白雲去来

蜷川正大の日々是口実

社友たちとの前夜祭。

2016-10-27 13:01:26 | 日記
十月二十一日(金)晴れ。

今日は、明日の群青忌・墓前祭に参加する社友たちとの前夜祭を行う。以前は、七、八人程度の小規模なものであったが、最近は、何時も二十名を超える。従って懇親会を開催するお店探しに苦労する。二十名や三十名が入るお店は、幾らでもあるだろうが、同じ部屋で一堂に会するとなると中々難しい。今回も会場の選定に苦労した。結局、お世話になっている社友の斉藤義一に紹介されたのが、関内駅近くの「佐島」と言うお店。ちょうど二十名の個室が開いていたのですぐに予約を入れた。その後、何とここのオーナーがサリー姐さんの知り合いだと分かり、一安心。

当初の参加は、十七名と言うことなので安心していたが、直前の申し込みなどがあって、総勢は二十四名になった。入りきれないので、個室の前の四名席を急遽確保。六時半に懇親会が始まった。

懇親会の参加者で一番古いのは、山内(兵庫)、森下(京都)、湯浅(栃木)、梶浦(札幌)の四氏か。機関誌の読者で一番古い人は、『大悲ジャーナル』時代からの読者の伊藤(長野)さん。今回、一番の遠路からの参加は、福田(宮崎)さん。その他の参加者を北から紹介すれば、雪田、山本、小澤の札幌組。島田(函館)、菅野(石巻)、中川(富山)、山田(新潟)、桑原(福島)、植西(滋賀※初参加)、大熊、宮嶋、大野の諸氏は東京。池田(川崎)、地元横浜は、蜷川、愚妻、松本、杉浦、渡石の五名。総勢二十四名である。豊橋の竹田さんは、仕事の都合で、サリーズバーに直行。札幌の佐藤さんも仕事の都合で深夜十二時に、ホテルにチェックインとのこと。

私は、年に一度、この人たちと会うことをとても楽しみにしており、これもすべて野村先生のお導きと、感謝している。終了後は、一部の人たちは、サリーズバーに流れたが、明日が早いので、解散。嬉しい夜だった。その昔、左翼運動が全盛期の頃は、今日は、「10・21国際反戦デー」だったが、今では、そんなことを知る人は、ほとんどいない。

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野村先生のご命日、群青忌。

2016-10-26 18:30:21 | 日記
十月二十日(木)晴れ。地久節。群青忌。

皇后さまには、本日、満八十二歳のお誕生日をお迎えになりました。この一年、ご体調は必ずしも万全ではありませんでしたが、これまでと変わらず、陛下のご健康を注意深くお見守りになりながら、皇后さまとしてのお立場で三百四十二件のお務めを果たされました。また、公的なお務めには含めませんでしたが、皇居勤労奉仕団や宮中祭祀に奉仕した賢所奉仕団、総勢約八千八百人と五十七回にわたってお会いになり、おねぎらいになりました。(宮内庁)

現在、野村一門の人たちや弊社の社友が皇居の勤労奉仕を行っている。皇后さまの御会釈があるといいのだが。

また今日は、野村先生のご命日、群青忌である。この名前は、遺著となった『さらば群青』からとったもので命名者は元楯の会の故阿部勉さんである。早いもので、今年は先生が亡くなられてから二十三年。先生の晩年の歳を過ぎてしまい、忸怩たる思いがある。それでも先生の思想と行動が風化せぬように、命のある限り、努力して行きたいと思っている。

良い天気である。二十三年前も今日のような天気だった。あらためて山平重樹さんの新刊本『激しき雪-最後の国士・野村秋介』を読み感慨深い。

午後から一時間ほど歩く。弘明寺にお参りしてから帰宅。夜は、近所の方から頂いた「鰹」の刺身で、月下独酌。

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大行社の幹部会へ。

2016-10-26 00:48:07 | 日記
十月十九日(水)晴れ。

大行社の幹部会議に出席。昼食は、保土ヶ谷駅にて「駅そば」。私は、「かき揚そば」が好きで、温かいものは、こういった立ち食いに毛の生えたような物が好きだ。

三時に会議。相談役と言うことでご挨拶をさせて頂いた。終了後は、六本木で懇親会。八時前にお暇する。帰宅後爆睡。※一週間以上ブログをサボっていたので、簡単になりましてスマンこつです。

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日帰りで沖縄へ。

2016-10-26 00:36:30 | 日記
十月十八日(火)晴れ。

朝、羽田六時二十五分発のJALに乗って沖縄へ。沖縄は三十二度。背広にネクタイと言う格好は私だけだった。午前中に用事を済ませて、昼食は、「すーまぬめー」にて「ソーキそば」。

二時五十五分の飛行機で戻るのだが、時間が余ってしまい、空港のレストランで「泡盛」を三合。嬉しかったのは、一合ずつ頼むのだが、その都度泡盛の入っている器が違う。こういう気配りには、酒の味をより良い物にする。

帰りは、千円プラスして「クラスJ」。爆睡して、気が付いたら羽田。沖縄日帰りの旅はさすがに疲れた。帰りに買い物をして帰宅。九時には寝てしまった。あーあ疲れた。

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木更津電鉄の歌。

2016-10-26 00:17:05 | 日記
十月十七日(月)曇り後雨。

昼に知り合いと待ち合わせをしていることをすっかり忘れて、川崎の野村邸に群青忌のご挨拶に行く途中に電話が入り、ひぇー。慌てて、奥様に訪問の時間を一時間遅らせて頂き、正午に関内駅にてドッキング。

共に昼食をとる。場所は、関内の蕎麦屋の名店「利休庵」。このお店のすぐ近くには、サザンオールスターズの原坊の実家の天ぷら屋「天吉」がある。その昔、野村先生が河野邸焼き討ち事件で、留置所から拘置所に行く前日に、このお店の「天丼」を出前して貰ったと、聞いたことがある。昔は、警察もおおらかだった。「天吉」にしようかとも思ったが、体のことを考えて、蕎麦にした。

二時に川崎へ。帰宅後は、事務所にて、申し訳程度の仕事。

夜は、関内のHIROへ。元ジャガーズの沖津久幸さんのライブを友人たちと企画し、集まった。「君に会いたい」や木「更津電鉄の歌」、ではなかった「キサナドゥの伝説」など懐かしい歌を聞いて盛り上がった。お願いをしていたエディ潘さんも来て頂き、「ヨコハマ・ホンキ-トンク・ブルース」を歌って頂いた。一時間半ほど堪能して、「写楽」寿司に転戦して帰宅。

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