2003年9月10日
【浩介視点】
今日は、20代最後の誕生日だ。
子供の頃は、誕生日には必ず、外食に連れていかれたり、豪華な食事を用意されたりした。
でも、毎年、父は明らかな迷惑顔でその席にいて、母は「お父さんみたいな弁護士になるために、もっともっと頑張りなさい」と飽きもせず言ってきて……
おれは誕生日が来ることが、毎年嫌で嫌でしょうがなかった。
でも、16歳の誕生日から変わった。
『誕生日おめでとう!』
キラキラした笑顔。
『何が欲しい? 何が一番嬉しい?』
毎年、そう言ってくれた慶。苦痛でしかなかった誕生日は、温かい気持ちになれる日に変わった。
慶。答えはいつも同じだよ。
慶が欲しい。
慶が一緒にいてくれるだけでいい。
でも………
5ヶ月前、おれはその温かいぬくもりを自分から手離した。
『おれのことなんか、忘れていいよ』
そう言ったけれど……、でも、きっと慶は忘れないでくれるだろう。慶がどれだけおれのことを好きでいてくれたか、おれは知っている。
『おれはおれのやるべきことをここで頑張る。だから、お前も頑張ってこい』
揺るぎない強い光。昔から変わらない力強いオーラで、慶は言ってくれた。
だから………
『それでいつか……いつか、また会える時がきたら、その時は……』
その時は………
「浩介?」
「!」
いきなりトンっと肩を叩かれ、ビクッとしてしまった。振りあおぐと、シーナがいつもの穏やかな瞳で微笑んでいる。
「どうしたの?ボーッとして」
「あ………いや」
「ママ、そんなの決まってるじゃない」
シーナの娘のアマラが、呆れたように言いながらコーヒーを差し出してくれた。アマラは8歳年上のおれに対してもまったく容赦がない。
「浩介はどうせ、日本に残してきた恋人のことを思い出してたんでしょ?」
「……そんなことないよ」
言いながらも、コーヒーの匂いで、また慶との思い出がよみがえる。
『コーヒー飲む』
おれの腕をぎゅっと掴んだ慶……かわいかったな……。
慶は、おれが就職したばかりの頃、『置いていかれた気がして寂しい』と言って、『だからコーヒーも飲めるようになる』と、ずっと避けていたコーヒーを飲むようになった。
『でも、慶、コーヒー飲めるようになっても、おれのことたくさん頼ってね?』
おれはあの時、言ったのだ。
『おれ、強くなるから。ずっと慶と一緒にいられるために強くなるから』
あれから6年……
おれは、その約束を叶えることができなかった。強くなれなかった。
(でも、でも、慶……)
おれ、頑張るから。頑張るから。慶、だから、いつか…………
「ほら、またボーッとしてる」
「あ……」
アマラに言われ、我に返る。彼女のいう通り、おれは何かにつけて慶のことを思い出してばかりだ。今日は特にひどい。
アマラが口を尖らせて言う。
「そんなに恋しいなら連れてくればよかったのに」
「…………」
静かに首をふってみせる。
「彼女には彼女の進む道があるから……」
「じゃー忘れなさいよ」
「…………」
アマラ、手厳しい。苦笑してしまう。
「……忘れないよ。だって、ここにくる勇気をくれたのは彼女だし……」
背中をおしてくれた手の温かさ。穏やかな笑みを浮かべ、見送ってくれた、愛しい人。
慶がいるから、飛び立てる。慶がいるから、翼が広がる……
「そんなの……」
「じゃあ、いつか迎えに行けるように、頑張らないとね」
何か言いかけたアマラの言葉にかぶさるように、シーナがにっこりと言ってくれた。
「…………はい」
すっと心に入り込むシーナの声。
シーナが元々運営していたボランティア団体は、おれの所属する団体の傘下となり、今ではシーナはケニア支部の責任者をしている。
その関係で、日本支部の事務局長から、おれが勤め先の高校と方針が合わなかったことや、親と折り合いが悪いことも聞いたらしい。逃げるようにケニアにやってきたおれを、優しく見守ってくれている。何も詮索しないでくれる心遣いが有り難い……
(いつか迎えに……)
コーヒーを飲みながら、慶の温もりを思い出す。
おれは「待ってて」なんて、そんな図々しいことは言えなかった。だから、勝手に思ってるだけだけど……
いつの日か、あなたにふさわしい男になるから、だから、そうしたら…………
今度こそ、ずっと、ずっと、一緒にいたい。
【吉村さん視点】
(あ!)
