母に癌の疑いがある
と、妹の南から連絡があったのは、11月下旬にさしかかるころだった。
「お母さんにはお兄ちゃんには知らせるなって言われたんだけど、お姉ちゃんとも相談して、やっぱりお兄ちゃんに聞くのが一番かな、と思って」
今、母が通っている病院の評判をききたい、という。
近所やネット上での評判はいいけれど本当に大丈夫か心配。同業者だったら本当のことを知ってるんじゃないかと思って、と。
日本の医師仲間とは時々は連絡を取り合っていた。そんな中でも一番密に連絡を取っていて一番信用できるのが、峰先生だ。おれより一回り年上で、娘さんが二人いる。数年前に親戚の病院にうつり、昨年からは院長職についているらしい。地域密着型の病院で居心地は抜群、だそうだ。
峰先生に聞いたところ、評判通りのきちんとした病院であり、母の主治医も信頼できる医師なので、安心して任せたらいい、といわれて、胸をなでおろした。
お礼をいって、スカイプを切ろうとしたところ、ちょっと待て、と止められた。
「お前、こっちに帰ってくる気はまったくないのか?」
何を唐突に……。言葉を詰まらせたおれに、峰先生がたたみかけた。
「帰ってこられるんだったら、うちで働かないか?」
峰先生の病院の小児科の医師が退職を希望しているらしい。ご主人が北海道へ転勤になり、それに着いていきたい、と言っているそうだ。
次の医師が決まるまではいてくれると言っているけれど、次がなかなか決まらなくて困っている。
日本語が不自由な患者さんも多いため、日常会話程度の英語が話せるというのが条件の一つらしく、お前だったら大丈夫だろ、と……。
「あとな。お前を口説くためにいうわけじゃないけど」
と、峰先生は前置きをして口調をあらためた。
自分の子供にめったに会えないっていうのは寂しいもんだと思うぞ?
お前の母親ってことは70くらいだろ? 癌であってもなくても、このまま外国暮らしを続けるんじゃ、あと何回会えるかどうかってことになるぞ?
そろそろ帰ってきてやったらどうなんだ?
「…………」
ずっと目を背けてきた話を、真正面から切りこまれてしまった。
スカイプを切ったあと、椅子に座ったまま動けなくなったおれの横に、そっと浩介が座った。
そして………
「慶」
切ないほど、泣きたくなるような愛おしさをこめた声でおれを呼んだ。
「日本に、帰ろう」
「……………」
浩介をふり仰ぐ。ここが事務所の中でなければ、その手をぎゅっと握りしめているところだ。
「でも……」
「8年もおれのわがままに付き合わせてごめんね」
「わがままって、そんな……おれは」
浩介が静かに首をふる。
「ちょうどいい機会だよ。ここの地域からの撤退の話も出てることだし、タイミング的には今を置いてないよ」
「浩介………」
浩介の優しい瞳。本心かどうか分からない。分からないけれど、この浩介の優しさを無視して帰国をやめたら、おれ達はずっとギクシャクしてしまう。長い付き合いなのでそのくらいのことは分かる。
「……ありがとう」
「うん」
にっこりと笑う浩介。
それからの浩介の行動は早かった。撤退のタイミングの調整、日本での住居の確保、チケットの手配、おれが自分の引継ぎでいっぱいいっぱいになっている中、帰国に関することはすべて処理してくれた。
帰国後の就職先、峰先生の病院を考えたいところだけれども、その前に、先生に言っておかなくてはならないことがあった。浩介のことだ。
峰先生は、浩介の存在を女だと信じて疑っていない。おれもあえて否定せずにきていた。日本にいたころは浩介とは別々に住んでいたので、それでもよかったけれど、帰国後はもちろん一緒に住むつもりだ。このまま峰先生にも隠し通すのはマズイだろう。
病院も客商売だ。患者さんにどこでどう伝わるかもわからない。そんなおれを雇ってくれるのかどうか……。
「………マジか」
電話先での峰先生の第一声はそれだった。絶句、という感じの無言が続く。
この無言はキツイ……。今回はスカイプではないのでどんな表情で黙っているのかも分からない。
耐えかねて、
「病院側に迷惑がかかるようなことになったら申し訳ないので、今回のお話は……、先生?」
自ら辞退の言葉を口にしようとした、が、先生がいきなりゲラゲラと笑いだしたので言葉をとめた。
「先生? どうし……」
「なーるーほーどーなー! 納得納得」
峰先生はなぜか笑い続けている。
「何が納得……」
「いやーさー、お前の彼女、完璧だっただろ? お前が忙しくても文句も言わずメシ作って待っててくれて、約束すっぽかしても怒らなくて、仕事に理解があって……、ってそんな女いるのかよ!って思ってたけど、男だったんだなー! だったら納得! あーすっきりした」
「すっきりって……」
今度はこっちが絶句する番だ。
「ずっと不思議だったんだよ。なんか裏があるんじゃねえかって思ったりな」
峰先生、楽しそうだ。
「そうか~男か~なるほどな~。そういうオチだったか」
「あのー…」
「まあ、気にすんな。とは言っても、やっぱり初めからカミングアウトするのは冒険すぎるから、とりあえずは黙っておいてくれや」
「え」
じゃあ…雇ってくれると…?
