ライブに合わせて陶器を作った。当然のことである。下北沢lownで陶器市を開催する気満々だったのだからね。小物を40個くらい作った。
ライブの二日前に、僕は思った。
「あれ?作った陶器がないなぁ。なんでかなぁ?」
ライブの準備をする僕の手元に、ライブに合わせて作った陶器がないのである。
そして、二日後のライブまでに僕の手元に陶器たちがやって来る予定もないのである。
僕は気がついた。
「あっ、間に合わなかった。がびーん!」
ライブに間に合うように窯に入れた。確かに入れた。6/1のライブに合わせて、5/28に窯に入れた。これで間に合うと、僕は思った。余裕をぶっかました。これで「オッケー」と大手を振った。
何に気がついたかというと・・・焼いた陶器が窯から出るのは6/3・・・の月曜日。
「ライブ、終わってんじゃーん!」
どうして、どうして気がつかなかったんだろう?
バカなのかなぁ?
気がついたところで、どつにかなったというものでもない。窯出しが早まったというわけではない。なぜなら、陶芸窯は陶芸クラブの窯であって、僕の窯ではない。つまり、僕の事情で窯出しが早まることなどない。窯には、陶芸クラブのみんなの作品が詰まっているのだからね。
そんなわけで、ライブが終わった後に、僕の作品たちが窯から出てきた。下北沢lownの陶器市は並ぶことのなかった作品たちである。
なんで間に合うと思ってたのかなぁ?
バカなのかなぁ?
そんな想いを込めながら、作品たちの写真を披露したいと思うのであります。
ライブの日、エムケイが我が家まで迎えに来てくれるというのが、この何年かの通例。有難いことである。僕は、エムケイの横に乗って、車に揺られていれば下北沢まで着いてしまう。すごく有難いことである。
エムケイが言う。
「なんか作った?」
何か作った?の何かとは、ライブに来てくれたお客さんに「売る」もののことである。
僕は答える。
「うん、作ったよ。今日もよろしく。全部売っちゃってくれ」
ライブをやるのはミュージシャンであり、ミュージシャンは演奏して歌う。歌うのは唄であり、唄は音楽である。音楽を形にするとCDになる。つまり、ミュージシャンがライブで売るのはCDということになる。うん、まぁ、当たり前の話。
エムケイが言う。
「忘れ物、ない?」
僕はバッグの中身を確認して・・・言う。
「あっ、CD、忘れた。・・・CD、いる?」
エムケイが持って行けと言うので、棚からCDを掴み、バッグの中に入れる。
「一応ね。持って行くかね」
ミュージシャンがライブをやるのに、CDを「一応持っていく」・・・。そういうの、どうかと思うね。
下北沢のライブハウスに着く。リハーサルが終わり、開場の時間を待つ。
エムケイがバッグの中から品物を取り出して、値段を付けて、テーブルの上に並べている。
つまり、こういうことである。
下北沢lown陶器市の始まりなのである。
ライブ?
陶器市?
エムケイの気合い的には・・・たぶん、陶器市。たぶんね。
たとえば、雷雨の予報が出ている中、小雨がパラパラと降り出した空の下で。
汗だくになって立てた8本の畝に、落花生と小豆の種を埋めていく。
芽が出たところを鳥にイタズラされないように、畝を不織布で覆い、風で飛ばされないようにピンを打つ。
全ての畝の間に強靭な根を張っていた草も九割方取り除いた。
やるべきことはまだまだあるが、全てのことをやる切ることなんて出来はしない。そんなことは知っている。そして、僕はつぶやく。
「やれるだけのことは・・・やった」
僕は小さなリュックサックの中に、荷物を詰めている。リュックサックの背中には小さなライオン。僕の相棒。
どこへ行くんだい?
「どこへ行こうか?」
今回は荷物が少し小さいな?
「そう、そんなに遠くないところへ行くからね」
傘は持ったかい?きっと雨だよ。
「小さな傘をバッグに入れたよ。どうせどこへ行ったって雨は降る」
準備は万端だ?
