1974年の第3回東京音楽祭世界大会から9年後の1983年3月21日、第12回東京音楽祭世界大会に、ルネと妹ナタリー・シマールがプレゼンターとして招待されました。前夜祭では、「ミドリ色の屋根」を2人で歌い、ナタリーは、日本でのデビュー曲となる「5月の手紙」も歌いました。
▲1983年に発足したルネとナタリーのファン・クラブの会誌第1号の表紙
私は、この来日は、ルネが日本のファンの強い要望と署名活動によって招待され、それにナタリーがセットで付いてきたのだとばかり思っていました。何故なら、私が友人と署名活動をしてから、半年も経たずに実現した来日だったからです。しかし、その来日は、ルネの妹ナタリーの日本デビューに合わせ、SONYとALFAレコードによって、すでに計画が進んでいた来日だったのかもしれません。
そして今思い出してみると、その友人は「ちびっ子ものまね」の関西地区チャンピオンでした。当時はスター発掘番組の全盛期で、「ちびっ子ものまね」も、スターとして見込みのある優勝者や上位入賞者は、芸能事務所からスカウトされていました。彼女はルネの"L'oiseau"を歌って優勝していたので、彼女の入った芸能事務所は、「ルネの再来」を売りに彼女をデビューさせる予定でレッスンを始めていました。そのためルネの来日は、彼女のデビューにとっても重要なことだったのでしょう。ルネの来日を求める署名活動は、芸能事務所のアドバイスで始めたと聞いていました。しかし、たとえ彼女が「ルネの再来」としてデビューできていたとしても、ルネの実の妹で、ルネに歌声も容姿もそっくりのナタリーが、大手のSONYによって日本デビューを進めていた中で活動するのは、かなり難しかったと思います。ドラマ等の見過ぎかもしれませんが、圧力をかけられたかもしれません。でも、この来日の頃には、彼女はヴォイス・トレーニングで声帯を痛め、歌手デビューを断念していました。彼女が所属していた芸能事務所が、どこかまでは聞いていませんでしたが、彼女は、「スチュワーデス物語」で一世を風靡した堀ちえみさんと同期で、デビュー前の堀ちえみさんをよく知っていたので、「ホリ・プロ」系列の関西の事務所だったのかもしれません。彼女がデビューを断念した頃、彼女は当時高校生だったにもかかわらず、すでにピアノの指導助手を務め、大卒の初任給以上の収入がありました。ピアノの先生と一緒にカナダに行くとも言っており、その後しばらくして連絡が取れなくなってしまったので、カナダに行ったのかもしれません。今はどうしているのでしょう。まだカナダにいて、ルネのファンを続けていてくれたら嬉しいです。
ちなみに、芸能事務所から得た情報だったのか、彼女はALFAレコードにナタリーたちがいる時間帯を知っており、前夜祭にも行き、ルネが帰国する時には成田空港まで見送りに行きました。余談ですが、彼女はルネに"Dont Forget me!"と言おうとして、間違って"Forget me."と言ってしまい、ルネから何度も"Why?"と聞かれたそうです。ルネと別れてから気付いたと、手紙で報告しくれました。また、その時私のためにもらってくれたルネのサインも、一緒に送ってくれました。
ルネの来日については、第12回東京音楽祭世界大会のプレゼンターは名目でしかなく、実際には、ALFAレコードとSONYの「夢よもう一度」企画による、ルネにそっくりのナタリーを売り出すための戦略だったのです。
ルネ・ブームの頃のルネと年も同じで、ルネに外見も歌声もそっくりで、その上、女の子で変声期のないナタリーは、ルネの変声で諦めざるを得なかったビジネス・チャンスを狙うには、もってこいの逸材でした。ナタリーの日本デビューは、すでにスーパー・アイドルとして活躍していたカナダでも大きく取り上げられ、多くのメディアやファンが注目していたことは、同年に発足したカナダのルネとナタリーのファン・クラブの会誌第1号でも分かります。
そして、私が知らなかっただけで、その時の来日では、ルネよりもナタリーの方がTV番組に出演しており、日本でのデビュー曲となる「5月の手紙」も歌っていました。ルネはナタリーの売り出しのために影に徹していて、ALFAレコードでの打ち合わせでは、ナタリーのマネージャーと勘違いされたりしていたようでした。その合間に、ルネは当時自分がファンだった、バリー・マニローのコンサートに行ったりもしていましたが…。
※過去ログ「日本のナタリー・プロジェクト」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/517.html
▲“Toujour plus ioin”のレコード・ジャケット
