悲しい夢を見るのはつらい。でも楽しかったころの夢をみて目覚めるのはもっとつらい。目覚めた瞬間、微笑んでいる自分に気づいて涙が出る。戻らないあのころを余計に思い出して胸が苦しくなる。
こうなる前に世界が滅びればよかったのに。そうすればこんなにつらい思いをしなくてすんだのに。そうすれば幸せしか知らないですんだのに。どうしてこんなにつらいのに、生きているんだろう、私。
翌日、再び隣町の公園に足を運んだ。ウォークマンのヘッドフォンはつけたままである。ジェイクがヘッドフォンごしに話しかけてくるのだ。電話のような感覚である。
あれから私はジェイクのノロケ話をさんざん聞かされた。
『オレの恋人、美音子』
ジェイクの嬉しそうな声に胸が痛んだ。私も〈彼〉の名前を言う時はいつもこんな風に誇らしげだった。それが今は、名前なんてつらすぎて口に出せない。
『MD、捨てられてないといいなあ』
ジェイクは妙にうきうきしている。
『二年たったってことは、ヒロキはオレとタメか。変な感じ。美音子は二十五! いい女になってるだろうなあ』
「あのさあ」
話を聞いていてイライラしてきた。その気持ちのままトゲトゲしく言葉を続けた。
「彼女二十五歳ってことは結婚しててもおかしくないよ? もう二年もたつんだし、あんたのことなんか忘れてるかもよ」
『そりゃあないよ』
あっさりと、ジェイクがいう。
『オレと美音子は永遠の愛を誓ったんだ。あいつがオレを忘れるなんてありえないね』
その信じて疑わないセリフ、腹が立つ。
私だって〈彼〉と三年つきあった。「ずっと一緒にいよう」って約束した。信じた。全て信じた。でもそんな約束、もう……。
『あ、ヒロキだ! うわあ変わんねなあ!』
ジェイクの叫び声で我に返った。黄色い頭のお兄さんが昨日とまったく同じ場所で店を広げている。ジェイクが並べられている品々をみて今度は悲鳴をあげた。
『オレの物ばっかじゃねえかよ。げっオレの宝“Gibson”まで売る気かよ!』
「うるさいよ。あんた。黙っててよ」
小さく制して、ヒロキさんに近づく。すると、向こうから笑いかけてくれた。
「昨日ウォークマン買ってくれた子だよね? どう調子は? 大丈夫だった?」
「ええ。時々変な雑音が入るけど」
『雑音とはなんだ雑音とはっ』
ジェイクのがなり声を無視して続ける。
「今日はこのウォークマンで聞けるもの探しにきたんですけど」
「ってことはMDか。みてみる?」
ヒロキさんが親切に奥に置いてあったダンボール箱を持ってきてくれた。山のようにMDやカセットテープが入っている。この中から探し出せというのか。
「オレもね、ここにあるもの全部、兄貴の物だから中身よく知らないんだよ」
「お兄さん?」
言うと、ヒロキさんは、しまった、という顔をして口をつぐんだ。死んだ人間の物を買うというのは、あまり気味の良い話ではない。おそらく誰の持ち物であるかは内緒で売るつもりだったのだろう。
「あの、お兄さんって、ジェイクさん、ですか?」
「え、兄貴のこと知ってるの?」
驚いたようにヒロキさんが叫んだ。
「ええ、まあ、あの……お亡くなりになったんですよね?」
言うと、ヒロキさんは気まずそうに頭を下げた。
「ごめんね。言わなくて。死んだ人間の物なんて誰も買わないと思って黙ってたんだ。実は、兄貴の持ち物、家にあっても悲しくなるだけだから処分してくれって親に頼まれてさ。捨てるのも辛いし、でもリサイクルショップに売ってどんな奴が買ったか分からないの嫌だから、こうやって大事に使ってくれそうな人かどうか見極めてから売ってるってわけ」
なるほど。
「じゃ、私はそのお眼鏡にかなったんですね」
「うん。君はね、なんか……さみしそうだったからかな。そのさみしさ紛らわすために使ってほしいなって思ったんだ」
「さみしそう? 私が?」
「うん。さみしそう」
『うん。さみしそう』
いきなりジェイクが話に参加してくる。
『男に振られたんだろ? オレも覚えあるよ。高校一年の時、女に振られて、今のお前みたいに何も食べられない眠れないってなったもん。ありゃつらかったよ。だからお前の気持ちもよく……』
知った風な言葉にカチンときた。声を聞きたくなくて、ヘッドフォンを外す。
「あの、MDみせてくださいね」
返事も待たず、ダンボール箱ごと人気のないベンチに持っていく。一つ一つ見たけれど、どれのことだか分からず、しょうがなくまたヘッドフォンをする。
「ねえ、どれ?」
『何怒ってんだよ? 図星だったのか? 男に振られたっての』
