ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

”モントリオール讃歌”はルネによって歌われていた!

2008年08月13日 | モントリオール讃歌
 ルネが仏語版『モントリオール讃歌
”Bienvenue à Montréal”を歌っている
映像がYouTubeにアップされましたっ!!!


▲モントリオール五輪グッズを前に
      ”Passion Rene et Nathalie Simard”より    

 感激のあまり、疲労による微熱を押し、作日(書いている間に日付が替わってしまいました★)、9割方原案を書き上げていた『モントリオール讃歌』の記事の内容と、アップ予定日を大幅に変更して紹介しています(笑)!


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 北京オリンピックが開幕し、各種競技の様子や結果、日本人選手の活躍が続々とニュースで報道されているにもかかわらず、何故かいまいち興味が持てずにいました。モントリオール・オリンピックの時のように熱中できないのは、北京オリンピックに魅力を感じられないからか、それとも年齢のせいかと考えていましたが、同オリンピックと、8月8日の開幕に合わせてこの映像をアップしてくださったカナダのneurophilemichelさんに感謝!感謝!!です。


 ルネの『モントリオール讃歌』がボイコットされ、一般公募で選ばれた別の曲が採用されたという記述が存在しながら、実際には『モントリオール讃歌』が閉会式で流れ、日本でもニュースのBGMとして使われていたのは何故か…など、過去ログで何度も取り上げてきました。確かに、カナダのルネ・ファン、シャンタルさんたちも、ルネは同曲を歌ったと証言していましたし、videosimardのオリンピック映像の最後に、ルネがモントリオール市長やオリンピック準備委員たちの前で、同曲を歌った時のものだとされる画像も紹介されています。そして、今回新しくアップされたYouTube映像は、紛れもなくその時の映像だったのです!



Québec 1976. En ces temps olympiques de 2008, voici un souvenir des Jeux olympiques de 1976 à Montréal. On voit le jeune René Simard interpréter la chanson de bienvenue, accompagné par les mouvements harmonieux de Nadia Comaneci.
<和訳>1976年ケベック。2008年のオリンピックのこの時、ここに、1976年にモントリオールで行われたオリンピック競技の記録映像があります。歓迎の歌を披露する若いルネ・シマールと共に、ナディア・コマネチの調和のとれた演技をご覧ください。

※Bienvenue à Montréal... René Simard
http://jp.youtube.com/watch?v=43kJRphn1Gw
 ルネが歌う『モントリオール讃歌』の仏語版”Bienvenue à Montréal(ようこそ、モントリオールへ)”をBGMに、モントリオール・オリンピックの開会式映像が流れます。最後のルネ画像は、ルネがモントリオール市長やオリンピック準備委員たちの前で、同曲を歌っているところです。背景にはモントリオール五輪のマークが見えます。(現在はご覧いただけません)

※Montreal 1976
http://www.youtube.com/watch?v=F0Jofehe6Pc&feature=related
 モントリオール・オリンピックの開会式と共に、『モントリオール讃歌』が流れる中、五輪の旗が降ろされ、聖火が消える閉会式の様子がご覧いただけます。(現在はご覧いただけません)

※Jeux Olympiques de Montréal 1976 - Hommage aux athlètes
http://www.youtube.com/watch?v=42PRLrEqcrM&feature=related
 オリンピック競技の様子をハイライトでご覧ください。

※”Passion ルネ・シマール Au Japon”の記事参照
http://renesimard.blogspot.com/2008/03/blog-post.html


 ルネが歌う『モントリオール讃歌』は『歓迎の歌』でありながら、閉会式で、それもメロディのみが使われることになった経緯は分かりません。しゃむねこさんのニュース・ブログ・サイト”Passion ルネ・シマール Au Japon”で紹介した、”Passion Rene et Nathalie Simard”のコレクションであるモントリオール・オリンピックに関する記事にも、ルネが書いた歌詞が、当時のモントリオール市長ドラポー氏(Drapeau)によって選ばれ、1976年8月1日の閉会式に全世界に向けて歌う予定と書かれていました。ルネがオリンピックの期間中に、世界に配信されるTVカメラの前で同曲を歌わなかったことも事実ですが、ルネが力強く歌う姿が観られただけでも、私は十分満足しています。
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モントリオール讃歌の真実は何処に

