白雲去来

蜷川正大の日々是口実

一筋の道を生きて来た。

2014-09-22 00:41:46 | インポート

九月二十日(土)曇り。

我が家の子供は、うどんが好きである。私は細めのうどんが好きなのだが、子供たちは太めのうどんが好きな正統派?である。突然、子供が丸亀製麺に行きたいとのことで、伊勢佐木町にあるそのお店に行った。可もなく不可もなかったが、まあいい歳をした大人の行く店ではないと思った次第。

浪人の身で贅沢は言いたくないが、どんなに金がなくても「お腹がいっぱいになればどこで何を食べてもいい」という輩とは席を同じくしたくはない。酒もそうだ。この歳になって人生の大事な一食、一杯を赤い看板の居酒屋なんかで済ませたくはない。幸いに気の合う酒友には事欠かない。そう言った人たちとの酒席こそ人生の安らぎと言える。私ももう六十五歳。人生の終盤、落日の時だ。めんどくさい話の席、義理の酒の席、嫌な奴との酒席だけは極力さ避けたいと思っている。

来月は群青忌。全国から社友が集う。これほど楽しいことはない。皆等しく野村先生のファンでありその思想を継ぐ人たちである。この人たちに会うために一年があると言っても過言ではない。それも毎年人が増えて行く。門下生冥利に尽きる。北海道、長野、栃木、関西、九州、沖縄・・・。文字通り全国から社友、同志が集う。特に何の案内もしないにも関わらず交通費やホテル代を負担して・・・。いつの日かこの人たちの恩、努力に報いたいと思っている。本来ならば、野村一門の長である私が彼らを招かなければならないのに。いつも嬉しい反面忸怩たる思いがめぐる。しかしながら、自画自賛をしても仕方がないが、恩師を慕う「一筋の道」を生きて来て良かったと思うのはこんな時だ。

保守系の雑誌や新聞が朝日に対する糾弾に力を入れている。何を今更と笑ってしまう。朝日の罪は今日に始まったことではない。それまで何をしていたのか。身体も賭けずにネットで勇ましいことを言って、いっぱし右翼や国士を気取っている連中と何が違うのか。二十一年も前に命を賭けて朝日と対峙した野村先生のことを取り上げているマスコミが一つもない。某新聞社の記者に聞く所によれば、野村先生のことを今書くと、「右翼が過激な行動に出るかもしれないから」。まあそんなことを思われているうちが華かもしれない。

最近、生涯の友として尊敬している盟友のご厚意で連れて行って頂いた上海の夢をよく見る。何故か「帰りたい」という思いが募る。もし次に行くことがあればガーデンブリッジを渡ってブロードウェイ・マンションに泊まってみたい。こんなことを書くのも、医者の忠告を無視して飲んでいるせいかもしれない。

Dscf2344 ※上海にて。夜景と料理と盟友との友情とにしたたか酔っている。

Dscf2337 ※ガーデンブリッジとブロードウイ・マンション(上海大廈)。一度ここに泊まってこれまでの人生を振り返ってみたい。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 銀座のことは夢の夢。 | トップ | JAZZの思い出。 »
最新の画像もっと見る

インポート」カテゴリの最新記事