つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

小学校を卒業する。

2011年03月17日 | 子育て

こんな時に何だが、末っ子、明日が卒業式だ。
東北の子どもたちのことを考えると 幸せ だと思う。
つい1週間前まで、世の中がこんなになるなんて誰も思っていなかった。
こんな気持ちで卒業式を迎えようとは、思わなかった。日本中がいつもどおりに流れていた。

今日、明日のことに関するプリントや、最後の通知表、それに「年度末アンケート集計結果報告・学校関係者評価書」が届いた。

学校は、私が言いたかったこと(2月19日)を理解してくれたようだ。そういう意見を言ったのは私だけではなかったのかもしれないが、今回の保護者からの自由記述の中に、特定の学年や個人に対する意見は載っておらず、最後に

・・・(前略) アンケート結果のお知らせは、全家庭に配布いたしますので、そのような内容の記述につきましては、掲載を差し控えさせていただきました。なお、掲載しなかった記述については、全職員が目を通し真摯に受け止めて、次年度の学校・学年経営の参考にさせていただきます。

とあった。わかってくれて、きちんと対応してくれた。
これまで、いろいろな要望や意見を学校に出してきたが、学校という組織はなかなか動かない。15年いて、そういう学校の体質に辟易としだしていた。最後の最後に、ちょっとうれしかった。思い切って意見を出してよかったと思った。

東北大震災からの日本  ここから先は若い世代が、そしてその先は今の子どもたちが担っていく。あきらめずにモノ申していかなければいけないと心した。子育てをしているのだから・・・。

明日、卒業する。

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柴田トヨさんから・・・

2011年03月17日 | 日記

被災者の皆様に

柴田トヨ

 

 あぁ なんという

 ことでしょう

 テレビを見ながら

 唯(ただ) 手をあわすばかりです

 

 皆様の心の中は

 今も余震がきて

 傷痕(きずあと)がさらに

 深くなっていると思います

 その傷痕に

 薬を塗ってあげたい

 人間誰しもの気持ちです

 私もできることは

 ないだろうか? 考えます

 もうすぐ百歳になる私

 天国に行く日も

 近いでしょう

 その時は 日射(ひざ)しとなり

 そよ風になって

 皆様を応援します

 

 これから 辛い日々が

 続くでしょうが

 朝はかならず やってきます

 

 くじけないで!

 


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-- 東日本大震災 被災者への応援メッセージ(サッカー)

2011年03月17日 | 日記

http://www.youtube.com/watch?v=OTjJbnu1Ev4

http://matome.naver.jp/odai/2130016120448906501

必ず、立ちあがれる!

大好きな、大好きな東北の人たち・・・必ず立ち上がる時が来ます!

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3月17日

2011年03月17日 | 日記

東北の地震に、心が痛い日が続いている。

私の父は秋田出身。北海道で農業を学び役人になった。
仕事の持つ常で、転勤族だった。その赴任地の中に仙台があった。
私は当時、小学校の4年生。6年生の12月まで杜の都で暮らした。
子ども時代の記憶の中で、一番鮮明に楽しく残っている場所だ。
住まいは山の中腹だったため、今被害の中にでてこないが、あの時一緒だった人たちの中には・・・
と考えると、いたたまれなくなる。

昨日、東京の息子が電話をしてきた。
毎朝、心配で、息子・娘・姉にメールを流していたが、彼らも大変なのかほとんど返事をよこさない。
息子と娘に「心配しているんだから!」と切れたところ、長男はここら辺母親の扱いがうまい。

息子に言わせると
「すごい大地震があったんだよ・・・それ考えれば普通だよ」
「コンビニ行って、確かにパンとか無いけれど、でも、全然ないわけじゃなくて、あるし・・・」
「テレビが腹立つ・・・TBSきらいじゃなかったけれど、今度のこの感じでいやンなった・・・全部放送することないよ!NHKとどこか民放1局くらいで、後はお休みすればだいぶ電気節約できるんじゃないのかなあ・・・取材は協力してやれば、ガソリンとかも節約できるしね」
「JRが根性ないのが駄目だね。地下鉄や私鉄はなんとかしようって頑張っているけれど、JRはすぐあきらめちゃう」
「でも、余震は結構あるから、夜、靴下はいて寝るようになった」
「横浜のほうが停電やっててね・・・大学始まってもさ、その電気流れている3時間で動かなければいけない」

一番心配していた娘も元気にやっているそうだ。ホッとした。
そうして話をしているうちに、姉からメールが来た。

重湯が三分がゆになり、あしたから五分がゆです。
でも、いつもの通りおかずがおいしくなくてあまり食べられない。
点滴で入れている抗生物質を飲み薬に変えて、ドレーンが外れたら、本来の抗がん剤治療をやろうというところまで来たようです。また、腹膜炎が・・・ということは十分に考えられることですが、やぶれたところはつないでもらって、前に進むしかありません。
姉が入っている病院では、定期的に行われていたシーツ交換が無くなったそうです。
被災地にシーツを送り、病院では汚れたら交換するということでしのいでいるそうです。

聞けばそうだなあと思うが、今、東北で本当にたりないものがたくさんあると考えてしまった。

東北の地が、落ち着くことを日々祈っています。
たくさんの皆の思いが、届きますように。ファイト!です。

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