ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

キミの洋服に、ポケットはいくつ?

2015-10-20 22:35:38 | Weblog
手術まであと十日。

手術嫌だなぁ。
手術怖いなぁ。
腸骨を取ったあとの傷跡が相当痛いらしい。
全身麻酔怖いなぁ。
死ぬほど苦しいんだろうなぁ。
あぁ、嫌だなぁ。
あぁ、怖いよぉ。

と、想わなくもない。

むしろ、想う。すごく想う。

と同時に、こうも想う。

怖がったところで、何も変わらないじゃないか。
怖がったところで、怖さが減るわけじゃないじゃないか。
なんてこった。

結局、怖いのは未知のもので、未知とは「未だ知らず」と書くわけで、つまり未知とは未来に知るであろうことで、つまりのつまり、今この時点で自分に出来ることなど何もなく、僕がビビろうが、僕が怖がろうが、誰一人として、何一つとして、知ったこっちゃない。

あぁ、なんて無力なんだ。

というわけで、「手術怖いなぁ嫌だなぁ」と、心の中で100億回つぶやきながら、ペンキ屋さんの仕事をしながら、「ペンキ屋って楽しいっすね!でも、アスベストとかシンナーとか、確実に早死しますね!楽しいけどもう辞めたいっす!」とか、言い放っている僕なのである。


人はどうして未知を怖がるのか?

そんなことを考えている。

それは、僕らが無力だから。

なぜ無力なのか?

それは僕らが未来を知ることが出来ないから。

タイムマシーンに乗って、未来の自分の姿を覗けるのなら、恐怖なんてそれなりに減ることだろう。

でも、一体誰がそれを望む?

年端もいかない小学校の低学年よりも上の人は、きっと望まない。

タイムマシーンになんて乗りたくない。

それはきっと、未来は観るものじゃなくて、未来は描くものであり、進んだ先にあるものだと知っているからなのだと想う。

進んでみなけりゃ分からない。

だから、生きるってことが、面白いのだと想う。

そして、だから、僕らは怖がる。未だ知らぬものを怖がる。永遠に怖がり続ける。

だから、もう、それはそれでいいんじゃないかと想う。

恐怖を取り除くことなんて出来ない。だって、僕らは弱虫だから。

だから、もう、それはそれでいいんじゃないかと想う。

多少の恐怖は、僕らの必携の手荷物の一つなんだ。

打ち負かすようなものではなく、
克服するようなものでもなく、
逃げ回るようなものでもなく、
忘れ去ってしまうようなものでもない。

恐怖と仲良くやっていこうなんてことは、さらさら想うはずもないのだけれど・・・
必携の手荷物ならば仕方がない。

「手術怖いなぁ」は右ポケットに。
「痛いの嫌だなぁ」は左のポケットに。

そんなものでズボンのポケットを膨らませながら、逞しく生きていけたなら、それはそれで、ちょっとだけ素敵な人生のような気がするよ。

さて、

キミのポケットには何が入ってる?

ポケットから溢れ出すくらいあるのなら、その中の幾つかは、そこら辺のゴミ箱に捨てちゃいなよ。

大切なのは、歩けるくらいの荷物ってこと。

持ち切れないほどの恐怖なんて、必携の恐怖として意味をなさない。

わかるかな?

ポケットに入れておく恐怖は、一人2個まで。
お一人様2個までですよ。