つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

大変! トイレが・・・!!

2011年05月16日 | 日記

タンクがいかれてしまった。
フロート部分が滑らかに浮き沈みしなくなり、水が流れっぱなしになる。
旦那が中をのぞいたら、どうやら引っかかってふたを閉める“部分”が折れてしまったらしい・・・・
あいにく、そうなったのが土曜日の夕方。タンクに貼られたお客様センターに連絡はとれたが修理は月曜と言われた。

不安を顔に出す子どもたちをよそ眼に、心の中にある「面倒なことになった」という気持ちを悟られないようにバケツを引っ張り出し、風呂の残り湯を入れてトイレの脇に置いた。
「トイレ使ったら、バケツの水を少し高めから落とすように流すのよ」
「水道の水はもったいないから、残り湯を使うのよ」

ところが、これが口で簡単に言うほど手際よくは流れない(すこうし汚い話しでごめんなさい)
遠慮していると流れ切らないから、何度も風呂場に水汲みに行かなければならない。
何気なく使っていたトイレの水。結構、贅沢・・・かもしれない。

「東北の人たちはもっとなんだよね」
「そうだね、きっと。それに世界中では、もっともっとかもしれないね」

ここに越して10年近くが過ぎようとしている。そろそろあちこち壊れ出すのかもしれない。
大事に大事に修理して住み続けたいと思っている。

 

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断捨離

2011年05月14日 | 

本屋に行くと、整理整頓のコーナーに「断捨離のすすめ」「捨てれば・・・」というタイトルの本がたあくさん並んでいる。
我が家も物があふれている。子どもが大きくなるうちにいつの間にか増えていった「物」「物」「物」どうにかしなければと思う。

5月12日朝日新聞天声人語に、それ以前の朝日歌壇に載った
< 記者らみな 「瓦礫」と書くに 「オモイデ」と ルビ振りながら読む人もいる > と言う句が紹介されていた。
比較するのは不謹慎だが、「物」は「オモイデ」だからそこにある。瓦礫になったからと捨てられるものではない。

だが、断捨離について書かれたものを読んでいるうちに、その「オモイデ」は自分を苦しめている“こうありたいのにこうなれない”自分の象徴と説明しているものがあった。

ゴールデンウイークに東京に行っていた時、姉が念じるように「断捨離、断捨離」と言いながら「物」を整理しようとしていた。
東京の家は、私と姉の祖父母から住み続けている家で、自分のものでない「物」が数多くある。私は家を出て、新しい家庭を作り、子どもがぽこぽこと生まれ、子どもの物を入れるために、必要にかられ「断捨離」をそれなりにしてきた。だが、姉は、家に残り、姉個人のものではない、家が持つ「オモイデ」を守ってきた。これにいるいらないを決めるのは、なかなか難しい・・・。「これどうしたらいいと思う?」という問いに、私はうまく答えることができなかった。それでも、そうやって整理を手伝っているうちに、反対に「オモイデ」から前に進めないでいる姉の姿も感じた。驚愕だった。

断捨離とは、ヨガの「断業」「捨行」「離行」という考え方から、不要なモノを断ち、捨てることで、モノへの執着から離れ、身軽で快適な生活を手に入れようというもの・・・のようだ。

それではもしかしたら、「断捨離」とは「整理整頓術」ではなく「生き方」ではないのかと思いだした。
だとしたら、前へ進めなくなっている姉の為に「捨てる」をしてやらなければいけないのかもしれない。
だが「捨てる」行為自体はいくらでもできるが、生きるための指標は自分でつけなければ「捨てただけ」になってしまう。

東京の家の近くに林芙美子の家がある。今は記念館として開放されている。
この家は林芙美子が細部にこだわって建てたもので、そこには芙美子の生き方が感じられる。
いいかえれば、生き方がぴんとしていれば自然と断捨離は行われ、快適な空間がうまれる。どう生きたらいいだろうと悩むから、あれもこれもと手放せなず散らかっていくのではないだろうか。残りの時間を考えるようになると、あきらめきれない何かが、「断捨離」と言う言葉にあらがえない自分と向き合うように望むのだろう。