2007年10月08日 | モントリオール讃歌
♪『モントリオール讃歌』の楽譜♪

 ルネの『モントリオール讃歌』については、過去に6回記事を書きました。過去ログ「『モントリオール讃歌』に日本語詞が存在した」を書き上げた時は、まだ画像をアップしていなかったので、日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」から最後に送られてきた会誌の裏表紙に掲載されていた、『モントリオール讃歌』の楽譜をここで紹介いたします



 なお、『モントリオール讃歌』の英語版”Welcome to Montreal”の歌詞と、山上路夫氏による日本語詞は過去ログでご覧ください。

※過去ログ カテゴリ『モントリオール讃歌』
http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate12/archive


♪資料から推測される『モントリオール讃歌』の真実♪

 ルネの『モントリオール讃歌』がボイコットされ、オリンピックの開会式で歌われなかったこと、大規模なストライキによりメインスタジアムの建設が大幅に遅れ、完成を待たずに開会式を迎えたことや、モントリオール市が抱えた巨額の負債等については過去ログで取り上げました。(それらについて詳しく知りたい方は過去ログをお読みください。)

 しかし、カナダのファンの方でさえ、同曲のボイコットについて真実を知る人はいません。また、同曲がボイコットされたにもかかわらず、レコードがカナダでも日本でも発売されていたり、ファン・クラブの総集編に掲載された新聞記事のインタビューで、ルネが「オリンピック歌手に選ばれて光栄」と答えていたり、調べれば調べるほど同曲についての謎は深まるばかりです。

 そして今回得た情報では、CBCのアーカイブサイトに、モントリオール・オリンピック準備委員会が、ルネの”Welcome to Montrel”をテーマ曲にするために115,000ドルを支払いましたが、この曲の評判が悪く、多くのラジオ局で放送を拒否されたため、この曲の宣伝にさらに多額の費用をかけたらしいことが書かれていました。
 また、1977年12月に提出されたモントリオール・オリンピック公式報告書には、ルネがオリンピック開催の一年前に『モントリオール讃歌』を英語と仏語でレコーディングしていること、同曲がTVやラジオのニュースでオリンピックの紹介をする時に使われていたことが書かれていました。しかし、ボイコットされたルネの歌う同曲の代わりに作られた曲や、公募によって選ばれた歌手についての記述はありませんでした。
 そして、過去ログで紹介した「メープル・ニュース」の『モントリオール讃歌』についての記事は、カナダ政府観光局発行のTRAVEL NEWSからの転載だったのです。

 私がこの情報を得て嬉しかったのは、日本の音楽関係者の間で囁かれた「ルネのドーピング疑惑」は間違いであったことが証明されたからです。そして、ボイコットによってルネが傷付いたのではないかということを一番心配していたのですが、それも無さそうです私が『モントリオール讃歌』にこだわり続けてきたのは、これらのことがずっと心に引っかかっていたからです。

 これは私の推測ですが、ボイコットやストライキの背景には、カナダの歴史や、当時盛んだったケベックの独立問題があって、イギリス系国民の間で盛り上がったことなのではないかと思います。ですから、混乱を避けるためにルネが開会式で歌うことは中止したけれど、カナダ政府やオリンピック組織委員会はルネの曲を公式に認めていたのだと思います。 

 変声とレコードの関係についても考えてみました。ルネの来日が無くなった後に発売されたレコードは、発売順に『去年の夏』、『みんなあなたに』、『モントリオール讃歌』の3曲です。そして、ルネの変声は『去年の夏』で確実に始まっていました。しかし、後から発売された2曲は変声前の声。でも、『モントリオール讃歌』は、オリンピックの開催中である1976年7月21日の発売日より1年以上も前にレコーディングが済んでおり、さらに、この3つの曲は、全てカナダでのレコーディングによるものですから、曲の季節感等の関係もあって、変声前と変声後の曲が入れ替わってしまったのでしょう。また、同時期にカナダで収録された”FERNANDO”というアルバムは、変声前と変声中から変声後の曲で構成されていて、少年から青年へ変わっていくルネのチャーミングな魅力が引き出されている私も大好きなアルバムです。そして、このアルバムの収録曲を、変声後アメリカのTV番組で堂々と歌い上げるルネの映像もあるのですから。