ラッキー!って、思わずぐっと拳を握ってしまう。
うちの病院のアイドル・渋谷慶先生が、食堂の一番奥の席に一人で座っているのを発見したのだ。
(珍しい)
いつもはもっと手前の席にいるのに。そして大抵誰かしらと一緒なのに。あんなところで一人、隠れるように座ってるなんて……
(これはチャンス!)
数ヵ月前、渋谷先生は長年付き合っていた彼女と別れたらしい。本人は「別れてない。遠距離恋愛中」というけれど、ずっと連絡も取っていないし、再会の約束もしていないというんだから、それは、世間一般的に「別れた」ということだ。いい加減、その事実を認めろっての。
ウキウキしながら、お盆を片手に近づいていき(今日は可愛らしくオムライスにしていて正解!)、後ろから声をかけようとして、
(え?)
おもわず立ち止まってしまった。渋谷先生の前……チーズケーキが置いてある。そして渋谷先生はなぜかそれを腕組みしながらジッと見ていて……。
声をかけにくい雰囲気にどうしたものかと突っ立っていたら、
「うわっ、吉村!」
視線に気が付いたのか、渋谷先生が振り返りながら叫んだ。
「なんだよ、びっくりさせるなよっ」
「そんなびっくりしなくても……、ていうか、渋谷君がケーキ食べようとしてることの方がビックリなんだけど? 珍しいよね?」
いいながら、勝手に前の席に座る。
渋谷先生は、仕事中は私のことを「吉村先生」と呼ぶけれど、仕事外では「吉村」と呼びつけにする。だから私も「渋谷君」と呼ぶことにしている。同期、というだけでなく、私達は特別仲が良い。看護師連中にもすごく羨ましがられている。患者の親に「お似合いですね」なんて言われることもある。
なんて思い出して、うふふ、となったのに。
「いや……今日さ、あいつの誕生日なんだよ」
「………え」
ちょっと恥ずかしそうに言った渋谷君のセリフに、ゴンッとハンマーで打たれた。
(あいつ……あいつって……)
別れた彼女かよっ。
「………。別れた彼女の誕生日に一人でケーキって、すっごくキモイんだけど」
思わず、シラーッと言うと、渋谷君がムッとしたように口を尖らせた。
「だから、別れてないって」
「誕生日も一緒に過ごせないような人は恋人とは言いませーん」
「それは………っ」
もにょもにょ、と渋谷君は口の中で何か言ってから、
「あーおいしー」
と、やけくそのように、チーズケーキを食べはじめた。
「……………」
なんなんだろうなあ……と思う。
こんなにかっこよくて、性格もよくて、医者で、患者にもその親にも人気があって、先輩方にも可愛がられていて……って、非の打ち所のない人なんだから、相手なんていくらでもいるのに。例えば私とか。
それなのに、こんな風に別れた女のこと思い続けてるなんて……
「……さみしい男だねえ」
「ほっとけ」
ちょっと笑った渋谷君。強がっちゃって……。私だったらそんな思いさせないのになあ……
「ねえ……渋谷君さあ、最近アホみたいに仕事しまくってるのって、さみしさ紛らすためでしょ?」
「は?」
渋谷君が、眉を寄せた。
「なんだそりゃ」
「みんな言ってるよ?」
「…………なんだそりゃ」
渋谷君、引き続き眉を寄せたまま、最後の一口を大切そうに頬張ると、真っ直ぐに視線を向けてきた。
(…………。ほんとカッコイイよな……)
こんな美形、そうそうお目にかかれない。見慣れているはずなのに、こうして正面から見られると、なんだか恥ずかしくなってくる。……なんて、こちらの心の葛藤なんて全然知らない渋谷君は淡々と言った。
「おれはただ、一日でも早く、一人前になりたいだけだ。そのためだったら、アホみたいでもなんでもいいから、とにかく経験を積みたい」
「…………真面目だねえ」
言うと、渋谷君は「いや」と言って軽く首を振った。
「約束、したからさ」
カチャ、とカップを置いた音が効果音のように響く。
「約束?」
「うん……、おれ、約束したんだよ。あいつと」
「………」
渋谷君の瞳に輝きが灯っている。
「おれはここで頑張るって」
「…………」
「ここで、一人前の医者になるって」
息を飲むほどの、まぶしい光……
