十月二十日(木)晴れ。地久節。群青忌。
皇后さまには、本日、満八十二歳のお誕生日をお迎えになりました。この一年、ご体調は必ずしも万全ではありませんでしたが、これまでと変わらず、陛下のご健康を注意深くお見守りになりながら、皇后さまとしてのお立場で三百四十二件のお務めを果たされました。また、公的なお務めには含めませんでしたが、皇居勤労奉仕団や宮中祭祀に奉仕した賢所奉仕団、総勢約八千八百人と五十七回にわたってお会いになり、おねぎらいになりました。(宮内庁)
現在、野村一門の人たちや弊社の社友が皇居の勤労奉仕を行っている。皇后さまの御会釈があるといいのだが。
また今日は、野村先生のご命日、群青忌である。この名前は、遺著となった『さらば群青』からとったもので命名者は元楯の会の故阿部勉さんである。早いもので、今年は先生が亡くなられてから二十三年。先生の晩年の歳を過ぎてしまい、忸怩たる思いがある。それでも先生の思想と行動が風化せぬように、命のある限り、努力して行きたいと思っている。
良い天気である。二十三年前も今日のような天気だった。あらためて山平重樹さんの新刊本『激しき雪-最後の国士・野村秋介』を読み感慨深い。
午後から一時間ほど歩く。弘明寺にお参りしてから帰宅。夜は、近所の方から頂いた「鰹」の刺身で、月下独酌。
皇后さまには、本日、満八十二歳のお誕生日をお迎えになりました。この一年、ご体調は必ずしも万全ではありませんでしたが、これまでと変わらず、陛下のご健康を注意深くお見守りになりながら、皇后さまとしてのお立場で三百四十二件のお務めを果たされました。また、公的なお務めには含めませんでしたが、皇居勤労奉仕団や宮中祭祀に奉仕した賢所奉仕団、総勢約八千八百人と五十七回にわたってお会いになり、おねぎらいになりました。(宮内庁)
現在、野村一門の人たちや弊社の社友が皇居の勤労奉仕を行っている。皇后さまの御会釈があるといいのだが。
また今日は、野村先生のご命日、群青忌である。この名前は、遺著となった『さらば群青』からとったもので命名者は元楯の会の故阿部勉さんである。早いもので、今年は先生が亡くなられてから二十三年。先生の晩年の歳を過ぎてしまい、忸怩たる思いがある。それでも先生の思想と行動が風化せぬように、命のある限り、努力して行きたいと思っている。
良い天気である。二十三年前も今日のような天気だった。あらためて山平重樹さんの新刊本『激しき雪-最後の国士・野村秋介』を読み感慨深い。
午後から一時間ほど歩く。弘明寺にお参りしてから帰宅。夜は、近所の方から頂いた「鰹」の刺身で、月下独酌。