※Dailymotion映像”RENE SIMARD TREIZE ANS AU JAPON”
http://www.dailymotion.com/relevance/search/Rene+Simard/video/x1wng9_rene-simard-treize-ans-au-japon_music

 ルネの来日のあった当初から、変声に向けて準備を進めているという記事をよく見かけました。ルネは自分の成長や変声後のことを以前から考え、変声に備えて新しいタイプの曲に挑戦したり、ヴォイス・トレーニングをして、変声を素直に受け入れていたのですね。

     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 『モントリオール讃歌』とモントリオール・オリンピックに関する画像と映像の資料です。また、過去ログを含め、モントリオール・オリンピックについての情報協力をしてくださったしゃむねこさん、ありがとうございました。

       
              
      カナダで発売された”Welcome to Montreal”と
            ”Bienvenue à Montréal”のジャケット


               

    日本で発売された『モントリオール讃歌』のジャケット

         

カナダ政府が作成したオリンピック・ファンファーレとルネの”Welcome to Montreal”と”Bienvenue à Montréal”が収録されたシングル・レコードのジャケット

”musicographiesimard”で、”Welcome to Montreal”と『モントリオール讃歌』のB面『この旗の下で』をお聴きいただけます。上のジャケットを目印にお探しください。
http://www.bebo.com/Profile.jsp?MemberId=2591195085


”videosimard”のYouTube映像より
♪Bienvenue à Montréal... René Simard
http://www.youtube.com/watch?v=NVhhf5ogxeQ
 ルネが歌う『モントリオール讃歌』の仏語版”Bienvenue à Montréal(ようこそ、モントリオールへ)”をBGMに、モントリオール・オリンピックの開会式映像が流れます。最後のルネ画像は、ルネがモントリオール市長やオリンピック準備委員たちの前で、同曲を歌っているところだそうです。背景にはモントリオール五輪のマークが見えます。

♪Oh! Canada!... Nathalie Simard
http://www.youtube.com/watch?v=PC7-YuQIyE4
 今回のモントリオール・オリンピックとは関係のない映像ですが、妹ナタリーが歌う国歌『オー、カナダ』です。



♪”Montreal 1976”
The best moments of the opening and closing ceremony of the Olympiad in Montrel 1976
http://www.youtube.com/watch?v=F0Jofehe6Pc&mode=related&search=
 モントリオール・オリンピックの開会式と閉会式のダイジェスト映像です。閉会式の聖火が消える場面では、ハミングによる『モントリオール讃歌』が流れています。何故か私は、この場面に見覚えがありません。時差の関係上リアルタイムで見られなかったことプラス、ルネの姿がTV画面に全く映し出されないことに落胆して、ニュースの閉会式映像を見なかったのかも知れません。


 しゃむねこさんのニュースブログサイト”Passion ルネ・シマール Au Japon”で、カナダ政府が作成したオリンピック・ファンファーレとルネの『モントリオール讃歌』(英語版と仏語版)のシングル・レコードと、オリンピックのマスコットでビーバーの”Amik”のぬいぐるみを手にしたルネが、当時のモントリオール市長Jean Drapeauと一緒にオリンピック・スタジアムのモデルを前にしている写真と、モントリオール五輪のマークの入ったオリンピック・グッズをルネが紹介している写真がアップされています。
http://renesimard.blogspot.com/2007/09/blog-post_29.html

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「モントリオール讃歌」に日本語詞が存在した

2007年07月22日 | モントリオール讃歌
 今から31年前の1976年7月21日、ルネが歌うモントリオール・オリンピックのテーマ曲モントリオール讃歌(英語版)」が日本で発売されました。

 モントリオール・オリンピックについては、過去ログで何度か取り上げてきました。1976年7月17日(日本時間18日)開会式、8月1日までの期間で開催されたこの大会は、波乱含みの問題が多い大会だったことは記事に書きましたが、当時ルネだけを探してテレビにかじりついていた私には知る由もありませんでした。

