ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

日本のモントリオール讃歌プロジェクト

2012年07月27日 | モントリオール讃歌
 今日7月27日はロンドン五輪の開会式(…といても、日本時間では28日早朝になりますが…)。

 今から36年前の1976年7月17日(日本時間18日)モントリオール・オリンピックの開会式が開催されました。そして7月21日には、ルネが歌うモントリオール・オリンピックのテーマ曲モントリオール讃歌(英語版)」(CBS SONY 06SH20, 45rpm Single) が日本で発売されました。

 日本のルネ・シマール・ファン・クラブ「メープル・メイツのメープル・ニュースで、ルネの「モントリオール讃歌」は、8月1日の閉会式に歓迎の歌として歌われるとに書かれていました。ストライキによる工事の遅れやボイコットなど、波乱含みの問題が多い大会だったことは記事に書きましたが、そのことにつきましては、カテゴリ「モントリオール讃歌」で過去ログをお読みください。

 そしてルネのバイオグラフィー・サイトでは1975年9月に「モントリオール讃歌」の仏語版"Bienvenue a Montreal" (Nobel NL-5713, 45rpm Single)と英語版"Welcome to Montreal"(Nobel NL 5714, 45rpm Single)が発売されたと書かれていますが、"the Boy Choir & Soloist Directory"では"Welcome to Montreal"は翌1976年9月に発売されたことになっています。
 また、CBS SONYとALFAレコードが日本での「モントリオール讃歌」発売のために、カナダまで音入れ録音にディレクターを派遣していたことについては、過去ログで書きました。しかし、その記事のもととなった宮住俊介氏のエッセイでは、曲は村井邦彦氏が書き、オーケストラのカラオケテープを日本で作ってカナダに持って行ったことになっていました。作曲家はアンドレ・マチューであることや、発売されなかった「流れる水のように」と変声との関係等、コメント欄で質問したのですが、はっきりしたことは分かりませんでした。

 ここからは私の推測ですが、日本の「ルネ・プロジェクト」のスタッフは、1975年9月に発売されたカナダの"Welcome to Montreal"をもとに、ルネが日本語で歌う「モントリオール讃歌」を発売しようと考えたのではないのか?…と。
 何故なら、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報の裏表紙に、山上路夫氏による日本語詞が付けられた楽譜が掲載されていたからです。当時は何故日本語詞が作られたのか、深く考えませんでした。でも、宮住氏のエッセイを紹介してしばらく経ってから気付いたのです。日本語で吹き込んだ「モントリオール讃歌」を発売するプロジェクトが組まれ、ルネの変声によって変更を余儀なくされたのではないか? そのため実際に発売されたレコードは、A面に英語版、B面に「この旗の下で」になったのではないのか?…と。
 もしも日本語版「モントリオール讃歌」を変声前のルネが歌っていたら、どんな感じだったのか、想像してみてください。また、B面は英語版だったのか、それとも、もともと「この旗の下で」で計画されていたのか? などと考え始めると、想像の翼で何処までも飛んでいきそうです(爆★)。宮住氏のエッセイには「発売中止もやむをえない」と書かれていましたが、英語版で発売することになった経緯も是非知りたいですね! でも、日本の音楽業界でささやかれたルネのドーピング疑惑も、この辺のことが原因でだったのでしょう。また、もしも私の推測通り、変声後の声で歌われた日本語詞の「モントリオール讃歌」があるとしたら、聴いてみたいと思いませんか?

       ▲日本で発売された「モントリオール讃歌」

<宮住氏のエッセイより抜粋> 
 1975年の後半になると、早くも、その人気に翳(かげ)りが出て来ました。常に日本にいるアイドルたちと違って、彼はカナダに住んでいるのですから 無理もありません。
「このままルネは終わってしまうのか…」

 そんな時、素晴らしい企画が舞い込んで来たのです! 翌1976年には、カナダのモントリオールで、オリンピックが開催されます。その主題歌を、ルネが歌うことが決まったというのです。これはナイスな企画ですね。打つ手がなくなっていたCBSソニーも、これには大乗り。で、これは私が担当することになりました。曲は村井さん自らが書く。いい曲でしたよ。
「Welcome to Montreal ♪ Welcome to Montreal ♪ ~~」
今でもこの部分だけは口ずさむことができます。スポーツの祭典にふさわしい、明るく、力強い感動をもった曲でした。それにふさわしい荘厳なオケも出来上がりました。タイトルは『モントリオール讃歌』!! この曲をルネが、あの張りのある美しい声で歌ったら、大ヒット間違いなし!誰もがそう信じて疑いませんでした。

 歌入れ録音はカナダで。そしてこれには、CBSソニーの金塚さんという女性ディレクターに立ち会ってもらいました。その数日後、彼女は帰国。そして、アルファのスタジオで、
「みんなで出来上がった音を聴きましょう。」
ということになりました。わくわくですねえ。ワクワクワクワク。♪♪♪
 ところが、スピーカーから流れて来る声は、およそルネの美声とはかけ離れた、ダミ声の、しかも全く “少年の声” ではない。すると、金塚さんが、うつむき加減で、元気のない声で、こう言ったのです。
「変声期なんですよ…。」
ああ、これでは発売中止もやむをえませんね。そして、日本における「ルネ・プロジェクト」も、もはやここまでということになってしまいました。


