12月に入り、街はクリスマス・カラーで華やかです。息子の児童クラブではクリスマス会が計画されていて、プレゼント交換のためのプレゼントを買いに行かねばなりません。でも、300円分という金額なので、品物選びが難しいです~★ ちなみに、『鉛筆とノート』のような組み合わせが多いようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/b0/dade23e9a4ba2106c95c66f70561d706.jpg)
▲The Immaculate Conception of the Soult(detail)
スールの無原罪のお宿り(部分)バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
日本にルネ・ブームが巻き起こった1974年から1975年、芸能雑誌『明星』には、ルネ・シマールの記事が多く掲載されていました。
当時『明星』の定価は320円。月千円のお小遣いの中から、ルネ・ファン・クラブの会費やレコード代を確保するために芸能雑誌を買う余裕がなかった私に、ルネの記事をくれた同級生に感謝しています。でも、私が買っていた『別冊少女フレンド』を回し読んだお返しだったらしいことは、過去ログ『別フレとルネと私』で書きましたが…(笑)。
『明星』は、かつては人気俳優やタレント等を扱った集英社発行の芸能雑誌でしたが、現在は『Myojo(みょうじょう)』と改名し、ジャニーズ事務所に所属する男性タレントを中心とした雑誌になっているようです。
創刊は1952年10月。集英社は、『主婦之友』全盛を築いた編集者本郷保雄を専務取締役に迎え、先行する芸能誌『平凡』(平凡出版→マガジンハウス)に対抗する月刊誌として『明星』を創刊しました。創刊号の表紙には美空ひばりを起用。編集ポリシーは「ボードビル編集」で、創刊時のサブタイトルは「夢と希望の娯楽雑誌」でした。当初は『平凡』のそっくりさんと揶揄されたそうですが、徐々に部数をのばして100万部に達し、『平凡』に並ぶとともに、集英社のドル箱雑誌となりました。1970年代には175万部を記録したとのこと。ルネの記事が掲載された頃は、その最盛期だったのでしょう。現在でもインターネット・オークションに出品されているくらいですから、その販売部数の多かったことがうかがえます。
私のルネの記事コレクションは切り抜きでいただいたものがほとんどだったため、何の雑誌にいつ掲載されたものか、長い間分かりませんでした。『明星』掲載の記事については、オークション等で入手し、本誌に掲載された記事については突き止めることができました。付録のポスターや歌本については調べていませんが、今回は『明星』に掲載されたルネの記事について紹介いたします。ほとんどの記事の画像は過去ログでアップ済みなので、まだ記事に載せていない記事を中心に紹介したいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/09/fc0320986ef79a3be6abb251b9051b3b.jpg)
「われらが若き天才ルネ・シマールの日常生活を取材するために 日本の『明星』記者とカメラマンがやってきた」と カナダ・モントリオールの新聞が大々的に報道した記事の中では本誌がルネのためにカラーで何ページ マンガ履歴書で何ページさいたかまでくわしく伝えており 彼の本国での人気のほどがうかがわれる なおルネはカナダから戻ったあと 9月4日大阪(厚生年金会館) 14~15日東京(渋谷公会堂)でファースト・コンサートを開く
(1974年10月号『マンスリー・ジャンボ』掲載)
<1974年>
9月号「Petitルネ」…………………1ページ・カラー
「ふたりのちびっ子シンガー」(ルネとリーナ)
…2ページ・カラー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/62/38925b8dcbfcc104e729f6c0118d22cd.jpg)
独占 ジャンボ特集
ルネ少年のすべて!その生いたちから故郷カナダの家庭・学校・友だちを特派取材
10月号「表紙(ルネとアグネス・チャン)」
「ルネは童話の街で笑っていた」
…5ページ・カラー
「マンガ履歴書 ルネ・シマール物語」
…13ページ・白黒
「ルネのふるさと新聞(マンスリー・ジャンボ)」
「プレゼント・コーナー ⑨ポスター⑩楽譜」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/3e/6f039999e713ab89b396ccf30c17e01a.jpg)
11月号「パパにもらったグライダー」
(ルネがみつけた光る秋)…3ページ・カラー
「ルネからあなたへ 微笑みのの手紙」
…3ページ・白黒
「ルネとカナダでX'masパーティー」
(歌詞募集広告) …1/2ページ・白黒
12月号「男の子の友情対談 ルネ・西城秀樹」
…2ページ・カラー
「綴じ込みブロマイド(白の蝶ネクタイ)」
<1975年>
1月号「ルネはカナダでアイスホッケーをやっていた」
(カナダからあなたへルネだより)
…2ページ・カラー
「ルネとカナダでXマスを!」当選発表
(ハロー・ジョッキー)
2月号「バスケットクラブに入ったよ!」
…2ページ・カラー
3月号「スプリング・コンサートの宣伝広告」
…1ページ・白黒
4月号「ルネ・オン・メロディ
UN ENFANT COMME LES AUTRES」
…1ページ・白黒+紹介・カラー
「ルネー本誌読者とカナダでデート」