 7月18日早朝、ルネが開会式で「モントリオール讃歌」を歌うところが見たくて、一時もテレビから目を離さず食い入るように見入っていた私。しかしルネの姿は、大会期間中1度もTV画面に映し出されることはありませんでした。
 そして迎えた7月21日の発売日。予約を入れていた店に自転車を飛ばして買いに行き、ドキドキしながらレコードに針を落としました。ルネの声はどんなだろう? 「去年の夏」の変声した声を聴いた時の衝撃が甦ってきて、針を落とす手がちょっと震えました。軽快で爽やかなイントロ。そして聞こえてきたルネの声は変声前の声。高音も冴えわたり、私はしばしルネの声に酔いしれたものでした。しかし、それ以降、ファン・クラブは閉鎖、ルネのレコードも発売されることはありませんでした。

 それから更に月日が過ぎ、幸運にもルネのデビュー25周年記念のCD集を手に入れることが出来た時、ヒット曲集の中に「モントリオール讃歌」が選曲されていないことに疑問を持ちました。そして、そのことは、カナダのファンの方たちも同様でした。何故この曲がシングル・カットのみで、アルバムに収録されなかったのか? また、あえてヒット曲集に収録しないのか? しゃむねこさん情報では、MuseeSimardのシャンタルさんが、機会があったらそのことを直接ルネに聴いてみることになっているのですが、モントリオール・オリンピックにおけるカナダの国家的、政治的な問題が絡んでいるような感じがして・・・・★ ルネには罪はないのに、きっと大変な思いをしたのだろうと思うと心が痛みます。

※過去ログより
「変声期とオリンピックとドーピング疑惑」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/16.html
「モントリオール讃歌①」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/114.html
「モントリオール讃歌②」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/116.html
「モントリオール讃歌③」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/117.html
「モントリオール讃歌④」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/118.html
「モントリオール讃歌⑤」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/119.html

 ルネの記事の構想を練りながら資料を見ていて見つけました。何故、前回「モントリオール讃歌」を取り上げた時に気付かなかったのか、また、思い出さなかったのか不思議なのですが、「モントリオール讃歌」には山上路夫氏による日本語詞が存在します。ファンクラブの閉鎖時に送られてきた冊子の裏表紙に、楽譜と共に日本語詞が印刷されていました。楽譜に書かれていたので全部ひらがなとカタカナで書かれています。ここで紹介する歌詞は、私が勝手に漢字に変換したので、山上氏本人が書いた歌詞とは異なるところもあるでしょうが、bebo-musicographiesimardで”Welcome to Montreal”をお聴きいただきながら歌ってみていただけたら幸いです。
http://www.bebo.com/MusicAlbum.jsp?MusicAlbumId=2636796285
※このURLで直接アクセスできない時は、リンク集のbebo-musicographiesimardから”Welcome to Montreal”を探してください。
※英語詞でお歌いになりたい方は、過去ログの「モントリオール讃歌①」で歌詞をご覧ください。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


       モントリオール讃歌
    (Welcome to Montreal)


   作詞 RENNE SIMARD    作曲 Andre Mathieu
       Claude Cacombe       Vic Vogel
       山上 路夫       編曲 Vacvus

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
愛の花が開く街よ

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
ここで誰も皆 友だち

今 輝くあの聖火の下(もと)で
地球はひとつの 愛の世界だ
希望と夢とを 誰もが歌う

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
風に緑そよぐ街よ

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
腕と腕をつなぎ合おう

今 時よ止まれ 美しいまま
力の限りに 若さが燃える
はためく五輪の あの旗の下(もと)

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
つなぐ心の温かさ
オリンピック モントリオール
オリンピック モントリオール
愛の花咲く モントリオール


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モントリオール讃歌⑤

2007年05月05日 | モントリオール讃歌
 ルネが歌ったモントリオール・オリンピックのテーマ・ソング「モントリオール讃歌について取り上げて、今回で5回目になります。この曲について、これだけ長く書くことになろうとは予想していなかっただけに、管理人自身が一番驚いています。
 そして、これらの記事を書いている時に、いつも頭から離れなかったことは、ルネが「モントリオール讃歌」のボイコット問題によって、心に深い傷を負っていないかということと、彼のキャリアに暗い影を落とすことになってはいないかということでした。しかし、カナダ国民全員によってボイコットされていたわけでなく、むしろケベックでは絶対的な人気を得ていたことが分かり、一安心して記事を終了できることを嬉しく思っています。