▲日本語詞の「モントリオール讃歌」の楽譜



     モントリオール讃歌
      (Welcome to Montreal)

   作詞 RENNE SIMARD    作曲 Andre Mathieu
       Claude Cacombe       Vic Vogel
       山上 路夫       編曲 Vacvus

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
愛の花が開く街よ

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
ここで誰も皆 友だち

今 輝くあの聖火の下(もと)で
地球はひとつの 愛の世界だ
希望と夢とを 誰もが歌う

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
風に緑そよぐ街よ

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
腕と腕をつなぎ合おう

今 時よ止まれ 美しいまま
力の限りに 若さが燃える
はためく五輪の あの旗の下(もと)

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
つなぐ心の温かさ
オリンピック モントリオール
オリンピック モントリオール
愛の花咲く モントリオール


▲ルネがオリンピック・カンタータ(モントリオール讃歌)をモントリオール市長やオリンピック準備委員たちの前で歌ったことを報じる記事 赤い枠で囲まれた人物が、若くして亡くなった天才作曲家で「モントリオール讃歌」の作曲者アンドレ・マチュー(Chantalさんの新聞記事コレクション・サイトより)

▲モントリオール・オリンピックの公式テーマ曲としてカナダで発売された「モントリオール讃歌」 仏語版と英語版の両方を収録

   ▲ルネのバイオグラフィー


♪Chantalさんの音楽サイトより"Bienvenue a Montreal"
http://discographiesimard.musicblog.fr/2862261/Rene-Simard-Bienvenue-a-Montreal-1976/
♪Chantalさんの音楽サイトより"Welcome to Montreal"
http://discographiesimard.musicblog.fr/2862269/Rene-Simard-Welcome-to-Montreal-1976/

※Les chansons des JO : Bienvenue à Montréal de René Simard
http://www.lexpress.fr/culture/musique/jeux-olympiques-rene-simard-chante-bienvenue-a-montreal-1976_1142014.html

※宮住俊介:音楽プロデューサー・Shun Miyazumi のエッセイ!
「ルネ・シマール その3(最終回)」

http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52234335.html

※ルネ・シマールのバイオグラフィー・サイトfacebookのナタリー・ファン、ジョゼフさんより
http://bio.starquebec.net/S/simard_rene.htm

※BCSD(the Boy Choir & Soloist Directory)-Rene Simard
http://www.boysoloist.com/artist.asp?VID=200

※シャンタルさんの新聞記事コレクション・サイト
http://s398.photobucket.com/albums/pp63/MuseeSimard/1-%20Rene%20%201971-1976/?albumview=slideshow


 さて、この記事をお読みになった皆さん、日本語詞の存在と変声後の「モントリオール讃歌」について、どう思われましたか?


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 カナダのChantalさんが、bebo-musicographiesimardに替わる音楽サイトを立ち上げたことは、しばらく前に紹介いたしました。そのお陰で、曲を聴かずに資料の歌詞だけで翻訳し、紹介してしまった”Les deux gamins de l'Ile d'Orleansオルレアン島の2人の少年”というルネとレジスのデュオを聴くことができました。聴いてみて分かった資料の間違いや、読み返して気付いた翻訳の間違いを、曲を繰り返し聴いて書き直しましたので、興味を持たれた方は、下記の過去ログでご覧ください。ちなみにChantalさんの音源もリンクいたしました。とてもリズミカルで可愛い曲ですので、是非一緒にお聴きください。レジスのパートのところで聞こえてくる、何とも愛らしいルネの笑い声は、お聞き逃しの無いようにsymbol1
 

※過去ログ「オルレアン島の2人の少年」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/485.html
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ルネのモントリオール讃歌

2011年09月10日 | モントリオール讃歌
 1976年にカナダのモントリオールで開催された夏季オリンピック大会では、過去ログで何度も取り上げたとおり、ルネの『モントリオール讃歌』がボイコットされ、一般公募で選ばれた別の曲が採用されたという記述がカナダのサイトにありました。しかし、その曲自体を紹介する音源も映像もなく、分からずじまいのまま虚しく月日は流れていました。しかし、以前紹介した仏語版「モントリオール讃歌」とは別の新しいYouTube映像の関連動画に、それらしき曲を見つけることができました。でも、その曲を聴いて少々がっかりしました。何故なら、ボイコットされたルネの『モントリオール讃歌』の代わりに選ばれたのがこの曲だと思うと、納得がいかなかったからです。