「……そうだよ」
MDをベンチの上に並べながら肯いた。つらくて人に話すのは嫌だったのだが、それでも話したのは、美音子さんを信じて疑わないジェイクの考えを揺るがせてやりたかったからかもしれない。
「一ヶ月前に振られたばっかりだよ。他に好きな子ができたって。私達つきあってちょうど三年だったんだ。ずっと一緒にいてこれからもずっと一緒にいられると思ってたよ。ずっと一緒にいるって約束してた。でも終わる時はあっけなかったよ。一方的に、はい、さようならってね」
ジェイクが黙っているのでそのまま続けた。
「人の気持ちほど不確かなものなんてないよ。約束なんてあてになんないよ。だからさ、美音子さんには会わないほうがいいよ。知らないほうが幸せだってこともあるよ。【永遠の約束】なんてありえないんだから」
『でも、オレは愛してる』
ポツリといわれ言葉をとめた。
どうせ裏切られて泣くのはジェイク自身なんだ。傷ついて私の言葉を身をもって知ればいい。
「で、どんなMDなの?」
『ピンクで何も書いてないやつ』
真ん中あたりからジェイクに教えられた条件と一致するMDがでてきた。一応全てに目を通し、それ以外で該当するものがないか確認してから他のMDをダンボールの中に入れ直した。
「このMD、いくらですか?」
ポケッとタバコを吸っていたヒロキさんに声をかけると、
「いいよ。タダで。なんかさあ、君のそのさみしそうな顔みてたら思い出しちゃったよ。当時の兄貴の彼女のこと」
美音子さんのことだ。
「兄貴、突然死んじゃったからね。彼女すごいショック受けて、痛々しかったんだ」
ちょうどいい機会だ。美音子さんの居場所を聞いてしまおう。
「その彼女、今どうしてるんですか?」
「実家の花屋継いでるらしいよ。花買うことあったら行ってあげてよ。場所はね……」
案外と近い。電車で二十分ほどのところだ。
「ありがとうございました。……え?」
立ち去ろうとしたところ、おもむろにMDを渡された。“KINKS HIT SINGLES”と書かれている。
「元気が出る曲ばっかりだよ。なにがあったか知らないけど早く元気になってね」
ヒロキさんが人なつっこい笑顔でいう。
「オレ明日もいるからよかったらまた来て」
「………」
ぺこりと頭を下げた。
今は誰かに優しくされるのも、つらい。
こうなる前に世界が滅びればよかったのに。そうすればこんなにつらい思いをしなくてすんだのに。そうすれば幸せしか知らないですんだのに。どうしてこんなにつらいのに、生きているんだろう、私。
翌日、再び隣町の公園に足を運んだ。ウォークマンのヘッドフォンはつけたままである。ジェイクがヘッドフォンごしに話しかけてくるのだ。電話のような感覚である。
あれから私はジェイクのノロケ話をさんざん聞かされた。
『オレの恋人、美音子』
ジェイクの嬉しそうな声に胸が痛んだ。私も〈彼〉の名前を言う時はいつもこんな風に誇らしげだった。それが今は、名前なんてつらすぎて口に出せない。
『MD、捨てられてないといいなあ』
ジェイクは妙にうきうきしている。
『二年たったってことは、ヒロキはオレとタメか。変な感じ。美音子は二十五! いい女になってるだろうなあ』
「あのさあ」
話を聞いていてイライラしてきた。その気持ちのままトゲトゲしく言葉を続けた。
「彼女二十五歳ってことは結婚しててもおかしくないよ? もう二年もたつんだし、あんたのことなんか忘れてるかもよ」
『そりゃあないよ』
あっさりと、ジェイクがいう。
『オレと美音子は永遠の愛を誓ったんだ。あいつがオレを忘れるなんてありえないね』
その信じて疑わないセリフ、腹が立つ。
私だって〈彼〉と三年つきあった。「ずっと一緒にいよう」って約束した。信じた。全て信じた。でもそんな約束、もう……。
『あ、ヒロキだ! うわあ変わんねなあ!』
ジェイクの叫び声で我に返った。黄色い頭のお兄さんが昨日とまったく同じ場所で店を広げている。ジェイクが並べられている品々をみて今度は悲鳴をあげた。
『オレの物ばっかじゃねえかよ。げっオレの宝“Gibson”まで売る気かよ!』
「うるさいよ。あんた。黙っててよ」
小さく制して、ヒロキさんに近づく。すると、向こうから笑いかけてくれた。
「昨日ウォークマン買ってくれた子だよね? どう調子は? 大丈夫だった?」
「ええ。時々変な雑音が入るけど」
『雑音とはなんだ雑音とはっ』
ジェイクのがなり声を無視して続ける。
