白雲去来

蜷川正大の日々是口実

向田邦子さんの本。

2025-01-14 18:55:36 | 日記

1月14日(火)晴れ。

午前中に郵便局に行き「新年会」の案内状を発送。郵便料金が110円となり、細かい話だが様々な郵便物の経費がかさむ。午後から、関内でランチ。適当なお店を探して、初めての焼き肉屋に入った。焼肉ランチが一人前2700円。メニューの写真は良かったのだが、出てきた肉は最悪。「特上カルビ」「中落ちカルビ」だの説明は良かったが、脂ばかりで、全く肉感がしない。人生の大事な一食を無駄にしてしまった。

先日、馬車道で昼食を取った帰りに、タクシーで帰ろうかと思ったが、伊勢佐木町の有隣堂が近かったので、ふらりと入った。別段、読みたい本もなかったが、「食」に関する棚にあったのが、向田邦子さんの『メロンと寸劇ー食いしん坊エッセイ傑作選』(河出書房新書)という本。向田さんの本はほとんど読んでいる。『メロンと寸劇』も、かつて向田さんが出した本の中から「食」に関係するエッセイを抜粋し、まとめたものだ。以前、同じ出版社から出ている向田さんの『海苔と卵と朝めし』を買ったことがある。『メロンと寸劇』を読んでいて、記憶に残っているエッセイが何点かある。それでも人間の記憶などいい加減で、読んでいるはずの文章なのだが8割ほど新鮮な気持ちで読めた。タクシーを乗ったつもりで買った本を読みながらバスでのんびりと帰った。

その向田さんが台湾で飛行機事故にて亡くなったことを知った時は、とてもショックだった。向田さんは、私と同じ飛行機嫌いで、著書『霊長類ヒト科動物図鑑』中の「ヒコーキ」と題したエッセイにこう書いている。「私はいまでも離着陸のときは平静ではいられない、あまり片付けて出発すると『やっぱりムシが知らせたんだね』などと言われそうで、縁起を担いで汚いままで旅行に出る」と書いている。このゲン担ぎも虚しく昭和五十六年八月二十二日、取材旅行中の台湾苗栗県三義郷で遠東航空機墜落事故にて死去された。五十一歳だった。

夜は、久しぶりに、カツオのたたき、ミスジ肉、人参のシリシリサラダ。飲むべきか、飲まざるべきか・・・。悩んだが、「私と別れるの」と「黒霧島」の声がして、酔狂亭にて月下独酌。

 

 


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いまは亡き悲願の人の悲願を継ぐ

2025-01-11 12:03:24 | 日記

1月9日(木)晴れ。

午前中から、みなとみらいの病院へ行き、昨年末に受けたじん臓の生検査の結果を聞きに行く。最悪の結果だったら、昼食に特上の「うな重」、再検査、入院となれば「焼肉」、通院で済めば「モハン」のナンとキーマカレーと決めていた。採血と採尿を済ませて診察室へ。結果は、ナンとキーマカレーで済んだ。完治はしないが、これ以上悪くなって透析とならないように、治療しましょうと言うことになった。

野村先生の獄中句集『銀河蒼茫』の「冬の句」の中に、「いまは亡き悲願の人の悲願を継ぐ」というものがある。先生が千葉時代において「今は亡き悲願の人」と言うのは、昭和四十六年の十月に亡くなられた三上卓先生のことであろう。

野村先生は、旅に出ると、良く絵葉書を書いて送ってくれた。一緒に、海外に出ている時も、事務所の人たちにマメに絵葉書きを送った。それを見ていたせいもあって、私も旅に出ると、家族や友人に良く絵葉書を書いた。しかし、三泊四日程度の小旅行だと、子供たちに宛てた葉書よりも私の方が先に家に着いてしまい、手紙を出したことの意味がなくなってしまう。それでも、飛行機の中の無聊を紛らわせるために、葉書を書いていると、「ああ旅に出たんだなぁー」という感慨が湧いてきて旅も楽しくなる。

 後輩で、大陸浪人の杉山茂雄君も海外に出ると、必ず葉書を送ってくれる。絵葉書が好きな私としては、彼からの葉書をまとめておいて、たまに読み返す事がある。手紙を書いている時は、相手のことを思って書いているので、一枚の葉書の中に、出す人の思いがこもっているような気がする。

そういえば亡くなられた花房先輩も筆まめだった。今は亡き人の悲願の人か・・・。夜は、寒いので「おでん」を炊いた。その他は「焼きそば」に「きんぴらごぼう」。酔狂亭にて、恐る恐る独酌。


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花房ショックが消えない。

2025-01-08 15:47:58 | 日記

1月7日(火)晴れ。

昼に、古いお付き合いで、A新聞の辣腕記者M女史と久しぶりにお会いした。特別何の用事があったわけではないのだが、お互いの近況報告などを、昼食を兼ねて2時間ほど。馬車道の勝烈庵にて昼食の後に、スタバでお茶。最近は、「武装闘争の過ちを抱えて」というテーマで半世紀前の事件の主人公に焦点を当てて書いているとのこと。重信房子女史ともお会いしたとか。また元日に亡くなられた花房東洋先輩のことなど。いまだに、花房ショックが消えない。

