仁王門の左右には金剛力士像が立っている
左側の仁王が口を開けた「阿形」、右側の仁王が口を閉じた「吽形」である
神社の狛犬も、沖縄のシーサーも同じだ
阿吽の「阿」はインドの古代文字である梵字の開口の最初の音、「吽」は閉口の最後の音で
このことから「阿吽」は、全ての物事の最初と最後の象徴となった
また「阿」は出す息、「吽」は入る息と解釈され
吐く息と吸う息の双方がピタリと合う事から「阿吽の呼吸」と呼ばれる様になった
これから発展して、気持ちもピタリ合う者同士を「阿吽の仲」と言う事もある
現実には中々、このようにはならないが
目指すは、この関係でありたい
最近は、意識的に距離を置いた関係になろうとしている気配がある
相手のごく近い所まで立ち入ると、色々摩擦が生じて、仲がこじれる事がある
それを嫌っているから、近くまでは立ち入らない様にする
しかし、それを乗り越えた先に、きっと「阿吽」がある
一人では無く、人と人の間で、上手く関係を持って生きている人を「人間」と呼ぶ
上手く関係を持つ事に努力して行く事が「人間」として必要な事なので
「阿吽」は成りがたいが、「阿吽」を目指したいものだ
左側の仁王が口を開けた「阿形」、右側の仁王が口を閉じた「吽形」である
神社の狛犬も、沖縄のシーサーも同じだ
阿吽の「阿」はインドの古代文字である梵字の開口の最初の音、「吽」は閉口の最後の音で
このことから「阿吽」は、全ての物事の最初と最後の象徴となった
また「阿」は出す息、「吽」は入る息と解釈され
吐く息と吸う息の双方がピタリと合う事から「阿吽の呼吸」と呼ばれる様になった
これから発展して、気持ちもピタリ合う者同士を「阿吽の仲」と言う事もある
現実には中々、このようにはならないが
目指すは、この関係でありたい
最近は、意識的に距離を置いた関係になろうとしている気配がある
相手のごく近い所まで立ち入ると、色々摩擦が生じて、仲がこじれる事がある
それを嫌っているから、近くまでは立ち入らない様にする
しかし、それを乗り越えた先に、きっと「阿吽」がある
一人では無く、人と人の間で、上手く関係を持って生きている人を「人間」と呼ぶ
上手く関係を持つ事に努力して行く事が「人間」として必要な事なので
「阿吽」は成りがたいが、「阿吽」を目指したいものだ