ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

アイスクリームはザクリッチ。

2015-09-09 08:30:23 | Weblog
いきなりでなんですが、今、病院にいます。病院の合皮張りの長椅子に座って、放射線被曝の順番待ちをしています。あぁ、なんてこった。

ライブの時にちょこっと話したり、会う人には報告したりしていたのだけど、最近の僕の状態について、まったく説明をしていなかったということに、メグちゃんからのメールで気づいたので、ちょっと報告。被曝の順番待ちをしながら、ブルーな気持ちでちょっと報告。

事故から一年が経過して、僕の怪我は、もうこれ以上は治らないね、という後遺症を除けば完治しているはず、の時期ではあるのだけれど・・・実際はそうでもなかったりする。

右肺からの出血は、新潟の病院で毎日アイスクリームを食べている間に治った。
折れた6本の肋骨は、クシャミを我慢している間に自然と治った。
数々の擦り傷と打撲の後も、季節の移ろいの中で気にならなくなった。
世界がぐるぐると回転するかのようなひどい目眩は、事故から春が来る直前にピタリと止んだ。

問題は、手術をした右鎖骨の骨折である。

毎月一回レントゲンを撮っている。レントゲンの写真を見ながら、先生は首を捻る。何度も首を捻る。「おかしいなぁ」。

事故から九ヶ月が過ぎた頃、五月。普通ならば、鎖骨の骨を繋いでいるチタン製のプレートとボルトを抜く手術を受ける頃である。僕はCTスキャンの機械の中に入れられた。

CTの立体的な画像をクルクルと動かしながら、先生はこう言った。
「やっぱりね、だと思った。ほら、見てごらん。骨、全然くっ付いてない」

九ヶ月経って、僕の骨はちっともくっ付いていないのである。

九ヶ月経ってくっ付かないものが、これからくっ付くわけがない。そう思わない?

このまま骨が付かないようであれば、どうするのか?先生が説明をしてくれた。

1.くっ付きかけの骨をもう一度割る。
2.割った断面の骨をゴリゴリと削って平らにする。
3.腰に穴を開けて骨盤の骨を削り出す。
4.削り出した骨盤の骨の形を、鎖骨を割って削った箇所に合うように加工する。
5.削って隙間を空けた鎖骨の骨の間に、腰から取り出して加工した骨盤の骨をピタリとはめる。
6.骨がずれないように、再びチタンのプレートとボルトで固定する。
7.骨盤の骨は再生力が強く、間違いなくくっ付く。
8.偽関節手術といって、全然大したことのない手術である。

嫌だよぉ。また全身麻酔じゃん。また入院じゃん。とかね。

それから四ヶ月。様子見続けて四ヶ月が過ぎた。
今日のCTの結果によって・・・手術をするかどうかが決まるのである。

そんなこんなと書いているうちに、CTスキャンの中に入って被曝して来た。今、診察待ち。
九時半の診察予約なのに、CT予約は八時半で、僕は偉いから八時半にちゃんと来て、CTなど五分で終わってしまったものだから、すげぇ待つじゃないか。と、ブツブツ言いながら、待っている。

どうかなぁ?くっ付いてるかなぁ?どうかなぁ?
とか、思ったりしない。

どうせ手術なんだよ。手術に決まってんだよ。どうせスッカスカなんだよ。
とかも、思ったりしない。

もうこういうのは、なるようにしかならないもので、僕なんかがどう想おうが、どう願おうが、どう祈ろうが、そういうの関係ないからさ。無力なんだよ、無力。

あっ、でも、ちょっとはドキドキするよ。
だって、入院することになるわけで、そしたら、喫煙所の場所が気になるわけで、この病院の喫煙所、すげぇ遠いの。病人には無理だろ!ってくらい遠いの。いやぁ、行けないよ、手術直後にあんなに遠い喫煙所。

あぁ、嫌だなぁ、入院。

あぁ、早く来ないかなぁ、順番。

Hello! Ms.Amber Stephens.

