ペンキ屋さんの仕事をしたせいで、腰が痛い。
ペンキ屋さんの仕事をしていなくても腰が痛いのだから、ペンキ屋さんの仕事でとどめを刺された感がある。
腰が痛いというよりも、背骨が痛い。背中から腰まで、数ヶ所、骨が飛び出てしまっているような感がある。すごく痛い。
とりあえず、湿布を貼っている。
腰が痛くて、腰の痛みと戦っているわけだが、腰が痛いので、腰の痛みに関する話を、一つ思い出した。
去年の夏の事故のあと、僕は救急治療室に運びこまれた。そこで目を覚ました。
目を覚ました僕は、右腕も左腕も針とチューブで繋がれて、指先にもなんかがはめられて機械と繋がれて、口には酸素マスク的なモノをはめられて、ほとんど身動きが出来ない状態だった。
身動きが出来ない状態の話は以前に書いたので、ここでは割愛。
なんとなーく、事故に遭ったんだなぁとか、看護婦さんが美人だなぁとか、あっちもこっちも痛いなぁとか、色々考えるのだが、とにかく僕と何かを繋いでいるチューブが気になる。発狂しそうになるほど、気になる。
気になったところで、発狂したところで、チューブを外してはくれない。
寝返りを打とうとしても、寝返りさえも打てない。ホントのホントに発狂しそうになる。
うぅぅぅ、うぅぅぅ、と唸りながら、ふと、ある事に気がついた。
「はっ・・・おれ、腰が痛い。今、おれ、すごく腰が痛い」
今思うと、不思議に思うのである。
僕の肋骨は6本も折れていて、鎖骨も1本折れていて、右の肺からは出血していて、全身は地面に叩きつけられた直後ということで、色々なところから出血していて、細くは破れていて、眼球は出血のため真っ赤っか、身体中に打撲の痕跡が見て取れる・・・そんな状態。
そんな悲惨の極致の状態の僕が、看護婦さんを呼んで何を言ったか?
「すみません、看護婦さん、ちょっと、持病の腰痛の状態が最悪みたいなんです・・・」
今にして思うと、看護婦さんも驚いたことだろう。
「こいつ、死にかけ人形みたいなくせに、腰痛とか言ってんじゃないよ」
しかし、看護婦さんは優しかった。
僕が死にかけ人形みたいだったからかもしれないが、看護婦さんは優しかった。
「腰が痛いんですか?寝返りはまだ打てないんなけど、どうしたらいいでしょう?」
僕は、真顔で説明する。今にして思うと、肺が潰れちゃってるせいで、僕はまだまともに喋れない。ささやき声で真面目に説明する。
「あのですね看護婦さん。普段はですね。例えば何もないキャンプ場とか、旅先のホテルとか、そういう場所にいる時に腰痛が悪化した時にはですね、プラスチックのハンドクリームの容器があるじゃないですか?わかります?こういう感じのやつ。あれをですね、腰の下に入れて、自分の体重を乗せてギューっとするんですよ。そうするとね、ほんの少しだけマシになるんですよ。看護婦さん、そういう感じのもの、ICUにありますかね?」
今にして思うと、「こいつは一体何を言ってるんだろう?」である。
看護婦さんがハンドクリームの容器を探しに行ってる間に、あわよくば脱走しようと企んでいる、そんな感じの物言いである。
でも、僕は大真面目なのである。
なんたって、腰が痛くて発狂しそうなのだから。
実際、看護婦さんがいなくなった隙に、僕は脱走を試みた。
チューブに繋がれたまま、勢いと腹筋の力で起き上がったのである。
実際起き上がれた。すごい勢いで起き上がった僕は、その勢いの二倍の勢いで、ベッドの上に倒れ戻った。
起き上がった瞬間に、尋常じゃない目眩に襲われたのである。
僕は、その時の僕が持つ全ての力を使い果たした上に、「あぁ、脳に損傷があるのかもしれない」と、要らぬ不安を抱くようになり、脱走の意志は、完全に消え失せたのである。
起き上がって倒れた衝撃で、指先にはめられた機械の断片が外れてしまった。外れてしまったことを知らせるアラームが病棟に鳴り響く。「ピーロピーロピーロ!こいつ、死んじゃいます!こいつ、死んじゃいます!」的な。
そこへ、先ほどの看護婦さんが戻ってくる。
脱走を試みたことはバレていないようだ。看護婦さんは相変わらず優しい。優しく、外れた機械の断片を、再び指先にはめてくれた。
そして、看護婦さんは言う。
「ハンドクリームの容器はないんだけど、これ、代わりになりますか?」
僕の目の前に出されたのは、ガムテープだった。
思うに、看護婦さんは、完璧に僕の要望を理解してくれたのだ。
ガムテープ・・・形はハンドクリームの容器にそっくりだ。
看護婦さんがいない間に、死にかけ度が数段上がっている僕なのである。
だが、そのことには気づかれないように、小さくうなずき、看護婦さんに「腰の下に入れてくれ」と頼む。
今僕は、しみじみと想う。
僕はあの時、本当に腰が痛かったのだろうか?
確かに痛かった。痛みも苦しみも覚えている。
だが、ガムテープを腰の下に入れてもらうほど痛かったのだろうか?そして、ガムテープを腰の下に入れたから何なのだろうか?