私はその当時、ルネが来日したことだけを両手放しで喜んでいました。ルネが素敵な青年に成長していることは、仏語の教授からいただいたルネのレコードとポスターで知っていたし、ルネのために“Toujour plus ioin”のレコード・ジャケットのルネをイラストボードにパステルで描いて持っていったりしました。しかし、友人とALFAレコードに会いに行った時、ルネはバリー・マニローのコンサートに行っていたために会えず(ルネの絵はナタリーに渡しました)、東京音楽祭の前夜祭にも誘われたのに、職場の職員旅行をキャンセルすることもできず、挙げ句の果てに、ナイター中継の時間延長で前夜祭のビデオが撮れていなかったことに涙していました。1人暮らしでテレビも無かったため、TV出演の様子も分からなかったので、まさか、ルネよりもナタリーの売り出しがメインの来日だなどとは夢にも思っていませんでした。ですから、このブログがきっかけで、そのことを知った時、大変ショックを受けました。しかしそれ以上に、来日しなかった9年の間に、ルネ・ブームがすでに過去のものとなり、日本の芸能界は自分を必要としていないと痛感した時のルネの寂しさを考えると、心が痛み、涙が出ました。前夜祭のインタビューでも、ナタリーを売り込むためとはいえ、2人のアナウンサーが「もう、お兄さんを越えている」と口を揃えるように言っていることに、ルネ・ファンの私は「不快感」を通り越して「怒り」さえ覚えました。ルネは笑顔で応対しているけれど、だからこそ余計に「失礼な★」と思ってしまいました。そのため、今では、あの時前夜祭に行けなくて、そして、ビデオが撮れて無くて良かったとさえ思うようになっています。また、この来日以降、「あのスターは今」的な番組以外では来日もTV出演もしていないのは、ルネのせいではなく(「エルヴィス・ストーリー」は演出家として同行したので別)、日本のTVや音楽業界の扱いのせいだったのですよね。日本がルネを呼ばなかったのです。
▲ルネとナタリーのファン・クラブ会誌№1より
ですから、ルネの日本の全曲集CD「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」が発売になったことを知った時、ルネは”very happy”だったんです。
そして、話は変わりますが、以前、ソースかつどんさんから、「このCD発売が実現した次の目標は、DVDボックスですね。」とメッセージをいただきました。もし、TV放映されたファースト・コンサート映像や、出演したTV番組映像がまだ保管されているのなら、DVDボックスは無理としても、どこかで放映していただきたいです。私はあまり見たことがないので、是非見たいと切望しています。
▲ルネとナタリーのファン・クラブ会誌№1より
「Passion ルネ・シマール au Japon」のしゃむねこさんが、プログで第12回東京音楽祭世界大会とその前夜祭についての記事を書いていらっしゃいます。ビデオ録画してあった同番組を、テレビ画像と一緒に詳しくリポートしてありますので、是非ご覧ください。
また、YouTube映像にも、前夜祭でルネとナタリーが「ミドリ色の屋根」を歌っている映像が有りますので、そちらもお楽しみください。
第12回東京音楽祭(1983年)/前夜祭の番組のビデオから
♪Youtube映像”Rene & Nathalie in Japan”
http://www.youtube.com/watch?v=KMvxqdG31xc&feature=share&list=FLX12E-efRQ7oPC3A-ki4poA
※「Passion ルネ・シマール au Japon」の記事より
「第12回東京音楽祭のルネとナタリー 1983年」
http://renesimard.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html
「Un Air de Famille と第12回東京音楽祭前夜祭の様子から」
http://renesimard.blogspot.co.nz/2013/02/un-air-de-famille.html
また、以前にも書きましたが、現在facebookでは、グループ「Rene to Japan! ルネを日本へ!」において、ルネが初来日し、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞した記念すべき1974年から40年目に当たる2014年に向け、「ルネを日本に呼べたら」と、メンバーでいろいろな話をしています。実現させることができるかどうかは別として、私は、ルネが日本に来た時に、4回目の来日や第12回東京音楽祭世界大会のための来日の時のような、失礼なことが無いようにしたいと強く思っています。絶対に、ルネに悲しい思いをさせてはなりません。日本のファンの威信にかけても、2度と、日本で、ルネを寂しい気持ちにさせてはいけないのです。そのために、ファン同士が協力し、このことに賛同する仲間たちとともに、活動を楽しみながら、万全の準備をして迎えたいと思っています。その時は、ルネ友さんたちも、ご協力をどうぞよろしくお願いいたします!