「それで、いつか、おれもあいつも、一人で立っていられるようになったら……」
ふわりと幸せそうな笑み……
「そしたら」
「…………」
「今度こそ、ずっと一緒にいる」
「…………」
…………。
…………。
…………。
…………なにそれ。
そんな………そんなの……
「そんな……」
何か、言おうとしたんだけど……
「わわわっ!」
かああああっと赤くなって叫んだ渋谷君の声にかき消されてしまった。
「わー、何言ってんだおれっ」
渋谷君、頭抱えてる。
「ちょ、忘れて……忘れてくれ……」
「忘れてって……」
そんなこと言われても、聞いちゃったし……
言うと、渋谷君は、だよなーだよなーと言いながら引き続き真っ赤になって顔を覆った。かわいい……。
渋谷君はしばらくそうして顔を隠していたのだけれども、今度はこちらをチラッとみて、はああっと大きくため息をついてきた。
「あー……やっぱ、吉村似てんだよなあ……」
「え……」
その言葉に期待が高まる。
似てるって誰に?! も、もしや、その彼女に……
でも、渋谷君はアッサリとその期待を裏切った。
「妹。だからついつい気が緩んで、本当のこと言ったりしちゃうんだよなあ……」
「…………」
妹かよ……
「なんつーか、雰囲気とか、しゃべり方とか……」
「………。妹さんと仲良いんだね」
「いや、別に、普通だけど……」
引き続き照れたように頬をかいた渋谷君。
「むしろ、妹とはあいつの方が仲良かったんだよなあ……」
「………………」
あいつ、あいつ、あいつ……って。
渋谷君の頭の中は、彼女のことばっかりだ。
「………うらやましい」
「え?」
「あ、いや……」
思わず出てしまった言葉を速攻で誤魔化す。
ああ、うらやましい。うらやましい……
こんなにまで渋谷君に思ってもらえる彼女がうらやましくてたまらない。
同期、同僚、友達、妹。渋谷君にとっての私はそれ以上でもそれ以下でもなくて……
もういい加減、私も変わらないといけないのかもしれない……
「じゃ、経験つみたい渋谷先生、今晩の当直代わってくださいよ」
「別にいいけど……どうかしたのか?」
きょとん、とした渋谷君を前に、ガツガツとオムライスを食べ始める。
「週末合コンあるから、美容院行きたかったのに、昨日も行けなかったからさ」
「ああ、お前、昨日も結局、夜までいたもんな」
「そうそう」
お前、と呼ばれる女性も職場では私だけだ。それだけ仲良しの私達。でも、渋谷君の心は彼女でいっぱいで、私の入る隙なんかなくて……
「バッサリ切っちゃおうかなあ。イメチェンイメチェン。どう思う?」
「あー……いいんじゃね?」
「適当に答えるなっ!ちゃんと興味持ちなさいよっ!」
テーブルの下で足を蹴ってやると、渋谷君はケタケタと笑いながら、
「別に髪の毛なんか、切って気に入らなくても、すぐ伸びるからいいだろ」
「そういう問題じゃなーいっ」
ムーっとして言ってから、ふと、思いついて聞いてみる。
「彼女は? 髪、長い? 短い?」
「え」
渋谷君、なぜか少したじろいでから、「あー……」と答えた。
「短い。……けど、今頃、伸びてるかもしんねえな」
「……………」
また、ふっと上に目をやった渋谷君……彼女のことを思い出しているのだろう……
くそー……
「……やっぱ切るのやめた。揃えるだけにする」
「? なんで?」
「それは……っ」
渋谷君の彼女と同じ髪型になるのが嫌だからだよ!っていう本音は押し込めて。
「長い髪の方が男ウケするからだよ!」
「ふーん?」
そんなもんか? なんて首をかしげている超美形の男に、イーッと鼻に皺をよせてやる。
こんな、一人の女を馬鹿みたいに思い続けてるアホな男、こっちから願い下げだ!
その後……
私は、偶然再会した高校時代の元彼となんだかんだでヨリを戻すことになり、そして、春には結婚して、今の病院を辞めて、地元の病院にうつった。
だから、全然知らなかった。
この約一年後、渋谷君が壊れてしまったことを……
-----------------------------
お読みくださりありがとうございました!