「さぁ、行こう」
五月の話である。
ゴールデンウィーク。僕にとってはゴールデンウィークが10連休だろうが100連休だろうがまったく関係ないのだが、ちょっと世間一般と関わったりすると、そんな連休がちょっと関係あったりするのである。
嵐山へ遊びに行きたい!とよく言われる。たまに言われる。
そんな時は、決まってこう言う。
「そうだねぇ、暖かくなったらねぇ。春かなぁ・・・」
みんなにそう言う。だって、嵐山の冬は寒い。
そして春になり、五月になり、世間一般がゴールデンウィークに突入し、ゴールデンウィークの最中に出掛ける気なんぞない僕のところへ、冬の間に交わした軽い約束を果たしに、次から次へと、友人たちがやって来るのである。
そんなある日のことである。
朝である。早朝。
アイフォーンの呼び出し音。電話が鳴る。
「今すぐにハチの巣箱をうちへ持ってきなさい」と、電話の主が言う。
電話の主とは・・・ハチ師匠。キムキムにーやんである。元マル暴の、刑事と書いてデカ。見た目はヤクザそのものの、キムキムにーやん。
「え?今ですか?今はちょっと・・・来客がありまして・・・えぇ、近いうちに持っていきますよ」
「今だよ。今持ってこないとダメなんだよ。すぐな!」
「・・・」
さてさて、どうするっか。昨日から泊まりの来客なのである。なんとなくの予定も立ててあるのである。
「まぁなぁ・・・行くしかないよなぁ」
客人に告げる。
「ちょっと申し訳ないんですけど、2時間半ばかり出掛けてきます」
ハチの巣箱をバックシートに載せて、ジムニー号、出発なのである。
キムキムにーやんは、なぜ巣箱を持って来いと言ったのか?
説明しよう。
キムキムにーやんは沢山の巣箱、たぶん11個くらいの巣箱にニホンミツバチを飼っていたのだが、アカリンダニの被害に遭い、生き残ったのはたった二つの巣箱だった。
その巣箱に入っているハチの群れに新しい女王蜂が産まれると、古い女王は群れの半分を引き連れて巣を出て行く。これを分蜂という。
なぜか知らないが、ハチは何度も何度も分蜂するらしい。
今回、今年は、もう諦めていた。キムキムにーやんもそう言っていた。今年は無理だと。
キムキムにーやんの巣箱に入った蜂が今年4度目の分蜂をしそうだというのである。
つまり、本当に分蜂すれば、キムキムにーやんがその群れを捕らえ、蜂箱に入れ、僕にくれるというわけだ。我が家に再びニホンミツバチがやって来るというわけだ。
僕が客人を置いて、車を走らせているのは、そういうわけだから、なのである。
キムキムにーやんの家に着いて、巣箱を置いて、すぐに帰ってきた。
その日の昼間に、キムキムにーやんから電話があった。
「分蜂したぞ。なっ、だから言っただろ?すぐに持って来いって」
さすがなのである。さすがの師匠なのである。僕のハチの群れ。
「やったぁ!」
と叫び出したい気分・・・いや、実際、「やった!と叫んだのである。
こんにちは、はちみつのカフェ。
そして、これもまた・・・悲劇の始まりだったりして・・・
つづく。
ライブ前に、ブログをガンガン書き始め、ライブが終わると、さっぱりとブログを書かなくなる。
そういうの、絶対にやっちゃいけないことだと、僕は思うのであります。
やってんじゃーん!
ってね。
いやはや、忙しく過ごしています。
ライブの前も忙しかったが、ライブの後もこんなに忙しいとはな・・・想像もしていなかったよ。
のーんびりと過ごすつもりが、もう時間に追われ、日々に追われ・・・なんなんだ?この暮らしは?
