白雲去来

蜷川正大の日々是口実

知られざる国旗の世界。

2024-06-18 12:16:51 | 日記

6月14日(金)晴れ。

食欲がなく、朝食を抜いた。昼は、自宅でホットドック1本。夜は、お世話になっている方と、西横浜のイタ飯屋さんの「オアジ」にて、世相を肴の一献会。8時過ぎに帰宅。

新聞や週刊誌に月刊誌に掲載されているもので気に入ったものがあると切り抜いてスクラップしている。ほとんど趣味の物が多いが、「心に残る話」や「政治と食」に関するもの。最近では、『週刊新潮』に連載されている「知られざれる国旗の世界」というものをスクラップしていてる。きっかけとなったのは、第二回の「口紅で書いた『日の丸』で乾杯」という一文にいたく感動したからだ。

昭和26(1951)年9月8日、サンフランシスコでの講和条約調印式には吉田茂首相以下、池田勇人(後の首相)らの全権委員が参加した。講和条約に署名した全権団は帰路の飛行機内で、日本の国際社会への復帰と使命達成を祝い、祝杯をあげることになった。「しかし酒はあったが、日の丸がなかった」。そこで乗務員から口紅を借りて、ナプキンに日の丸を描いて、壁に貼って祝杯を上げたそうだ。

講和条約の調印に臨んだ吉田茂首相以下の全権団の心意気が感じられるエピソードだ。しかし、日本の国旗が日の丸でよかった。これが星条旗のようなデザインだったら、簡単に書くことが出来なかっただろう。第三回はウクライナ。その青と黄色の国旗は、今や日本人に知れ渡っている。欧州屈指の穀物地帯であるウクライナの国旗は、麦畑を覆う青空を表しているそうだ。ウクライナの国旗の黄色を見ると、ソフィアローレンが主演した映画「ひまわり」を思い出して、またその映画に現在のウクライナの惨禍が重なり、切なくなる。


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昔は、「一旅、一冊」の写真を撮った。

2024-06-16 15:39:07 | 日記

6月13日(木)曇り。

朝食は、ウインナーサンドと玉ねぎのスープ。昼はオムライスにカップラーメン。夜は、ミスジ肉のソテーにスライスマッシュルーム乗せ、総菜のボンジリ揚げ、トマトのサラダフレンチドレッシング、竹輪のマヨネーズ焼。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

午後に、仲程通也さんから連絡があり、古い同志で先輩でもある田中能理央さんの訃報を知った。田中先輩と初めてお会いしたのは、昭和の頃で、私が神奈川県維新協議会の議長をしていた頃ではなかったか。以来、色々とご指導を賜った。この10年ほどは体調を崩したとかで、ほとんど運動の第一線には顔を出されなかったが、逢わずにいた分、時が止まったままで、お元気な頃の事しか思い出せない。死因は老衰とのこと。享年83歳。時が過ぎて行くのではなく、人が去って行くという思いを実感している。合掌。

最近は、撮った写真をアルバムに貼ることがなくなった。項目別にしてパソコンに入れておくのだが、あの写真は何処のデーターなのか迷うことしばしばである。写真が好きで、かつては「一旅、一冊」の写真を撮っていた。当然ながらアルバムの量は大変な数になる。事務所の整理棚に入れてあるのだが、一時は、「スキャンスナップ」で写真を取り込んで整理しようかとも思ったが、余りにも数が多いので、手付かずのままだ。不肖・宮嶋こと宮嶋茂樹カメラマンが撮った野村先生の写真のポジフィルムも千枚近くある。これは業者に頼むほかはないのだが・・・。若い頃と違って根気がなくなり、「その内に」。これが自身への言い訳となっている。※ナポリはサンタルチア港の前のホテル、エクセルシオールから世界遺産の「卵城」をバックに。平成4(1992)9月12日。私は、41歳だった。

 


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ブルーノート・ジャズコレクション。

2024-06-15 15:38:39 | 日記

6月12日(木)曇り。

朝食は、野菜のあんかけの中華丼風、きくらげが美味しかった。ほうれん草の味噌汁。昼は、カレーパン1個とコオヒイ。夜は、カツオのたたき、ジャーマンポテト、水ナスのおしんこ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