浩介が思い出している慶の「コーヒー飲む」発言は、読切「~一歩後をゆく」からでした。猫慶かわいい^^
そして、今までちょこちょこ名前だけ出ていた吉村さん。ようやくまともに出せて満足満足。でも、結婚して地元静岡に戻ったので、たぶんもう出てきません。
次回は二年目。慶君が壊れた後の話、になると思われます。
15日(金)更新予定です。どうぞよろしくお願いいたします。
こんな真面目な話、お読みくださり本当にありがとうございました!
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(2017年5月19日に書いた記事ですが、カテゴリーで「閉じた翼」のはじめに表示させるために2017年9月4日に投稿日を操作しました)
目次
1(浩介視点)
2(浩介視点)
3(浩介視点)
4(浩介視点)
5(浩介視点)
6(浩介視点)
7(慶視点)
8(慶視点)
9(浩介視点)
10-1(浩介視点)
10-2(浩介視点)
11-1(慶視点)
11-2(慶視点)
12-1(浩介視点)
12-2(浩介視点)・完
裏話(泉視点)
人物紹介
桜井浩介(さくらいこうすけ)
28歳。身長177cm。高校教師。国際ボランティア団体所属。
表は明るいが、裏は病んでいて、慶に対する独占欲は相当なもの。両親との確執に苦しんでいる。
渋谷慶(しぶやけい)
28歳。身長164cm。小児科医。浩介の親友兼恋人。
道行く人が振り返るほどの美形。芸能人ばりのオーラの持ち主。だけど本人に自覚ナシ。
憧れの小児科医になったはいいけれども、理想と現実の差に悩んでいる。でも、基本前向き。
病院内では口調も穏やかで笑顔を絶やさないが、本当は口も悪いし手も足もすぐ出る。
一之瀬あかね(いちのせあかね)
28歳。中学校教師。浩介の友人。
人目を引く超美人。恋愛対象は女性。女関係はかなり派手。
大学の時から、浩介の両親の前では、浩介の恋人のふりをしている。
(初出は『自由への道』。名字「木村」でしたが、大学卒業と同時に親が離婚し「一之瀬」になりました)
真木英明(まきひであき)
34歳。慶の勤める病院の系列病院の医師。身長187cm。超イケメンナルシスト。
慶を口説こうとしていたけれど、慶が「バリタチ」だという嘘を信じ諦めた?
性格に難はあるものの、先輩医師としては頼りになる男。
(初出は『その瞳に』)
山田ライト(やまだらいと)
18歳。ケニア人の父と日本人の母を持つハーフ。浩介の日本語教室での教え子だった。
現在は、父と父の奥さんと一緒にアメリカで暮らしている。
(初出は『嘘の嘘の、嘘』)
あらすじ
高校二年生の冬、無事に両想いになり付き合いはじめた慶と浩介。
大学時代、浩介の母親の暴走を止めるため、浩介の両親の前では、表向きは別れたことにしたが、裏では順調に交際は続いており、もうすぐ丸11年。
仕事のため、なかなかゆっくり会えないという不満はあるものの、幸せな日々を送っていたはずの二人。
母親の束縛と真木の出現により、浩介の慶に対する思いが更に歪んだものになっていき……
愛するからこそ、一緒にはいられない。
浩介がそう思い詰めて、一人で日本を離れることになるまでの数ヵ月間の物語。
-------------------------------
お読みくださりありがとうございました!
とりあえず、人物紹介とあらすじだけ、お送りしました。
本編は火曜日から……。安定の暗さの浩介視点ですが、どうぞよろしくお願いいたします!