 セルジュ・ラプラードSerge Laprade氏が歌うモントリオール・オリンピックの歌は、歌詞に『オリンピック』は入っても、『モントリオール』は入っていませんでした。曲はマーチ(行進曲)っぼくて、ルネの「モントリオール讃歌」のメロディーの方がずっと素晴らしいと思いました。しかし、ルネが作詞した公式の歓迎の曲は、『モントリオール』を賛美し強調していたため、各メディアが使用することを好まなかったようです。その理由は、モントリオール・オリンピックには準備期間中から様々な問題があり、後々までモントリオール市民に、増税や日常生活への支障等の負の遺産を残したオリンピックだったため、かえって感情を逆撫でするという理由のようでした。しかし、背景にはカナダの英系と仏系の問題も有ったのではと推測しています。
 ルネの『モントリオール讃歌』がボイコットされた後、『送別の歌』のコンテストで選ばれたのは、エステル・サント・クロワEstelle Ste Croixの ”Je t'aime”でした。確かに『お別れの歌』にはぴったりの静かな曲ですが、やっぱりルネ・ファンにとって、ルネの『モントリオール讃歌』こそが、オリンピックのテーマ曲です!!

♪Estelle Ste Croix Je t'aime
https://youtu.be/PlNfqYrHhhU

 今回紹介するYouTube映像は、①新しくアップされたルネが歌う仏語版と英語版「モントリオール讃歌」、②ルネが歌う仏語版「モントリオール讃歌」をBGMに、、ナディア・コマネチの映像と、ルネがモントリオール市長やオリンピック準備委員たちの前で同曲を歌った時のものだとされる映像、③セルジュ・ラプラード氏が歌うオリンピックの歌、④閉会セレモニーで使われた、先住民をイメージした曲から「モントリオール讃歌」の演奏と合唱に変わるモントリオール・オリンピックのオリジナル・サウンドトラック、⑤「オリンピック・カンタータ」、⑥建設途中の雪の中のオリンピック・スタジアム映像から、TV局の様子などオリンピックの裏側の映像を交え、開会式から閉会式までのハイライト映像の6つです。③と⑤以外は「モントリオール讃歌」が使われています。

※現在は➂⑥は削除され、ご覧いただけません。


①* Curiosité* René Simard Bienvenue à Montréal / Welcome to Montreal


②René Simard Live Bienvenue à Montréal

③Serge Laprade - Vive les Jeux olympiques - 1976.wmv

④Montreal 1976 Olympics Music - Victor Vogel - Ballet of the Closing Ceremony
https://youtu.be/RKOo0Xlsi3w

⑤Montreal 1976 Olympics Music - Victor Vogel - Olympic Chimes - Olympic Cantata
https://youtu.be/b5KYQ5KF5TQ

⑥XXI Olympiad | Montreal 1976


 そして、カナダから取り寄せたルネのスクラップ・ブックの記事の中に、ルネの「モントリオール讃歌」に関する記事を見つけました。

 この記事には、ルネの「モントリオール讃歌」は歓迎の歌として作られましたが、ラジオ局からボイコットされてしまい、決して流れることがなかったこと、それによって、著名な作曲家からなるCOJOが、最優秀作品に2万ドルの賞金をつけて「送別の歌」を一般公募したことなどが書かれていました。その時すでに、ルネは自分が作詞した「モントリオール讃歌」の録音を済ませていましたが、この曲がラジオ局からボイコットされたことによる失敗を非難されることはなかったようでした。そして、モントリオールのドラポー市長によって選ばれたとされるルネの歌詞は、その採用を巡る論争の中で、市長が強行に決定したようです。

 ドラポー市長は、モントリオール万博における歓迎の歌でも「ヴェンヌの成功」を導いていました。そのため、この時も同様に進めたのでしょう。確かに、東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞し、アメリカやフランスでも活躍していたルネと、ルネの作詞した歌詞を起用すれば話題性も十分で、さらにルネは歌唱力も知名度も抜群でしたから、ドラポー市長の成功のために、ルネは「歓迎の歌」の歌手として最高の逸材だったのだと思います。そして、「モントリオール讃歌」の作曲者もまた、若くして天才とうたわれた有名な作曲家なのでした。

 私は、ルネの英語詞”Welcome to Montreal”は、中学生程度の英語力があれば理解でき、分かりやすく、平和を願う希望に満ちた内容でとても良いと思うのですが、確かに仏語詞”Bienvenue à Montréal”の方は、モントリオールを賛美し、強調し過ぎていたかもしれません。そのためか、ルネの歌詞に対し「ありきたりでつまらない」等の酷評も有ったようでした。しかし、「モントリオール讃歌」のメロディーは、セルジュ・ラプラード氏の歌より優れていたので、アレンジされてオリンピックで使用されたのだと思います。結局、賞金付きで一般公募されながら、セルジュ・ラプラード氏の送別の歌も、閉会式で歌われることはありませんでした。

※過去ログ「”モントリオール讃歌”の仏語詞の謎を解き明かせ」参照http://green.ap.teacup.com/rene_simard/287.html


    ▲ルネとジャン・ドラポー市長(PASSION SIMARDより)

