まるで映画でもみている感じ。
まわりで起きていることは全部スクリーンの向こうのこと。
自分が生きてるのかも、もうこの世にいないのかも、全然わからない。
そんなとき、あたしはちょっと自分を傷つけてみる。
切った先から鮮やかな赤い血が流れてくるのを見ると、安心する。
あたしは生きてる。あたしの血は赤くてキレイ。あたしは生きてる……。
「目黒さん?! ……誰か先生呼んで!」
ぼんやりとしたスクリーンの向こうで、看護師さんが叫んでる。
ああ、ここって病院の待合室だったっけ………
「外村先生は?!」
「今、手術中で……」
音量大きすぎ。うるさい。女の人のギャアギャアした声ってホントうるさい。
「院長? 西田です。今……」
ガサツで口が悪い看護師がどこかに電話してる。
「戸田先生じゃ無理です。使い物になんない……え? 渋谷先生? 小児の? はあ……分かりました」
西田サンは電話を乱暴に切ると、
「ヨーコちゃん、小児の渋谷先生、大至急呼び出して」
「え? 渋谷先生って、あの渋谷先生ですか?」
「院長が、渋谷先生なら処置できるって言ってる。急いで」
バタバタバタ、バタバタバタ、みんな忙しそう……
意識を失う寸前、口の悪い西田サンがあたしの手をおさえながら言ったのを覚えてる。
「目黒さん、すっごいイケメンがあなたを助けてくれるよ。だから頑張って」
***
目覚めると、真っ白い部屋の中にいた。
大きな窓から差し込んできてるのは、夕日なのか朝日なのか……
「目黒さん?」
枕元から、なんだか心地の良い声……。
そちらを向いて……思わず息をのんだ。
(天使……)
天使だ、と思った。窓からの光を背にうけて光輝いている。
完璧に整った中性的な顔立ち。包み込むような優しい瞳。白衣を身にまとった天使。
「あたし………死んだの?」
天使のお迎えだ、と思った。
でも天使は、優しく微笑んで首を横に振った。
「生きてるよ? ほら、温かい……」
「…………」
包帯でまかれてる左手を、そっと包んでくれる天使。
「ホントだ……生きてる……」
天使の手……ちゃんと感じられる。スクリーンの中じゃない。ここにある。
「目黒さん、もう死のうとなんてしちゃだめだよ?」
「え」
せっかくの天使との空間に、ガサツな声が割り込んできた。西田サンだ。
あたし、首をかしげる。
「あたし、死のうとなんてしてないけどー?」
「はあ? 何言ってんの? あんなに深く切ったら死んじゃうでしょ。だいたいあんな大きなカッター、いつも持ち歩いてるわけ?」
「カッター……ああ、うん。護身用」
そうだ……待合室で呼ばれるの待ってたら、どうしても切りたくなって、それで……
「死のうとしてないって、じゃ何で……」
「生きているのかどうか、確かめたくなった?」
「!」
とげとげした西田サンの声をかき消す、涼やかな声。
天使、あたしの心の中を読んだの?
「確かめたくって……って」
西田サンの呆気にとられた顔の横で、天使が寂しげに瞳を伏せた。
「こんな方法で確かめなくても大丈夫だよ。大丈夫。君はちゃんと生きてる」
「え………」
「今度確かめたくなったら、胸に手を当ててみて。鼓動が伝ってくるよ」
「…………」
言われるまま、胸に手を当てる。わずかに伝わってくる鼓動。
「君が生きている証。大丈夫。君は生きてる……生きてる」
「…………」
天使の優しい声。
温かい。温かい気持ちが流れ込んでくる。
知らない間に涙がボロボロと流れ落ちていた。天使はそれを優しく拭ってくれた。
**
天使の名前は「渋谷先生」らしい。
でも次の日、病室にきてくれたのは渋谷先生じゃなかった。
外村とかいうコワイおじさん先生が傷口を見て、「きれいに縫えてる」って感心してた。
渋谷先生のこと聞きたかったけど、こわくてツッコめなかった……。
そのまま退院してしまったから、渋谷先生のことは分からないままで……
一週間後、抜糸をしにいったんだけど、それも残念ながらコワイ外村先生だった。
看護師さんに聞いてみたら、渋谷先生は小児科の先生だと言われた。そういえばあの時そんな会話をしていたような……。
小児科では診察を口実に会いに行くことはできない。今度来た時には見張ってみようと思う。
と、いうことで、その10日後。
小児科近くの喫茶スペースで、昼休み前から見張ってみた。
午前の診察は12時までのはずで、午後の診察は14時からだというのに、小児科は大盛況で13時半を過ぎても診察は終わらなかった。もう、午後からの診察を待っている親子連れもいるし、このまま昼休みとらないで午後の診察になっちゃうのかな……と諦めかけた、13時50分。
「あ~いいな~渋谷先生、愛妻弁当~」
「10分じゃ、味わうこともできないですね~せっかく作ってくれた奥さんかわいそ~」
「じゃ、ごめん。すぐ戻る」
看護師たちの冷やかす声に苦笑しながら左手をあげた渋谷先生。その薬指には……指輪。
うそ……。この前はしてなかったのに……。結婚したってこと?