姉は、人生をあきらめていない。私も誰かのためではなく、自分で選んだ道を生きたいと考えている。
それではいいじゃないか、多少家の中に物があふれ散らかっていても、前向きに自分の人生と向き合う覚悟さえあれば・・・。

「断捨離」 頭の中は少し片づいたようだ。

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札幌の桜・・・パート2

2011年05月12日 | 日記

  

昨日は、娘の高校で午前中公開授業があり、それに続き午後からPTA総会、学年集会、学級集会が催された。
「他に引き受ける人がいなければ・・・」と返事をしていたら、東京に行っている間にPTAのクラス委員になっていた私は、総会の様子を見ておいた方がいいかと昼から出かけた。運よく午後からの仕事だった旦那様が張り切って「授業参観」しに行った。

娘が世話になっている高校は、我が家から自転車を使えばものの20分程度。だが、残念なことに私は自転車に乗ることができない・・・まことに残念な出来事で、坂の多い東京で暮らしている間は苦にならなかったこのことが、まっ平らな広大な札幌に移り住んで結構大変だった。だったら、練習すればいいだろう・・・なのだが、とにかく妊娠出産子育ての20年だった。自分の体に子どもがまとわりつかなくなったのは、ここ何年か・・・その時には体の方がすこうし(少しと言っておきます)いうことが利かなくなってきていて、ころんで怪我をすることが恐ろしくなった。
余談が長くなったが、学校までは自転車で20分。歩いたら50分もかからないかなあ。地下鉄も乗り継いで行けばあるのだが、これも小一時間かかる。ということで、冬場、雪がひどい時以外は元気な丈夫の二本の足で歩いていく。特に今時期は、少し道をかえるとご覧の風景がある。

ここは札幌市白石区・豊平区・厚別区をまたいで通るサイクリングロードです。
その豊平に入るあたりのところ1キロくらいかな、両脇が見事な桜並木になっています。私はここが好きです。札幌市内に桜の名所はいくつもありますが、たいていは花見の宴がセットになっていて、いえいえ、嫌いじゃないのですよ!自分が騒ぐときはいいのですが、やはり人が騒いでいるそばで桜を眺める気にはなれないだけで・・・。その点、サイクリングロードと言う場所柄、飲んで騒ぐ人が皆無なのです。

 

サイクリングロードは幹線道路をまたぐように陸橋になり、その高さが桜の木とドンピシャ!で、こういう写真がとれるわけです。
こういう表現は古いのかもしれませんが「天国のよう」です。

札幌の街は都会です。大きなビル、マンションが建ち並び、東京に負けないほどです。
ですが札幌の街はやはり地方都市で私はそれでいいし、それがいいと思っています。
それは、こんな風景がごくごく当たり前にあるからです。

 

私たちは本当はこういう風景を大切にしたくてがんばってきたのではないのかなあ・・・大都会の東京から戻ってこういうのを見ちゃうと、手の中から砂がこぼれるように無くしていくもの、それが大切だなあと思うのです。

娘の学校で感じたことは、また後日・・・。

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数学は美しい・・・U先生が教えてくれたこと

2011年05月10日 | 子育て

U先生の話をしたい。

うちの長男が小学校にいたときにお世話になった教頭先生です。
U先生は、私の子育で出会った先生たちの中で一番印象に残り、信頼している先生です。
U先生は大学を出られてから、ずっと離島教育に尽力されました。50代に入り体力に衰えが出て来て教頭になり、札幌に赴任されました。

U先生は息子の通う小学校に赴任が決まり、始業式までの間に在籍児童の顔と名前を覚え、始業式朝、玄関に立ち
「おはよう」と呼びかけたそうです。学校から帰った長男が「今日ね、初めての教頭先生が僕のこと知ってた」と真っ先に教えてくれました。

「校長先生にはならないのですか?」という問いに「僕は子どもの側にいたいから、校長さんになったらできないから」と、言っておられたとおり教頭先生のままで2年前退職されました。