 ドラポー市長についていえば、かなりの手腕の持ち主だったらしく、カナダ建国100周年記念として企画されたモントリオール万国博覧会も、国民の支持をあまり得られないまま強行に進め、成功に導いた功績がありました。この時就任して間もなかった彼は、ロシア革命50周年記念行事として開催されるはずだったモスクワ万博の中止を受け、政府に働きかけ再招致を試みたことによって、BIAが1962年に正式に開催地を変更し、カナダでの開催が決定したのでした。さらに、開催地をセント・ローレンス川に新しく埋め立てて作った人工島に建設する案を出していました。それは周辺都市から反対されて実現しなかったものの、すでにこの時から突拍子もないことを考える方だったようです。その上、会期中に訪れていたフランスのシャルル・ドゴール大統領が、モントリオール市の群集を前に「自由ケベック万歳!」(Vive le Québec libre! )と発言し、カナダとフランス間の外交問題になっただけでなく、ケベック州分離運動の火に油を注ぐ結果ともなった事件が起っています(YouTube映像にもありました)。しかし、カナダでは現在でも、モントリオール万博をカナダ最高の文化イベントのひとつだったと考えている人が多いそうです。

 ちなみに、1967年10月の万博終了後、「人間とその世界」とテーマ設定された会場及びパビリオンの多くは、1968年から1981年まで夏期のみ開業し続けました。1974年当時の記事にも、エキスポ公園で遊ぶルネの記事があります。今日では万博跡地は一部存続させた建物を除き、公園及びリクリエーション施設として使用されています。

※wikipedia「モントリオール万国博覧会Expo1967」参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%B8%87%E5%9B%BD%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A


 今回、映像の紹介でサックリ終わらせるはずだったのですが、「モントリオール・オリンピック」の記事から、長年探していた答えの糸口を見つけることができました。
 そして、ルネが市長たちの前で「モントリオール讃歌」をお披露目した時の映像で着ているコスチュームは、今回紹介した2つの記事でルネが着ているものと同じです。このことから推測すると、この時はラジオ局からのボイコット前で、映像と2つの記事の写真は同日の取材によるものだと考えられます。

 ルネの「モントリオール讃歌」の真実については、ケベックのルネ・ファンと、ラジオ局やメディア等では見解が違うと思いますが、また何か新しい情報が入りましたら、追ってお伝えしたいと思います。



       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 ルネの全曲集「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールSony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいて、復刻リクエスト投票で100%を達成し、2ndステージに進んでいます! 予約受付期間も2011年5月18日から2011年8月31日までから、さらに10月5日までに延期になりました! 企画によっては2009年から予約受付を延期し続けているものもありますから、諦めずに商品化を待ちましょう! 現在商品化決定まで47パーセントです。

♪Sony Music Shop 購入予約はこちらからお願いします!
http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=5333&cd=DYCL000000362&lay=omf&link=cvAWWz0LzlQ-XvH18xZaSDMZWiALefsPwg
♪過去ログ「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/468.html

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モントリオール・オリンピック・グッズ

2010年10月24日 | モントリオール讃歌
 1976年夏、ルネ・シマールがテーマ曲「モントリオール讃歌"Welcome To Montreal""Bienvenue à Montréal "」を歌った第21回夏季オリンピック大会がカナダ、モントリオールで開催されました。

 1976年7月17日(日本時間18日)開会式、8月1日までの期間で開催されたこの大会は、カナダでストライキが起きてメインスタジアムの工事が大幅に遅れ、完成しないまま開会式を迎えたり、アフリカ諸国が参加をボイコットするなど、波乱含みの問題が多い大会だったことは過去ログに書きました。(カテゴリ「モントリオール讃歌」でお読みください。)しかし、当時ルネだけを探してテレビにかじりついていた私に、そんなことはなんの関係も有りませんでした。
 そしてつい10日程前、以前ルネ・グッズを購入した出品者さんの商品「カナダの切手コレクション」の中に、モントリオール・オリンピックの記念切手を発見しました。もちろん落札! そしてそれをきっかけに「モントリオール・オリンピック」で検索したところ、出てきましたよ、グッズがっ!! 
 近年、オリンピックが商業主義化していることが問題になり、改善されつつありますが、モントリオール・オリンピック当時でも、こんなにたくさんの種類のオリンピック記念グッズが出て、日本でも出回っていたとは驚きです。オリンピック開催当時は子どもで、ルネのレコード「モントリオール讃歌」を購入し、テレビ画面にルネの姿を探すのが精一杯だった私には、遠いカナダのオリンピック・グッズが日本でも販売されていたことなど知るよしもありませんでした。たとえ知っていたところで購入できるだけのお小遣いはなかった私にとって、30年以上経った今、それらを入手できる幸せたるや! 本当にインターネット様々です。
 ちなみに私は、実家の父の影響で、コインと切手はコレクションという程ではないですが、集めるのが好きなので嬉しい悲鳴(?)。カナダ旅行をした時にはお土産用のコイン・セットを購入しましたし、エリザベス女王の図柄が、少女期、若い時と現在の女王の3種類が混じっているのに気付いて、使わず大切に取っておいたりしています。