「できれば年内に引き継ぎをしたい。帰ってこられるか?」
「あの……いいんですか?」
「何が?」
何がって……。
「オレはお前が患者さん一人一人とちゃんと向き合える医者だってことは良く知ってるからな。それに、そっちに行ってからも取り残されないようにすっげー勉強してることも知ってる」
「先生……」
「それになにより」
峰先生がニヤリと笑った顔が思い浮かぶ。
「お前、顔がいいからな。ゲイかどうかなんて大した問題じゃない。イケメンかそうでないかが問題だ」
「はあ……」
「駅近くに新しくクリニックができてなあ。人が流れていっている感が否めないんだよ今。イケメン先生投入でそこらへん呼び戻したい」
「…………」
「そういうわけで、よろしくな」
「…………。よろしくお願いします」
いいのだろうか……という不安はあるけれど、お言葉に甘えさせてもらうことにした。
浩介は、不登校の子供を支援しているフリースクールに就職先が決まった。大学時代のバイト先の関連施設で、以前から誘われていたらしい。
母は精密検査の結果、乳癌ということが判明した。手術は年明けになる。幸い、早期の発見であり、進行も遅いタイプのため、完治がのぞめるという。
本人はいたって元気で、おれが帰ってくることを手放しで喜んでくれた。
日本には、クリスマス前に帰国した。
浩介の友人のあかねさんのマンションを貸してもらえることになったのだが、あかねさん達の引っ越しが正月明けになるため、それまではおれは実家に、浩介はホテル暮らしをすることにした。
浩介とご両親との確執は根深い。帰国したことも隠すつもりらしい。このことに関しては浩介も話したがらないので、おれは口出ししないことにしている。おれにできることは、つらそうな浩介に寄り添うことだけだ。
大晦日前日の朝、浩介がホテルに泊まっていることを母に話したところ、
「なんでもっと早く言わないの! そういうことなら浩介君もうちに泊まればいいでしょ!」
と、怒られた。そう言われるとは1ミクロンも思っていなかったから驚いた。そして……嬉しかった。
その日のうちに、浩介にはホテルを引き払わせた。
浩介がホテルの乾燥のせいで喉をおかしくしていたので、とても助かる。そして正直いって、ホテル代の出費は痛かったので有り難い。
良い天気で暖かかったので客用布団もふかふかに干すことができた。
元・椿姉の部屋は、父の油絵のアトリエになっていて、元・南の部屋は、多趣味な母の物置部屋と化していたため(我が両親ながら、楽しそうな老後で結構なことだ)、狭いけれどおれの部屋に布団を引いた。
おれの部屋だけ、ベッドも机もそのままになっている。やはり長男のおれには帰ってきてもらいたかった、ということなのだろうか、と申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
が、母には「単に面倒だからそのままになってるだけで意味はない」といわれ、ホッとしたような、それは本心なのか?と問いただしたくなるような……。
「慶のご両親は本当に良い人たちだよね」
浩介が暗闇の中でぽつんとつぶやいた。父の晩酌に付き合わされて飲んだ酒がまだ抜けていない感じの浩介。
予想以上に好意的に迎えてくれたうちの両親に、かなり戸惑っていたようだが……。
「ごめんなーうちの親、人懐っこいというかなんというか……」
「ううん。すごく嬉しかった」
寂しげに微笑んだ顔。見えなくても見える。お前が今、どんな顔してるかなんて。
「……浩介」
不安にかられて、ベッドを抜け出し、浩介の布団の中にもぐりこんだ。一週間ぶりの浩介のぬくもり。
「お前………本当に日本に帰ってきて良かったのか?」
「………大丈夫だよ」
浩介の手が優しく頬をなでてくれる。
本当は、大丈夫じゃないだろう。でも………何も言えない。
「今日、すごーく嬉しかったなあ。認めてもらえた感じがしてさあ」
「………そうだな」
酔いがまわって余計に眠くなっているのだろう。呂律がまわっていない。
「こんな風に慶の家に泊まる日がくるなんて、想像もできなかったなあ……」
「ホントにな」
コツンとおでこを合わせる。ぎゅっと手を絡ませる。
「もう寝ろ。……おやすみ」
「うん。おやすみ……」
懐かしい実家の匂いと、愛おしい浩介の存在を感じながら、おれもすぐに心地よい眠りに包まれた。
翌朝起きたら、隣に寝ていたはずの浩介がいない。
「………浩介?」
指先が冷える。一瞬不安になったが、浩介の荷物が目に入ってホッとする。
「……もう起きたのか?」
ずいぶん早いな……と思いながら階下に降りていくと……
「えっトースターで焼くんですか?」
「だって朝からフライパンで焼くなんて洗い物も増えて面倒でしょ?」
「確かに。なるほど~」
なんだか盛り上がっている声。台所をのぞくと……
「………お前、何やってんの?」
母と浩介が台所に一緒に立っている。長ネギを切っている浩介……。
「何やってるって、朝食作る手伝いしてくれてるんじゃないの。浩介君、お料理できるのね。今日のおせち作りも手伝ってもらうことにしたから」
「…………そうなのか?」
浩介がコックリと肯く。その横で母が真面目な顔で続けた。
「昨日、お父さんと一緒にお酒飲んでるのを見て、あーうちに3人目の婿がきたんだわーって思ってたけど」
「婿って」
「でも、違うわね」
違う?