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
先週の記事「『ルネ・オン・メロティ』の劇場あいさつ」の「テアトル銀座」について、ルネ友のダイアナ・ろーたすさん(旧ダイアナ・シールズさん)より情報をいただきました。ダイアナさんからのコメントをそのまま紹介いたしますが、この映画館は、今年の5月で営業を終了してしまうそうです。今年から来年は、ルネ来日とカレンダーの並びが同じの上に、来年はルネの来日40周年を迎える年なので、ちょっと残念です。
▲年友さん提供 現在のテアトル銀座と1981年頃の同映画館(写真右下)
ダイアナ・ろーたす
ご無沙汰しています。
ルネ・オン・メロディは東京ではテアトル銀座で上映されたんですね。
当時のテアトル銀座ということで、写真が掲載されていますが、同じビルの中に「テアトル東京」「テアトル銀座」という2つの映画館が入っていて、写真は「テアトル東京」の正面入り口になります。「テアトル銀座」はビル横から入り、たしか地下にあったと思います。
「テアトル東京」はシネラマという半円形の巨大スクリーンが有名な大型劇場でしたが、「テアトル銀座」は通常の当時としては中規模劇場でした。私は70年代にいくつかの名画をこの劇場で見ましたが、落ち着いた感じのとても素敵な劇場だったと思います。
現在のテアトル銀座は経営母体が同じだけで、何の関係もありませんが、くしくもこの5月で営業を終了するそうです。建物等が売却等で継続されるのか、壊されるのかはよくわかりません
ダイアナ・ろーたす様、いつも貴重な情報をありがとうございます! 「テアトル銀座」には何度か行かれたことがあるのですね。羨ましいです~。私も、もっときちんとした情報を得ていたら、「ルネ・オン・メロディ」だけでも観に行きたかったです。また何か情報がございましたら教えてください、よろしくお願いいたします。
▲1983年に発足したルネとナタリーのファン・クラブの会誌第1号の表紙
私は、この来日は、ルネが日本のファンの強い要望と署名活動によって招待され、それにナタリーがセットで付いてきたのだとばかり思っていました。何故なら、私が友人と署名活動をしてから、半年も経たずに実現した来日だったからです。しかし、その来日は、ルネの妹ナタリーの日本デビューに合わせ、SONYとALFAレコードによって、すでに計画が進んでいた来日だったのかもしれません。
そして今思い出してみると、その友人は「ちびっ子ものまね」の関西地区チャンピオンでした。当時はスター発掘番組の全盛期で、「ちびっ子ものまね」も、スターとして見込みのある優勝者や上位入賞者は、芸能事務所からスカウトされていました。彼女はルネの"L'oiseau"を歌って優勝していたので、彼女の入った芸能事務所は、「ルネの再来」を売りに彼女をデビューさせる予定でレッスンを始めていました。そのためルネの来日は、彼女のデビューにとっても重要なことだったのでしょう。ルネの来日を求める署名活動は、芸能事務所のアドバイスで始めたと聞いていました。しかし、たとえ彼女が「ルネの再来」としてデビューできていたとしても、ルネの実の妹で、ルネに歌声も容姿もそっくりのナタリーが、大手のSONYによって日本デビューを進めていた中で活動するのは、かなり難しかったと思います。ドラマ等の見過ぎかもしれませんが、圧力をかけられたかもしれません。でも、この来日の頃には、彼女はヴォイス・トレーニングで声帯を痛め、歌手デビューを断念していました。彼女が所属していた芸能事務所が、どこかまでは聞いていませんでしたが、彼女は、「スチュワーデス物語」で一世を風靡した堀ちえみさんと同期で、デビュー前の堀ちえみさんをよく知っていたので、「ホリ・プロ」系列の関西の事務所だったのかもしれません。彼女がデビューを断念した頃、彼女は当時高校生だったにもかかわらず、すでにピアノの指導助手を務め、大卒の初任給以上の収入がありました。ピアノの先生と一緒にカナダに行くとも言っており、その後しばらくして連絡が取れなくなってしまったので、カナダに行ったのかもしれません。今はどうしているのでしょう。まだカナダにいて、ルネのファンを続けていてくれたら嬉しいです。