 さて、ネット・オークションとショッピングに出品されていた商品ですが、記念グッズ定番の切手を筆頭に、コイン、メダル、ポスター、記念誌、写真集、五輪のマーク入りTシャツの他に、ワッペン、ペンダント、記念モデルのシューズにカメラ、ロイヤル・コペンハーゲンのプレートなんてものまでありました★  コインは100ドル金貨1種類、10ドルと5ドル銀貨は全部で28種類という種類の多さはすごいです。メダルもそうですが、ケースも種類がたくさんあって、プラスチック・ケースからビロードをはった豪華な専用ケースまで有りました。コインは1枚売りから4枚セット、28枚セットまで。記念切手は全部で35種類あり、お土産用に1シートにまとめたもの、ブックレット付きのもの2種や収納ケースが卓上に飾れるタイプになっているものもありました。出品されていた商品の中でも目を引いたものを紹介いたします。

▲カナダのオリンピック・グッズの前で("PASSION SIMARD"より)


▲オリンピック・スタジアムを背景に15歳のルネ・シマール("PASSION SIMARD"より)

カナダ 1976年 モントリオールオリンピック$100金貨プルーフ 
KM#116 直径25mm 重量16.9655グラム 金品位917/1000  

発行枚数337342枚
カナダ王室造幣局オリジナル豪華レザーケース保証書付き。




1976年モントリオールオリンピック記念銀貨28枚セット
◆専用 箱入
◆コイン専用 プラスチックケース入り
◆10ドル銀貨 × 14枚
◆5ドル銀貨 × 14枚 合計28枚 <210ドル>
◆全て絵柄が異なります。


モントリオールオリンピック 記念切手収納
■品目:切手・記念品
■製造年:1976年前後
■ケース素材:プラスチック
■サイズ H27 W155 D220
(単位mm)モントリオールオリンピック記念切手と収納ケース。ケース蓋部に透明アクリルで挟まれた切手と、オリンピックのオリジナルマークが印象的なケース。蓋を開けると、収納部で、上部には丸いサイドキャップを捻り水を入れて、すぐに切手が貼れる機能が備わった品。


▲ワッペン こちらはケベック州旗の入ったデザイン


▲ロイヤル・コペンハーゲンのオリンピック記念プレート


 また、モントリオール大会は、女子体操でルーマニアのナディア・コマネチが10点満点を出し、「白い妖精」とうたわれ話題をさらいました。かく言う私も、美しく宙を舞うコマネチに魅了されたのでした。新聞各紙が大きく写真を掲載し、10点満点の演技が再び出ることに注目が集まり、連日報道されていたことを鮮明に覚えています。
 そして、たまたまこんなYouTube映像まで見つけちゃいました。

♪妖精コマネチのテーマ / 岡崎ひろしとラブ・シンガーズ http://www.youtube.com/watch?v=8S3HyyVAJ30


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ショッピングは女性にとってのストレス解消法の1つといわれていますが、ここ2週間程ネット・オークションとネット・ショッピングでの買い物しすぎな私★ 週末もゆっくり買い物に行けなかったり、息子連れだと、息子は自分のものを買ってしまうと早く帰って開けたい衝動を抑えられずに「帰ろう」を連発するため、結局自分の買い物は後回しのせいか、カナダとモントリオール五輪グッズをごっそり買ってしまいました。
 綺麗なカナダの切手は、コレクターさんが整理していたもののため、ファイリングしてあって数もすごいです。もともと前述のとおり切手収集は趣味なので大満足しています。実は、新婚旅行でケベックの現地係員さんに骨董店に案内していただいた時、私好みの切手セットが無く買えずに帰国。その後、空港に到着ぎりぎりでハイウェイをかっ飛ばしていただいたという、はた迷惑な新婚旅行バカップルをやらかしたシマ姉でありました。もちろんケベックのオプショナル・ツアーは「オルレアン島観光」で、もう一組の母娘を巻き込んで「ルネの家ツアー」★ 「ルネ・シマール」が関係すると見境が無くなるシマ姉は、さらに今回、ルネの生まれ年の1961年のカナダの1ドル銀貨(エリザベス2世は王冠をかぶっていない図柄に裏面はカヌーの図柄)も入手♪ 興味のない方にとっては「だから何?」な、こじつけのルネ・グッズなのでありました。

▲1961年のカナダの1ドル銀貨

 そして、ネット・オークションでエキサイトしている間に、mixiのコミュニティー「ミドリ色の屋根のル・シマールに3名の新メンバーを迎えました! めでたいっ♪ また、facebookの方では、当ブログのルネ友さんの、年友さん、やんばるQさん、グータラのマリアさんが「お友達」に♪ 私のYouTubeチャンネルで「ともだち」登録者のみに公開している、ルネ・シマールが出演した「明石家多国籍軍」のビデオもアップいたしました。最近カナダのシャンタルさんのチャンネルが削除されたばかりなので、余計に神経質になっている私は、こちらでも「お友達」のみに公開にしています。ルネ友のみなさん、是非facebookにおいでませ♪