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有り難い~有り難い~と拝んでおります。今後ともよろしければどうぞお願いいたします。
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「風のゆくえには」シリーズ目次 → こちら
2003年4月1日。浩介出発前日。
まさか桜井浩介先生が、恋人である渋谷慶さんに、ケニア行きのことを話していない、なんて露程にも思わなかった泉&諒カップル。
なんの他意もなく、慶の勤務先の病院に「明日、桜井先生の見送りに行きたいので、出発時間教えてくださーい」と聞きにいってしまい……
かーらーの、泉君視点。
---
渋谷さんの病院に行った帰り。タイミングよく並んで座れた電車の中で、
「オレ達……もしかして、とんでもないことしちゃったかな……」
と、諒がボソッといってきた。
「そんなことはない! オレ達は絶対良い事をした!」
言い切って、腿をさすってやると、諒の頭がコンッとこちらの頭に落ちてきた。
「渋谷さん……どうしたかなあ……」
「そうだな……」
顔面蒼白になった渋谷さんを思い出し、胸が痛くなってくる……。
渋谷さんは、桜井が学校を退職したことも知らなかった。
はじめはオレ達の冗談だと思っている様子だったけれど、昨日、バスケ部で行われたお別れ会での写メ(花束を持っている桜井とバスケ部の子たちの写真だ)を諒が見せると、ようやく本当のことだと信じたらしく、みるみるうちに顔が白くなっていき……。
でも、廊下の先の何かに気が付いて、ハッと顔を上げた。そして、
「教えてくれてありがとう」
それだけ言って、すごい勢いで走っていってしまった。
「よしむらっ!当直代わってくれ!」
「えええ?! せっかく帰ろうと思ったのにー」
廊下の先から聞こえてくる声。カバンを肩にかけた、明らかに帰る雰囲気の女性を呼び止めている。
それから、渋谷さんはこちらを一度もみることなく行ってしまったので、オレ達も帰ることにしたんだけど……
「桜井先生、どういうつもりだったんだろう? 何も言わないで行こうとするなんて……自然消滅狙ったってことかな」
「そんな無責任なことするタイプじゃないと思ったのになあ……」
うーん……と唸っているうちに、最寄りの駅に着いた。二人で歩道を並んで歩く。
いつものように腰に手を回すと(腰に手を回すのは、男同士のスキンシップとしてアリ!としている)、その手を上からぎゅっと握られた。
「諒?」
いつもは人目を気にして、手を繋ぎたい場合は引っ張りあいをするみたいに繋ぐようにして、こんな風に手を触れることは家まで我慢するのに……
「どうし……」
「オレ達は大丈夫だよね?」
「…………」
振り仰ぐと、諒の不安そうな目があった。
「やっぱりオレも優真と同じ大学受ければよかった」
「またその話か……」
この4月から、諒は美容師の専門学校へ、おれは横浜の大学に進学するのだ。小学校・中学校・高校、と12年間同じ学校で、今回初めて違う学校に通うことになるので、諒はこないだからずっと文句を言っている。自分から美容師になるって言い出したくせに………
「だって心配だよ」
「何が」
「優真が浮気したらどうしようって……」
「しねーよ。ばーか」
少し背伸びして、こん、と頭突きしてやる。
「んなこと言ったら、お前の方がよっぽど危ないだろ。美容師の専門学校って女の方が多いし。女喰いの高瀬の血が騒ぐんじゃないのか?」
「…………なにそれ」
ムッとしたように、諒は頬を膨らませると、オレの手を腰からはがして、きゅきゅっと絡めるように手を握ってきた。
「おい、諒……」
夜だから人通りは少ないとはいえ、車はわりとしょっちゅう通り過ぎる。家の近所なのに、誰かに見られたら……
「諒、ちょっと……」
「優真」
オレの咎めも気にせず、諒は目を三角にすると、
「オレは彼氏いるって宣言するからね」
「へ?」
彼氏?
「え、彼氏って……」
「わりと理解のある業界だっていうからさ、はじめからカミングアウトしようと思ってるんだ」
「へえ。それは………」
いい、と言いかけて、はた、と気がつく。それで男から言い寄られたらどうすんだ!
「待て! ダメだ!」
こんな美少年(青年?)、誰も放っておかないぞ!
「え、なんで?」
パチパチと瞬きをした諒。可愛すぎるオレの諒。そっちの方が心配だ!
「そっちのがダメだろ!」
「ええ? 女の子寄ってこなくなるし、良い案だと思うんだけど?」
「いやいやいや、女の方が扱い慣れてる分、むしろいい気がする」
さんざん女遊びしてきたからな、こいつ。でも、男はオレだけだ。
「そんな宣言して、男に強引に来られたりした方が……」
心配して言ってるのに、諒は呑気に、あはは、と笑うと、
「えー大丈夫だよ。こないこない」
「いや、くる!」
「こないよー」
「だから……っ」
その呑気さにイラッとする。
「くるっていってんだろっ」
「大丈夫だって。オレ、背高いし……」
「は!?」
何言ってんだ!