(カラースペシャル)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/a4/f635dc6c6b4bd9febbdcae832005cf98.jpg)
5月号「コンサート御招待」(マンスリー・ジャンボ)
「ルネーパリだより」(カラースペシャル)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/b2/b19f9cc810e6bd790277648ca3c7375a.jpg)
6月号「ルネーキッスもプレゼント(ファンの集い)」
(カラースペシャル)
7~12月号 ルネの記事は掲載されていません
『マンスリー・ジャンボ』と『カラースペシャル』は小さな記事を集めたコーナー。1ページ以上の記事が掲載されたのは、1974年9月から1975年4月までの8ヵ月のみだったことがわかりました。(付録の歌本には、この後も歌詞が掲載されていましたが…)スプリング・コンサートに至っては、5月号で100名を御招待という企画がありながら、年友さん情報では、4月7日の東京・神田共立講堂は半分ぐらいしか座席が埋まっていなかったというのです。ファン・クラブでもスプリング・コンサートの記事が無かったのは、このためだったのでしょうか? 私はファン・クラブからの情報が全てだったので、ルネの新曲が次々に発売されるのは、ルネの人気がブームの頃と変わらず続いているからだと信じて疑わなかったのですが、この記事を書くに当たって、4回目の来日以降、来日が中止になったのも、アメリカでのスケジュールを優先しただけでなく、コンサートの入場者数やレコードの売り上げが関係していたのではないかと思うようになりました。でも、本当のところはどうなのでしょうね?
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
『明星』9月号の記事「ふたりのちびっ子シンガー」で取り上げられたリーナ・ザヴァローニが歌う”Mama”の歌詞が知りたくて調べていたら、リーナのファンの方のサイトとYouTubeチャンネルを見つけましたのでご覧ください。
♪LenaZavaroni
http://www.lena-zavaroni.net/biography.htm
♪LenaZavaroniFAN さんのYouTubeチャンネル
http://www.youtube.com/user/LenaZavaroniFAN?gl=JP&hl=ja
また、小学校の頃学校で購入していた学研(学習研究社)の『学習』と『科学』が今年度いっぱいで廃刊になるそうですね。「まだかな まだかな~ 学研のおばちゃん まだかな~♪」というCMソングでも親しまれてきた学習雑誌でした。『科学』の付録はいつも楽しみにしていたので、とても残念です。小学館の『小学五年生』と『小学六年生』がなくなるということを知った時も驚きましたが、ルネ・ファンの年代の人たちが愛読した雑誌が続々と廃刊・休刊になる中、多少違った形ででも『明星』が復活したことは嬉しいことですね。
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▲The Immaculate Conception of the Soult(detail)
スールの無原罪のお宿り(部分)バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
日本にルネ・ブームが巻き起こった1974年から1975年、芸能雑誌『明星』には、ルネ・シマールの記事が多く掲載されていました。
当時『明星』の定価は320円。月千円のお小遣いの中から、ルネ・ファン・クラブの会費やレコード代を確保するために芸能雑誌を買う余裕がなかった私に、ルネの記事をくれた同級生に感謝しています。でも、私が買っていた『別冊少女フレンド』を回し読んだお返しだったらしいことは、過去ログ『別フレとルネと私』で書きましたが…(笑)。
『明星』は、かつては人気俳優やタレント等を扱った集英社発行の芸能雑誌でしたが、現在は『Myojo(みょうじょう)』と改名し、ジャニーズ事務所に所属する男性タレントを中心とした雑誌になっているようです。
創刊は1952年10月。集英社は、『主婦之友』全盛を築いた編集者本郷保雄を専務取締役に迎え、先行する芸能誌『平凡』(平凡出版→マガジンハウス)に対抗する月刊誌として『明星』を創刊しました。創刊号の表紙には美空ひばりを起用。編集ポリシーは「ボードビル編集」で、創刊時のサブタイトルは「夢と希望の娯楽雑誌」でした。当初は『平凡』のそっくりさんと揶揄されたそうですが、徐々に部数をのばして100万部に達し、『平凡』に並ぶとともに、集英社のドル箱雑誌となりました。1970年代には175万部を記録したとのこと。ルネの記事が掲載された頃は、その最盛期だったのでしょう。現在でもインターネット・オークションに出品されているくらいですから、その販売部数の多かったことがうかがえます。
私のルネの記事コレクションは切り抜きでいただいたものがほとんどだったため、何の雑誌にいつ掲載されたものか、長い間分かりませんでした。『明星』掲載の記事については、オークション等で入手し、本誌に掲載された記事については突き止めることができました。付録のポスターや歌本については調べていませんが、今回は『明星』に掲載されたルネの記事について紹介いたします。ほとんどの記事の画像は過去ログでアップ済みなので、まだ記事に載せていない記事を中心に紹介したいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/09/fc0320986ef79a3be6abb251b9051b3b.jpg)