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”モントリオール讃歌”の仏語詞の謎を解き明かせ

2008年08月17日 | モントリオール讃歌
 今日は日曜なのに職場の奉仕作業。上司にお盆中寝込んでいたことを話したら帰されました。そして、この記事を仕上げています(笑)。

 今回は、この記事をお読みになっていらっしゃるみなさんにも、是非、『モントリオール讃歌』の仏語版”Bienvenue à Montréal”の歌詞について一緒に考え、推理していただきたいと思っています。
 仏語歌詞は次のとおりですが、YouTube映像で一緒に聴いてみてください。和訳については、私が辞書首っ引きで訳している素人によるものですので、仏語に堪能な方は正しい訳をお知らせください。また、仏語は分からないという方は、参考になさっていただければ幸いです。なお、歌詞中の( )の中の詞は、資料で欠けていた部分を、私の拙い聴き取りと推測と苦し紛れな作詞で作り上げたものです。こちらも正しい歌詞をご存知の方、また、仏語に堪能でルネの歌で聴き取られた方は、是非是非教えてください。どうぞよろしくお願いいたします。


▲モントリオール・オリンピックの頃のルネ(アメリカにて)
 ルネ・ファン・クラブ『メープル・メイツ』会報より




Bienvenue à Montréal

 ビアンヴニュ ア モンレアル  ボンジュール ア モンレアル
Bienvenue à Montréal, Bonjour à Montréal
 ルヴニール ノ  クール ジュワイユ ラ レーヌ デ ザメリック
 Revenir nos coeur joyeux la reine des Amériques
 ビアンヴニュ ア モンレアル  ボンジュール ア モンレアル
 Bienvenue à Montréal, Bonjour à Montréal
 ヴ  ヴネ  シォワジール デ リュー ラ ヴィユ  デ ゾリンピック
 Vous v'nez d'choisir des lieux la villes des Olympiques

トワ ラ ヴィユ ク ジュ ヴェ ランコントゥレ
Toi la ville que je vais rencontrer 
ア キ ジュ タン ラ メン
À qui je tent la main      
ヴォワ ラ  フラム ノ  ザペル
Vois la flamme nos appelle  
テ  ラン シーニュ ダン ル シエル
Telle un signe dans le ciel  
ティヤン ラ  フラム ノ  ザペル
Tiens la flamme nos appelle 
テ  ラン シーニュ ダン ル シエル
Telle un signe dans le ciel  

※~※繰り返し

ユニ ダン ラ ジョワ エ ラミティエ
Unis dans la joie et l'amitié   
ウールー  アン セッ タンスタン
Heureux en cette instants   
ヴィヤン シャントン トゥー ザ ラ ロンドゥ
Viens chantons tous à La Ronde 
セ  ラ プリュ ベル ヴィユ オー モンドゥ  
C'est la plus belle ville au monde
ヴィヤン シャントン トゥー ザ ラ ロンドゥ
Viens chantons tous à La Ronde  
セ  ラ プリュ ベル ヴィユ オー モンドゥ  
C'est la plus belle ville au monde 

ビアンヴニュ ア モンレアル ボンジュール ア モンレアル
Bienvenue à Montréal, Bonjour à Montréal
ラ  ヴィユ ク ジェーム ク ジェーム
La ville que j'aime, que j'aime
(ラ ヴィユ ヌ  ジュー ナタン)
(La ville nous jeux n'attend)

ビアンヴニュ ア モンレアル ボンジュール ア モンレアル
Bienvenue à Montréal, Bonjour à Montréal
ビアンヴニュ ボンジュール ルヴィヤン ア モンレアル
Bienvenue, Bonjour, Reviens à Montréal
モンレアル
Montréal (7 X)


<和訳>

モントリオールへようこそ モントリオールでこんにちは
 アメリカの女王に 私たちの喜びに満ちた心を戻すのだ
 モントリオールへようこそ モントリオールでこんにちは
 あなたたちはオリンピックの街の場所を選んでやって来る


さあ、私が出会いに行く街
祭典を成功させようとする街に
私たちが招く炎をご覧なさい
あの空の中の目印を
ほら 私たちが招く聖火は
あの空の中の目印

※~※繰り返し

歓喜と友情の中での団結
この瞬間の幸せ
輪の中で全ての人々が歌うのをご覧なさい
ここは世界中で最も美しい街
輪の中で全ての人々が歌うのをご覧なさい
ここは世界中で最も美しい街

モントリオールへようこそ モントリオールでこんにちは
私が愛する 愛すべき街
(街よ 私たちは競技を待たない)
モントリオールへようこそ モントリオールでこんにちは
ようこそ こんにちは 帰ろう モントリオールへ
モントリオールよ(7回繰り返し)



 訳詞はほぼ直訳のままです。そして( )の中は、聴き取りで悩みに悩んで作った詞ですので、こちらも考えてみてください。

 今回みなさんに推測していただきたかったのは、前出のフレーズではありません。”Revenir nos coeur joyeux la reine des Amériques”のところです。『アメリカの女王に 私たちの喜びに満ちた心を戻すのだ』と訳しましたが、私の稚拙な仏語力では自信が持てません。

