会長になり、「村井君も評議員になりなさい」と言われてユニセフの仕事を手伝うことになったので、古垣さんと一緒に相談して”地球の資源は無限ではない、地球を大切にしよう、美しい地球を子供たちに残そう”という、今でいうECOのキャンペーンのために曲を作って世界中の歌手に歌ってもらうという企画を立てたんですよ。そして山上さんと「美しい星」を作り、良子ちゃんや赤い鳥やフランスのポピーズとカナダのケベックに住むルネ・シマールっていう少年が歌ってくれたんです。
 ある日、ルネが歌った「美しい星」のレコードや写真やらがカナダから送られてきたんですが、僕は整理が苦手だからずっと机の上に置きっぱなしにしていたんです。ところが、それを川添が見つけて「この子は売れる!」って言うわけですよ(笑)。僕は忙しいから「象ちゃんモントリオールへ行ってよ」って頼んだら、翌週彼はさっそくモントリオールに出向いて契約の話をつけて帰ってきた。「色々忙しくしてるけど、たまには曲を書いたらどうだ」ってことを言われて、さらに「東京音楽祭にこの子を出そう!」と。でも、あまりに忙しくて、「僕がプロデュースする時間もないし」とためらったら、象ちゃんが、ロビー和田を連れてきたんですよ。そして僕は作曲家として雇われて、ロビーのディレクションで曲を書いたというわけ。そうやって作った曲でルネが東京音楽祭に出たところ、驚いたことに、この曲とスリー・ディグリーズが最後まで残ったんです。そして、どちらが優勝かってところで、最後の1票を審査員で来日していたフランク・シナトラが入れたんだよ、この少年に(笑)!この時のルネのマネージャーのルネ・アンジェリルはセリーヌ・ディオンを売り出して彼女の夫にもなった人です。大賀さんが優勝祝いにマキシムでごちそうしてくれた時の写真が手元とに残っているけどみんな若いね。

DISK4
17.LAISSEZ-NOUS AU MOIN LE SOLEIL(美しい星 仏語)/ルネ(1974.10.01)
18.君にあげる子守唄/ルネ(1975.04.01)
19.去年の夏/ルネ(1975.07.01)


 「美しい星」のフランス語版となる「LAISSEZ-NOUS AU MOIN LE SOLEIL」(17)は、デビュー・アルバム「ミドリ色の屋根」に収録された楽曲。続く「君にあげる子守唄」(18)は、日本での2枚目のオリジナル・アルバム(ライブ盤は除く)「君のすべてがほしい」(75年4月)に収録されていた楽曲で、その後、5枚目のシングル「去年の夏」(19)のB面としてシングルカットされた。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 当ブログでは、ルネの曲についてのみ紹介していますが、ルネがファースト・コンサートで歌った「廃墟の鳩」、「翼をください」、「エメラルドの伝説」を初め、私がずっと聴きたかった「美しい星」の日本語バージョン、札幌オリンピックのテーマ・ソング「虹と雪のバラード」等、名曲揃いですので、是非是非一家にワン・セット!子供たちに残したい名曲集として置いていただきたいと思います。

コメント (4)
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”ミドリ色の屋根”物語の背景

2007年03月18日 | ミドリ色の屋根
 「ミドリ色の屋根」と仏語版”Non ne pleure pas(泣かないで)”について、歌詞の内容の違いから、日本とカナダの違いについて考えてみました。

 なお、「ミドリ色の屋根」の歌詞はトップページで、”Non ne pleure pas”の訳詞は過去ログでご覧ください。
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/102.html


♪歌詞の違いはお国の違い?!

 「ミドリ色の屋根」と”Non ne pleure pas”は、作曲家村井邦彦氏の曲に、さいとう大三氏M.コレ氏が日本語と仏語で歌詞を付けた歌です。
 歌詞の内容は、ほとんど同じに作られていますが、微妙な違いはお国の違いなのか?それとも、曲に合わせるために生じたのか?

 まず、どちらも両親は別居又は離婚しています。日本は「別れた」から「離婚」。カナダは「家を出た」ので「別居」という線も考えられます。そして、日本は現在住んでいる家を出て田舎のミドリ色の屋根の家に移り、カナダは現在の家に留まって暮らす。まあ、「別居」なら父が帰ってくる可能性があるので、そのまま住んでいた方がよいでしょう。

 日本語の歌詞では、ママは毎日泣き暮らし、仏語詞では朝からずっと泣いている・・・・。思うに、日本語詞では離婚して間が無く、ママは泣き暮らしており、仏語詞では、パパが出て行ってからしばらく経っていて、週末等の休日に泣いている設定と思われます。現実問題、そうでなければ生活していけません。慰謝料や養育費だけでは生活できません。この子だって、学校に行っている年頃でしょう。ルネの年齢を意識したなら13才。日本なら中学1年生か2年生。


♪日本とカナダの住宅事情と心情の違い

 日本語詞では、田舎のミドリ色の屋根の家に移りますが、それは一戸建て?それともアパート?母子2人暮らしの上に、これから転居先で仕事も探さなくてはならないのですから、一戸建ては経済的にきつい。転居するにもお金がかかります。だから、もしかするとミドリ色の屋根の家は母の実家。母方の祖父母が温かく迎えてくれるなら、その方が幸せでしょう。そして息子は、一生懸命勉強し、仕事に就いて、将来は母を幸せにすると誓うのです。多分、当時の日本人の感覚ではこんな感じでしょうか。

 カナダでは、家はリフォームして住み替えるもの。また、パパの方が出ていったのなら、もともとママの持ち家か、離婚の時にママの名義になったか。それなら留まっていた方が、仕事や学校のためにもその方がよい。「別居」ならパパが帰ってくる可能性もある。当時は違ったでしょうが、現在のカナダでは、両親共働きの家庭が多いのだそうです(仏系カナダ人の元同僚談。余談ですが、だからカナダでも、子供たちは夕食を安くてボリュームのあるファスト・フーズで済ますのが一般的なのだそうです。そのため子供の肥満が問題になっているといいます。)。ママは、平日は仕事をして生活に追われているけれど、休日は、道の向こうにパパの姿が現れるのを探して窓辺で泣いている。息子も、パパが帰ってくることを強く願い、望みを失ってはいないけれど、ここでママと2人で暮らしていく決意もしています。日本語詞のように、将来のことまでは母に誓ってはいないのは、欧米の感覚でしょうか?


♪最新YouTube映像♪
 ルネが歌う”BOZO”映像。カナダのDVDにも収録されています。途中で一度切れるのはTake1?カナダのアルバム”Ma Petite Japonaise”に収録されている曲をそのまま使っています。同曲は変声後のアルバム”Fernando”でも、ケベックの歌のメドレーとして歌われています。
(現在お聴きいただけません)
※アルバム”Fernando”の”Medley”でお聴きください。
http://www.bebo.com/MusicAlbum.jsp?MusicAlbumId=2603682918
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