白雲去来

蜷川正大の日々是口実

四国より友人来訪。

2016-10-19 08:21:53 | 日記
十月十四日(金)晴れ。

去る十二日は、「芭蕉忌」だった。芭蕉は元禄七年(一六九四)の十月十二日の夕に刻死去した。享年五一歳。辞世は、旅に病んで夢は枯野をかけめぐる。野村先生は、遺著となった『さらば群青』の巻頭に、芭蕉の死と自身の「死生観」についてこう書いている。

私は沁々(しみじみ)思うのだが、明日の命を保障されている人など一人もいない。「一日一生」という言葉があるが、かかる覚悟なくしての生涯こそ、無味乾燥の哀れをきわめた生きざまではあるまいかと、私は若いときから思い続けてきた。戦後日本人は、「死」や「暴力」といった実は避けては通れぬ大命題を、まやかしの平和論とすり替えて、なるべく触れたり直視したりすることを忌み嫌ってきた。人間は「死」とは無縁ではあり得ない。社会は「暴力」と無関係ではあり得ない。眼をそらし続けようと思えば思うほど、人間は正気を失い堕落してゆく。

群青忌が近いせいか、色々と考えさせられる日々が続く。

夜に、松山の矢野隆三氏の来訪。盟友の折本満さんの葬儀以来である。横浜駅にて待ち合わせて、関内の「舎利膳」に向かうが生憎満席。「写楽」にて夕食。その後一軒転戦すると、銀座にいると言う周本昌山氏が車を飛ばして合流。楽しい酒席となった。周本氏が帰ったのちに、矢野氏と「サリーズバー」へ。一時間ほどで解散。ホテルに矢野氏を送って帰宅。

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辞世の歌と会津の「栄川」。

2016-10-19 05:32:14 | 日記
十月十三日(木)晴れ。

浪人の身ゆえ、毎日が日曜日みたいなものだが、それはそれで何かと忙しい。一昨日の十一日は、私が道の兄と慕った元楯の会の阿部勉さんのご命日だった。平成十一年に五十三歳という若さで亡くなられた。私たちが、勝手に阿部さんの辞世の歌としているのが、私も駄作を掲載している『合同歌集・国風(くにぶり)』の中の阿部さんの歌で、「われ死なば火にはくぶるな『栄川』の二級に浸して土に埋づめよ」である。

何と、この時期に野村先生の縁の方から、その会津の銘酒「栄川」が二本送られてきた。もちろん「二級」などではなく、高級なものだ。色々な意味で嬉しくなった。近いうちに阿部さんを偲んで、頂き物の「栄川」で一杯やるか。

夜は、いつもの魚屋を覘いたら上等な「鰹」があり、目が合って即買い。家族には、私の好きな大口商店街の「能登屋」が高島屋にお店を出しているので、揚げ物を仕入れて「おでん」を作った。秋の夜の酒を静かに独酌。

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間違いだらけのウォーキング。

2016-10-19 05:18:31 | 日記
十月十二日(水)晴れ。

朝食は取らずに事務所にて仕事。遅い昼食は、長者町に最近開店した「ゆで太郎」にて「かき揚蕎麦」。私は、蕎麦好きだが、温かい蕎麦を食べる時は、高級店よりも、所謂「立ち食い」に毛の生えたような所の蕎麦の方が、口に合う。

夕方から一時間のウォーキング。そう言えば、『週刊朝日』に「間違いだらけのウォーキング」と言うような記事があった。「一万歩」何て言うは幻想で、何の根拠もないそうだ。三分速足で歩いて、三分普通に歩く。これを五回繰り返して、合計三十分程度が体に良いとのこと。もちろんこれは私のような老人に対するアドバイスである。

夜は、冷奴に「鰆」の干物で月下独酌。

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