ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

アットゥシと豚バラ。

2012-11-15 02:39:39 | Weblog

部屋に入って、温度計を見ると・・・9度。一桁・・・。猪木の真似をしながら、「バカヤロー!」と叫んでみる。・・・あるあるぅ。
そんな武蔵嵐山あるあるはいいとして。

アイヌの伝統的な織物。アットゥシ。おひょうの樹の皮の繊維を編んだもの。防水性と防寒性に優れたもの。

木の皮で編んであるんだよ。凄くない?
江戸時代、アイヌや東北地方の人達への差別を目的として、木綿の交易が禁止された。木綿が手に入らなくなったので、綿を使わないこういった織物が出来上がったらしい。

このアットゥシは、その道のプロが一年をかけて編んだもの。値段は・・・100万円!
安いか高いか?

買えるか買えないかという問題は、100万円を持っているか持っていないかという問題になってくるから別として・・・。

安いか高いか?という事に焦点を絞れば、安いと言わざるを得ないよな。

商売の為にモノを作る場合、いかにコストを下げて利益をあげるか?コストとは、主に人件費と材料費。コストを下げるということは、それを削るということだ。安い材料を手に入れて、労働力の安い国でモノを作る。これは、きっと、経済の基本。そうやって、利益というものを出していく。かかった人件費、材料費、輸送費、利益、設備投資費などなど、もろもろを換算して、値段というものが決まるのだ。

ではどうだろうか?
このアットゥシ織。そのシステムに乗せて換算するといくらになるのだろうか?・・・100万円ってことはないよな。人間国宝の陶芸家や、著名な芸術家が作る付加価値のようなものはここには無い。
このアットゥシ織には、一年という実際の労力がかかっている訳だ。

何を言いたいのか・・・それが問題だ。このアットゥシ織を見た時に、何を想ったのかが問題だ。

僕らは安くて良いものを求め過ぎるあまりに、本物、ホンモノに触れる機会を失い過ぎてはいないだろうか?
経済効率という言葉のもとに繰り広げられているのであろう生存競争の中で消えて行く、ホンモノに触れる機会が少な過ぎやしないだろうか?

ホンモノとは、手が届かないくらい高いものであっていい。憧れるくらい高いものであって欲しい。
でも、そのホンモノたちは、絶対になくなってはいけないと・・・思うのだな。

今日、スーパーに豚肉を買いに行った。アニキの誕生日にカレーを作ってあげたのだ。豚のバラ肉の塊を探していたら、アメリカ産のバラ肉しか売っていなかった。国産は売っていなかったのだよ。誕生日だから、国産の豚バラを食べさせてあげたかったのに。まぁ、アニキはどうせ味など分かるわけもないのだけどね。これは気持ちの問題なのだ。

日本は、この国は、近い将来、TPPに参加をするのだと思う。世界中から、安いものが入って来て、もしかしたら僕たちは、安い豚肉が買えて嬉しく思うのかもしれない。
でも僕は、国産の豚バラが買えないのは嫌なんだな。国産の豚バラが買えなくなるのは嫌なんだな。

そういう未来が確実にやって来る。

アットゥシから話がずれた・・・?いや、ずれてはいない。きっと、そういうことなんだよ。
求める心、意識する心・・・が、未来を変えていくんだよ。

もう、もはや、僕は、政治には無頓着になった。資本主義経済の中で行われる政治など、所詮ギャグでしかない。完全なギャグだ。

それでも、求める心、意識する心は、未来を変えていくような気がするんだよな。

あぁ、100万円を貯めて、いつかアットゥシ織を羽織りながら、秋味を釣りたい。