今日は6月26日。
ルネ・シマールが初めて日本に降り立った35年前、カナダから来た可愛らしい少年が、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを獲得すると、誰が想像しえたでしょう。
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18時50分、日本航空005便にて羽田空港に到着したルネ一行は6名。それとは別に、カナダのインター・ビデオが取材で同行。この時撮影された活動の記録が、後にドキュメンタリー映画”Rene Simard au Japon”としてカナダで劇場公開され、大ヒットを記録しました。
※過去ログ”Rene Simard au Japon”参照
<ahref="http://green.ap.teacup.com/rene_simard/312.html">http://green.ap.teacup.com/rene_simard/312.html
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そして、ルネに同行したメンバーは次のとおりです。
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父 ジャン=ロック・シマール氏
来日した頃はすっかり良くなっていましたが、ルネが7才の時に喘息で仕事ができなくなり、ルネが歌手として成功してからは、ルネに付き添って仕事を援助する役割についていました。ルネの美しい歌声は、教会の聖歌隊のリーダーをしていた父ゆずり。数年前、著書”Au-Dela Du Silence”を出版。
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マネージャー ギー・クルティエ氏
アンジェリル氏と共同でノーベル・レコードを創設する前はプロモーター。「テレ4」で15週勝ち抜いたルネをスカウトし、デビュー曲”L'oiseauー鳥ー”でルネを一躍トップ・アイドルにした敏腕マネージャー。氏の父親がルネの送迎をしたり、ルネの妹ナタリーが小さい頃クルティエ家に預けられていたり、長い間家族ぐるみの付き合いをしていました。ギー・クルティエ・コミュニケーションズでヒット曲を管理し、ルネのデビュー25周年記念CD集もPCG Musique(PCGは、プロダクション・ギー・クルティエの略称)から出されました。ルネとの最初の出会いは、ルネが聖歌を歌った氏の結婚式とされています。ケベックのTVスター、ドミニク・クルティエは氏の娘。
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プロデューサー ルネ・アンジェリル氏
現在はセリーヌ・ディオンの夫でマネージャー。もとケベックの人気コメディアン。来日当時はギー氏と共同でノーベル・レコードを経営。意見の相違から独立し、私財を投げ打ってセリーヌを売り出し、世界的な歌手に育て上げたことは有名。最近出版した執筆本の出版記念パーティーに、ルネとマリー=ジョゼ夫妻も招待されていました。
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秘書 クローディーヌ・バチョーさん
来日当時、妹のダニエルと共にクルティエ氏の秘書をしながら、ルネの身の回りの世話を任されていました。明石家さんまのバラエティー番組「明石家多国籍軍」では、ルネの所属事務所P・G・Cコミュニケーションズのルネのマネージャーと紹介されていました。英語読みでクローデン・バチャンドと字幕が入っていたのですが、仏語読みではクローディーヌ・バシャン。聴き方によってはバチョーと聞こえるので、「スーパー・アイドル ルネ」ではずっとバチョーでした。現在も独身で、ルネの母親や姉、恋人のような気持ちで、デビュー当時からずっとルネを見守り続けています。
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音楽出版会社社長 クリスチャン・ルフォール氏
音楽出版社キャロル・ミュージック社長。1973年6月末、パリのマキシムにおいて催された、村井邦彦氏が作曲したユニセフの歌「美しい星」のプロモーションのためのカクテル・パーティーで、この曲がルネに向いていると判断し、カナダに連絡したのがこのルフォール氏。この当時、ルネのヒット曲のうち10曲あまりを管理していました。ルネが日本でブームを巻き起こす最初のきっかけを作った影の功労者といえましょう。
♪最新情報♪
♪ルネのスプリング・コンサートのバック・コーラスはチャープス
ルネがTVの音楽番組「ミュージック・フェア」に出演した時、「チャープス」という三姉妹のコーラス・グループと共演していたことは、前回の最新情報で紹介いたしました。このことにつきましては、「クーコの日記」のクーコさんからの情報で判明したばかりだったのですが、1975年の春に行われたスプリング・コンサートで、チャープスがバック・コーラスとして出演していたことも判りました!