2015-09-09 01:39:02 | Weblog
「今日でTrash Box Jamと出会って10年です」

というメールを、先週あたりに頂いた。

その子は、アメリカからやって来た宣教師。昔でいう、フランシスコザビエルのような人だ。でも、その子は、女性なので、フランシスコザビエルみたいにハゲチャビン頭にはしていないんだよ。

確か、二年程の契約で日本に来ていたのだと思う。
Trash Box Jamの路上ライブ、土曜日も日曜日も、毎週欠かさずに来てくれた。
契約を更新して更新して、仕事を変えて、中学校で英語を教えたりして。今は幼稚園で小さな子供達に英語を教えている。

出会った頃は、たどたどしかった日本語も、今ではペラペラと喋っている。十年とは、そういう年月だ。

十年選手の彼女も凄いのだが、Trash Box Jamを支えてくれている方々の中には、十六年選手というツワモノもいるわけで、なんだか途方もない時の流れを感じてしまったりするわけなんです。人生の半分がTrash Box Jam、というね。青春というよりは、人生といった方がしっくり来たりするのである。

昔の話。

あの女の子が病院に入院した。ある女の子というのはTrash Box Jamのファンの子である。
同じ病室の隣のベッドの女の子と話していると、実はその女の子もTrash Box Jamのファンで、ファンクラブの手作り会員証を見せ合って盛り上がったとかなんとか。

Trash Box Jamが小さな世界を席巻していた頃の話である。

先日のライブの時の話。

後に小さな世界を席巻するTrash Box Jamも、最初は名も知れぬ、誰も知らぬ、ちょっと風変わりな路上ユニットなのである。
大宮の道端で、「どうやったら人が立ち止まるんだろうねぇ?」とか言いながら、軽やかに「三日月の夜」なんかを歌っていたのかもしれない。

初日、数時間歌って、立ち止まって聴いてくれたのは、たった一人だった。

その後、試行錯誤を繰り返し、継続は力なりと路上ブームに乗って、Trash Box Jamの人気は上がっていく。立ち上げたファンクラブの会員は、二年程の間に1300人くらいまで増えた。その後は面倒になってやめた。

会員No.1の称号は、初日に、たった一人立ち止まってくれたその子のものである。
会員No.7の女の子が、「もっと早くTrash Box Jamに出会いたかった・・・そしたらNo.1になれたのに・・・」と泣きべそをかくくらい、その頃のNo.1には意味と価値があったんだろうなぁ。

そして、その後、みんな大人になるわけで、「なんだ?このゴミみたいなカード?あっ、なんちゃらの会員カードだ」とゴミ箱に捨てる日が来るのである。そういう日は当然来るのである。
1300人のうちの、1293人くらいは、ごく自然に去って行ったのである。風のようにしなやかに。

ライブ会場に、見知ったような見知らぬような顔を見つけた。
「サトミだよ」とそばにいた子が教えてくれる。
そう、そのサトミこそが、会員No.1のその子なのである。十年ぶりくらいだろうか?

何かの拍子で僕がライブをやることを知り、会場まで足を運んでくれたそうだ。

リクエストされては歌い、リクエストされては歌い、1日に30回も「三日月の夜」を歌っていたあの頃を、思い出した夜なのである。


1293人くらいの、実際はもっと多いはすで・・・3000人くらいの、僕らの唄を愛して止まなかったあの子達は元気にしているだろうか?
もう会うこともない人たちがほとんどなのだろうけれど、みーんな幸せな毎日を過ごせているといいなぁ・・・と心から想う。

人生には苦難がつきものだが、終わるまで突っ走らなければいけないよ、ニコニコと笑いながらね。ケラケラと笑いながらね。それが、生きるってことなんだよ。


すごくたまに、すごく時々、こんなメールを頂くことがある。

「あの頃貰った会員カード、今でも大切にとってあります」

僕が思うに・・・僕が想うより遥かに、あの子達にとっては大切な時間だったのかもしれないな・・・だって、青春時代を振り返れば、毎週通ったTrash Box Jamの路上でみんなとワイワイ騒いでいる自分がいるのだから。

みんなみんな、どうもありがとう。長い間応援し続けてくれてありがとう。深い深い感謝を、贈ります。
そして、みんなみんな、これからも、どうぞよろしく。どうぞシクヨロ。