ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

関口モータース。2

2014-01-21 18:41:29 | Weblog


関口モータースの関口さん曰く、ミッションのシールからオイルが漏れている。部品を取り寄せるから、すぐには直らない。

僕は聞いてみる。
「このまま走って、すぐに壊れちゃうってことはないですよね?」
関口さんは言う。
「うん、すぐにってことはないよ。大丈夫大丈夫」

「ちょっと出掛けようと思ってて」
「ちょっとなら大丈夫大丈夫」
「ちょっとってどれくらいですかね?」
「うーん、200キロくらいなら大丈夫大丈夫」
「もうちょっと遠くに行くんですよね」
「ん?どれくらい?」
「出雲なんで・・・往復2000キロかなぁ?」
「ん?・・・まぁ・・・大丈夫かなぁ?・・・大丈夫なんじゃない?」

そんなこんなで、チビチビとオイルを垂れ流しながら、2500キロを走って無事に生還。
それがお正月の出来事。

部品が入荷したってことで、関口モータースへ行ってきた。

そりゃあもう、関口さんってのは物凄くいい人でね。お客さんから余計なお金を取ることが大嫌いって人でね。

たとえば、「この部品を注文してください」って頼みにいったとする。そうすると、「この部品は頼むと高いんだよ。なんかなかったかな?」と工場の中を探し回る。で、なんか類似品の部品をウイーンウイーン加工して、パチっと付けて、「うん、お金はいいよ」って言っちゃうような人。

古き良き時代の町工場の人って感じなんだな。

つづく。

関口モータース。1

2014-01-21 18:03:36 | Weblog
車もバイクも、走れば走るほど価値が下がっていく、という前記事の話は、別に振りってわけじゃない。

そもそも、前の前の前の車インテグラ号は14万キロ。前の車のオデッセイ号は17万キロ。今の車のジムニー号は、去年の12月に買った時、すでに17万キロ。一年間走って、今は18万3千キロ。

そんなさ、この世の果てみたいな車にばかり乗っているなんて、信じられる?おれ、信じられないよ。あぁ、信じたくない。でも、これは現実。

ちなみにエムケイのスカイライン号は20万キロオーバー。マコが乗っていたカムリ号は23万キロくらいは走っていたな。信じられる?おれの周りは世の果てみたいな場所なんだな。

古い車はね、いつもガタピシガタピシと音を立てながら走っているんだよ。本当だよ。いつ壊れてもおかしくないの。または、壊れながら走っているの、だよ。

今年の正月は出雲大社へ行った。
出掛ける前にオイルを交換した。ジムニーの下に潜り込んでカチャカチャやっていたら、何やら不審な液漏れを発見。・・・これはまずい。これから遠出をするのに、これはまずい。と。

そんな時は迷わず電話。
まこ、エムケイ、シング御用達、関口モータースへ電話をするのである。

つづく。

バリオス姉さんの話。3

2014-01-21 08:11:47 | Weblog
バイクも車も、走行距離が多いからって、いい事なんて一つもない。
それはそうだろう。走れば走るほど、色んな部位に不具合は出てくるし、いざ売ろうって時に、走っていればいるほど価値は下がる。バイクなら30000キロ、車なら50000キロ。これ以上走ると、売り物としての価値はゼロになる。

バリオス姉さんはこう言った。目をキラキラとさせながらこう言った。

「見て、やっと90000キロいったの。あぁ・・・早く100000キロ走りたいなぁ。」

僕にとっては・・・目から鱗。青天の霹靂。そんなこと、考えたこともなかった。
もう9万キロも走っちゃったよ・・・このバイクもそろそろ潮時だな。・・・普通はこうなんだと思う。大体、9万キロも走ってるバイクなんて見たことがない。

僕のバイクは・・・まだたったの2万6千キロ。9万キロへの道のりなんて・・・長すぎて目眩がする。

でもね、その時から僕のワクワクは始まった気がする。10万キロへの道が始まった気がする。スタートのフラッグを振ってくれたのは、間違いなく姉さんだ。

距離計は、ただ距離を示すだけの指針ではない。その距離を走った時間を指し示す針でもある。刻まれたその距離は、愛車と共に駆け抜けた人生の中の大切な時間と興奮を表しているのだ。

90000キロ。あれから四年と数ヶ月。僕はやっとあの時の姉さんとバリオスに追いついた。
姉さんとバリオスは、今頃どの辺りを走っているのだろうか。素敵な時間を刻み続けているだろうか。