浩介も手を止めて母を見る。顔がこわばっている。
違うって……それは否定の言葉? せっかく受け入れてもらえたと思ったのに……。
「お母……」
「婿じゃなくて、嫁だわね」
「え」
味噌汁の味見をして、うんうん肯いている母。
………嫁?
浩介と顔を見合わせる。
「こうして一緒にお料理できるなんて、お嫁さんがきたみたいで嬉しいわあと思ってね。おせちも去年も一昨年も面倒だから作らなかったのよ。椿も南も自分の家のことで手一杯で、こっちに手伝いにくるわけでもないしね」
「………」
「でも今年は慶がいるから作ろうと思ってたの。浩介君が手伝ってくれるなら助かるわ」
「………」
目をパチパチさせているおれ達を見て、母が「あらっ」と口に手を当てた。
「あらごめんなさい。男の人に向かって嫁はないわよね」
「あ、いえいえ、いいんです。いいんです」
浩介が包丁片手にぶんぶん首を振る。
「嫁って言われたほうがしっくりくるので」
「なにを……っ」
「え、そうなの?」
母はなんだか嬉しそうに笑った。
「あら~そう~。ほら、慶って女顔じゃない? 背も低いし。だから慶が女の子って扱いなのかと……」
「ちょっとお母さん?!」
何を言い出すかと思えば!
おれが会話をやめさせる前に、浩介があっさりと言う。
「いえ、慶さんの方が男らしいので。どっちかというと亭主関白的な……」
「え~そうなの~」
「誰が亭主関白だっ」
言うと、「ほら、そういうところが」と浩介が笑った。……楽しそうだ。
「長ネギ切れました」
「そしたらね、ホイルひいて……ホイルそこの引き出し」
「はい」
母と浩介が朝食作りをしている姿をぼんやりと眺める。
結婚もできないし、孫も見せてやれないけど。
せめて、嫁(というと語弊があるが)と一緒に料理をする、という経験をさせてあげられて良かった……のかもしれない。
「孝行のしたい時分に親はなし」
なんて、ことわざを思い出す。せっかく日本に帰ってきたのだから、ちょくちょく顔をだすようにしよう、と思う。
そして……
(浩介は……ご両親とこのままで本当にいいんだろうか……?)
その言葉はまだ口に出すことができない。
-----------------------------------------------
慶パート終了~。
自分が高校生の時にはおそらく思いつけなかったであろうネタ。
老いた両親と向き合うということ。
「風のゆくえには~翼をひろげて」という話を高校生の時に書きました。
実年齢より上の、慶たち20後半から30前半。
浩介がアフリカに3年間行ってしまうけど、その後、二人揃って東南アジアにいく、という一見ハッピーエンドな話。
昨年からわけあって、このブログに延々と昔のネタを書き綴ってみて……
全然ハッピーエンドじゃないじゃん。逃げてるだけじゃん浩介。
本当にいいの? 今向かい合わなかったら、手遅れになるよ?
と、思ったのは、自分が歳を取ったからだと思います。
高校生の時は、良かった良かった。これで2人一緒に幸せに暮らせる……なんて思っていました。
とはいえ、私もまだ40歳(そう「まだ」40歳!)
もしかしたら、これから10年20年たったら、また書ける話ができるのかもしれないですね。
次回、浩介パート。
にほんブログ村
BLランキング
↑↑
ランキングに参加しています。よろしければクリックお願いいたします。
してくださった方、ありがとうございました!
「風のゆくえには」シリーズ目次 → こちら
「あいじょうのかたち」目次 → こちら