白雲去来

蜷川正大の日々是口実

遠水は近火を救わず。

2017-07-01 17:32:12 | 日記
六月二十二日(木)晴れ。

朝食は、アコウダイの粕漬、モズクの味噌汁、豆腐のソテー。昼は、下の子供と「ビツクボーイ」でハンバーグのランチ。夜は、ビーフカレー、美味しそうなイワシを売っていたので、大ぶりのものを六匹買って、オリーブとニンニクで味付けてから小麦粉をまぶして焼いた。もう一品は、弘明寺商店街の豆腐屋で買った「厚揚げ」を油抜きしてから軽くあぶって、ネギのみじん切りと生姜をおろして、醤油で食べた。

知ったかぶりをして、偉そうに薀蓄を述べるような気もないが、北海道に出張中に好んで読んだのが、漢詩や中国の古典だった。なぜか。そう言った本は、娑婆にいたならば中々読む機会もなく、日々酔って泥のような頭では、理解するのが難しいからである。寒さに震え、酷暑に耐えた中の一人部屋で、自虐的になって本を読む。マラソンのトレーニングのように、徐々に知識の基礎体力が付いてくるから不思議だ。

久しぶりに「読書ノート」を見たら、韓非子の抜書き「遠水は近火を救わず」が目についた。昔、魯の国は、隣の斉という強国から圧力を受けて苦しんでいた。そこで魯の王様は息子たちを晋と楚に仕えさせ、いざというとき、この両国の援助に期待をかけようとした。それを見て、犁鉏(りしょ)という重臣がこう語ったという。「ここに溺れかけている者がいるとします。越の人間は泳ぎがうまいからといってわざわざ助けを求めに行っても、間に合うはずがありません。火事が起こったとします。海の水はいっぱいあるからといって、わざわざ引いてこようとしても、これまた間に合いません。遠水は近火を救わず、です。晋、楚はたしかに強国ですが、なにぶん遠方でございますから、隣国の斉に攻められたときに当てにすることはできません。遠くにあるものは、急場の役には立たないことのたとえである。

わが国を取り巻く情勢と何か似てやしまいか。夜は、大人しく酔狂亭で月下独酌。

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