「今日はこのウォークマンで聞けるもの探しにきたんですけど」
「ってことはMDか。みてみる?」
ヒロキさんが親切に奥に置いてあったダンボール箱を持ってきてくれた。山のようにMDやカセットテープが入っている。この中から探し出せというのか。
「オレもね、ここにあるもの全部、兄貴の物だから中身よく知らないんだよ」
「お兄さん?」
言うと、ヒロキさんは、しまった、という顔をして口をつぐんだ。死んだ人間の物を買うというのは、あまり気味の良い話ではない。おそらく誰の持ち物であるかは内緒で売るつもりだったのだろう。
「あの、お兄さんって、ジェイクさん、ですか?」
「え、兄貴のこと知ってるの?」
驚いたようにヒロキさんが叫んだ。
「ええ、まあ、あの……お亡くなりになったんですよね?」
言うと、ヒロキさんは気まずそうに頭を下げた。
「ごめんね。言わなくて。死んだ人間の物なんて誰も買わないと思って黙ってたんだ。実は、兄貴の持ち物、家にあっても悲しくなるだけだから処分してくれって親に頼まれてさ。捨てるのも辛いし、でもリサイクルショップに売ってどんな奴が買ったか分からないの嫌だから、こうやって大事に使ってくれそうな人かどうか見極めてから売ってるってわけ」
なるほど。
「じゃ、私はそのお眼鏡にかなったんですね」
「うん。君はね、なんか……さみしそうだったからかな。そのさみしさ紛らわすために使ってほしいなって思ったんだ」
「さみしそう? 私が?」
「うん。さみしそう」
『うん。さみしそう』
いきなりジェイクが話に参加してくる。
『男に振られたんだろ? オレも覚えあるよ。高校一年の時、女に振られて、今のお前みたいに何も食べられない眠れないってなったもん。ありゃつらかったよ。だからお前の気持ちもよく……』
知った風な言葉にカチンときた。声を聞きたくなくて、ヘッドフォンを外す。
「あの、MDみせてくださいね」
返事も待たず、ダンボール箱ごと人気のないベンチに持っていく。一つ一つ見たけれど、どれのことだか分からず、しょうがなくまたヘッドフォンをする。
「ねえ、どれ?」
『何怒ってんだよ? 図星だったのか? 男に振られたっての』
「……そうだよ」
MDをベンチの上に並べながら肯いた。つらくて人に話すのは嫌だったのだが、それでも話したのは、美音子さんを信じて疑わないジェイクの考えを揺るがせてやりたかったからかもしれない。
「一ヶ月前に振られたばっかりだよ。他に好きな子ができたって。私達つきあってちょうど三年だったんだ。ずっと一緒にいてこれからもずっと一緒にいられると思ってたよ。ずっと一緒にいるって約束してた。でも終わる時はあっけなかったよ。一方的に、はい、さようならってね」
ジェイクが黙っているのでそのまま続けた。
「人の気持ちほど不確かなものなんてないよ。約束なんてあてになんないよ。だからさ、美音子さんには会わないほうがいいよ。知らないほうが幸せだってこともあるよ。【永遠の約束】なんてありえないんだから」
『でも、オレは愛してる』
ポツリといわれ言葉をとめた。
どうせ裏切られて泣くのはジェイク自身なんだ。傷ついて私の言葉を身をもって知ればいい。
「で、どんなMDなの?」
『ピンクで何も書いてないやつ』
真ん中あたりからジェイクに教えられた条件と一致するMDがでてきた。一応全てに目を通し、それ以外で該当するものがないか確認してから他のMDをダンボールの中に入れ直した。
「このMD、いくらですか?」
ポケッとタバコを吸っていたヒロキさんに声をかけると、
「いいよ。タダで。なんかさあ、君のそのさみしそうな顔みてたら思い出しちゃったよ。当時の兄貴の彼女のこと」
美音子さんのことだ。
「兄貴、突然死んじゃったからね。彼女すごいショック受けて、痛々しかったんだ」
ちょうどいい機会だ。美音子さんの居場所を聞いてしまおう。
「その彼女、今どうしてるんですか?」
「実家の花屋継いでるらしいよ。花買うことあったら行ってあげてよ。場所はね……」
案外と近い。電車で二十分ほどのところだ。
「ありがとうございました。……え?」
立ち去ろうとしたところ、おもむろにMDを渡された。“KINKS HIT SINGLES”と書かれている。
「元気が出る曲ばっかりだよ。なにがあったか知らないけど早く元気になってね」
ヒロキさんが人なつっこい笑顔でいう。
「オレ明日もいるからよかったらまた来て」
「………」
ぺこりと頭を下げた。
今は誰かに優しくされるのも、つらい。