ってね。
何百回もブログをね、書こうと思ったんだけどね、なんとも、ただただ忙しいということを書くことになってしまうからね。そんなのもなんだなぁ・・・ってね。
この人、冬は「寒い」しか書かないし、それ以外は「忙しい」しか書かないなぁ。ってね。
先日、20年来の友達から連絡が来まして、「川越へ行くから遊びにいってもいい?」と誘われたんだけど・・・「いや、忙しいから無理!」と返事をする始末だったりしてね。そしたらその友達が、「じゃあ、夜ご飯だけでも一緒に食べよう!」なんて連射砲を撃って来てくれたんだけど・・・「いや、ほんとに忙しいから無理!」と返事をする始末だったりしてね。
泣いてる顔のスタンプを送って来たりしてね。そういうの、やめて欲しかってりする。ははは。また今度ね。
何がそんなに忙しいってね。畑なんですよ。畑のせいで、他の何も出来ない。何一つ出来ない。畑って、大変。しかと、ナウ、僕はほぼほぼ自給自足生活みたいになってきているのでね、畑ってのは「生きる」ことに直結しちゃってましてね。今やらないといけないことを先延ばしにしていると、数ヶ月後に食べるものがなくなるという悲劇が待っているわけで。
なんでそんなに忙しいってね。人力なんですよ。機械がないんでね。他の人がトラクターに乗ってものの20分で終わらせることを、僕はね、人力、つまり、僕のカラダひとつでやらねばならないんですよ。丸二日くらいかけてね。たった一本の畝が、汗、汗、汗、の結晶なんですよ。
今日は、肥料作りをやりました。酷暑の中、半日かけて。一番暑い時間に。
端っこに見える袋は、20キロの菜種の油かす。これをタダで貰ってきたヌカに混ぜます。どう見ても、比率がおかしいんです。
前は1対1で混ぜました。今は・・・12対1くらいか?
なぜならね、それはね、油かすは一袋1380円もするからなんです。泣く泣くの一袋。無いよりマシの一袋。
大丈夫です。成分的には、充分だと思います。たぶん。美味しい野菜が出来ることでしょう。ほぼほぼタダで貰ったヌカ頼み。ヌカパワーを信じましょう。・・・信じてます。
広げたヌカに、コーヒーカスと油カスを混ぜます。よく混ぜます。籾殻も入れてよく混ぜます。この量になると、混ぜるだけでアスリート並みの汗が出ます。
そこに、米のとぎ汁で発酵させたEM菌という謎の液体を振りかけます。ペットボトルで二本分。これもちょっとケチってます。本当はもっと入れた方がいいと思います。
そして、ホースで水を掛けます。
また混ぜます。うどんを打つ時の小麦粉と水を混ぜる要領です。ギュッと握って固まって、ちょんと指で触ると崩れるくらいの水分が良いようです。
ダマになるとその部分が発酵し難いので、手のひらでスリスリ崩しながら混ぜます。この量を全部スリスリするって、200キロくらいあるからね。大変です。バカみたいです。バカなんじゃないの?って一億回思いながらスリスリします。
スリスリが終わったら、大きなビニール袋に詰めます。大きなビニール袋を米袋の中に入れて、肥料を詰めます。EM菌というのは、嫌気性といって空気を嫌う菌なので、しっかりと袋の口を結んで閉じます。
30キロ入りの米袋で11袋出来ました。あとは、放っておけば、2週間から1ヶ月で、メロンのような甘い香りのする有機肥料が出来上がるというわけです。
スーパーマーケットで売っている野菜は、ほとんどが化成肥料という謎の物質を与えられて育ちます。もちろん、農薬もガンガンくれられて。
この化成肥料、そのまま食べたら死にます。食べたら死ぬものを少量ずつ与えられたものを、「安全です」ってのもないと思うのです。子供とか、特に。
僕は、畑を始めて、そういうことを学びました。学んでいます。
では、みんなが成城石井で高価な有機野菜を買って食べればいいのか?と言われると、それもまた違うんじゃないかなぁ?と思ったりするわけです。
社会が変わらなければね。
ヨーロッパでは禁止されている農薬が、日本では安全だと謳われ、農家はガンガンと農薬をくれまくり、消費者はそれを知らずにそれを食べる。
戦後の食糧難を乗り切るために、速く育つ化成肥料というものが普及して、食糧が有り余る今日でも、それは変わらずに使われ続けるているのです。
社会が変わることはあるのだろうか?
ヌカをスリスリしながら、僕は考えたりしています。