ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

ギリギリバランスミュージシャンズ。

2019-12-12 15:43:00 | Weblog


今回のライブは賑やかだった。賑やかで楽しかった。

ライブの一ヶ月半くらい前にかつてのバンド仲間のキョッツ君からメールが届いた。
「ドラムパッドを買ったから、打楽器が必要だったら手伝えるよ」的なメールね。

でも、ぶっつけ本番は嫌だから、候補の曲が決まったら教えてくれ。的なメールね。

キョッツ君と一緒にやるとしたら数十年ぶりになるのだから、まぁそれも致し方ない。
よし、候補曲を考えよう。

ライブの3週間前くらいにシッシーからメールが届いた。
「ライブ、行きます!何曲か一緒にやれたら嬉しいっす」的なメールね。

シッシーは前回の六月のライブにも来てくれて、二曲、一緒に演奏した。

まぁ、だいたい同じ感じになるのだろうけれど、せっかく早めに連絡があったのだから、たまには違う曲をやってもいいかなと思い・・・こう返す。
 
「やりたい曲ある?」

シッシーから「考えて連絡します!」と返信。

さてさて、それから、ライブの準備と畑とレザークラフトと陶芸と・・・日々の暮らしと・・・それはブログに散々と書いた。

ライブの二日前の昼間である。

キョッツ君に連絡をしなければ!とメールを打つ。
「カウボーイ」を一緒にやろう!

キョッツ君からの返信。

「えっ、やるの?」

つまり、連絡がないので、今回は一緒にはやらないのかと思った。ということである。言い方を変えれば、二日前に知らない曲をやろうとか言ってきてんじゃねーよバカ!ということなのだろうと思う!

そして、ライブの二日前の夜である。

シッシーからメールが来た。

「遅くなりました。こんな感じの曲をやりたいです!」

えっ?今頃?

もうすっかり、シッシーとはいつもの曲でやり過ごすつもりでセットリストも組んでいた。シッシーは第3部の途中から二曲の参加の予定である。

シッシーの送ってきた「やりたい曲リスト」は10曲もあるのである。愕然とするとはこのことである。

えっ、今?10曲?候補?ウソ?

そして、シッシーのメールにはこう書いてある。

「やっぱりいい曲ばかりですね。練習してたらやりたい曲たくさんになっちゃいました!」

はははははは。さすがです。シッシー。

シング心をくすぐります。

キョッツ君に送った僕と言い、僕に送ったシッシーと言い・・・みーんなギリギリなんです。ギリギリもギリギリ・・・そういうものなのですねぇ。と納得したりして。

シッシーが送ってくれてリストには、普段やらない曲もあってりして、なんか・・・やりたいなぁとか思ったりしちゃって。でも、もうセットリスト組んじゃってるしなぁ・・・とか思ったりもして。

でもなぁ・・・どうするっかなぁ?と考えたりして。

もうテーブルの上の歌詞カードも、心の中もグチャグチャなのです。

結局、考え抜いた末、シッシーには第3部の頭から五曲弾いてもらうことにした。
クライバード、アルカディア、エブリデイ、3グラムの奇跡、ジュークボックススター。
ジュークボックススターはエムケイも入って三人。
シッシーがはけて、キョッツ君のドラムが入り、三人でカウボーイ。

最後の曲は、みんながはけて、ひとりぼっちで、久しぶりに「入魂」のメッセージ。

いやはや、ワチャワチャして、バタバタして、ガヤガヤして、エブリデイなんて途中で止まってやり直したりして、てんやわんやだったりしたのだけれど、楽しかったなぁ。

一人でやっているの、一人じゃないことの素晴らしさに気づかせてもらえる。

キョッツ君が奏でてくれるリズムの心地良さを。

大学生の時に三年間くらい、一緒にバンドをやっていた仲間である。性格が良く、優しく、人間的に素晴らしき人である。当時から、僕のワガママに文句を言うこともなく、共に時間を過ごしてくれた。今回の急な要請に応えてくれたのも、キョッツ君が故、ということになるのだろうな。ありがとう、キョッツ君。

隣にシッシーがいることの心強さを。

シッシーは、新加入のイメージがあったりするが、もう15年くらい一緒にやってくれてるんじゃないか?いつからだったか忘れてしまうくらい長い間隣でギターを弾いてくれている。それは本当に凄いことだと思う。感謝しかない。ありがとう、シッシー。

そして、いつも隣でみんなを笑わせようとしてスベリまくっているエムケイがいることの面白さを。

まぁ、エムケイのことはいいか。
今回もスベってた?どうだった?ドンズベリしてなかった?
ドンズベリ芸人エムケイにも、この上ない感謝を。いつもありがとう、エムケイ。

僕は幸せである。と、ライブで何度も言った。

ひとりぼっちでも歌える幸せがある。
好きなうたをように好きなだけ歌えるという幸せがある。

仲間と共に音楽を奏でられるという幸せがある。
懐かしい唄を、笑いながら懐かしみながら歩いてきた道を辿るように奏でられるという幸せがある。

そして、そこには、その唄をキラキラとした目で見つめてくれる存在がある。何年も何年も変わらずにそこにいてくれる存在がある。
それがすべての源であり、それがあるから僕はずっと、僕らはずっとここにいられる。
そう、それがキミだ。キミたちだ。