ちなみに、芸能事務所から得た情報だったのか、彼女はALFAレコードにナタリーたちがいる時間帯を知っており、前夜祭にも行き、ルネが帰国する時には成田空港まで見送りに行きました。余談ですが、彼女はルネに"Dont Forget me!"と言おうとして、間違って"Forget me."と言ってしまい、ルネから何度も"Why?"と聞かれたそうです。ルネと別れてから気付いたと、手紙で報告しくれました。また、その時私のためにもらってくれたルネのサインも、一緒に送ってくれました。
ルネの来日については、第12回東京音楽祭世界大会のプレゼンターは名目でしかなく、実際には、ALFAレコードとSONYの「夢よもう一度」企画による、ルネにそっくりのナタリーを売り出すための戦略だったのです。
ルネ・ブームの頃のルネと年も同じで、ルネに外見も歌声もそっくりで、その上、女の子で変声期のないナタリーは、ルネの変声で諦めざるを得なかったビジネス・チャンスを狙うには、もってこいの逸材でした。ナタリーの日本デビューは、すでにスーパー・アイドルとして活躍していたカナダでも大きく取り上げられ、多くのメディアやファンが注目していたことは、同年に発足したカナダのルネとナタリーのファン・クラブの会誌第1号でも分かります。
そして、私が知らなかっただけで、その時の来日では、ルネよりもナタリーの方がTV番組に出演しており、日本でのデビュー曲となる「5月の手紙」も歌っていました。ルネはナタリーの売り出しのために影に徹していて、ALFAレコードでの打ち合わせでは、ナタリーのマネージャーと勘違いされたりしていたようでした。その合間に、ルネは当時自分がファンだった、バリー・マニローのコンサートに行ったりもしていましたが…。
※過去ログ「日本のナタリー・プロジェクト」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/517.html
▲“Toujour plus ioin”のレコード・ジャケット
私はその当時、ルネが来日したことだけを両手放しで喜んでいました。ルネが素敵な青年に成長していることは、仏語の教授からいただいたルネのレコードとポスターで知っていたし、ルネのために“Toujour plus ioin”のレコード・ジャケットのルネをイラストボードにパステルで描いて持っていったりしました。しかし、友人とALFAレコードに会いに行った時、ルネはバリー・マニローのコンサートに行っていたために会えず(ルネの絵はナタリーに渡しました)、東京音楽祭の前夜祭にも誘われたのに、職場の職員旅行をキャンセルすることもできず、挙げ句の果てに、ナイター中継の時間延長で前夜祭のビデオが撮れていなかったことに涙していました。1人暮らしでテレビも無かったため、TV出演の様子も分からなかったので、まさか、ルネよりもナタリーの売り出しがメインの来日だなどとは夢にも思っていませんでした。ですから、このブログがきっかけで、そのことを知った時、大変ショックを受けました。しかしそれ以上に、来日しなかった9年の間に、ルネ・ブームがすでに過去のものとなり、日本の芸能界は自分を必要としていないと痛感した時のルネの寂しさを考えると、心が痛み、涙が出ました。前夜祭のインタビューでも、ナタリーを売り込むためとはいえ、2人のアナウンサーが「もう、お兄さんを越えている」と口を揃えるように言っていることに、ルネ・ファンの私は「不快感」を通り越して「怒り」さえ覚えました。ルネは笑顔で応対しているけれど、だからこそ余計に「失礼な★」と思ってしまいました。そのため、今では、あの時前夜祭に行けなくて、そして、ビデオが撮れて無くて良かったとさえ思うようになっています。また、この来日以降、「あのスターは今」的な番組以外では来日もTV出演もしていないのは、ルネのせいではなく(「エルヴィス・ストーリー」は演出家として同行したので別)、日本のTVや音楽業界の扱いのせいだったのですよね。日本がルネを呼ばなかったのです。
▲ルネとナタリーのファン・クラブ会誌№1より
ですから、ルネの日本の全曲集CD「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」が発売になったことを知った時、ルネは”very happy”だったんです。
そして、話は変わりますが、以前、ソースかつどんさんから、「このCD発売が実現した次の目標は、DVDボックスですね。」とメッセージをいただきました。もし、TV放映されたファースト・コンサート映像や、出演したTV番組映像がまだ保管されているのなら、DVDボックスは無理としても、どこかで放映していただきたいです。私はあまり見たことがないので、是非見たいと切望しています。
