『別フレ』、正式には『別冊フレンド(1974、1975年当時は『別冊少女フレンド』)』。この少女漫画雑誌こそ、私のルネ・コレクションの充実に貢献してくれた雑誌でした。
『別フレ』は、当時の月刊少女漫画雑誌の中でも、同じ発売日の『別マ(別冊マーガレット)』、『別コミ(別冊少女コミック)』と並んで人気の高い雑誌でした。月初めに発売される『りぼん』と『なかよし』は付録付きだったためもあり、前出の3誌よりは読者の年齢層が弱冠低かったようですが、これらの少女漫画雑誌では戦後世代の若い作家が続々とデビューし、新しいジャンルの作品で競い合い、少女漫画の全盛期をリードしたのでした。
▲ルネが表紙になった
『週刊少女フレンド』1974年28号
『別フレ』は、『少女クラブ』から変身した『少女フレンド』の、連載の総集編を中心にした月刊の別冊として、1965年3月に講談社から創刊されました。
少女漫画雑誌としては一番早い1962年12月に創刊された『少女フレンド』に続き、1963年3月には、『少女ブック』を基盤に『マーガレット』が集英社から創刊。月刊誌の『別冊マーガレット』は『別フレ』より一足早い1964年の12月に創刊されました。その頃は、『あしたのジョー』のちばてつやが『ユキの太陽』という作品を描いていたり、若い世代の人は知らないと思いますが、わたなべまさこや水野英子、牧美也子といった、貸本時代の人気作家が主流で、『王家の紋章』の細川知栄子も新人でした。『巨人の星』の川崎のぼるが『りぼん』で少女漫画を描いていたなんて、知らない人の方が多いですよね。そして、それよりずっと遅れて『別冊少女コミック』の前身である『少女コミック』が1968年5月に小学館から、『りぼん』の前身『りぼんコミックス』が集英社、『なかよし』が講談社から創刊し、若い作家たちがラヴ・コメディーのパターンを定着させていきました。
▲一番多く持っているポスター
部屋に飾っていた、学生時代の私の恋人です
ルネが日本で活動していた1974、1975年当時は、少女漫画の全盛期を迎えていました。『別フレ』では、『アリエスの乙女たち』の里中真智子、『はいからさんが通る』の大和和紀、神奈幸子、阿部律子、森谷幸子、文月今日子、『少女フレンド』では『生徒諸君!』の庄司陽子、青池保子などが活躍していました。対する『別マ』では、西谷祥子、『ガラスの仮面』の美内すずえ、忠津陽子、山田ミネコ、『スケバン刑事』の和田慎二、『おいしい関係』の槇村さとるやくらもちふさこ等が活躍。『マーガレット』では『エースをねらえ!』の山本鈴美香や木原敏江がラブコメを描き、池田理代子の『ベルサイユのばら』が宝塚で舞台化。『少女コミック』関係では『トーマの心臓』、『11人いる!』、『イグアナの娘』の萩尾望都、『地球へ』の竹宮恵子、『綿の国星』の大島弓子や高橋亮子など、『りぼん』では『有閑倶楽部』の一条ゆかりや『なんたって18歳!』、『ハイティーン・ブギ』の牧野和子、、大矢ちき、『サラリーマン金太郎』の本宮ひろ志夫人のもりたじゅんなど、『なかよし』では『キャンディキャンディ』のいがらしゆみこや曽根まさこ、高階良子などが次々に力作を発表していました。また、たくさんの少女雑誌が創刊し、『月刊花とゆめ』では山岸涼子や三原順、こやのかずこ、『プリンセス』ではあしべゆうほ、イケスミチエコ、ささやななえ等が読者を惹き付けていました。(紹介した作品は、TVアニメやドラマ、舞台化や映画化されたものです。)勿論この他にもたくさん紹介したい作家や作品があるのですが、ルネの話題からそれてしまうので、この辺に留めておきます。
余談ですが、上原きみ子が『ルネの青春』というタイトルのスポーツ漫画を書いていますが、『ルネ』は女の子です。
※カテゴリ『ミドリ色の屋根の頃』でも、当時のことをお読みいただけます。
「ミドリ色の屋根の頃~1975年(3)コミック&アニメ」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/237.html
▲同級生からいただいたポスター
前出のものの次に多く持っています
『別フレ』は、当時1月千円のお小遣いの中で買っていた唯一の漫画雑誌でした。千円の中から洋服や靴、学習雑誌などは別として、学用品や画材は一切その中から買っていた私には、この1冊を買うのが精一杯。ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」に入会してからは、会費とルネのレコードのためにお年玉を使わずに取っておき、お小遣いは極力節約して貯めていましたから、芸能雑誌は到底買う余裕などありませんでした。