 さあて、ここで問題です! 「ここに出てくる『アメリカの女王』とは、一体誰、又は何を指し示しているのでしょうか?」 

 私が『アメリカの女王』で最初に思い浮かんだのは『自由の女神』でした。何故なら、そもそもアメリカ合衆国には女王は存在しませんからね。しかし、ここで言う『アメリカ』がアメリカ合衆国(以降USA)を指しているのか、それともアメリカ大陸全体や北アメリカを指しているのかも分かりませんから、その辺から切り崩す必要もあるのかもしれませんが、カナダはUSAとは切っても切れない関係にあるそうなので、まずは間違いないでしょう。
 自由の女神は、1886年アメリカの独立100周年と、アメリカ・フランスの友好を記念してフランスから贈られた像です。 1984年に世界遺産に指定されたこの像は、アメリカの象徴として広く世界に知られています。しかし、カナダで女王と言ったらイギリスのエリザベスⅡ世かヴィクトリア女王です。それで私は「何だかこの歌詞、まずいんじゃないの?」と思ってしまった訳です。その上、モントリオール市のあるケベック州は仏系カナダ人居住区で、その頃はケベックの独立運動全盛期でしたから、イギリス系にとっては良い気分はしないのではないかと考えてしまいました。

※ケベックの独立問題についての映像と記事紹介
♪YouTube映像”Hymne au Québec”
http://jp.youtube.com/watch?v=uNnepxk-N04&feature=related
♪YouTube映像”Vive Le Québec Libre”
http://jp.youtube.com/watch?v=OHzMTSK1V4o&feature=related
1967年7月24日にモントリオールで行われたシャルル・ドゴールの演説映像もあります。

♪「ケベックの独立問題」 杉田荘治氏
http://www.aba.ne.jp/~sugita/keja.html
♪「ケベックの政治・経済~ケベック州の独立運動~」
 浅野徹氏

http://www.buyquebec.jp/backvol2.htm
♪ケベック州のいろんな話 「歴史」
http://www.buyquebec.jp/quebec.html


 しかし、カナダ自体が、1867年から始まったイギリスからの独立プロセス(1982年に完了)の中にあったので、カナダの実質的な独立を歌っているとも言えますし…。でも、エリザベス女王が列席している開会式で、『アメリカの女王』と歌うのはいかがなものか…☆ それはちょっと、いえ絶対まずいと思うのですよ。日本人の私には、カナダをめぐる英仏の戦いに始まるカナダ建国の歴史は調べられても、英系と仏系カナダ人同士の心の中までは分かりません。でも、独立等の含みが無くても、よろしくないのでは…と思うのは、私だけでしょうか? だから、オリンピックでは歌われなかったのかもしれないと、勝手に納得してしまったのでした。
 そして、こちらは全く関係ないのですが、アメリカ大陸を発見したイタリア人コロンブスはスペイン女王イザベル一世の承諾で航海に出ています。ちなみに、『アメリカの女王』で検索したところ、YouTube映像に同名のものがありました。観てみたら、自由の女神をテーマにした同名の歌が歌われていました。『アメリカの女王→自由の女神』の連想は、結構一般的な発想なのでしょうね。

※YouTube映像「アメリカの女王」
http://jp.youtube.com/watch?v=rwUdH036LEM
※YouTube映像”Montreal 1976”
http://www.youtube.com/watch?v=F0Jofehe6Pc&feature=related

※カナダについてはwikipediaでご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80
※アメリカ合衆国についてはwikipediaでご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80


 ルネがモントリオール市のオリンピックサイト内の建設現場を見学に行った時の記事が、カナダのコミュニティ・サイト”Passion Rene et Nathalie Simard”のコレクションにあります。しゃむねこさんがニュース・ブログ・サイト”Passion ルネ・シマール Au Japon”で、翻訳して紹介していますのでご覧ください。

※”Passion ルネ・シマール Au Japon”
http://renesimard.blogspot.com/2008/03/blog-post.html
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オリンピックに寄せて

2008年08月16日 | モントリオール讃歌
盆休み 入った途端 熱を出し

 ルネがモントリオール・オリンピックの歓迎の歌『モントリオール讃歌』の仏語版”Bienvenue à Montréal”を歌っているYouTube映像を見つけ、感激と興奮の勢いで、微熱を押して記事をアップした翌日、とうとう熱を出しました(苦笑)。仕事で休日も飛び回っていた疲れと暑さ負けでしょう。よりによって、お墓参りも実家へのお線香あげも済んで、やっと休めると思っていた盆休み…★ お陰様でしっかり静養しました(泣)。ある意味たっぷり休みましたよ(溜息)。
 最初の晩は熱でうなされ、2晩目は腹痛と腰痛、3日目は食事を全く受け付けず、辛うじて摂っている水分も、体内を素通りして腸から体外に排出という、今までの人生で経験したことのない状態。そして気付きました。前回書いた、北京オリンピックに興味が持てずにいたというのは、ただ単に、忙しくて観ている余裕がなかっただけということだったんですね★ 寝こんでいながら、痛みや辛さを紛らわせるために、観ました~~、オリンピック!(爆★)