※musicographiesimardより”Welcome to Montreal”
http://www.bebo.com/MusicAlbum.jsp?MusicAlbumId=2636796285


        ♪オリンピックの舞台裏♪

 私は全く知らなかったことですが、モントリオール・オリンピックでは、アフリカ諸国28カ国が参加をボイコットしています。
 それは、ニュージーランドの有名なナショナル・チー ムとも言えるオール・ブラックスというラグビーのチームが、アパルトヘイトで非難を浴びていた南アフリカのラグビー・チームと試合を続けていたためで、そんなことを続けているニュージーランドとその参加を許可したオリンピック委員会にアピールするためのことでした。
 近年、オリンピック委員会の様々な問題が公になり、報道されてきましたが、モントリオール・オリンピックも、市の財政を圧迫する膨大な負債や大規模なストライキ等、問題の多い大会だったようです。


        ♪ルネのドーピング疑惑♪

 過去ログ「変声期とオリンピックとドーピング疑惑」でも取り上げましたが、日本の音楽関係者の間で、ルネがホルモン剤を投与して変声を遅らせたという噂が囁かれていたようです。
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/16.html

 今でこそ違反行為で大問題ですが、当時のスポーツ界では「共産国の女子体操選手が男性ホルモンを注射して成長を遅らせている」と、公然の秘密のように報道されていました。また、カナダの陸上選手ベン・ジョンソンが、筋肉増強剤を使用していたことが判明したために金メダルを剥奪され、世界に衝撃を与えました。現在、選手は、競技前に風邪薬さえ服用できないほど厳しく検査されています。しかし、ドーピングが実際に行われていたことは紛れもない事実です。
 さらに日本の芸能界でも、ルネと共演したことのある人気アイドル・グループのボーカルだったA氏が、変声に悩んでホルモン剤投与の一歩手前まで行って思いとどまった経験談を、TV番組で語っていたという情報もいただきました。

 しかし、このブログを始めてから入った情報では、ルネのごく身近なスタッフの話によると、ルネの変声はとても緩やかに訪れたのだそうです。変声というと、ある日突然いきなりやってくるイメージがあります。そのため、「ドーピング」の噂が日本の音楽関係者の間で流れたのでしょう。しかし、変声を遅らせることは出来ても、一度変声が始まってしまった声を元に戻すことは可能なのでしょうか?
 また、変声が始まったことがはっきり分かる「去年の夏」に続き、変声前の声の「モントリオール讃歌」、「みんなあなたに」の順で次々と新曲が発表されました。季節感の配慮やオリンピック開催との兼ね合い、そして、日本でのレコード化のためにCBSソニーがノーベル・レコードに交渉していましたし、発売が中止になってしまったTVアニメ「家なき子」の主題歌のレコーディングも行われていたことを考えると、カナダでのレコーディングと、日本で発売された曲の順番が違っていても不思議はありません。この件に関して、詳しい事情や情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご一報ください。よろしくお願いいたします。 


   ♪モントリオール・オリンピックが残したもの♪

 モントリオール・オリンピックは、様々な問題をかかえた大会であったことが浮かび上がってきました。当時子どもで、純粋にルネやオリンピック競技、選手の活躍を追っていた私は、これらの事実を知って大変複雑な気持ちでおります。

 さらに、この大会の栄光の影で、不幸に見まわれた選手もいます。それは、過去ログでも紹介いたしました、「白い妖精」ルーマニアの女子体操選手ナディア・コマネチです。彼女はこの大会で脚光を浴び、一躍スター選手となって世界の注目の的となりましたが、それが彼女のその後の人生を大きく変えてしまいました。そのことは彼女の亡命とルーマニア革命により明らかになり、彼女の手記が日本でも発刊されました。

 それに関係する情報を、当プログのゲスト様しゃむねこさんよりいただきましたので紹介いたします。

 現在、”musee simard”と”musicographiesimard”のシャンタルさんの”videosimard”でアップされている、ルネとコマネチの映像の中でルネが歌っている歌は、ルネがコマネチのために特別に作って、この特別番組の中でのみ歌われたものだそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=ECdsvA5NWas