上の子供が、私の為に契約してくれて毎月届くのがデイアスティーニの「ブルーノート・ジャズコレクション」。今月で第37集にもなった。ジャズがなんとなく好きなくらいで、いわゆる通ではない。37集の内で知っているアーティストは10人くらいか。だから車で聴こうとしてUSBに入れると、誰が演奏している何という曲なのかわからなくなる。自宅では、盟友から頂いたCDが25枚順番に聴けるオートチェンジャーに入れて、解説書を読みながら、聴くようにしている。車には、気に入ったものを5枚くらい持って行ってBGMとして流している。

ブルーノートシリーズの第一回は、マイルスデイビスの「枯れ葉」。これを聴いたときは、本当にたまげた。ほとんどの人が知っているシャンソンの名曲が彼にかかると、こんな風にゴキゲンなジャズになるのかと、聴き入ってしまった。37集の他に別冊が3枚。「クリスマススペシャル」「名画を彩る至極のジャズ」「ボサノバスペシャル」。どれもいい。37集のプレイヤーはティナ・ブルックス。凄いご機嫌なテナーサックスだ。しかし、ブルーノートの多くのプレイヤーが彼を含めて薬物依存で若くして亡くなられたり、引退を余儀なくされている。そういう時代だったのか。


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渡世、いや都政に物申すか。

2024-06-14 13:49:31 | 日記

6月11日(火)晴れ。

朝食は、チャーハンにワンタンスープ。冷凍のワンタンを買って、スープはウェイパーで作ったが、イマイチだった。インスタントのワンタンスープは「マルちゃん」が一番美味しい。昼は抜いた。夜は、ポークソテー、ジャーマンポテト、ナスのレンチン焼き、レタスのナムル。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

ヨコハマに住んでいるので都知事選は当然ながら選挙権がない。しかし、ニュースで見たら30人以上も立候補予定だとか。まあ当落線上で戦える人達はともかく、私のような素人には、正直言って、何を考えての立候補なのか、全く理解不能である。「緑のたぬき」と「赤いきつね」の戦いなどと揶揄されているが、小池さんには強敵だろうなぁー。他の泡沫と言っては失礼だが、名前も聞いたことのない人たちは、供託金の300万円元がとれるのかなぁー。選挙で一瞬名前と顔を売ってもあっという間に忘れられて行く。もったいない気もする。それでも当選など度外視して、この際都政に物申さずにはいられない。人生意気に感ずか。皆さん頑張って下さい。


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遣独潜水艦作戦。

2024-06-13 15:52:20 | 日記

6月10日(月)曇りのち晴。

朝食は、抜いた。昼は、レトルトのカレーうどんのルーに冷凍のうどん。ワンタンスープ。夜は、冷やし中華、ポークソテー、ナスと舞茸のオイスターソース炒め。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

随分前の事だが、確か沖縄に行った時に入ったプラモ屋で、盟友におだてられて1メートルもある「Uボート」のプラモを買ったが、包装もそのままで納戸に眠っている。潜水艦そのものも好きだが、洋の東西を問わず潜水艦の映画が好きで、DVDを沢山持っている。白眉は1981年二公開されたドイツ映画の「Uボート」だと思っている。

戦争中、ドイツから技術供与を受けるために「遣独潜水艦作戦」というものが行われた。日本から潜水艦で往復すると言う極めてリスクの高い作戦だった。当時、制空権、制海権のほとんどが連合国側にあり、五回に渡る作戦で、成功したのは一度だけであった。最後の遣独作戦に使用されたのが、伊号第五十二潜水艦(艦長宇野亀雄海軍中佐)である。しかし昭和十九年六月二十四日、往路大西洋にて米護衛空母ボーグの艦載機の攻撃により撃沈された。この時の艦載機が、伊五十二を撃沈する際の音源が残っている。当時米国は、音響追跡魚雷「マーク24」を開発しており、潜水艦を探知するソノブイと併用して確実に潜水艦を撃沈させる技術を持っていた。

NHKで放送されたが、ユーチューブやニコ動画などで見ることが出来る。伊五十二潜のシュシュというスクリュー音、しばらくして魚雷の命中する、ドーンという音。米軍のパイロットたちの会話も録音されている。爆発音が静まると、今度は伊五十二が水圧によってつぶれる「圧壊」の音が聞こえ、胸が締め付けられる。伊五十二は、昭和十九年六月二十四日午前一時、北緯十五度十六分、西経三十九度五十五分の地点に沈没。乗員一〇六名、便乗者九名の方が全員戦死なされた。この遣独潜水艦作戦については、吉村昭の『深海の使者』(文春文庫)に詳しい。


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