渋谷先生は急ぎ足で喫茶スペースを横切ろうとして……
「あれ? 目黒さん?」
「!!!」
声かけてくれた!! 名前! 覚えててくれた!!!
「診察?」
「あ……はい! はい。経過観察、みたいなー?」
「そっか」
「外村先生が、きれいに縫えてるって褒めてましたー」
「それは良かった」
ニッコリとした渋谷先生。鼻血もののまぶしい笑顔。
「先生は……これからご飯?」
「あ、そうそう。ごめん、2時までに戻らないとだから急いでて」
「愛妻弁当、見てみたいなー」
「え?」
「ここで食べればいいじゃないですかー」
「うーん……ここで弁当広げるのはちょっと……ごめんね。じゃ、お大事にね」
爽やかな笑顔で去っていく。天使だ……。
でも……天使が愛妻弁当? 愛妻って何? 愛する妻? 天使に妻? ありえなくない?
「愛妻……見てみたい」
よし。見に行こう。
そうと決まったら話は早い。速攻で家に帰って、変身セットを用意する。
黒縁の眼鏡。ピンクの頭がすっぽり隠れる帽子。めったに履かないパンツ。絶対に私だって分からない。
駅にいって、ICカードにお金をたくさんいれてきた。先生がどんなに遠くから通っていてもこれで大丈夫。
寒さに耐えながら、職員玄関の見える路地で待ち続け……ようやく渋谷先生が出てきたのは8時を過ぎていた。お腹空いた……。
渋谷先生は、黒のコートに鮮やかなオレンジのマフラーをしていた。白衣とは全然雰囲気が違って、これまたかっこよすぎる。目立つので、尾行しても見失うことはなかった。
先生が降りた駅は、急行は止まらないけど、小さくもなく、すごく大きいわけでもない駅。改札を出た目の前にスーパーがある。
先生が歩いていくのを、つかず離れず追いかける。追いかけていたところで……
「けーいくーん」
後ろから、よく通るきれいな女の人の声がして、びっくりして振り返った。その先にいたのは、
「え」
ぎょっとしてしまうくらいの美人。その美人が颯爽と先生のところに駆け寄っていく。手にしているのは、駅前のスーパーの袋。牛乳が入っているのが見える。
「あれが……愛妻?」
美人は先生にスーパーの袋の中身を見せて何か話している。先生、楽しそうに笑ってる……。
そして、自然な感じにその袋を先生が受け取って持ち、二人は並んで歩いていく。
「背……高い」
美人は先生より少し背が高くて、スラッとしている。
「美男美女カップル」という言葉がぴったりと当てはまる2人。すれ違う人も二人をジロジロとみている。気持ちは分かる。一人ずつでも充分美しいのに、二人そろうと、オーラがハンパない。
「ずるい……」
尾行する気が失せて、二人の後姿を見送る。
すごい美人で、声もきれいで、背も高くて、高そうなコート着てて、その上、超イケメンの優しいお医者さんが旦那って、どんだけ恵まれてるの? 世の中不公平すぎない? おかしいでしょ?
「…………」
あたしが勝っているところといったら……若さ、くらいかな。
あの女はたぶん、30代。先生と同じくらいの年齢とみた。
でも、若さはすごい武器だ、とママちゃんも言っていた。
あたし、頑張る。頑張って振り向かせる。あの女から先生を奪ってやる。
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樹理亜パート終了。
上記の美人妻は、浩介の友人のあかねさんです。
若く見えるけど、実際は慶と浩介と同じ歳。今年41です。
あかね:「今から遊びに行くー」
浩介:「じゃ、牛乳買ってきて」
あかね:「えー」
浩介:「プリン買っていいから」
と、いうことでした。で、
あかね:「牛乳買ってきてって頼まれたの。お駄賃はプリンってことで」
慶:「お駄賃って(笑)」
あかね:「子供のおつかいみたいよね~」
慶:「すみません(笑)ありがとうございます。あ、おれ持ちます」
と、いうことでした。
慶はあかねに対しては、ほぼ敬語です。
同じ大学の一年先輩(慶は一浪してるので)だったのと、バイト先の常連だったのを引きずっているのだと思います。
医者の慶くん、大人でよそいきな感じでなんかくすぐったいなー。
ホントは口悪いくせにね。
次は慶パート。
こんな感じに、一回ずつで順々に視点変えていきたい。
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