「われらが若き天才ルネ・シマールの日常生活を取材するために 日本の『明星』記者とカメラマンがやってきた」と カナダ・モントリオールの新聞が大々的に報道した記事の中では本誌がルネのためにカラーで何ページ マンガ履歴書で何ページさいたかまでくわしく伝えており 彼の本国での人気のほどがうかがわれる なおルネはカナダから戻ったあと 9月4日大阪(厚生年金会館) 14~15日東京(渋谷公会堂)でファースト・コンサートを開く
(1974年10月号『マンスリー・ジャンボ』掲載)
<1974年>
9月号「Petitルネ」…………………1ページ・カラー
「ふたりのちびっ子シンガー」(ルネとリーナ)
…2ページ・カラー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/62/38925b8dcbfcc104e729f6c0118d22cd.jpg)
独占 ジャンボ特集
ルネ少年のすべて!その生いたちから故郷カナダの家庭・学校・友だちを特派取材
10月号「表紙(ルネとアグネス・チャン)」
「ルネは童話の街で笑っていた」
…5ページ・カラー
「マンガ履歴書 ルネ・シマール物語」
…13ページ・白黒
「ルネのふるさと新聞(マンスリー・ジャンボ)」
「プレゼント・コーナー ⑨ポスター⑩楽譜」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/3e/6f039999e713ab89b396ccf30c17e01a.jpg)
11月号「パパにもらったグライダー」
(ルネがみつけた光る秋)…3ページ・カラー
「ルネからあなたへ 微笑みのの手紙」
…3ページ・白黒
「ルネとカナダでX'masパーティー」
(歌詞募集広告) …1/2ページ・白黒
12月号「男の子の友情対談 ルネ・西城秀樹」
…2ページ・カラー
「綴じ込みブロマイド(白の蝶ネクタイ)」
<1975年>
1月号「ルネはカナダでアイスホッケーをやっていた」
(カナダからあなたへルネだより)
…2ページ・カラー
「ルネとカナダでXマスを!」当選発表
(ハロー・ジョッキー)
2月号「バスケットクラブに入ったよ!」
…2ページ・カラー
3月号「スプリング・コンサートの宣伝広告」
…1ページ・白黒
4月号「ルネ・オン・メロディ
UN ENFANT COMME LES AUTRES」
…1ページ・白黒+紹介・カラー
「ルネー本誌読者とカナダでデート」
(カラースペシャル)
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5月号「コンサート御招待」(マンスリー・ジャンボ)
「ルネーパリだより」(カラースペシャル)
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6月号「ルネーキッスもプレゼント(ファンの集い)」
(カラースペシャル)
7~12月号 ルネの記事は掲載されていません
『マンスリー・ジャンボ』と『カラースペシャル』は小さな記事を集めたコーナー。1ページ以上の記事が掲載されたのは、1974年9月から1975年4月までの8ヵ月のみだったことがわかりました。(付録の歌本には、この後も歌詞が掲載されていましたが…)スプリング・コンサートに至っては、5月号で100名を御招待という企画がありながら、年友さん情報では、4月7日の東京・神田共立講堂は半分ぐらいしか座席が埋まっていなかったというのです。ファン・クラブでもスプリング・コンサートの記事が無かったのは、このためだったのでしょうか? 私はファン・クラブからの情報が全てだったので、ルネの新曲が次々に発売されるのは、ルネの人気がブームの頃と変わらず続いているからだと信じて疑わなかったのですが、この記事を書くに当たって、4回目の来日以降、来日が中止になったのも、アメリカでのスケジュールを優先しただけでなく、コンサートの入場者数やレコードの売り上げが関係していたのではないかと思うようになりました。でも、本当のところはどうなのでしょうね?
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『明星』9月号の記事「ふたりのちびっ子シンガー」で取り上げられたリーナ・ザヴァローニが歌う”Mama”の歌詞が知りたくて調べていたら、リーナのファンの方のサイトとYouTubeチャンネルを見つけましたのでご覧ください。
♪LenaZavaroni
http://www.lena-zavaroni.net/biography.htm
♪LenaZavaroniFAN さんのYouTubeチャンネル
http://www.youtube.com/user/LenaZavaroniFAN?gl=JP&hl=ja
また、小学校の頃学校で購入していた学研(学習研究社)の『学習』と『科学』が今年度いっぱいで廃刊になるそうですね。「まだかな まだかな~ 学研のおばちゃん まだかな~♪」というCMソングでも親しまれてきた学習雑誌でした。『科学』の付録はいつも楽しみにしていたので、とても残念です。小学館の『小学五年生』と『小学六年生』がなくなるということを知った時も驚きましたが、ルネ・ファンの年代の人たちが愛読した雑誌が続々と廃刊・休刊になる中、多少違った形ででも『明星』が復活したことは嬉しいことですね。