またどこかで会えたら、「少し大人になったね」と笑いながら言ってくれるだろうか。

僕の旅はまだまだ続く。

今日はマグナをピカピカに磨いてあげよう。

おわり。

バリオス姉さんの話。2

2014-01-21 07:38:51 | Weblog


北海道を旅するにあたって想ったこと。250ccのバイクは非力過ぎる。パワーが足りない。周りはみんなリッターバイク。ズドドドッと追い抜かれる。追い抜かれるのはどうでもいい。それは単にスピードの問題だからだ。その抜かれ方が問題なのだ。
こっちは非力なエンジンをグォーッも回して走っているのに、ズドドドの方は、エンジンのパワーの1/10も使っていない。楽々抜いて行く。お疲れェ!おつぅ!おつおつぅ!ってな感じで抜いて行くので気分が悪いのだ。
どうも250には分が悪い。それが北海道・・・そんな気がした。

姉さんのバイクはカワサキバリオス、250cc。
北海道の常連。もう数え切れないほど来ていると言う。連休が取れると、必ず北海道へ来るらしい。つまり、来られる時には、年に何度も。

僕は初めての北海道である。これは何か教えてもらわないと!僕の旅を実り多きものにするために、何か教えてもらわないと!

ツーリングマップル片手に、聞いてみる。
「どこか、お勧めの場所ってありますかね?」

僕は、これは、極々普通の質問だと思う。旅のビギナーが、旅のベテランに発する質問としては、オーソドックスというか、定番というか・・・。ここから盛り上がっていくというか・・・。

姉さんの答は予想外のモノだった。

「お勧めの場所なんてないわよ」

僕は一瞬思ったね。思っちゃったんだね。話し掛けたのは・・・間違いだった・・・のか?面倒くさい展開になってしまうのか?と。

姉さんは続けてこう言った。

「何がしたいの?」

・・・えっ・・・何がしたい?って言われても・・・あーうー・・・。

「その人が何がしたいかによって、勧める場所って変わるじゃない?」

・・・えっ・・・まぁ・・・そりゃあ・・・ごもっとも・・・ですけど・・・あーうー・・・。

僕は、それから何度も訪れることになる北海道旅の序盤で、この姉さんに出会えて、本当に良かった・・・そう思ったんだ。
何がしたい?そう聞かれて、答えられなかったのは、別に何がしたいかなんて何もなかったから。
なんでも見たいし、なんでもやりたいし、どこでも走りたい。

その日の日記に、僕はこんなことを書いている。

『バリオス姉さんはこう言った。

「行った場所、全てがいい所よ」

いいか悪いかは、自分にしか決められない。自分の目で見て、自分の足で立ってこそ、それは意味を成す。

これは人生の話だ。

「ありがとう」と僕は言った。
「お役に立てなくて」と彼女は言った。
「一番役に立ちました」と僕は言った。
「楽しんで」と彼女は言った。

これは人生の話だ。

とにかく、行ける場所へ行ってみよう。』

つづく。

バリオス姉さんの話。1

2014-01-21 06:57:53 | Weblog


僕の愛車。HONDA VTWIN MAGNAね。250ccのちっちゃなバイクね。通称マグナちゃんね。

そのマグナちゃんの走行距離が、ついに、90000キロを突破したんだね。

マグナちゃんを手に入れたのが2009年の1月。17000キロの中古だったから、丸5年で73000キロを走ったことになるんだな。ざっと見積もって、年間平均15000キロ弱。バイクにしては相当走っていると、我ながら想う。

マグナが90000キロ走ったら、書こうと思っていた話がある。バリオス姉さんの話。

僕のバイクの走行距離が、まだ26000キロだった頃の話だ。
2009年の9月。初めての北海道旅九日目の話。

道東の真ん中辺り、屈斜路湖の湖畔キャンプ場にテントを張っていた。9月ともなると、ライダーの数もめっきりと減る。その日はテントが五張りほどあっただろうか。
夜は静かだった。屈斜路湖の波打ち際がちゃぷちゃぷと音を立てている。

僕は外で星を見上げながら、北の夜を感じていた。他の人たちは、テントの中で各々の時間を過ごしているようだ。とても静かだ。

ふいに波打ち際が明るくなる。薄闇の中目を凝らすと、誰かが焚き火を始めたようだ。その人は、焚き火の前に座り込み、何をするでもなく湖の向こうの闇を見つめていた。
静けさの中、パチパチと木の爆ぜる音。ちゃぷちゃぷと波の打つ音。暗闇の中に浮かぶオレンジ色の灯り。

翌朝、湖畔の露天風呂に入って砂浜を歩いて帰って来ると、もうすでにテントは一つもなかった。みんな出発が早い。
連泊するわけでもないのに、最後に一人取り残されると、少し恥ずかしい気持ちになる。僕はいそいそとテントと荷物を片付けてバイクに積み込む。

一台だけバイクが停まっている。その持ち主が散歩から帰って来たようだ。

出発の準備も整ったので、ちょいと挨拶。

つづく。