「バカ!背なんか関係ないだろ!」
「え」
「…………あ」
思わず本気で怒鳴ってしまって、我に返る。
こんな風に怒鳴るなんて………、まずい。諒、固まってる。こわかったよな、オレ……
まずい、まずい……
「あの……諒……」
何とかフォローしようと、諒の腕にそっと触れる………、と、
「優ちゃ~~~ん❤」
「わわわっ」
諒がいきなり抱きついてきた。語尾にハートがついてる。
「な、なんだよ!」
「だってだって~~」
ぎゅーぎゅーとしてくる諒。甘えるようにオレの首に鼻をこすりつけてくる仕草、昔から変わらない。諒は引き続き興奮したように言う。
「優真、今、背なんか関係ないって!」
「は?」
「関係ないって言った~❤」
「…………」
そりゃ言ったけど……
諒は背が高い。185センチある。オレは結局、175センチで止まってしまった。もしかしたら、これから少しは伸びるかもしれないけれど、185になることはないだろう……
そんな複雑な思いのオレの耳に諒のはしゃいだ声が聞こえてくる。
「ね?関係ないよね?関係ないよね!?」
「…………」
関係な…………くはない。
今でも、出会った頃のように諒よりも背が高くなりたいと思っている自分がいる。
でも………
「…………そうだな」
「うん!うんうんうん!」
諒は嬉しそうにうなずくと、オレを引っ張るように歩き出した。付き合いはじめの頃からしている「男同士でも変に思われない手の繋ぎ方」。
その温もりを感じながら、強く思う。
男とか、背が高いとか、そんなのは関係ない。諒だから、好き。諒だから、一緒にいたい。それは、ずっとずっと変わらない……
「桜井先生も言ってくれたんだよね」
諒が、ふと思い出したように言った。
「背の高さは関係無いよって」
「…………そうだったな」
オレ達に色々なことを教えてくれた桜井。男同士とか、背の違いとか、そんなこと何も問題なく、二人セット、みたいにお似合いだった渋谷さん……
「ホントに別れちゃうのかなあ、あの二人……」
「大人の考えることは分かんないな」
「ね」
諒が歩みをゆるめたので、今度はオレが引っ張って歩き出す。
「優ちゃん」
「ん?」
振り返ると、出会った頃と同じ、頼りなげな瞳の諒がいて……
「オレはずっと、ずっと、ずーっと、優ちゃんの後、くっついてくからね?」
「…………」
「だから、ずーっと、手、繋いでてね?」
「…………」
諒…………
ぎゅっぎゅっぎゅっと手を握り返す。
「任せとけ。オレについてこい」
「ん」
ふわりと笑った諒……
ずっと変わらない、オレの大好きな笑顔。
「大好きだよ、諒」
「ん、大好き。優ちゃん」
我慢できなくて、道端にも関わらず、頬にキスすると、諒はくすぐったそうに笑ってくれた。
それから2週間ほど後。
バイト先である実家の和菓子屋で、閉店準備をしている最中のことだった。
「ああ、良かった。泉君」
「え……」
涼やかな声に顔を上げると、こんな古びた店には似合わない涼やかな男性が、立っていた。
「し……ぶやさん」
「前に浩介がここのどら焼き買ってきてくれたことがあって……」
渋谷さん……柔らかい笑顔……
「どら焼き、ある?」
「あ…………はい」
「2つ、いいかな?」
「あ……りがとうございます」
いつもはこの時間には売り切れていることの多いどら焼き、今日に限ってちょうど2つ残っていた。なんだか渋谷さんに買われるために残っていたみたいだ。
お金を受け取った後、無言でどら焼きを包んでいたら、
「こないだはありがとうね」
聞き取りやすい声が、シンとした店内に響いてきた。
「おかげで、ちゃんと送り出せた」
「………………」
送り出せた?
別れた、ではなく、送り出せた……
余計なこと、と分かっていながらも、思わず聞いてしまう。
「あの……渋谷さんはそれでいいんですか?」
「え」
綺麗な瞳をパチパチと瞬かせた渋谷さん。
桜井、どうしてこんな綺麗な人を置いて行っちゃったんだよ……
「桜井先生、一人で行っちゃって……、それでいいんですか?」
「…………」
ジッと見ていたら………渋谷さんは、ふっと笑顔になって、うなずいた。
「うん。いいんだよ。……お互いね、一人前になりたくて」
「は?」
一人前??? もう大人なのに???