 1989年にルーマニアからアメリカに亡命したコマネチは、翌年の1990年、モントリオールオリンピック以降はじめてモントリオールを訪問しました。それを記念してのTV番組だったそうです。ルーマニアは、1989年にコマネチが亡命してすぐに起こったルーマニア革命により、チャウシェスクの共産独裁政権から民主化されました。コマネチとルーマニアの人々が共に自由を得たということを歌ったこの曲のタイトルは、「Victoireー勝利ー」です。
 コマネチは、現在でも体操関係やオリンピック関係で活躍しているそうですが、子どもたちのチャリティー事業などには特に精力的に取り組んでいるそうです。ルーマニアからの子どもたちの養子縁組、その後のケアなどのために、ケベック州の養子縁組エージェンシーと協力して活動しています。コマネチ自身も45歳で初めて男の子を出産したとのこと。ルネと同じように、コマネチも「私も頑張らなくちゃ!」というエネルギーを伝えてくれているようです。
http://www.romanian-gymnastics.com/profiles/1976olympics/nadia_comaneci.htm
 このサイトには、なつかしいオリンピック時代のコマネチやもっと幼い時のビデオなどが、コマネチのテーマとともに観ることができます。そして、現在のコマネチも、下記のサイトでご覧いただけます。http://www.bartandnadia.com/


     ♪「モントリオール讃歌」の真実♪

 ルネの「モントリオール讃歌」はボイコットされ、別の歌手が別のテーマ曲を歌ったとカナダ政府のサイトに書かれていますが、ルネはもとより、その歌手が実際に歌っている映像を見たことがありません。オリンピックのテーマ・ソングなら、大会期間中BGM等で流されるのが一般的だと思うのですが、私がルネと「モントリオール讃歌」に執着していたせいか、テーマ・ソングらしい曲が流れていた記憶もありません。
 これは私の個人的な推測でしか有りませんが、はっきり言って、ボイコットやストライキはオリンピック開催国として好ましくない国内事情だと思います。ましてやルネの「モントリオール讃歌」は既に日本で発売されており、当時活動していたアメリカでも話題になっていないはずがありませんから、全世界に放映される開会式という公の場で、問題のあったテーマ曲を発表することを避けたのではないかと思います。
 それから、videosimardのオリンピック映像の最後に、モントリオール五輪のマークのあるステージでルネが歌っている画像があります。これは、モントリオール市長やオリンピック委員会の前でお披露目した時の画像だろうということです。そして、オリンピックの特集番組で紹介されていたものだそうなので、ルネが「モントリオール讃歌」を歌ったことを証明する貴重な画像だと思います。

 ルネの「モントリオール讃歌」がボイコットされながらも、何故歌い続けられたのか、また、ヒット曲集に選曲されないのか、まだまだ謎は残りますが、この曲についての情報が入る予定ですので、入手し次第報告したいと思います。

 私は、一刻も早く「”モントリオール讃歌”の謎」が解き明かされることを願って止みません。
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モントリオール讃歌④

2007年04月30日 | モントリオール讃歌
    ♪モントリオール・オリンピックの光と影♪

 モントリオール・オリンピックに関するァン・クラブの記事で、カナダでストライキが起きメインスタジアム等の工事が大幅に遅れ、開会式までに完成するかが危ぶまれていることが書かれていました。(※1)しかし、ルネのことしか頭になかった私は、あまり重要なこととは思っていませんでした。

 また、モントリオール大会は、女子体操でルーマニアのナディア・コマネチが10点満点を出し、「白い妖精」とうたわれ話題をさらいました。かく言う私も、美しく宙を舞うコマネチに魅了されたのでした。新聞各紙が大きく写真を掲載し、10点満点の演技が再び出ることに注目が集まり、連日報道されていたことを鮮明に覚えています。
  
 しかし、その当時モントリオールでは、市長が計画したオリンピック・スタジアム等の建設が原因で膨大な費用がかかり、市の財政をも圧迫したそうです。そして、スタジアムの建築デザインがとても難しかったこともあり、ストライキが起きたり市の税金が上がったりで、市はオリンピック開催のために大変な状況におかれたといいます。お金をかけて建設したスタジアムは、完成されないままオリンピックの開会式を迎え、オリンピックの後も天井が落ちてきたりして、モントリオール市民にとって憎んでも憎みきれないものとなってしまいました。その後大きな洪水に見舞われたこともあり、モントリオール市がその全ての借入金を払い終えたのは、なんと2006年、つまり昨年ということです。オリンピックという華やかな祭典の影で、モントリオール市民は、高い税金と、修理されない道路や怠られがちなゴミの収集等で散々な目に遭っていたというのは有名な話だそうです。