いつもありがとう。
何度でも言うよ。
いつもありがとう。感謝です。

ガンバルルルーンって、書いてあった。謎。

2019-12-12 12:59:00 | Weblog


昨日久しぶりにしゅうちゃんからメールが来た。

変わらずに、福島で頑張ってるみたいだ。

今の僕の基を作ったのはしゅうちゃんである。

「曲は作ってるのか?」と来たので、新作のブリキのライオンを送った。

「やっぱりおれはシングの曲が好きだ」と返事が来た。前よりも声が優しくなったそうだ。

ゼロから、ゼロ地点から共に何かを作り、成し遂げた仲間である。
それが、今の僕の基礎である。あの頃の続きに、まだ僕はいる。

欠けていった仲間もいる。それはそれでいい。もう会わなくなった仲間もいる。それはそれでいい。もう会えなくなって仲間もいる。それはそれで構わない。

僕は、今の僕の基を作ったしゅうちゃんへの感謝を忘れない。決して。なぜならば、いつだったか、僕がそう決めたから。自分が決めたことは守らねばならない。ただただそういうこと。そういうの、大事。
だから、「ありがとう」っていつも思う。そういうの、すごく大事。

そういうのを忘れちゃうと、人は独りよがりになって、自分だけで「ここまで来た」なんて勘違いをしてしまったりする。そういうの、ダメ。絶対に、ダメ。そういうの、勘違い星人。ダメダメ。

そういう人、多い。そういう人、ばかり。
だから、世界は歪んでいって、世界は病んでいく。

ココロの中の大切なものを、大切にしなかったり忘れてしまったりするから・・・人は頼るモノを見失う。道標を見失う。

ココロの中の大切なモノを忘れなければ・・・

ねぇ。簡単なことなのにねぇ。ふふふ。

今朝、しゅうちゃんからまたメールが届いた。

メールにはこうあった。

「来年はシングに会うことに決めた」

少し笑った。

決めてくれたのか・・・って、少し笑った。
「シュウらしいなぁ」と、少し笑った。

嬉しかった。

なんだかね、とても嬉しい気持ちになった。

僕の幸運は、ココロの中に大切なモノがたくさんあることだ。

ココロの中に大切なモノがありますか?
ココロの中の大切なモノを忘れていませんか?

さぁ、お引越しですよ。ネギちゃん。

2019-12-12 12:31:00 | Weblog


あれっ、なんかおかしいなぁ。・・・なんか忙しい気がするなぁ。おかしいなぁ。ライブが終わって、激ヒマ星人になったはずなのになぁ・・・おかしいなぁ。おかしいなぁ。ってね。

今日は風が強い。ふらふらーっと風に流されて、となりの畑のクボさんが自分の畑の周りに掘り回した深溝に落ちてしまいそうだ。やっとの思いで深溝から這い上がったとして、手を掛けたところが、となりの畑のクボさんが自分の畑の周りに張り巡らした獣除けの電磁柵だったりして、ビリビリビリ!っとなったりして・・・。まぁ、おれも獣っちゃ獣か。間違いではない。
まぁ、そんな感じの風が吹いているという話。

ネギの移植をしようと思ってね。
移植というか、引っ越し。
濡れ濡れ湿地畑の水が、台風以来まったく引かない。濡れたまま。ネギが土の中で溺れている。かわいそうすぎる。

ネギを抜いてしまえば、湿地畑とはサヨナラだ。少なくとも冬の間は。

もう一つの畑の隣の畑の太田さんが言っていた。湿地畑のことを、こう言っていた。

「えっ、あそこでやってるんですか?えっ、あそこでやってるんですか?えっ、あそこでやってるんですか?」

三回言っていた。その後で、小さな声でこう言っていた。

「あここは無理ですよ。あそこはダメですよ」

そう、ここはダメだ。ははは。

サツマイモも溺れて腐った。
ヤマイモは腐って姿を消した。
生姜は芽も出さなかった。

ふふふ。

でも、大豆は育った。
小豆も育った。
緑豆も育った。
落花生も育ったが、味がイマイチだった。

作物によって向き不向きがある。勉強になった。

色々な人がアドバイスをくれる。
「ここはやめなさい」とかね。
「他でやりなさい」とかね。

でもさ、ここしかなかったらどうする?

やらない?
やめる?

違うね。

「やるっきゃない!」by 土井たか子。

もともと、人が持つ選択肢なんてそれほど多くないのです。
何もしないか。手をこまねいて待つか。とにかくやってみるか。そんで、やられるか。

なんと言われようとも、「だって、やるっきゃないじゃないですかぁ!」と返すしかないのです。

そして、いつものごとく、台風で肩の高さまで水没し、泥だらけの大豆をモギモギしたりするのです。

色々と考えさせられます。でもきっと、その考えさせられるのがいいのだと思います。ただ漫然とやり、そこそこの成果を出すよりは、いいのかもしれません。

あぁぁぁ!なんでこんなことを考えながらネギを移植しなければならないんだぁ!普通にやりたーい!

というのが本音だというのは、内緒にしておいてくださいね。

ちなみに、ネギなんぞは、普通は、手でスポッと引っこ抜きます。
でも、ここの畑は特別なので、大きなスコップで周りから掘り起こして抜きます。
「ヤマイモ掘ってるのか?」と思われそうな作業です。

笑えます。

笑いながら、「やるっきゃない」
by 土井たか子なのです。