U先生は数学の先生で、卒業を控えた6年生に必ず特別授業を開かれました。
そのテーマは「数学は美しい!」ということ。

黒板に生クリームが周りに塗られ、イチゴがのった四角いケーキが描かれている。
「これをスポンジケーキも、生クリームもイチゴも平等に10人に分けるには、どう切り分ければいいかなあ・・・」
じっくり順序立てて考えれば、子どもでも正解は出てくる。そこからがU先生の素晴らしいところです。
「そうだね、それで、ぜーんぶ平等になったね・・・ね、とっても美しいだろう?」
口の前で手を合わせ「美しいだろう?だから大きい声でいうんだよ。ああ、美しいなあ」口の前の両手が大きく広げられます。先生の顔はにっこにっこです。大笑いしながら、少し恥ずかしそうに、子どもたちは先生のまねをして大きな声で「美しいなあ」といいます。

先生はもう一度大きな声でいいます。 
「数学はとっても美しんだよ!」 

この授業を受けた子どもは数学が得意な子どもばかりではありません。その後の人生で数学から離れたものばかりだろうと思いますが、彼らの中に「数学は美しい」というあの時間は植えつけられています。時折、彼らの中で話題にのぼる様子を見聞きし、時間が経つごとに、あの授業の素晴らしさを実感しています。

背が低いU先生は、先生より高くなった何人かの子どもたちに、にこにこ笑いながら。
「どうだあ、先生をおいぬかしたんだぞ!凄いなあ!!」
その様子を笑って見ていた私にU先生は、
「子どもは何でもいいから大人を追いぬかしたいもので、僕はそれを背丈で一番初めに体現してやれるんです」

こういう先生がいる限り、日本の小学校教育は捨てたものではないと思います。
長男が先日研究室のブログを教えてくれたので開いてみたら、尊敬する人にU先生のことが書いてありました。わが子ながら、あの素晴らしさを感じていてくれたのだと、なんかちょっと感動しました。

 

 

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札幌の桜

2011年05月10日 | 日記

連休を数日残し、札幌に戻りました。「寒い」「寒い」と言っていた関東ですが、やっぱり暖かいですわ・・・。
飛行機の扉が開いたとたんに鼻水が・・・おばちゃんはずるずると啜りあげてしまいました。

すれ違いで東京に戻る息子がいたせいもあるのでしょうが、「時差ぼけ」が長引いています。
なんかずるずるしている自分を持て余し、昨日はわり方(これはどこのなまりだろう?)天気が良かったので中島公園まで出かけました。

まだまだ寒いけれど、桜がきれいでした。満開ではないので、次の週末がお花見日和かもしれません。

   

  

札幌の桜は、冬、雪の重みに耐えます。そのため関東で観るように、枝が地面や川面にに向かってせり出す“うちかけ”のような様にはなりません。子どもが「木を描きなさい」と言ったときに描く素朴な姿をしています。
満開にもう少しで、この寒さですが、ああ、ここまできたなあ・・・っていう感じです。

中島公園内には「豊平館」があります。白い壁が美しい建物です。私の祖父母はここで結婚式を挙げたそうです。もう100年近くも前の話になるのですね。時間て、あっという間に流れていくものなんですね。歴史はそうやって積み重ねられ、人は変わるけれどそこにたたずむ者たちがある。

風はまだ幾分肌寒かったのですが、陽のあたる場所はほかほかとして気持ちがよかったので、ベンチで持ってきた本を読むことにした。
先日映画を観て、原作が面白いという評判を聞いた「阪急電車」 これが面白かった。ついついページを先に進み、気がついたら小一時間を過ごしていた。

何をしたわけではないが、なんとなくエンジンがかかった感じがして家に戻った。
若いころは、次から次と起こることに、次から次と頭が回った。今はきっと、次と次の間に隙間が必要なんだと感じた。
友人との他愛もないやり取り、季節で咲く花、穏やかな風景、面白い小説や映画・・・。
もう、俊敏に動くことは叶わないから、これで行こう!

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