白雲去来

蜷川正大の日々是口実

夏をあきらめて。

2017-07-06 12:01:18 | 日記
七月三日(月)晴れ。

朝は、贅沢にもマグロの刺し身、明太子、シジミのちから。昼は、焼きおにぎり一個。夜は、ゴス・ロッポウ程度のカツオ、ミスジ、ネギチャーシュー。お供は「黒一刻」。

先週は、晴れた日が一日もなかった。その反動か、今日は、お天道様が両手を広げて、大きな口で、わーっと叫んだような暑い日となった。我が家で今年初クーラーとなった。

こんな夏の日が待ち遠しいと思ったのはいつごろまでだろうか。小学生や中学の頃は、夏休みが嬉しくて、朝から夕方まで、それこそ真っ黒になって遊んだ。宿題などは一切やらなかった。宿題をやる苦痛よりも、新学期になって先生から殴られたりどやされた方のが楽だと思っていた。そんなものは、一瞬で、一ヶ月も続く訳はない。大体、学校から帰ってきて、まだ家などで勉強するような奴は馬鹿だと思っていた。子供の頃は、横浜には海があって砂浜もあった。大潮のときは市電に乗って、潮干狩りに行き、いつもバケツに一杯あさりを獲ってきたものだ。

どこかの馬鹿が、その海を埋め立ててしまい。海はコンクリートの壁でふさがれ、巨大などぶのようになってしまった。さらに馬鹿の上を行く馬鹿が、そのコンクリートを壊して、また砂浜を再現した。勉強ばかりしていた奴がこういうことをする。近年の政治家で、秀才の名をほしいままにしたのが、鳩山邦夫、舛添要一、片山さつき、福島瑞穂などである。この人たちは、高校時代の全国模試で常に一位、二位という成績だった。片山さつきは三年間、全国模試で一番だった。しかし、政治家としての力量はどうだ。人間性はどうだ。反対に田中角栄は、小学校しか出ていないが首相にまで登りつめた。夏休みの話から、馬鹿の話になってしまった。そう言う私は、馬鹿の下のアホだ。しかし、この歳になると、夏をあきらめたい。暑さが命に係わるからだ。情けない・・・。

夜は酔狂亭で、月下独酌。久しぶりに、月と影とで三人となった。※写真は、2004年のサイパンにて。

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自民党が歴史的大敗だって。

2017-07-06 11:40:53 | 日記
七月二日(日)曇り。

朝食は、昨夜子供たちに作っておいたカレー。(ココイチの福神漬けを買うのを忘れた)キャベツのおしんこ。昼は、「チャルメラ」にチャーシュウをたっぷり載せた。夜は、チキンカツ、カニサラダ、アスパラとマッシュルームの牡蠣油炒め。お供は「黒一刻」。

都議選挙で自民党が歴史的大敗。良し悪しは別として当然の結果だ。まず共謀罪における金田法相のトンチンカン答弁。安倍総理と昭恵夫人の「森友」「加計」疑惑。「東北で良かった」との今村復興相の発言。「このハゲェー!」の豊田真由子。下村博文の「加計学園からの献金疑惑」、最後は、稲田防衛相の失言。まだあった、金子恵美議員の公用車での子供の送り迎え。これで選挙に勝てたら奇跡だ。マスコミも揃って安倍おろしに狂奔した。また、選挙が公明党の協力なくしては、このような結果になることを思い知らされたに違いあるまい。しかし自民党以外に応援する政党が無いから残念だ。だからこそ自民党は、猛省しなければ・・・。さらに自民党の大敗の日に、藤井四段の連勝もストップした。何か暗示的でもある。

まあ後出しジャンケンのようで申し訳ないが、都知事選挙の時に、自民党は対抗馬など出さずに小池百合子を推薦していれば、もう少しうまくやれたのではないだろうか。民進党も今回の自民党の大敗に、偉そうなことを言っているが、自分の党はどうだったか。共産党以下ではないか。幾ら能書きを言っても、自民党に反対する人たちの受け皿になれないと言う現実を知った方が良い。確かに、自民党もだらしがないが、民主党政権時代の悪夢の再現だけは嫌だ。と多くの国民が思っているのに違いない。

夜は、酔狂亭で独酌。

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香港も易幟(えきし)したら

2017-07-06 11:32:19 | 日記
七月一日(土)曇り後雨。

朝食は、白菜ときくらげの中華風あんかけ、アコウダイの粕漬、大根の味噌汁。昼は、菓子パン一つ。夜は、友人らと、横浜駅西口の和食「和互」にて。

香港が返還されて二十年とか。一八三九年から一八四二年のアヘン戦争後、香港は大英帝国の植民地として設立された。香港島が最初にイギリスに永久割譲され、一八六〇年に九龍半島が割譲、一八九八年には新界が租借された。確か、イギリスとの交渉役は李鴻章。彼は、「香港をイギリスの殖民地にしたことで、私は、中国人から売国奴と呼ばれるかもしれない。しかし、イギリスは、その先進国の面子にかけても、香港をアジアを代表するような貿易港とするだろう。返還された時に、中国人は、きっと私に感謝するに違いない」。と言ったとか。(うろ覚えですが)

香港の若い人たちが、中国共産党の支配に反対して抗議行動を行っているのをニュースで見た。共産党は、五星紅旗を掲げるように奨励しているとのこと。笑えた。

昭和三年(1928)年六月四日に発生した張作霖爆殺事件の後、父・張作霖の後を継いだ奉天派の張学良が、北洋政府が使用していた五色旗から、蒋介石率いる国民政府の旗である青天白日満地紅旗に旗を換え、国民政府に降伏した事件があった。国民政府はこれを受け入れた。蒋介石の北伐は終了し、中国国民党が形式的に中国を統一した。これを「易幟(えきし)」という。香港の人たちも、この日に、一斉に青天白日旗を掲げて、習近平をびっくりさせたらよかったのに。

夜は、カメ&アコちゃん、松本佳展君と奥さんの小枝ちゃん、私と愚妻の六人で、横浜駅の西口にある「和互」という料理屋へ。ここは松本君の友人の経営するお店。皆でワイワイ、ガヤガヤと飲んでから、サリーの店に転戦。しばらくいて解散。

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