日航の航空機事故のあった昭和60年の夏に、下田の弓ヶ浜海岸の近くに、亡くなられたが憂国三友会という団体を主宰していた高橋順之助さんが「うじま」と言う民宿を経営されていた。その民宿に、2泊3日で宿泊し遊んだ。メンバーは、阿部勉、花房東洋、板垣哲雄の諸氏と私。岐阜から京都、そして下田と何の目的もない「金が尽きるまで」の旅だった。

下田から明日それぞれの家に帰るという夜。少ない現金を出し合って全て花火を買って海岸で楽しんだ。皆なぜ持ち金をほとんど使ってしまったのか。それは花房先輩が、「俺がカードを持っているから、駅でカードで切符を買えばいい」。ところが駅に行ったら当時はカードでは切符を買えず、正直言って焦った。下田から新宿までバスが出ているとのことなので、小銭を出し合って阿部さんを乗せ、我々は、入場券を買い電車に乗った。後輩に熱海までお金を持ってきてと頼み車中の人となった。車掌を見るとトイレに隠れたり、何とか熱海についてお金を貰い自宅に戻った。懐かしい思い出だが、共に旅した阿部、板垣の両氏はすでに鬼籍に入られ、そして花房先輩までが旅立ってしまった。伊豆の山々月淡く・・・。※弓ヶ浜にて、昭和60年8月、左から板垣哲雄君、花房東洋先輩、阿部勉先輩。


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私のソウルフード。

2025-01-07 17:03:59 | 日記

1月6日(月)曇りのち雨。

今日から仕事始めの人が多い。テレビでは、東京駅から丸の内方面に出勤する人たちを映していた。浪人の身である私は、そんな正しい労働者の皆さんのニュースを見ながら、暖房の効いた部屋で、ぬくぬくとしている。相変わらず食欲がなく、朝食を抜いて、食事をしたのが一時半。私のソウルフードである「ソースチャーハン」と玉ねぎのスライスを入れたコンソメスープ。

ソースチャーハンには、「赤ウインナー」が必須で、ない時は作らない。みじん切りにした玉ねぎと赤ウインナーを炒めてからご飯を入れて、ウースターソースで味付けする。私は、チャーハンと言えばすぐに、このソースチャーハンが浮かぶ。食後は、手紙を二通書いてから、パソコンに向かい機関誌の原稿作り。

午後から雨になった。随分久しぶりの雨だ。雨の歌と言えば、沢山あるだろうが私が好きなのは、カスケイズの「悲しき雨音」。その歌を聞くと、なぜか雨の日に、山手通りを歩いている自分の姿が浮かぶ。実際に、雨の日にわざわざ山手通り(といっても東京ではなく、港の見える丘公園から外人墓地、フェリス女学院などのある横浜の山の手である)を歩くこともないので、あくまでもイメージである。もう一曲は、欧陽菲菲の「雨の御堂筋」。行きつけの町中華のおかみさんが中国の人で、髪型が欧陽菲菲に似ていることから、いつの間にか私の仲間内では「欧陽菲菲」と呼ばれている。本名は誰も知らない。しかし愛嬌のある人で、今では、お店の名前を言うよりも「欧陽菲菲の店」と言う方がなじんでいる。

野村先生が亡くなられる一年ほど前に、良く北新地へ行った。「北の新地は思い出ばかり」で、「雨の御堂筋」を聞くと、当時のことを思い出す。夜は、おとなしく酔狂亭にて独酌。

 


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青学の格の違いを見せつけられた。

2025-01-05 12:28:38 | 日記

1月4日(土)晴れ。

暮れから駅伝三昧の正月ボケも今週で終わりか。当然だが過ぎてしまえばあっと言う間である。しかし箱根駅伝の青学は強かった。格が違うものを感じた。陸上の1万メートルで、28分台で走れば一流。27分台は超一流。26分台では世界のランキング入りである。青学は27分台の選手が三人もいる。中央も3人。1万メートルの平均タイムは、登録選手では中央が上だが、数字だけでは分からないのが駅伝の難しさ。ちなみに1万メートルの日本記録は、富士通の塩尻和也で、27分09秒80。世界記録は、ウガンダのジョシア・チェプテゲイで、26分11秒00。

駅伝を見ていて驚いたのが、かつて中央大学の箱根駅伝6連覇の折の中心的なランナーであり、昭和39年の東京オリンピックに出場し、晩年は東京国際大学の駅伝部監督を努めた横溝三郎先生が、昨年の11月14日に亡くなられたこと。享年85歳。横溝先生は横浜高校の先輩で、私は、横溝先生に憧れて陸上競技を始めた。中学生の時に、横浜の三ツ沢競技場で行われた、市民大会で、横溝先生の走る姿を見た。後年、私の地元にお住まいと言うことを知り、知り合いだという床屋さんのご主人に頼んで色紙を書いて頂いた。「オリンピックの覇者に天才なし」。20年前に頂いたその色紙は、我が家の玄関に飾ってある。合掌。

夜は、我が酔狂亭にて一献。マグロの刺身、牛丼、山芋の磯辺揚げ。お供は「黒霧島」。


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