でも、漫画大好き少女だった私は、別の雑誌(『別マ』)を買っている友人と交換して読むことを思いつき、学校で漫画の交換をしたのでした。すると、「私にも回して、その代わり私の○○を貸すから」という級友が申し出てきて又貸し状態。しまいには誰に回っているのかも分からないまま、最終的に私の手元に戻ってくるのは翌月号が出る直前ということが続きました。
そして、この少女漫画雑誌が、私が知らないところで同級生の間を回り、私にルネの切り抜きをもたらしたのでした。今にして思えば、多分そうだろうという推測でしかありませんが、親しくもない別のクラスの子からも『ルネ・シマール好きでしょ?』と、ルネの切り抜きやポスターが届くようになっていたのです。そのため、同じポスターを何枚も持っていたりします。懐かしき古き良き時代のお話ですね。
さて、1975年に『別フレ』が行った、スターの人気投票結果がスクラップしてあありました。その中間報告と一緒に、『わたしならこのスターを!』と題して、『別フレ』の人気漫画家が選んだスターを紹介した記事が掲載されました。
過去ログでも紹介した、私が好きな漫画家の文月今日子先生が選んだスターはルネでした。この記事を読む前からずっとファンで、先生の描くおかっぱ頭のキャラクターがルネに見えてしかたがなかったところにこの記事のだめ押し。私が文月先生の大ファンになったのは言うまでもありません。
※文月今日子先生のホーム・ページ「文月ふぁみりぃ」
http://kyoroko7777.hp.infoseek.co.jp/
▲文月先生のコメントとルネの似顔絵
あいらしく、いとおしく、うるわしく、ええ顔で、おとこらしく、かわゆく、きゃしゃで、くるおしく、けんこうで、コケティッシュで、さわやかで、しとやかで、すずしげで、せんさいで、そっけなく、たのもしく、ちっちゃくて、つれなくて、てんさいで、トレビアンなんだわぁ!ルネちゃん!!
ねっ、キョロコ先生のルネ、可愛いでしょう?! このコメントも暗記してました(笑)。
『別フレ』は、当時の月刊少女漫画雑誌の中でも、同じ発売日の『別マ(別冊マーガレット)』、『別コミ(別冊少女コミック)』と並んで人気の高い雑誌でした。月初めに発売される『りぼん』と『なかよし』は付録付きだったためもあり、前出の3誌よりは読者の年齢層が弱冠低かったようですが、これらの少女漫画雑誌では戦後世代の若い作家が続々とデビューし、新しいジャンルの作品で競い合い、少女漫画の全盛期をリードしたのでした。
▲ルネが表紙になった
『週刊少女フレンド』1974年28号
『別フレ』は、『少女クラブ』から変身した『少女フレンド』の、連載の総集編を中心にした月刊の別冊として、1965年3月に講談社から創刊されました。
少女漫画雑誌としては一番早い1962年12月に創刊された『少女フレンド』に続き、1963年3月には、『少女ブック』を基盤に『マーガレット』が集英社から創刊。月刊誌の『別冊マーガレット』は『別フレ』より一足早い1964年の12月に創刊されました。その頃は、『あしたのジョー』のちばてつやが『ユキの太陽』という作品を描いていたり、若い世代の人は知らないと思いますが、わたなべまさこや水野英子、牧美也子といった、貸本時代の人気作家が主流で、『王家の紋章』の細川知栄子も新人でした。『巨人の星』の川崎のぼるが『りぼん』で少女漫画を描いていたなんて、知らない人の方が多いですよね。そして、それよりずっと遅れて『別冊少女コミック』の前身である『少女コミック』が1968年5月に小学館から、『りぼん』の前身『りぼんコミックス』が集英社、『なかよし』が講談社から創刊し、若い作家たちがラヴ・コメディーのパターンを定着させていきました。
▲一番多く持っているポスター
部屋に飾っていた、学生時代の私の恋人です
