閃き

変化も気付く事も無い平凡な毎日の中にきっと閃きがあるはず。閃きを求めた記憶

新米

2011-09-28 12:56:41 | 閃き
今年も新米の季節がやってきた

今年も恩師が大切に育てた稲が刈り取られ、家に届けられた

昨年の米は、実は害虫駆除に失敗した為に、炊き上げると黒く変色してしまう粒があった

別に食べても悪くはないが、白米というイメージからは掛け離れているので

妻が精米後に、色の悪い粒を取り出してから炊くようにしていたが

取りきれるものではないので、不満があった

恩師からは頂いた時に説明を受けていた


今年、新米を頂いた時に恩師は昨年の米の事を再び詫びられた

恩師はそれでも心配なので、少量精米し食べて確認されたそうで、恩師の気遣いに感激した


我が家でも、早速少量精米し食べてみた

今年の新米は炊き上がりも綺麗で、味も大変美味しく、新米を楽しませて頂いた

地震や原発事故、台風を乗り越えた稲に敬意を表する

また、食べ過ぎてしまうが、新米を楽しむのは今しか無い
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェス

2011-09-23 11:08:30 | 閃き
最近は、いろんな所で音楽のフェスティバルが開催されているようだ

私の娘達も、フェスティバルに参加する為に、キャンプ道具を車に積み込んで、東に西に、北に、南にと、忙しい

そのフェスティバルの事を「フェス」と呼んでいる

昨夜も遅く帰って来たかと思ったら

そのフェスに行くために、中継地点のように立ち寄ったらしい

砂漠ならオアシスだ

食事をして、温かなベットで眠り、水と食料を補充する

まぁ、それでも帰って来れば、妻は嬉しそうに世話をやく


先日、その娘の発案で、ミニフェスをやった

会場は、ここ、

30人程の人間がよく入りきれたと思ったが

お揃いのTシャツまで作って、バンド演奏をするのだ

娘達はバンドを組んでいるから、観客と奏者を兼ねている

当然盛り上がり、長時間に渡る

長時間になれば当然お腹も減る

食事の用意は、軽食のケータリングが準備されていたが、足りる訳が無い

参加者では気付かない事だ

家主としては、見て見ない振りは出来ない

急きょ、買い出しに走り、あれこれと世話をやく羽目になった

深夜まで盛り上がり、日付が変わる頃、ようやくお開きとなったが

「又、来年もやろうね~」
と、声を交わしながら帰って行った

後には、酒に酔っ払って帰れなくなった数人と、娘達が残った

翌朝、朝食を食べさせて送り出した後

私と妻は何時しかリビングで眠っていた

本当に、来年もやるのかどうか不安が募る

裏方の準備もしっかりするという条件でなければ、御免こうむりたい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の実りの便り

2011-09-19 15:33:25 | 閃き
残暑はまだまだ厳しいが、稲刈りが始まってるなどの、秋の実りの便りが少しずつ届く様になって来ている

秋は、食材が豊富になり、味も一段と美味くなるので

また食べ過ぎと飲み過ぎに注意が必要になる季節だ


今日はスウェーデンからのお話しである

スウェーデンにも「ヘラ鹿」という世界最大級の鹿がいるそうだ

ヨーロッパでは「エルク」、北アメリカでは「ムース」と呼ばれる

大きさは馬位で、大きな角を持っている


この季節になると、そのヘラ鹿が熟して落ちて腐った林檎を食べて、気が狂った様になるらしい


これは、落ちて腐った林檎は、実は発酵していて、お酒の様になっていて

早い話、酔っ払って暴れているのだそうな


まるで秋の実りの収穫を祝う秋祭りで飲み過ぎて酔っ払ったみたいだと

ヘラ鹿の事を聞いていて、そう考えた

毎年この季節に酔っ払って暴れるということは、懲りていない証拠で、お祭り気分なのかも知れない

他の国では聞いた事が無いから、発酵する林檎もきっと特殊なのだろう

スウェーデンのヘラ鹿だけに許されたと言っても過言では無い

秋の実りの便りである
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吹き溜まり

2011-09-16 06:44:25 | 閃き
毎朝、会社の周りを掃き掃除している事は、前にも書いたが、今も続けている

最近、落ち葉が目立ってきた

それを見て、もう秋が始まっていると感じるのだが

実は先日の台風の影響で落ちた葉が舞い込んで来ていた様だ

そんな落ち葉が溜まっている場所がある

吹き溜まりになった場所である


以前、お世話になっている先輩が駐在していたタイのバンコクへ訪ねた時

チャオプラヤー川を流れる浮草を見て

「水に漂う浮草に、という歌があるが、上流から流された水草だ

根を張る草と違って、流れに身を任せる様になってしまっては可哀相だ

しかし、あの流れが澱んだ所に集まった浮草は、もっと哀れだね」

と、浮草を見て人生の生き方を教えられた事を思い出した


木から落ち、風に吹かれて飛んで行くのも人生だが

吹き溜まりに溜まって、ゴミにならない様にしなければと

落ち葉をチリトリに掃き入れながら思い返した
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中秋の名月

2011-09-13 07:25:05 | 閃き
昨夜の月は十五夜だけあって、見事な満月だった

天候に邪魔される事もなく、ゆっくりと月見を楽しんだ

月は十五夜で無くても本来は丸いが、地球の影によって欠けた様に見える

月に非は無い

言い換えれば、私(地球)の影によって、相手(月)が悪い(欠けた)様に見えるのだ

それでも相手は変わらない姿を私に見せてくれる

時々雲に隠れて、姿を見せてくれない時もあるが

いつも変わらない姿勢でなければ、そうはならない

平静の自然なる姿である証拠である

失言や失態は、平静なる時に、つい出てしまうものだ

それが、本質であるとも言える

失言や失態で問題になる人は、名月でも眺めて、自らを省みると良い

と、かく言う私も他人事では無い

相手がどうであっても、変わらぬ接し方が出来るように、まだまだ精進しなければならない
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする