春爛漫。四月。我が家は、二階建ての家屋が見えなくなってしまうくらい、花に囲まれています。春爛漫の四月です。いかがお過ごしですか?
ブログの更新が滞っている時は、大体レコーディングをしていたりします。なかなかやらないくせに、やり始めると熱中しますね。
何曲か作って欲しいという頼まれ事があったので、何曲か作っていたのだけれど、このままライオンズポートレートの第五弾の制作に突入してしまったらどうだろう?と思い立ち、日々、コツコツと地味過ぎる作業に何百時間も費やしている次第です。
ある子供が言いました。
「桜なんて、すぐ散って、また来年咲くのに、なんで花見になんて行くのか、意味がわからない」
子供の言うことは正しい。まったくもって的を射ている。
子供にこう言っても、合点してくれないのはわかっている。が、僕は言いたい。
「来年も桜を見られるという保証など、どこにもないのだよ」
桜は来年絶滅してしまうかもしれない。人類は来年滅亡してしまうかもしれない。僕は明日死んでしまうかもしれない。君は来年この世界にいないかもしれない。
「だとしても、なんで桜?他のものだって同じでしょ?」
もっともな質問である。
なんで桜なのか・・・僕にもわからない。
ミモザよりもサクラ。
モクレンよりもサクラ。
ツバキよりもサクラ。
梅よりもサクラ。
桃よりもサクラ。
人が成長するということは、もしかしたら、「儚さ」を知るということなのかもしれない。
「儚さ」に惹かれるようになるということなのかもしれない。
満開のサクラのぼんぼりを眺めていると、儚さに胸がキュンとなる。
儚さに何の興味も感じなかった少年の頃を思い出しながら、「あと何回、桜を見られるのかなぁ・・・」と、感慨に耽る僕なのである。
ジジィか!?