 そして、『モントリオール讃歌』に関する記事は、これで10記事目。同曲について、ここまでこだわった訳は、過去ログでも散々書いてきたとおり、ルネの歌う同曲がボイコットされたのか、それとも、実際に歌われていたのかを、どうしても確かめたかったからです。

 北京オリンピックに合わせて、同曲の仏語版”Bienvenue à Montréal”の歌詞を翻訳して紹介する計画を進めていたのとは別に、いつものYouTubeのネット・サーフィンで見つけたのが、前回も紹介した映像でした。ルネに関しては、ひたすら待つことには慣れていますが、諦めずに待っていて良かった~~っ!! そして、ルネが自信に満ちあふれ、声を高らかに同曲を歌う姿を見ることができたことで、ルネがボイコット等で傷付いたりはしていなかったことが分かり、ずっと胸に支えていていたものがとれて、やっと安心できたのでした。

René Simard - Bienvenue à Montréal (Olympiques 1976)
http://jp.youtube.com/watch?v=43kJRphn1Gw


▲ルネが契約している20世紀フォックス社の前で

▲モントリオール・オリンピックの頃のルネ(アメリカにて)
   ルネ・ファン・クラブ『メープル・メイツ』会報より



♪コマネチとルネ♪

 私が一番好きなのは体操競技です♪ その原点はモントリオール・オリンピックのナディア・コマネチ! そのコマネチの演技も、ルネの”Bienvenue à Montréal”の映像と一緒に入っているのですから、見つけた時の私の喜びがどんなだったかは、言うまでもありません。そして、ルネはコマネチのために”Victoire(勝利)”という歌を贈っていたりするのです。

※Victoire... René Simard
http://www.youtube.com/watch?v=ECdsvA5NWas


 モントリオール・オリンピックで世界の注目を一身に集めたのも、みなさんもご存知のとおり、前出の女子体操の花、ルーマニアの白い妖精ナディア・コマネチでした。オリンピック・ニュースに、ルネの声も姿も見つけられず落胆していた私は、コマネチの美しい演技に癒され、心奪われていったのでした。そして、その後もオリンピックの記事にルネの名が記されることはなく、コマネチが10.0を出した演技の記事だけが、コレクションとして増えていきました。
 コマネチについては、調べてみると写真入りで詳しく書かれたサイトやYouTube映像がありますので、そちらをご覧いただければと思います。 
  
※「体操王国ルーマニア ~ルーマニア体操選手の物語~」より
 Nadia Comaneci(コマネチ)
 1976年モントリオール五輪 独裁者に翻弄された人生
http://www1.linkclub.or.jp/~ttakeshi/romhtml/rom03.html 

※”zE/nIce|242”より 「ナディア・エレナ・コマネチ」
http://www.medias.ne.jp/~gutsu242/page_nadia001.htm

※「ウィキペディアwikipedia」より『ナディア・コマネチ』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%81

※YouTube映像”Nadia Comaneci”
http://www.youtube.com/watch?v=FUzMsMUm4Tg&feature=related
ナディア・コマネチのモントリオール・オリンピックでの活躍と共に、少女時代や大人になってからの映像と画像がご覧いただけます。こちらから、別の映像が紹介されていますので、是非どうぞ♪


 さて、北京オリンピックでは、お家芸の柔道で記念すべき1つ目の金メダルを獲得した日本です。
 そして、私の今年のブログ目標は、『継続は力なり』で4周年目を迎えるために頑張ることなのですが、もう一つ、やんばるQさんから提案されていたことがありました。それは、私が描いたイラストをアップすることでした。もちろん、過去に描いたものもこれから描くものも含め、ルネの似顔絵に留まらず、話題や季節に合せて載せていく予定でいました。いつ、何の話題に合わせて、どのイラストをアップするかを考えていましたが、北京オリンピックの柔道のメダル獲得を祝って、柔道のイラストを記念すべき初あっぷ作品にしたいと思います(ここでアップしないと後がないという話しも… 笑)。
 もちろん、これは過去に描いた作品です。独身時代、柔道と剣道の掛け図の仕事をした時に一緒に書いたイラストでした。掛け図は柔道と剣道で合わせて50数枚、畳一畳ほど(画用紙全紙)の大きさに技のかけ方を絵と文章で説明するものでした。若かったからできたけど、今はもう体力が続かないなぁ…。



 そして更に、『モントリオール讃歌』の1つの謎が解けたのも束の間、今度は仏語詞の内容に謎を見つけてしまった私は、次回も同曲について書き続けてしまうのでした(笑)! 
 
 余談ですが、この記事を書いている真っ最中、22時12分前後に33333アクセスを達成していました。33332からほんの十数秒後に33334に変わっていたので、33333が見られなかった~★残念っ!! どなたか踏んだ方がいらっしゃいましたら、是非ご連絡ください。
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