大阪公演に行かれたグータラのマリアさんからの情報で、そのコンサートの映像が収録されているYouTubeの ”Rene Simard - Million Dollar Baby Part 2”を確認したところ、6分頃から、”L'ÉTÉ EST LÀ(夏が来た)”を歌っているルネの後ろに3人の女性コーラスが映っています。そしてそのまん中に、メガネをかけた女性が確認できます。ファンに引っぱられて舞台から落ちそうになるルネを引っ張り上げるシーンに男性が映っていたので、私はずっと、バック・コーラスはファースト・コンサートの時の「シュガーベイブ」なのだと思っていました。しかし、チャープスと親交のあるクーコさんに映像を観ていただき、さらにチャープスの公式サイトで確認していただいたところ、男性と一緒にルネを引っ張り上げていたのは長女のまりこさんで、このことはよく覚えていらっしゃるそうです。さらに、ルネとクルティエ氏から、「一緒にカナダに来て素晴らしいステージをしよう。」と誘われたそうです! 結局チャープスはカナダに行くことはありませんでしたが、ルネ自身もスプリング・コンサートを行った4回目の来日以降、変声前の来日はありませんでした。
ルネとクルティエ氏からだけでなく、日本でもその実力が広く認められていたチャープス♪ そのチャープスが活動を再開している現在、すっかり大人の男性歌手に成長したルネ・シマールとの共演も素敵ですね!
♪YouTube映像”Rene Simard - Million Dollar Baby Part 2” http://www.youtube.com/watch?v=V_VVZqGeGtw&NR=1
♪ルネの妹ナタリーが歌った「私のアイドル マイケル・ジャクソン」
世界中でマイケル・ジャクソンの追悼が行われています。
実は、ルネの妹ナタリー・シマールのアルバムに収録されている曲に”C'est mon idole Michel Jackson”という曲があって、カナダのファン・サイト”PASSION SIMARD”でも特集されていました。ルネもジャクソン5の「ママがサンタにキッスした」などを歌っています。私はどちらかというと、ジャクソン5時代や整形前のマイケルが好きでした。
私のアイドルはルネ以外ありませんが、マイケル・ジャクソン氏のご冥福を心よりお祈りいたします。
ルネ・シマールが初めて日本に降り立った35年前、カナダから来た可愛らしい少年が、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを獲得すると、誰が想像しえたでしょう。
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18時50分、日本航空005便にて羽田空港に到着したルネ一行は6名。それとは別に、カナダのインター・ビデオが取材で同行。この時撮影された活動の記録が、後にドキュメンタリー映画”Rene Simard au Japon”としてカナダで劇場公開され、大ヒットを記録しました。
※過去ログ”Rene Simard au Japon”参照
<ahref="http://green.ap.teacup.com/rene_simard/312.html">http://green.ap.teacup.com/rene_simard/312.html
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そして、ルネに同行したメンバーは次のとおりです。
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父 ジャン=ロック・シマール氏
来日した頃はすっかり良くなっていましたが、ルネが7才の時に喘息で仕事ができなくなり、ルネが歌手として成功してからは、ルネに付き添って仕事を援助する役割についていました。ルネの美しい歌声は、教会の聖歌隊のリーダーをしていた父ゆずり。数年前、著書”Au-Dela Du Silence”を出版。
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マネージャー ギー・クルティエ氏
アンジェリル氏と共同でノーベル・レコードを創設する前はプロモーター。「テレ4」で15週勝ち抜いたルネをスカウトし、デビュー曲”L'oiseauー鳥ー”でルネを一躍トップ・アイドルにした敏腕マネージャー。氏の父親がルネの送迎をしたり、ルネの妹ナタリーが小さい頃クルティエ家に預けられていたり、長い間家族ぐるみの付き合いをしていました。ギー・クルティエ・コミュニケーションズでヒット曲を管理し、ルネのデビュー25周年記念CD集もPCG Musique(PCGは、プロダクション・ギー・クルティエの略称)から出されました。ルネとの最初の出会いは、ルネが聖歌を歌った氏の結婚式とされています。ケベックのTVスター、ドミニク・クルティエは氏の娘。