「だから、少し離れて………それぞれで頑張ることにしたんだ」
「……………」
意味がわからない………
一人前も意味わかんないけど、離れる理由がまったく分からない……
「オレは離れるなんて考えられないけどな」
つい、本音が出てしまう。
オレは諒と離れるなんて絶対にできない。諒だって、そんな選択だけは絶対にしないだろう。
すると、渋谷さん、ふっと寂しげな瞳になった。
「………おれも、考えたことなかったよ」
「え………」
差し出したどら焼きの袋を大切そうに胸に引き寄せながら、渋谷さんはポツリと言った。
「前にこのどら焼き食べた時みたいな幸せな時間が、ずっと続くと思ってた」
「…………」
確か、桜井がどら焼きを買いに来たのは、去年の今頃……渋谷さんの誕生日だって言ってたな……
「でも、結局のところ……おれがあいつに甘えすぎてたから……」
甘えすぎ……?
「自分のことに手一杯で、あいつがそばにいてくれることを当然と思ってて……」
「……………?」
そばにいるなんて当たり前じゃん……
「あいつが色々考えてたことも、全然気がついてなくて……だから、あいつは何も言わずに行こうとしたんだよ」
「………………」
まったく意味がわからない……
黙っていたら、また、渋谷さんがふわりと笑った。
「でも、泉君達のおかげでちゃんと話せたから……。だから、お礼を言いたくて」
「………………」
「本当にありがとう。どら焼きもありがとね」
渋谷さんはゆっくりと頭を下げ、店の外に向かっていった。
「………………」
その凛とした後ろ姿……、その横に桜井の姿が見える。
二人が離れた理由は、まったく、全然、一ミリも理解できないけれども、一つだけ分かったことがある。
渋谷さんの隣には、今も桜井がいる。きっと、桜井の横にも、渋谷さんがいるんだろう………
「…………渋谷さんっ」
思わず、呼び止める。キョトンとした渋谷さんに、強めに言い放ってやる。
「渋谷さんと桜井先生、そのうちまた、一緒にいられる日がくると思います!」
「……っ」
渋谷さんは、ビックリしたように目を見開き……それから、くしゃっと笑った。
「うん。おれもそう信じてる」
軽く手をあげ、店から出ていく渋谷さん……。どんな気持ちであのどら焼き食べるんだろう……。
なんだかいたたまれない………
「…………優ちゃん?」
「あ……」
入れかわるように諒が店に入ってきた。
進学して会える時間が減ってしまったので、少しでも増やそうと、諒は帰りに店に寄ってくれているのだ。
「今、出ていったの、渋谷さん?」
「ああ」
「なんか言ってた?」
「ああ、あの………」
さっきの渋谷さんとの会話が頭の中をぐるぐる回りはじめる。
一緒にいるのが当然。そう思ってはいけないのか? 努力しないと一緒にいられなくなる日がくるのか? それが大人になるということなのか……?
「諒……」
実際、今、諒はわざわざ店に寄ってくれてる。一緒にいられる時間は確実に減っている……
オレ達も離れるという選択をする日がくるんだろうか……
そんなの、嫌だ。
「………詳しくは後で話すよ。帰り、お前のうち行ってもいい?」
「うん。もちろん!」
うれしそうにうなずいた諒を抱きしめたい気持ちをぐっと押さえて、その愛しい耳にささやく。
「じゃ、部屋いったら、たくさんイチャイチャしような?」
「え」
バッと赤くなった諒。かわいい。
「だからもうちょっとだけ待っててくれ」
「う……うん」
店の奥にいるじいちゃん達に見えない角度で耳に唇を落とすと、諒はますます赤くなった。こんなにかわいいお前と離れるなんて、絶対にできない。
(オレは、桜井とは違う)
なにがあっても一緒にいる道を選ぶ。諒にさっきの渋谷さんみたいな寂しい顔はさせない。
(……早く帰ってこい。桜井)
早く帰ってきて、渋谷さんを幸せにしろ。
そんなことを思いながら、諒を見ると、諒がニッコリと笑いかけてくれた。
その笑顔を守りたい。
オレはずっとそばにいて、ずっとずっと守ってやるからな?
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お読みくださりありがとうございました!
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