      ♪”モントリオール讃歌”の謎♪

Maple Mates会誌「メープル・ひろば」より

 今日久しぶりにルネの新しいレコードを手にしました。”モントリオール讃歌”わたしとっても気に入っちゃった。若いカナダにふさわしく、とってもリズミカルでエネルギーにあふれていると思います。今さらのようにオリンピックっていいなーって感じています。もちろん18日の開会式は朝の4時からがんばって見ていたのです。日本やカナダの入場行進、エリザベス女王の開会宣言、そして今でも私の目に浮かぶ、男女2人のランナーによってつけられて聖火、どれものがさず見ていたのです。が・・・、最も楽しみにしていたルネの歌、歌われたことは確かなのに、私にはわからなかったのです。みじめ・・・。他の人にはちゃんとわかったのに私にはわからなかったのです。これでは私、ルネのファン失格ですね。はるか彼方にいるルネにあやまらなくては・・・。私の声がとどけばいいのですけど”ルネごめんなさい”

 これは、当時ファン・クラブMaple Matesの会誌に掲載されたファン・レターの中の一部分です。私もルネ・ファンの友人や知人も同じ経験をしています。大会中には曲が流れるのではないか、総集編等で開会式の様子がもう一度映され、見そびれたルネの映像が観られるのではないか、閉会式にはルネが映るのではないかと、できる限りオリンピックを見続けましたが、”モントリオール讃歌”が流れることもなく、ましてやルネの姿は一度もテレビに映ることはありませんでした。

 ルネのモントリオール・オリンピックのテーマソング”モントリオール讃歌”がボイコットされ、それによって他の歌手が他の曲を歌ったと、カナダ政府のサイトに書かれています。しかし、ルネが”モントリオール讃歌”を歌っていたことは事実で、現在YouTubeで公開されているvideosimardのオリンピック映像の最後にも、ルネがモントリオール大会の五輪のマークのあるステージで歌う画像があります。
http://www.youtube.com/watch?v=NVhhf5ogxeQ

 不思議なことに、videosimardのシャンタルさんでさえボイコットの事実は知らず、大使館の資料にもその話は無く、ボイコットの事実はあり得ないという情報もいただきました。前回紹介した新聞記事でも、現地で取材に当たった特派員が直接ルネにインタビューし、”オリンピック歌手に選ばれて光栄”と答えたことを報じています。(※2)また、これはあくまで私個人の憶測でしかないのですが、当時盛んだったケベック州の独立運動や、イギリス系とフランス系の確執というカナダの歴史的背景も影響しているのではないかと思います。

 ボイコットがどのような理由で、どの時期に起こった事なのか、実際にあったことなのか謎のままです。

 また、”モントリオール讃歌”は評判が良くなくて、あまり使われる事は無かった。そしてそれは、つまらなくてあまりにも商業主義な内容だったからだと書かれた記事も有るようですが、ルネの作詞による英語詞を読んだ時、私は、夢と希望にあふれた内容で、世界平和や人々の協力を願った素晴らしい歌だと思いました。(※3)それなのに、「商業主義」と言われてしまった背景には、ギー氏のプロデュースや当時のモントリオール市長の運営への評価が大きく関わっているのではないかと考えてしまいました。
 そして何よりも、あの当時のルネの人気は絶大なもので、特に仏系カナダのケベックでは、ルネに恋していない女の子なんていないというほどだったそうでから、例えボイコットが事実だったとしても、それはルネに問題があったからではないと確信しています。


※1 過去ログ「モントリオール讃歌②」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/116.html

※2 過去ログ「モントリオール讃歌③」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/117.html

※3 過去ログ「モントリオール讃歌①」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/114.html

※ 余談ですが、モントリオール・オリンピック当時、ルネ・ファンの一部の間では、ナディア・コマネチがルネに似ていると話題になって、彼女は人気がありました。


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