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プロデューサー ルネ・アンジェリル氏
現在はセリーヌ・ディオンの夫でマネージャー。もとケベックの人気コメディアン。来日当時はギー氏と共同でノーベル・レコードを経営。意見の相違から独立し、私財を投げ打ってセリーヌを売り出し、世界的な歌手に育て上げたことは有名。最近出版した執筆本の出版記念パーティーに、ルネとマリー=ジョゼ夫妻も招待されていました。
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秘書 クローディーヌ・バチョーさん
来日当時、妹のダニエルと共にクルティエ氏の秘書をしながら、ルネの身の回りの世話を任されていました。明石家さんまのバラエティー番組「明石家多国籍軍」では、ルネの所属事務所P・G・Cコミュニケーションズのルネのマネージャーと紹介されていました。英語読みでクローデン・バチャンドと字幕が入っていたのですが、仏語読みではクローディーヌ・バシャン。聴き方によってはバチョーと聞こえるので、「スーパー・アイドル ルネ」ではずっとバチョーでした。現在も独身で、ルネの母親や姉、恋人のような気持ちで、デビュー当時からずっとルネを見守り続けています。
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音楽出版会社社長 クリスチャン・ルフォール氏
音楽出版社キャロル・ミュージック社長。1973年6月末、パリのマキシムにおいて催された、村井邦彦氏が作曲したユニセフの歌「美しい星」のプロモーションのためのカクテル・パーティーで、この曲がルネに向いていると判断し、カナダに連絡したのがこのルフォール氏。この当時、ルネのヒット曲のうち10曲あまりを管理していました。ルネが日本でブームを巻き起こす最初のきっかけを作った影の功労者といえましょう。
♪最新情報♪
♪ルネのスプリング・コンサートのバック・コーラスはチャープス
ルネがTVの音楽番組「ミュージック・フェア」に出演した時、「チャープス」という三姉妹のコーラス・グループと共演していたことは、前回の最新情報で紹介いたしました。このことにつきましては、「クーコの日記」のクーコさんからの情報で判明したばかりだったのですが、1975年の春に行われたスプリング・コンサートで、チャープスがバック・コーラスとして出演していたことも判りました!
大阪公演に行かれたグータラのマリアさんからの情報で、そのコンサートの映像が収録されているYouTubeの ”Rene Simard - Million Dollar Baby Part 2”を確認したところ、6分頃から、”L'ÉTÉ EST LÀ(夏が来た)”を歌っているルネの後ろに3人の女性コーラスが映っています。そしてそのまん中に、メガネをかけた女性が確認できます。ファンに引っぱられて舞台から落ちそうになるルネを引っ張り上げるシーンに男性が映っていたので、私はずっと、バック・コーラスはファースト・コンサートの時の「シュガーベイブ」なのだと思っていました。しかし、チャープスと親交のあるクーコさんに映像を観ていただき、さらにチャープスの公式サイトで確認していただいたところ、男性と一緒にルネを引っ張り上げていたのは長女のまりこさんで、このことはよく覚えていらっしゃるそうです。さらに、ルネとクルティエ氏から、「一緒にカナダに来て素晴らしいステージをしよう。」と誘われたそうです! 結局チャープスはカナダに行くことはありませんでしたが、ルネ自身もスプリング・コンサートを行った4回目の来日以降、変声前の来日はありませんでした。
ルネとクルティエ氏からだけでなく、日本でもその実力が広く認められていたチャープス♪ そのチャープスが活動を再開している現在、すっかり大人の男性歌手に成長したルネ・シマールとの共演も素敵ですね!
♪YouTube映像”Rene Simard - Million Dollar Baby Part 2” http://www.youtube.com/watch?v=V_VVZqGeGtw&NR=1
♪ルネの妹ナタリーが歌った「私のアイドル マイケル・ジャクソン」
世界中でマイケル・ジャクソンの追悼が行われています。
実は、ルネの妹ナタリー・シマールのアルバムに収録されている曲に”C'est mon idole Michel Jackson”という曲があって、カナダのファン・サイト”PASSION SIMARD”でも特集されていました。ルネもジャクソン5の「ママがサンタにキッスした」などを歌っています。私はどちらかというと、ジャクソン5時代や整形前のマイケルが好きでした。
私のアイドルはルネ以外ありませんが、マイケル・ジャクソン氏のご冥福を心よりお祈りいたします。