ルネが日本で活動していた1974、1975年当時は、少女漫画の全盛期を迎えていました。『別フレ』では、『アリエスの乙女たち』の里中真智子、『はいからさんが通る』の大和和紀、神奈幸子、阿部律子、森谷幸子、文月今日子、『少女フレンド』では『生徒諸君!』の庄司陽子、青池保子などが活躍していました。対する『別マ』では、西谷祥子、『ガラスの仮面』の美内すずえ、忠津陽子、山田ミネコ、『スケバン刑事』の和田慎二、『おいしい関係』の槇村さとるやくらもちふさこ等が活躍。『マーガレット』では『エースをねらえ!』の山本鈴美香や木原敏江がラブコメを描き、池田理代子の『ベルサイユのばら』が宝塚で舞台化。『少女コミック』関係では『トーマの心臓』、『11人いる!』、『イグアナの娘』の萩尾望都、『地球へ』の竹宮恵子、『綿の国星』の大島弓子や高橋亮子など、『りぼん』では『有閑倶楽部』の一条ゆかりや『なんたって18歳!』、『ハイティーン・ブギ』の牧野和子、、大矢ちき、『サラリーマン金太郎』の本宮ひろ志夫人のもりたじゅんなど、『なかよし』では『キャンディキャンディ』のいがらしゆみこや曽根まさこ、高階良子などが次々に力作を発表していました。また、たくさんの少女雑誌が創刊し、『月刊花とゆめ』では山岸涼子や三原順、こやのかずこ、『プリンセス』ではあしべゆうほ、イケスミチエコ、ささやななえ等が読者を惹き付けていました。(紹介した作品は、TVアニメやドラマ、舞台化や映画化されたものです。)勿論この他にもたくさん紹介したい作家や作品があるのですが、ルネの話題からそれてしまうので、この辺に留めておきます。
余談ですが、上原きみ子が『ルネの青春』というタイトルのスポーツ漫画を書いていますが、『ルネ』は女の子です。
※カテゴリ『ミドリ色の屋根の頃』でも、当時のことをお読みいただけます。
「ミドリ色の屋根の頃~1975年(3)コミック&アニメ」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/237.html
▲同級生からいただいたポスター
前出のものの次に多く持っています
『別フレ』は、当時1月千円のお小遣いの中で買っていた唯一の漫画雑誌でした。千円の中から洋服や靴、学習雑誌などは別として、学用品や画材は一切その中から買っていた私には、この1冊を買うのが精一杯。ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」に入会してからは、会費とルネのレコードのためにお年玉を使わずに取っておき、お小遣いは極力節約して貯めていましたから、芸能雑誌は到底買う余裕などありませんでした。
でも、漫画大好き少女だった私は、別の雑誌(『別マ』)を買っている友人と交換して読むことを思いつき、学校で漫画の交換をしたのでした。すると、「私にも回して、その代わり私の○○を貸すから」という級友が申し出てきて又貸し状態。しまいには誰に回っているのかも分からないまま、最終的に私の手元に戻ってくるのは翌月号が出る直前ということが続きました。
そして、この少女漫画雑誌が、私が知らないところで同級生の間を回り、私にルネの切り抜きをもたらしたのでした。今にして思えば、多分そうだろうという推測でしかありませんが、親しくもない別のクラスの子からも『ルネ・シマール好きでしょ?』と、ルネの切り抜きやポスターが届くようになっていたのです。そのため、同じポスターを何枚も持っていたりします。懐かしき古き良き時代のお話ですね。
さて、1975年に『別フレ』が行った、スターの人気投票結果がスクラップしてあありました。その中間報告と一緒に、『わたしならこのスターを!』と題して、『別フレ』の人気漫画家が選んだスターを紹介した記事が掲載されました。
過去ログでも紹介した、私が好きな漫画家の文月今日子先生が選んだスターはルネでした。この記事を読む前からずっとファンで、先生の描くおかっぱ頭のキャラクターがルネに見えてしかたがなかったところにこの記事のだめ押し。私が文月先生の大ファンになったのは言うまでもありません。
※文月今日子先生のホーム・ページ「文月ふぁみりぃ」
http://kyoroko7777.hp.infoseek.co.jp/
▲文月先生のコメントとルネの似顔絵
あいらしく、いとおしく、うるわしく、ええ顔で、おとこらしく、かわゆく、きゃしゃで、くるおしく、けんこうで、コケティッシュで、さわやかで、しとやかで、すずしげで、せんさいで、そっけなく、たのもしく、ちっちゃくて、つれなくて、てんさいで、トレビアンなんだわぁ!ルネちゃん!!
ねっ、キョロコ先生のルネ、可愛いでしょう?! このコメントも暗記してました(笑)。