▲ルネとナタリーのファン・クラブ会誌№1より
「Passion ルネ・シマール au Japon」のしゃむねこさんが、プログで第12回東京音楽祭世界大会とその前夜祭についての記事を書いていらっしゃいます。ビデオ録画してあった同番組を、テレビ画像と一緒に詳しくリポートしてありますので、是非ご覧ください。
また、YouTube映像にも、前夜祭でルネとナタリーが「ミドリ色の屋根」を歌っている映像が有りますので、そちらもお楽しみください。
第12回東京音楽祭(1983年)/前夜祭の番組のビデオから
♪Youtube映像”Rene & Nathalie in Japan”
http://www.youtube.com/watch?v=KMvxqdG31xc&feature=share&list=FLX12E-efRQ7oPC3A-ki4poA
※「Passion ルネ・シマール au Japon」の記事より
「第12回東京音楽祭のルネとナタリー 1983年」
http://renesimard.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html
「Un Air de Famille と第12回東京音楽祭前夜祭の様子から」
http://renesimard.blogspot.co.nz/2013/02/un-air-de-famille.html
また、以前にも書きましたが、現在facebookでは、グループ「Rene to Japan! ルネを日本へ!」において、ルネが初来日し、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞した記念すべき1974年から40年目に当たる2014年に向け、「ルネを日本に呼べたら」と、メンバーでいろいろな話をしています。実現させることができるかどうかは別として、私は、ルネが日本に来た時に、4回目の来日や第12回東京音楽祭世界大会のための来日の時のような、失礼なことが無いようにしたいと強く思っています。絶対に、ルネに悲しい思いをさせてはなりません。日本のファンの威信にかけても、2度と、日本で、ルネを寂しい気持ちにさせてはいけないのです。そのために、ファン同士が協力し、このことに賛同する仲間たちとともに、活動を楽しみながら、万全の準備をして迎えたいと思っています。その時は、ルネ友さんたちも、ご協力をどうぞよろしくお願いいたします!
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
先週の記事「『ルネ・オン・メロティ』の劇場あいさつ」の「テアトル銀座」について、ルネ友のダイアナ・ろーたすさん(旧ダイアナ・シールズさん)より情報をいただきました。ダイアナさんからのコメントをそのまま紹介いたしますが、この映画館は、今年の5月で営業を終了してしまうそうです。今年から来年は、ルネ来日とカレンダーの並びが同じの上に、来年はルネの来日40周年を迎える年なので、ちょっと残念です。
▲年友さん提供 現在のテアトル銀座と1981年頃の同映画館(写真右下)
ダイアナ・ろーたす
ご無沙汰しています。
ルネ・オン・メロディは東京ではテアトル銀座で上映されたんですね。
当時のテアトル銀座ということで、写真が掲載されていますが、同じビルの中に「テアトル東京」「テアトル銀座」という2つの映画館が入っていて、写真は「テアトル東京」の正面入り口になります。「テアトル銀座」はビル横から入り、たしか地下にあったと思います。
「テアトル東京」はシネラマという半円形の巨大スクリーンが有名な大型劇場でしたが、「テアトル銀座」は通常の当時としては中規模劇場でした。私は70年代にいくつかの名画をこの劇場で見ましたが、落ち着いた感じのとても素敵な劇場だったと思います。
現在のテアトル銀座は経営母体が同じだけで、何の関係もありませんが、くしくもこの5月で営業を終了するそうです。建物等が売却等で継続されるのか、壊されるのかはよくわかりません
ダイアナ・ろーたす様、いつも貴重な情報をありがとうございます! 「テアトル銀座」には何度か行かれたことがあるのですね。羨ましいです~。私も、もっときちんとした情報を得ていたら、「ルネ・オン・メロディ」だけでも観に行きたかったです。また何か情報がございましたら教えてください、よろしくお願いいたします。