僕は、そのあとで眠ったのだろう。その後のことはよく覚えていない。
ただ、目が覚めた時、僕の腰の下には、看護婦さんが持ってきてくれたガムテープがあった。
健康ってのは、幸せなことだ。
みんな、わかっているようで、わかっていない。
健康でいられるってのは、ほんとに、幸せなことなんだよ。
手術まであと3日。
ずっと、健康で、いたいなぁ。
ペンキ屋さんの仕事をしていなくても腰が痛いのだから、ペンキ屋さんの仕事でとどめを刺された感がある。
腰が痛いというよりも、背骨が痛い。背中から腰まで、数ヶ所、骨が飛び出てしまっているような感がある。すごく痛い。
とりあえず、湿布を貼っている。
腰が痛くて、腰の痛みと戦っているわけだが、腰が痛いので、腰の痛みに関する話を、一つ思い出した。
去年の夏の事故のあと、僕は救急治療室に運びこまれた。そこで目を覚ました。
目を覚ました僕は、右腕も左腕も針とチューブで繋がれて、指先にもなんかがはめられて機械と繋がれて、口には酸素マスク的なモノをはめられて、ほとんど身動きが出来ない状態だった。
身動きが出来ない状態の話は以前に書いたので、ここでは割愛。
なんとなーく、事故に遭ったんだなぁとか、看護婦さんが美人だなぁとか、あっちもこっちも痛いなぁとか、色々考えるのだが、とにかく僕と何かを繋いでいるチューブが気になる。発狂しそうになるほど、気になる。
気になったところで、発狂したところで、チューブを外してはくれない。
寝返りを打とうとしても、寝返りさえも打てない。ホントのホントに発狂しそうになる。
うぅぅぅ、うぅぅぅ、と唸りながら、ふと、ある事に気がついた。
「はっ・・・おれ、腰が痛い。今、おれ、すごく腰が痛い」
今思うと、不思議に思うのである。
僕の肋骨は6本も折れていて、鎖骨も1本折れていて、右の肺からは出血していて、全身は地面に叩きつけられた直後ということで、色々なところから出血していて、細くは破れていて、眼球は出血のため真っ赤っか、身体中に打撲の痕跡が見て取れる・・・そんな状態。
そんな悲惨の極致の状態の僕が、看護婦さんを呼んで何を言ったか?
「すみません、看護婦さん、ちょっと、持病の腰痛の状態が最悪みたいなんです・・・」
今にして思うと、看護婦さんも驚いたことだろう。
「こいつ、死にかけ人形みたいなくせに、腰痛とか言ってんじゃないよ」
しかし、看護婦さんは優しかった。
僕が死にかけ人形みたいだったからかもしれないが、看護婦さんは優しかった。
「腰が痛いんですか?寝返りはまだ打てないんなけど、どうしたらいいでしょう?」
僕は、真顔で説明する。今にして思うと、肺が潰れちゃってるせいで、僕はまだまともに喋れない。ささやき声で真面目に説明する。
「あのですね看護婦さん。普段はですね。例えば何もないキャンプ場とか、旅先のホテルとか、そういう場所にいる時に腰痛が悪化した時にはですね、プラスチックのハンドクリームの容器があるじゃないですか?わかります?こういう感じのやつ。あれをですね、腰の下に入れて、自分の体重を乗せてギューっとするんですよ。そうするとね、ほんの少しだけマシになるんですよ。看護婦さん、そういう感じのもの、ICUにありますかね?」
今にして思うと、「こいつは一体何を言ってるんだろう?」である。
看護婦さんがハンドクリームの容器を探しに行ってる間に、あわよくば脱走しようと企んでいる、そんな感じの物言いである。
でも、僕は大真面目なのである。
なんたって、腰が痛くて発狂しそうなのだから。
実際、看護婦さんがいなくなった隙に、僕は脱走を試みた。
チューブに繋がれたまま、勢いと腹筋の力で起き上がったのである。
実際起き上がれた。すごい勢いで起き上がった僕は、その勢いの二倍の勢いで、ベッドの上に倒れ戻った。
起き上がった瞬間に、尋常じゃない目眩に襲われたのである。
僕は、その時の僕が持つ全ての力を使い果たした上に、「あぁ、脳に損傷があるのかもしれない」と、要らぬ不安を抱くようになり、脱走の意志は、完全に消え失せたのである。
起き上がって倒れた衝撃で、指先にはめられた機械の断片が外れてしまった。外れてしまったことを知らせるアラームが病棟に鳴り響く。「ピーロピーロピーロ!こいつ、死んじゃいます!こいつ、死んじゃいます!」的な。
そこへ、先ほどの看護婦さんが戻ってくる。
脱走を試みたことはバレていないようだ。看護婦さんは相変わらず優しい。優しく、外れた機械の断片を、再び指先にはめてくれた。
そして、看護婦さんは言う。
「ハンドクリームの容器はないんだけど、これ、代わりになりますか?」
僕の目の前に出されたのは、ガムテープだった。
思うに、看護婦さんは、完璧に僕の要望を理解してくれたのだ。
ガムテープ・・・形はハンドクリームの容器にそっくりだ。
看護婦さんがいない間に、死にかけ度が数段上がっている僕なのである。
だが、そのことには気づかれないように、小さくうなずき、看護婦さんに「腰の下に入れてくれ」と頼む。
今僕は、しみじみと想う。
僕はあの時、本当に腰が痛かったのだろうか?
確かに痛かった。痛みも苦しみも覚えている。
だが、ガムテープを腰の下に入れてもらうほど痛かったのだろうか?そして、ガムテープを腰の下に入れたから何なのだろうか?
僕は、そのあとで眠ったのだろう。その後のことはよく覚えていない。
ただ、目が覚めた時、僕の腰の下には、看護婦さんが持ってきてくれたガムテープがあった。
健康ってのは、幸せなことだ。
みんな、わかっているようで、わかっていない。
健康でいられるってのは、ほんとに、幸せなことなんだよ。
手術まであと3日。
ずっと、健康で、いたいなぁ。