【浩介視点】
翌朝………
すごい幸せな気持ちがしながら目が覚めた。それもそのはず。
「…………慶」
腕の中に慶がいる。慶を抱きしめた状態で目覚めるなんて、何ヶ月ぶりだろう……
「慶」
心の中がぎゅうっとなりながら、抱きしめる腕に力をこめると、慶が「ん…」と身じろぎをした。そして、
「浩介」
「!」
きゅっと抱きしめ返されて、幸せ過ぎて気を失いそうになる。ああ、なんて幸せ……
と、思っていたら、
「……浩介」
ボソッと慶が言った。
「…………ごめん」
「………………………………え」
ごめん? ……あ、そうだ。喧嘩してたんだった!
忘れてた、なんて言えるわけもなく、慌てて言葉を継ぐ。
「ううん。おれの方こそごめんね。誘われたら断われないよね」
「まあ……うん。それもなんだけど……」
慶は言いにくそうに、おれの肩口にグリグリとおでこをつけると、
「元々……おれが帰りに電話したことから始まっただろ?お前のお迎え」
「え……あ、そう……だね」
先月、雨が降っていた日の夜、慶から珍しく電話がかかってきたのだ。それで、おれが迎えに行くことにして……
「その後も甘えて迎えにきてもらってて……」
「それはおれが迎えにいきたくて行ってるんだから」
「それでも」
慶の頭が「違う」というように揺れた。
「お前だって働いてんだからダメだろ。メシの用意だってしてもらってんのに、甘えてばっかで……」
「そんなの……」
この会話……前にもしたことある。あれは二年前の年末、慶がおれがいなくなったのかと勘違いして……
嫌な予感がして、指先が冷えてくる。
そうだ……そもそも、先月、慶は何で電話をかけてきたんだろう? あの日……
『浩介……今、どこにいる?』
今思えば、電話の向こうの慶は、何だか怯えるような声をしていた。
「もう家だよ!」
元気よく答えると、慶はホッとしたように『そうか』と、息をついたので、「どうかした?」と聞いたら、
『雨が降ってて……』
と、小さく言ったのだ。だから、おれは「迎えに行くよ」って提案して……
(…………雨?)
雨。雨が降っててって……
「…………慶」
まさか……まさか、慶。
「………雨が降ると、深い穴の中に落ちていく感じがするの……?」
「!」
ビクッとした慶。
(ああ…………)
………正解だ。
それこそ深い穴に落ちていく感覚が襲ってくる。
あの日……雨が降っていた。
おれが慶を置いて日本から逃げ出したあの日の朝も、雨が降っていたのだ。もう17年も前のことだけど、でも、慶はあの日のことを思い出すと、深い穴に落ちていく感覚に襲われると言っていて……
「慶……」
「…………」
再びきゅっと抱きついてくる慶。落ちていかないように、抱きしめ返す。その柔らかい髪の毛をそっと撫でる。
「慶……大好きだよ」
「……ん」
「ずっとずっと一緒にいようね」
「……ん」
小さく肯く慶の頭を撫で続ける。
まさか、慶は雨が降る度に、あの時の記憶に支配されてしまうのだろうか? 今までそんな素振り見せたことないから気が付かなかったけど、まさか、17年以上ずっと? まさかそんな……
頭の中がぐるぐるしたまま、頭を撫で続けていたら、
「……ほうれん草、朝食べるから」
「え……」
突然の申し出に、ぐるぐるが止まった。
ほうれん草?
「ごめんな。昨日、気が付かなかった。さっき気がついて」
「あ……うん」
ほうれん草のお浸しを一人分ずつラップをかけて、冷蔵庫に入れていたことなんて、すっかり忘れていた。
「お前、もう行く準備しないとだな。朝食おれが準備するから」
「慶」
「先、顔洗ったりしてこい」
「慶、待って」
出ていこうとする慶を抑え込む。慶は力が強いので本気を出されたら敵わない。大人しく残ったということは、まだいてもいいと思っている証拠だ。
「慶……」
「…………なんだ」
なんて言えばいいんだろう。おれはどうしたら、どうしたらいいんだろう……
引き止めたくせに、言葉が見つからず、また慶の頭を撫で続けていたら、慶の方からボソボソと話し始めてくれた。
「おれ、正直、迎えにきてもらって体が楽だった」
「え」
「それに、嬉しかった。一緒に出かけてるみたいで」
「だったら!」
だったらやめなくてもいいじゃん、という言葉は、ぶんぶん頭を振って止められてしまった。
「そのせいで余計にメシ遅くなったり、お前が早起きするのは嫌だ」
「…………」
「運動不足も気になるしな。ジムにも行けてないし」
「…………」
あかねに指摘された通りだな……
でも、問題はそこではない。
「でも慶……」
覚悟を決めて、言葉にする。
「今週後半、雨の予報だよ」
「…………」
「…………」
「…………それは」
大きなため息が聞こえてきた。
「別に雨が降ったら必ずなるわけじゃない」
「そうなの?」
「雨が降ってなくたって、なるときゃなる。ただ、雨が引き金になることがあるだけで」
「…………」
「だから、気にすんな」
「そんな……」
気にすんなと言われても……
「なったらなったで、お前に連絡したりして、ちゃんとその都度、対処してる。だから大丈夫だ」
「…………」
慶は冷静だ。さすがお医者さん、ということなんだろうか。でも……
「雨が降ったら心配だな……」
「あー……」
慶は、あーあーあーと言いながら、おれの肩口にグリグリとおでこを押し付けると、
「クソ。だからバレたくなかったんだよ」
と、小さく言った。これ、本心だ。おれに心配かけたくなくて、慶はずっと、ずっと…………
「慶……ごめんね……」
「だから大丈夫だって」
「でも」
「でもじゃねーよ」
イラッとしたように慶はいうと、今度は本当に腕の中から抜け出してしまった。
「とにかく、おれは大丈夫だから。遅刻するぞ?」
「うん……」
「早くしろ」
「うん……」
台所に向かう慶の後ろ姿を見送りながら、おれは途方に暮れてしまった。
後編に続く
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お読みくださりありがとうございました!
お、終わらなかった……
でも、ようやく「雨の日が苦手」という慶の秘密を浩介に知ってもらえた!
前々から、いつか話しなさいよ……と思っていたのです。ようやく、ようやくです。
しばらく時間取れないのでいつになるか分かりませんが、そのうち、解決編をお届けします。更新は火曜日もしくは金曜日です。
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